優一郎黒野
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かつ、かつと高い足音が廊下に響く。お気に入りの五センチピンヒールのパンプスは私の仕事のモチベーションを上げてくれるが、ここの検体たちは違うらしい。この音を聴けば震え上がり泣き喚き、私のことを「悪魔」だなんて罵ってくる。私は医師として検体のバイタルチェックをしているだけなのに。本当に躾のなってないクソ検体どもだ。私はそういう奴らに治療と偽って、必要のない栄養剤を注入してやる。もちろん一番太い注射器と針で、ゆっくりと。
今日も今日とて、私は朝から検体たちのバイタルチェックや、実験による怪我の治療に追われていた。ここ灰島で発火能力の最大出力について研究したくて就職したのに、なんでしたくもないガキの面倒を見なきゃならないのか。研究の役に立つかもと取った医師免許が完全に仇となった。
ああもう、やってらんない。思い切りビールを呷りたい気分だったが、職場の自販機にそんなものあるわけがないので、ブラックコーヒーで我慢しておく。
上申したら置いてくれるかしら?
日々忙しなく働く社会人だもの、仕事中にアルコールを摂取したいと思うのは私だけじゃないはず。だめならせめてノンアルコールビールで気分だけでも……なんて、自販機のラインナップを見ながら考えていたら「退け」と後ろから唸るような声が聞こえた。
「あら、黒野くんじゃない」
ぬっと現れたのは検体にも同僚にも最狂と恐れられる死神、私にとっては数少ない同期の黒野くんだった。私の声かけに返事はなく、心なしがピリピリしているように見える。恐らく大黒部長の無茶振りに付き合わされたのだろう。普段の黒野くんなら普通に会話可能だが、機嫌の悪い時はこちらに矛先が向く危険性が高い。触らぬ神に祟りなし、とはよく言ったものだ。私は近くにあったベンチに腰掛け、苛立つ死神を静観することした……のだが。私と同じ缶コーヒーを手にした彼はあろうことか、一人分あいだを空けて隣に腰を下ろしてきた。ベンチの軋む音が心臓に悪い。
ちらりと隣の彼を見遣る。相変わらず機嫌は悪そうだが、憂さ晴らしに誰彼構わずいたぶるほどではなさそうだ。立ち去ることもできただろうにわざわざここに座ったということは、私に用があるか、もしくはしてほしいことがあると見た。愚痴を聞いてほしいわけではないだろう。そういう場合、黒野くんはこっちが聞く耳を持たずとも勝手に話してくる。
しばらく様子を見るも、黒野くんは相変わらず無言だった。けれど移動する気配もない。もしかして私が話しかけるのを待ってたりする? こっちは特に話すこともないから勘弁してほしい。検体たちの面倒見るのに疲れてここに来たのに、まさか同期の面倒も見ることになるとは。まあ黒野くんも検体と言えなくはないのだけれど、メンタルケアは専門外だからできれば他をあたってほしかった。
さて、どんな話題を振るべきか。大黒部長のことで機嫌が悪いとしたら、それを思い出させるような仕事の話は間違いなくタブーだ。しかしそうなると、ほとんど話すことがない。私と黒野くんは仕事以外の接点がまるでないのだ。なにか他に当たり障りのない話題はーー。あ、ひとつだけあった。
「そういえば黒野くん、今日誕生日なんだって?」
私の言葉にぴくりと彼の缶を持つ指先が揺れる。
「なんで知ってる」
「あのアドラバーストの検体……ナタク孫、だっけ? あの子がサプライズするんだって楽しそうに言ってたから」
「そうか。俺はお前が悪魔と呼ばれる理由がわかった気がする」
「あら、もしかして知りたくなかった? うそ、意外。最狂の死神さんはサプライズとか大事にするタイプだったんだ」
黒野くんな何か言いたげに口を開いたが、出てきたのは煤色のため息だった。それから眉間に皺を寄せ、苦い顔でコーヒーを飲み下す。
「ね、せっかくだから私も誕生日プレゼントあげよっか」
「必要ない」
「遠慮しないでよ。君と私の仲じゃない」
「お前のことだ。どうせ見返りを要求するつもりだろ」
「そんなことないない! 私は純粋に同期の誕生日を祝いたいの。そして来月の私の誕生日に、君からプレゼントが欲しいだけ」
それを見返りと言わずして何と言う。目だけでそう語る彼に、私はわざとらしく肩を落として言った。
「ああ、やっぱり押し付けはよくないわね。黒野くんがいらないならやめておくわ。君の大好きな時間をプラス一時間プレゼントしようと思ったのだけど」
「……なに?」
黒野くんの声が少しだけ高くなる。興味を持ったならこっちのものだ。
「ナタク孫がアドラバーストに目醒めてからしばらくバイタルに波があったけど、最近はだいぶ安定してね。私が上に進言すれば最低でも今より一時間、上手くいけばそれ以上に実験時間を増やせるわ」
ごくり、と黒野くんの喉が鳴る。眉間にあった皺はとっくになくなり、代わりにきゅっと目が細くなっていた。顔が緩みそうになるのを必死に堪えている、そんな表情だ。
「どう? なかなかセンスのいいプレゼントでしょう」
悪い話ではないはずだ。けれど黒野くんはなかなか頷かない。本当は欲しくて欲しくて堪らない癖に、理性と欲の間でぐらぐらと。そのまま甘い誘いで突き落とすこともできたが、私はじっと彼の言葉を待つことにした。
「……お前の目的は」
「目的って、せめてプレゼント何が欲しいって聞いてよ」
同じ意味でも言葉選びは大切だ。そんなんじゃモテないわよ〜と揶揄いながら、私はにこりと唇を持ち上げる。
「ナタク孫のアドラバーストの最大値を今より上げてくれないかしら。期限は私の誕生日」
きょとん、と黒野くんの目が大きくなる。一体何を要求されると思っていたのか。私は悪魔じゃないってのに。
しかし今度こそすんなり頷いてくれると思ったのに、黒野くんはまたも考え込んでしまった。なかなかに手強い。
「そんなに難しいお願いだったかしら?」
「最大値を上げたら強くなってしまうだろう? それは困る」
「君はそうかもね。でも強くなってくれないと困る研究者のが多いわ。好きで研究してる人ばかりだけど、みんなボランティアじゃなくて会社員なの。結果はきちんと出さないと」
「今のお前は医者だろう。研究者じゃない。お前に何の得がある?」
「私? 私はただの趣味。君と一緒」
医師として雇われた今の私には、好きな研究をする時間も場所も機会もない。けれどそれでも好きなことはしたいのだ。研究としてが無理なら趣味として、能力者の限界はどこか、限界を超えたら必ずしも灰病を発症するものなのか、能力の最大値はどこまで伸びるのか。可能なら、全部この目に焼き付けたい。
「俺をお前の趣味に付き合わせるつもりか」
「誰も損しないからいいじゃない。君は弱いものいじめの時間が増える、私は発火能力の最大値突破を観測できる、研究者たちは良い結果を得られて仕事振りを評価される」
損をするとすれば検体であるナタク孫くらいだが、彼の意思はあってもなくても関係ない。すべてを決めるのは、灰島の大人たちだ。
「そろそろ私は仕事に戻るけど、どうする?」
私の問いに黒野くんは難しい顔をしながらも、最終的には首を縦に振った。
「わかった。お前の案を飲む」
「了解。じゃあ上司に伝えとくね。誕生日おめでとう黒野くん。よい一日を」
「ああ、ありがとう」
黒野くんと別れてから、アドラバーストの最大値を更新できなかった場合について話してなかったことを思い出したが、すぐにいらぬ心配だと自分に言い聞かせた。黒野くんは仕事のできる男だ。
そしてその予想は的中し、彼からこれ以上ないプレゼントを貰うことになるのだが、私の医師としての仕事はさらに忙しくなったのだった。
今日も今日とて、私は朝から検体たちのバイタルチェックや、実験による怪我の治療に追われていた。ここ灰島で発火能力の最大出力について研究したくて就職したのに、なんでしたくもないガキの面倒を見なきゃならないのか。研究の役に立つかもと取った医師免許が完全に仇となった。
ああもう、やってらんない。思い切りビールを呷りたい気分だったが、職場の自販機にそんなものあるわけがないので、ブラックコーヒーで我慢しておく。
上申したら置いてくれるかしら?
日々忙しなく働く社会人だもの、仕事中にアルコールを摂取したいと思うのは私だけじゃないはず。だめならせめてノンアルコールビールで気分だけでも……なんて、自販機のラインナップを見ながら考えていたら「退け」と後ろから唸るような声が聞こえた。
「あら、黒野くんじゃない」
ぬっと現れたのは検体にも同僚にも最狂と恐れられる死神、私にとっては数少ない同期の黒野くんだった。私の声かけに返事はなく、心なしがピリピリしているように見える。恐らく大黒部長の無茶振りに付き合わされたのだろう。普段の黒野くんなら普通に会話可能だが、機嫌の悪い時はこちらに矛先が向く危険性が高い。触らぬ神に祟りなし、とはよく言ったものだ。私は近くにあったベンチに腰掛け、苛立つ死神を静観することした……のだが。私と同じ缶コーヒーを手にした彼はあろうことか、一人分あいだを空けて隣に腰を下ろしてきた。ベンチの軋む音が心臓に悪い。
ちらりと隣の彼を見遣る。相変わらず機嫌は悪そうだが、憂さ晴らしに誰彼構わずいたぶるほどではなさそうだ。立ち去ることもできただろうにわざわざここに座ったということは、私に用があるか、もしくはしてほしいことがあると見た。愚痴を聞いてほしいわけではないだろう。そういう場合、黒野くんはこっちが聞く耳を持たずとも勝手に話してくる。
しばらく様子を見るも、黒野くんは相変わらず無言だった。けれど移動する気配もない。もしかして私が話しかけるのを待ってたりする? こっちは特に話すこともないから勘弁してほしい。検体たちの面倒見るのに疲れてここに来たのに、まさか同期の面倒も見ることになるとは。まあ黒野くんも検体と言えなくはないのだけれど、メンタルケアは専門外だからできれば他をあたってほしかった。
さて、どんな話題を振るべきか。大黒部長のことで機嫌が悪いとしたら、それを思い出させるような仕事の話は間違いなくタブーだ。しかしそうなると、ほとんど話すことがない。私と黒野くんは仕事以外の接点がまるでないのだ。なにか他に当たり障りのない話題はーー。あ、ひとつだけあった。
「そういえば黒野くん、今日誕生日なんだって?」
私の言葉にぴくりと彼の缶を持つ指先が揺れる。
「なんで知ってる」
「あのアドラバーストの検体……ナタク孫、だっけ? あの子がサプライズするんだって楽しそうに言ってたから」
「そうか。俺はお前が悪魔と呼ばれる理由がわかった気がする」
「あら、もしかして知りたくなかった? うそ、意外。最狂の死神さんはサプライズとか大事にするタイプだったんだ」
黒野くんな何か言いたげに口を開いたが、出てきたのは煤色のため息だった。それから眉間に皺を寄せ、苦い顔でコーヒーを飲み下す。
「ね、せっかくだから私も誕生日プレゼントあげよっか」
「必要ない」
「遠慮しないでよ。君と私の仲じゃない」
「お前のことだ。どうせ見返りを要求するつもりだろ」
「そんなことないない! 私は純粋に同期の誕生日を祝いたいの。そして来月の私の誕生日に、君からプレゼントが欲しいだけ」
それを見返りと言わずして何と言う。目だけでそう語る彼に、私はわざとらしく肩を落として言った。
「ああ、やっぱり押し付けはよくないわね。黒野くんがいらないならやめておくわ。君の大好きな時間をプラス一時間プレゼントしようと思ったのだけど」
「……なに?」
黒野くんの声が少しだけ高くなる。興味を持ったならこっちのものだ。
「ナタク孫がアドラバーストに目醒めてからしばらくバイタルに波があったけど、最近はだいぶ安定してね。私が上に進言すれば最低でも今より一時間、上手くいけばそれ以上に実験時間を増やせるわ」
ごくり、と黒野くんの喉が鳴る。眉間にあった皺はとっくになくなり、代わりにきゅっと目が細くなっていた。顔が緩みそうになるのを必死に堪えている、そんな表情だ。
「どう? なかなかセンスのいいプレゼントでしょう」
悪い話ではないはずだ。けれど黒野くんはなかなか頷かない。本当は欲しくて欲しくて堪らない癖に、理性と欲の間でぐらぐらと。そのまま甘い誘いで突き落とすこともできたが、私はじっと彼の言葉を待つことにした。
「……お前の目的は」
「目的って、せめてプレゼント何が欲しいって聞いてよ」
同じ意味でも言葉選びは大切だ。そんなんじゃモテないわよ〜と揶揄いながら、私はにこりと唇を持ち上げる。
「ナタク孫のアドラバーストの最大値を今より上げてくれないかしら。期限は私の誕生日」
きょとん、と黒野くんの目が大きくなる。一体何を要求されると思っていたのか。私は悪魔じゃないってのに。
しかし今度こそすんなり頷いてくれると思ったのに、黒野くんはまたも考え込んでしまった。なかなかに手強い。
「そんなに難しいお願いだったかしら?」
「最大値を上げたら強くなってしまうだろう? それは困る」
「君はそうかもね。でも強くなってくれないと困る研究者のが多いわ。好きで研究してる人ばかりだけど、みんなボランティアじゃなくて会社員なの。結果はきちんと出さないと」
「今のお前は医者だろう。研究者じゃない。お前に何の得がある?」
「私? 私はただの趣味。君と一緒」
医師として雇われた今の私には、好きな研究をする時間も場所も機会もない。けれどそれでも好きなことはしたいのだ。研究としてが無理なら趣味として、能力者の限界はどこか、限界を超えたら必ずしも灰病を発症するものなのか、能力の最大値はどこまで伸びるのか。可能なら、全部この目に焼き付けたい。
「俺をお前の趣味に付き合わせるつもりか」
「誰も損しないからいいじゃない。君は弱いものいじめの時間が増える、私は発火能力の最大値突破を観測できる、研究者たちは良い結果を得られて仕事振りを評価される」
損をするとすれば検体であるナタク孫くらいだが、彼の意思はあってもなくても関係ない。すべてを決めるのは、灰島の大人たちだ。
「そろそろ私は仕事に戻るけど、どうする?」
私の問いに黒野くんは難しい顔をしながらも、最終的には首を縦に振った。
「わかった。お前の案を飲む」
「了解。じゃあ上司に伝えとくね。誕生日おめでとう黒野くん。よい一日を」
「ああ、ありがとう」
黒野くんと別れてから、アドラバーストの最大値を更新できなかった場合について話してなかったことを思い出したが、すぐにいらぬ心配だと自分に言い聞かせた。黒野くんは仕事のできる男だ。
そしてその予想は的中し、彼からこれ以上ないプレゼントを貰うことになるのだが、私の医師としての仕事はさらに忙しくなったのだった。