優一郎黒野
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左手の違和感で目が覚めた。覚醒しきらない頭のまま掌を顔の前まで持ち上げ、それから思い切り眉間に皺を寄せる。
「やあ、お目覚めいかが?」
耳に届く愉快げな声が苛立ちを増長させる。
「……見ればわかるだろう。最悪だ」
全身に熱がこもり、関節が軋む。加えて頭痛に吐き気とくればこれ以上ない最悪の目覚めだろう。不機嫌さを全面に押し出すように舌打ちでもしてやろうかと思ったが、それすら億劫だった。
ーー今回のはハズレだな。
浅い呼吸を繰り返しながら、そんなことを思う。正確には今まで一度だって「アタリ」と呼べるほどの結果を得たことはないのだが、それにしたって今回のは酷かった。
灰病の進行を遅らせる新薬の開発、そして俺はその治験を受けていた。
灰島の社員であり重度の灰病である俺は研究者たちにとってちょうどいい検体らしい。得体の知れない薬を飲むのは正直気が進まないが、少しでも長生きする可能性があるのなら、人間藁にでもすがりたくなるもの。
さほど期待はしていないがもしかしたらということもある。治らない病気とはいえ進行が遅くなれば、最悪生きてさえいれば、そのぶん弱者をいたぶる時間が増えるのだからーーそう考えれば治験も悪くない。
「ああ、辛そうだねぇ黒野くん。そんな君には優しい私が解熱剤を持ってきてあげようねぇ」
ひょこりと視界に入ってきたニヤケ顔に眉根を寄せる。前言撤回。治験の度にこいつの胡散臭い顔を見る羽目になるのは苦痛でしかない。
何でこんな奴が新薬研究の第一人者なのか。人事部は人を見る目がないんだろうか。
白衣を纏い、常にニタニタと湿度の高い笑みを浮かべるこの女は、俺の同期だった。といっても研究者のこいつと俺は部署が違うから接点はほとんどない。こんな風に定期的に顔を合わせるようになったのは大黒部長に治験の話を持ちかけられてからだ。返答によっては減給と言われてしまえば選択肢などないようなもので、俺は渋々首を縦に振った。
責任者がこんな奴と事前に知っていれば、減給されようが間違いなく首を横に振り続けただろう。
少しして同期の女がスキップをしながら戻ってきた。手には水の入ったコップと解熱剤らしき薬を持っている。
「お待たせぇ黒野くん。はい、解熱剤。あ、そうそう。お薬包むゼリーも付けたげようねぇ」
わざとらしくそう言って再びスキップで奥の戸棚へと戻ろうとする同期の白衣を軽く引っ張る。その瞬間「ぐぇっ」と潰れたカエルみたいな声がして、遅れてガチャンとガラスの割れる音が部屋に響いた。
「あーあ、もう何するの黒野くん。もったいないなぁ」
散らばるガラス片と水で濡れた床を見つめ、同期は怒るでもなくニタリと笑みを深めた。
「でも、くっつければまだ使えそう」
こいつは、こういう奴だ。「もったいない」と笑いながら何でも、それこそ物だろうが人だろうが関係なく、使えるものは使える限り使う。僅かでも使う余地があれば修理なり誤魔化しなりして、最後の最後擦り切れるまで利用するのがこの女だ。
無能力者で、その細首に手を伸ばせば簡単に壊してしまえるだろうにそれができないのは、社長や大黒部長に似たものを感じるからだろうか。今すぐいたぶりたい気持ちはあるが、きっとまだその時じゃない。
「黒野くん、そろそろ白衣離してくれないかなぁ。ガラス拾いたいんだけど」
「……」
「あ、もしかして寂しくなっちゃったとか?」
「違う。これ、お前がやったんだろう」
こいつと会話をするのは疲れる。治験の副作用かこいつのせいか、俺は再びひどくなり始めた頭痛に顔を顰めながら左手を差し出した。
治験前は何の異常もなかった、まだ灰病に侵されていない左掌。が、目覚めてみればその生命線と呼ばれる部分が黒のペンで描き足されていた。それも親指を囲うようにぐるっと一周して。
「勝手に人の身体で遊ぶな」
「遊んでなんかないよ。真剣真剣。黒野くんにはまだまだ長生きしてもらわないと困るからねぇ」
「もったいないからか」
「うん、もったいないから」
本当に、どうしてうちの会社はこんな人を人とも思わないような奴を雇ったのか。呆れて溜め息しか出てこない。
「俺が先にいなくなるとは限らないだろう」
「あ〜、確かに。人生何があるかわからないもんねぇ」
そう言うと同期はポケットからペンを取り出して、自身の掌に走らせた。キュキュっと音がする。どうやら俺にしたのと同じように生命線を伸ばしているらしい。
「ついでに結婚線も伸ばそうかなぁ」
どう思う? と訊かれたが、心底どうでもよかった。伸ばしたところでどうせこいつに結婚相手は現れない。断言する。
一体どれほど線を描き足しているのか、ペンを走らせる音はまだ続いていた。何なら愉しげで音の外れた鼻歌まで聴こえてくる。
ちらりと視線を向けると油性の二文字が目に入りーー最悪だ、俺の生命線はしばらく消えそうにない。
「やあ、お目覚めいかが?」
耳に届く愉快げな声が苛立ちを増長させる。
「……見ればわかるだろう。最悪だ」
全身に熱がこもり、関節が軋む。加えて頭痛に吐き気とくればこれ以上ない最悪の目覚めだろう。不機嫌さを全面に押し出すように舌打ちでもしてやろうかと思ったが、それすら億劫だった。
ーー今回のはハズレだな。
浅い呼吸を繰り返しながら、そんなことを思う。正確には今まで一度だって「アタリ」と呼べるほどの結果を得たことはないのだが、それにしたって今回のは酷かった。
灰病の進行を遅らせる新薬の開発、そして俺はその治験を受けていた。
灰島の社員であり重度の灰病である俺は研究者たちにとってちょうどいい検体らしい。得体の知れない薬を飲むのは正直気が進まないが、少しでも長生きする可能性があるのなら、人間藁にでもすがりたくなるもの。
さほど期待はしていないがもしかしたらということもある。治らない病気とはいえ進行が遅くなれば、最悪生きてさえいれば、そのぶん弱者をいたぶる時間が増えるのだからーーそう考えれば治験も悪くない。
「ああ、辛そうだねぇ黒野くん。そんな君には優しい私が解熱剤を持ってきてあげようねぇ」
ひょこりと視界に入ってきたニヤケ顔に眉根を寄せる。前言撤回。治験の度にこいつの胡散臭い顔を見る羽目になるのは苦痛でしかない。
何でこんな奴が新薬研究の第一人者なのか。人事部は人を見る目がないんだろうか。
白衣を纏い、常にニタニタと湿度の高い笑みを浮かべるこの女は、俺の同期だった。といっても研究者のこいつと俺は部署が違うから接点はほとんどない。こんな風に定期的に顔を合わせるようになったのは大黒部長に治験の話を持ちかけられてからだ。返答によっては減給と言われてしまえば選択肢などないようなもので、俺は渋々首を縦に振った。
責任者がこんな奴と事前に知っていれば、減給されようが間違いなく首を横に振り続けただろう。
少しして同期の女がスキップをしながら戻ってきた。手には水の入ったコップと解熱剤らしき薬を持っている。
「お待たせぇ黒野くん。はい、解熱剤。あ、そうそう。お薬包むゼリーも付けたげようねぇ」
わざとらしくそう言って再びスキップで奥の戸棚へと戻ろうとする同期の白衣を軽く引っ張る。その瞬間「ぐぇっ」と潰れたカエルみたいな声がして、遅れてガチャンとガラスの割れる音が部屋に響いた。
「あーあ、もう何するの黒野くん。もったいないなぁ」
散らばるガラス片と水で濡れた床を見つめ、同期は怒るでもなくニタリと笑みを深めた。
「でも、くっつければまだ使えそう」
こいつは、こういう奴だ。「もったいない」と笑いながら何でも、それこそ物だろうが人だろうが関係なく、使えるものは使える限り使う。僅かでも使う余地があれば修理なり誤魔化しなりして、最後の最後擦り切れるまで利用するのがこの女だ。
無能力者で、その細首に手を伸ばせば簡単に壊してしまえるだろうにそれができないのは、社長や大黒部長に似たものを感じるからだろうか。今すぐいたぶりたい気持ちはあるが、きっとまだその時じゃない。
「黒野くん、そろそろ白衣離してくれないかなぁ。ガラス拾いたいんだけど」
「……」
「あ、もしかして寂しくなっちゃったとか?」
「違う。これ、お前がやったんだろう」
こいつと会話をするのは疲れる。治験の副作用かこいつのせいか、俺は再びひどくなり始めた頭痛に顔を顰めながら左手を差し出した。
治験前は何の異常もなかった、まだ灰病に侵されていない左掌。が、目覚めてみればその生命線と呼ばれる部分が黒のペンで描き足されていた。それも親指を囲うようにぐるっと一周して。
「勝手に人の身体で遊ぶな」
「遊んでなんかないよ。真剣真剣。黒野くんにはまだまだ長生きしてもらわないと困るからねぇ」
「もったいないからか」
「うん、もったいないから」
本当に、どうしてうちの会社はこんな人を人とも思わないような奴を雇ったのか。呆れて溜め息しか出てこない。
「俺が先にいなくなるとは限らないだろう」
「あ〜、確かに。人生何があるかわからないもんねぇ」
そう言うと同期はポケットからペンを取り出して、自身の掌に走らせた。キュキュっと音がする。どうやら俺にしたのと同じように生命線を伸ばしているらしい。
「ついでに結婚線も伸ばそうかなぁ」
どう思う? と訊かれたが、心底どうでもよかった。伸ばしたところでどうせこいつに結婚相手は現れない。断言する。
一体どれほど線を描き足しているのか、ペンを走らせる音はまだ続いていた。何なら愉しげで音の外れた鼻歌まで聴こえてくる。
ちらりと視線を向けると油性の二文字が目に入りーー最悪だ、俺の生命線はしばらく消えそうにない。