優一郎黒野
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「由々しき事態だ」
隣からぽつり、そんな声が聞こえた。仰々しい言葉とは裏腹に声は落ち着き払っていて、独り言かとキーボードを打つ手を休めないでいると、しばらく間を置いてまったく同じ台詞が聞こえてきた。
どうやら私に話しかけていたらしい。これは返事があるまで繰り返されるパターンだ。一分一秒でも時間を無駄にしたくない私は、カタカタと指先はそのままに隣を向く。
「どうしました、黒野先ぱ……っ」
金色の鋭い眼光にじぃ、と食い入るように見つめられ、思わず身がすくむ。ガン見である。いつから見ていたのか、まさか最初からこちらの反応を待っていたのだろうか。
そして由々しき事態と二度も言う割に、先輩の顔からはこれっぽっちも焦った様子は見受けられない。ただの雑談かと意識を仕事に戻そうとした矢先、
「改名する気はないか?」
「……はい?」
前言撤回。由々しき事態である。
改名を求められたのは人生初。何と答えるのが正解なのかわからない。雑談にしてももっと世間話的な話題でよかったのでは、と思う。
黒野先輩の突拍子もない言動にだいぶ耐性が付いたと思っていたが、この人はその耐性を軽々と超えてくる。
「改名の予定は、今のところないですけど」
「このままだとお前の運勢は最悪だぞ」
そんなこと言われてもと返事に困っていると、
黒野先輩は読んでいた本を差し出してきた。仕事中に何を熱心に読んでいるのかと思いきや、まさかの画数占い本。表紙にでかでかと『当たる! 姓名判断』と書かれていて、いかにも胡散臭い。というか黒野先輩、こういうの信じるんだ。
「子どもの名前を決めるときに参考にするやつですよね。私、占いとか信じてないので改名は結構です」
「命に関わるかもしれないんだぞ」
圧がすごい。私は前のめり気味の黒野先輩を押し返して、ぺらぺらと差し出された本をめくった。小さな文字がぎゅっと詰まっていて目が滑る。先輩はこれを全部読んだのか。
「そんな詳しく書かれてるんです?」
「ああ。すぐにでも変えた方がいいらしい。二十二画の名字だと運勢最強だそうだ」
「二十二画……」
何ともピンポイントな数字だ。そんな名字、ぱっと思いつかない。二十二画、二十二画と呟いていると、隣で黒野先輩がさらさらと何かを書き出していた。
「これはどうだ?」
「これは……」
見せられた紙に息を飲む。そこには私の名前と先輩の名字が書かれていた。確かに運勢最強、いや最狂になりそうではある。
「そういえば黒野って二十二画でしたね」
「ああ、お前が黒野になれば万事解決だ」
「他の解決策を所望します。部署内に同じ名字の人間がいたら絶対『夫婦』って揶揄う人が出てきますよ。そんなの先輩だって嫌でしょう」
「俺は構わないが? むしろ好都合だ」
「何でそうなるんですか。それに二人とも黒野だと呼ぶ方も困っちゃいますよ」
黒野と呼ばれて先輩と同時に振り返る絵が脳裏に浮かぶ。ああ、これは自分じゃなかったときに恥ずかしくなるやつだ。
「それは盲点だった。部長はお前を名前で呼ぶに違いない。人の嫌がることを率先してやるだろうからな」
「区別できるならいいのでは?」
「ダメに決まっているだろう」
私がいくら構わないと言っても、黒野先輩は頑なに首を縦に振ってくれなかった。その結果、
「仕方がない。俺が改名しよう」
「落ち着いてください黒野先輩。もう意味がわかりません」
「俺がお前の名字になると、お前の運勢が最強になる。……と、本に書いてあった。お前は今まで通り名字で呼ばせておけばいい。俺が名前で呼ばれる分には問題ないからな」
画数の話は一体どこへ行ってしまったのか。そもそも改名すると自分ではなくて、他人の運勢が上がるだなんて聞いたことがない。
「何だか頭痛くなってきました」
疲れた脳に、先輩との会話のキャッチボールは結構くる。ミットを構えたところにボールは飛んで来ないし、ボールを投げようとしたら投げられないくらい近くにいたり。
ため息を吐いてデスクにうつ伏せたら、しばらくして「寝たのか?」と黒野先輩が問いかけてきた。起きている。でも返事をしたらまた会話が始まってしまう。先輩には悪いけれど、もう少しだけクールダウンさせてほしい。
目を閉じてじっとしていたら、ぽんぽんと頭を撫でられる気配がした。気遣ってくれたのだろうが、慣れてないのかちょっと痛い。
やめてもらおうと顔を上げようとした時、「難しい話だったか?」と零す先輩の声が聞こえた。
「お前が嫁に来るか、俺が婿に入るか。簡単な話だと思ったんだがな」
由々しき事態である。そんな会話をした記憶がない。
私は何も聞かなかった。そう自分に言い聞かせ、黒野先輩が席を外すまで狸寝入りを続けたのだった。
隣からぽつり、そんな声が聞こえた。仰々しい言葉とは裏腹に声は落ち着き払っていて、独り言かとキーボードを打つ手を休めないでいると、しばらく間を置いてまったく同じ台詞が聞こえてきた。
どうやら私に話しかけていたらしい。これは返事があるまで繰り返されるパターンだ。一分一秒でも時間を無駄にしたくない私は、カタカタと指先はそのままに隣を向く。
「どうしました、黒野先ぱ……っ」
金色の鋭い眼光にじぃ、と食い入るように見つめられ、思わず身がすくむ。ガン見である。いつから見ていたのか、まさか最初からこちらの反応を待っていたのだろうか。
そして由々しき事態と二度も言う割に、先輩の顔からはこれっぽっちも焦った様子は見受けられない。ただの雑談かと意識を仕事に戻そうとした矢先、
「改名する気はないか?」
「……はい?」
前言撤回。由々しき事態である。
改名を求められたのは人生初。何と答えるのが正解なのかわからない。雑談にしてももっと世間話的な話題でよかったのでは、と思う。
黒野先輩の突拍子もない言動にだいぶ耐性が付いたと思っていたが、この人はその耐性を軽々と超えてくる。
「改名の予定は、今のところないですけど」
「このままだとお前の運勢は最悪だぞ」
そんなこと言われてもと返事に困っていると、
黒野先輩は読んでいた本を差し出してきた。仕事中に何を熱心に読んでいるのかと思いきや、まさかの画数占い本。表紙にでかでかと『当たる! 姓名判断』と書かれていて、いかにも胡散臭い。というか黒野先輩、こういうの信じるんだ。
「子どもの名前を決めるときに参考にするやつですよね。私、占いとか信じてないので改名は結構です」
「命に関わるかもしれないんだぞ」
圧がすごい。私は前のめり気味の黒野先輩を押し返して、ぺらぺらと差し出された本をめくった。小さな文字がぎゅっと詰まっていて目が滑る。先輩はこれを全部読んだのか。
「そんな詳しく書かれてるんです?」
「ああ。すぐにでも変えた方がいいらしい。二十二画の名字だと運勢最強だそうだ」
「二十二画……」
何ともピンポイントな数字だ。そんな名字、ぱっと思いつかない。二十二画、二十二画と呟いていると、隣で黒野先輩がさらさらと何かを書き出していた。
「これはどうだ?」
「これは……」
見せられた紙に息を飲む。そこには私の名前と先輩の名字が書かれていた。確かに運勢最強、いや最狂になりそうではある。
「そういえば黒野って二十二画でしたね」
「ああ、お前が黒野になれば万事解決だ」
「他の解決策を所望します。部署内に同じ名字の人間がいたら絶対『夫婦』って揶揄う人が出てきますよ。そんなの先輩だって嫌でしょう」
「俺は構わないが? むしろ好都合だ」
「何でそうなるんですか。それに二人とも黒野だと呼ぶ方も困っちゃいますよ」
黒野と呼ばれて先輩と同時に振り返る絵が脳裏に浮かぶ。ああ、これは自分じゃなかったときに恥ずかしくなるやつだ。
「それは盲点だった。部長はお前を名前で呼ぶに違いない。人の嫌がることを率先してやるだろうからな」
「区別できるならいいのでは?」
「ダメに決まっているだろう」
私がいくら構わないと言っても、黒野先輩は頑なに首を縦に振ってくれなかった。その結果、
「仕方がない。俺が改名しよう」
「落ち着いてください黒野先輩。もう意味がわかりません」
「俺がお前の名字になると、お前の運勢が最強になる。……と、本に書いてあった。お前は今まで通り名字で呼ばせておけばいい。俺が名前で呼ばれる分には問題ないからな」
画数の話は一体どこへ行ってしまったのか。そもそも改名すると自分ではなくて、他人の運勢が上がるだなんて聞いたことがない。
「何だか頭痛くなってきました」
疲れた脳に、先輩との会話のキャッチボールは結構くる。ミットを構えたところにボールは飛んで来ないし、ボールを投げようとしたら投げられないくらい近くにいたり。
ため息を吐いてデスクにうつ伏せたら、しばらくして「寝たのか?」と黒野先輩が問いかけてきた。起きている。でも返事をしたらまた会話が始まってしまう。先輩には悪いけれど、もう少しだけクールダウンさせてほしい。
目を閉じてじっとしていたら、ぽんぽんと頭を撫でられる気配がした。気遣ってくれたのだろうが、慣れてないのかちょっと痛い。
やめてもらおうと顔を上げようとした時、「難しい話だったか?」と零す先輩の声が聞こえた。
「お前が嫁に来るか、俺が婿に入るか。簡単な話だと思ったんだがな」
由々しき事態である。そんな会話をした記憶がない。
私は何も聞かなかった。そう自分に言い聞かせ、黒野先輩が席を外すまで狸寝入りを続けたのだった。