優一郎黒野
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「お前は弱いな」
自宅にいるというのに、ここにいるはずのない職場の先輩の声が聞こえた気がして目を覚ます。顔だけを窓のほうへと向ければ、締め切ったカーテンの隙間から濃いオレンジの光が漏れていた。朝一で会社に休むと連絡を入れてから今まで、ずっと眠っていたらしい。けれど身体は未だ重く、節々が痛い。頭の奥はズキズキするし、夏だというのに布団を被っても寒気がした。久々にひいた酷い風邪。朝よりは多少ましになった気もするけれど、快復には程遠い。
とりあえず水分摂って、胃に何か入れて、薬飲まなくちゃ。
重たい身体を起こしてキッチンへと向かう。冷蔵庫を開けると中にはほとんど何も入っていなかった。ペットボトルの水とコーヒー、調味料に缶酎ハイ。見事に何もなくて、そのまま静かに冷蔵庫の扉を閉めた。そういえば今日会社帰りに買い物に行こうと思ってたんだっけ。カップ麺ならいくつか戸棚にあるけれど、薬を飲むためとはいえさすがにそれを食べる気にはなれなかった。
「あーもう最悪」
タイミングの悪さ、自分の健康管理の悪さ、関係のない色々なものまで嫌になってきて泣きそうになる。いつもだったらこんなことないのに、風邪のせいで身体だけでなく心まですっかり弱くなってしまったみたいだ。ぽたりと目から零れ落ちた雫をパジャマの袖で雑に拭う。一人暮らしで本当によかった。大の大人が風邪をひいたくらいで泣くだなんて。こんな情けない姿、他の人が見たら絶対に呆れられてしまう。黒野先輩だったら、喜んで眺めてきそうだけど。
「俺が何だって?」
「……え?」
一人暮らしのこの部屋に、私以外の人の声。それもよく知る人のもので、今度は確かに、はっきりと聞こえた。
「何で、黒野先輩がここに……」
ぼんやりと見上げた先にいたのは黒野先輩だった。家に招き入れた記憶はないのだけど、なぜかさも当然のような顔をしてそこに立っている。そして彼はがさりと手にしていたビニール袋を床に置き、私の前にしゃがみ込んだ。じぃっと鋭い視線が突き刺さる。それから無言のまま左手が伸びてきて、私は思わずぎゅっと目を閉じた。いつものが来る、と反射的に感じだからだ。いつもの、頭を割れそうなほど強く掴まれるあれ。けれど先輩の手は私の前髪を避けて、そっと額に触れてきた。包帯の巻かれていない掌から、じんわりと体温が伝わってくる。少しかさついた掌は熱を出している私と同じかそれより熱いくらいで、能力者の基礎体温が高いというのは本当なのだと改めて実感する。
「まだ熱があるな」
どうやら熱を測っただけらしい。けれど私は今目の前で起きた出来事が信じられなくて、ぽかんと口を開けてしまった。だって、あの黒野先輩だ。ただでさえ弱い側の私がいつもより弱っているというのに、何もしてこないだなんてあり得るだろうか。
もしかして黒野先輩のドッペルゲンガーとか? 公にはされていないものの、そういった事例はいくつかあると大黒部長から聞いている。そうだとしたら別人みたいに優しいのにも、まだ納得がいく。イメージとは真逆だけれど、そもそもドッペルゲンガーについてはわかっていないことが多いのだから、成り代わるためにそういう事例がないとも言い切れない。何にせよ、無能力者で風邪っぴきの私には太刀打ちできっこないのだけど。
黒野先輩(仮)の左手がゆっくりと離れていく。それと同時に身体が宙に浮き、「うわ、ちょ?!」抵抗という抵抗もできないまま小脇に抱えられ、私は元いた寝室に放り込まれた。一緒に投げられたのは、ペットボトルの水とタオルと替えのパジャマ。なぜ一度も家に来たことのない先輩が諸々の場所を知っているのか。そんな疑問が脳裏を過ったけれど、答えを知るのが怖くて何も訊けなかった。うん、きっと知らないほうがいい。先輩はしばらく私を注視していたけれど、「着替えたいんですけど」と伝えると大人しく部屋を出て行ってくれた。
黒野先輩が優しい。後輩としてこれほど嬉しいことはないはずなのに、一方でドッペルゲンガー疑惑はますます高まっていく。寝て起きたら全部夢でした、なんてことにならないかな。そんな淡い期待を抱き目を閉じてベッドに横になるも、部屋の外からは微かに物音が聞こえてきて、まだそこに人がいることをありありと伝えてきた。
もしあの黒野先輩がドッペルゲンガーだったとしたら、私はどうなるのだろう。やっぱり殺される? それで、私も私のドッペルゲンガーに成り代わられて……。
「おい」
「ひゃい?!」
いつの間にか戻ってきていた先輩が私の反応に眉を顰める。けれどそれもすぐにどうでも良くなったのか、つかつかと私のほうへと近付いてきた。
や、殺られる……!
思わずぎゅっと身を強張らせた私に、しかし予想した痛みはやってこなかった。代わりにふんわりとやさしい出汁の香りが鼻腔をくすぐる。恐る恐る目を開けると、そこにはほこほこと湯気を立てるれんげが突き出されていた。
「お粥だ。これくらいなら食べられるだろう」
「……あ、ありがとうございます」
私はれんげを受け取ろうと手を伸ばし、
「何のつもりだ」
そのままむにっと黒野先輩の頬をつねった。
「いや、先輩が優しいから夢でも見てるのか、ドッペルゲンガーなのかなと思って」
「そうか」
今度はれんげを置いた先輩の両手がこちらに伸びてきた。そして私の両頬を掴み、思い切り左右に引っ張られる。
「いっ……たぁ!!」
「元気そうで安心したよ。これなら遠慮もいらないな」
結論から言えば、黒野先輩は本物だった。今回は弱者である私がいたぶり甲斐がないほど弱っていたから、仕方なしに看病しにきたということだった。私がいないと大黒部長の無茶振りが全部先輩に来るとかで、いつもの倍ストレスが溜まるんだとか。私は黒野先輩から大黒部長の愚痴を聞きながら、ほぼスープ状のお粥を胃に流し込んだ。
「それを食べ終えたら薬を飲んでさっさと寝るんだな。明日には出社してもらわないと俺が困る」
「はい。あ、あのもう一つお願いが」
「何だ?」
「りんごが食べたくて。うさぎのやつ」
「図々しいな」
「う、でもそれを食べたら明日は出社できる気がします」
私は完全に調子に乗っていた。でも今日の黒野先輩がいつになく優しかったから、この滅多にない優しさをもう少し堪能したいと思ってしまったのだ。先輩も私の考えることなんてお見通しだったのだろう。何か言いたげにしつつも、はぁ、とめんどくさそうにため息をついただけで深く追及してこなかった。
「うさぎりんごでいいんだな」
程なくして、黒野先輩は綺麗に且つ可愛らしく剥かれたりんごを持って戻ってきた。
死神と恐れられる優一郎黒野が作ったうさぎりんご、自分で頼んでおきながら似合わなさに笑ってしまいそうになる。
「食べないのか」
「た、食べます食べます」
先輩の最初で最後かもしれない優しさを噛み締めようと、うさぎりんごに手を伸ばす。しかし私の手は皿まで届かなかった。黒野先輩が直前で皿を手前に引いたのだ。
「そういえばお前は病人だったな。このままだと消化に悪いから、もっと食べやすくしてやろう」
嫌な予感に顔を上げると、黒野先輩が楽しそうに目を細めた。そしてうさぎりんごを一つ手に取り、一緒に持ってきたらしいすりおろし器でーー。
「待って待って待って……ああ、私のうさぎりんごがぁぁ!!」
数羽いた赤いうさぎたちは跡形もなく、すりおろし器の海へと沈んでいった。黒野先輩はそれをスプーンで掬い、めそめそする私の口に無理やり突っ込む。
「うう、おいしい」
「そうか、よかった。なら明日は出社できるな」
嘘みたいに優しい黒野先輩。けれど彼は正真正銘、あの優一郎黒野に違いなかった。
自宅にいるというのに、ここにいるはずのない職場の先輩の声が聞こえた気がして目を覚ます。顔だけを窓のほうへと向ければ、締め切ったカーテンの隙間から濃いオレンジの光が漏れていた。朝一で会社に休むと連絡を入れてから今まで、ずっと眠っていたらしい。けれど身体は未だ重く、節々が痛い。頭の奥はズキズキするし、夏だというのに布団を被っても寒気がした。久々にひいた酷い風邪。朝よりは多少ましになった気もするけれど、快復には程遠い。
とりあえず水分摂って、胃に何か入れて、薬飲まなくちゃ。
重たい身体を起こしてキッチンへと向かう。冷蔵庫を開けると中にはほとんど何も入っていなかった。ペットボトルの水とコーヒー、調味料に缶酎ハイ。見事に何もなくて、そのまま静かに冷蔵庫の扉を閉めた。そういえば今日会社帰りに買い物に行こうと思ってたんだっけ。カップ麺ならいくつか戸棚にあるけれど、薬を飲むためとはいえさすがにそれを食べる気にはなれなかった。
「あーもう最悪」
タイミングの悪さ、自分の健康管理の悪さ、関係のない色々なものまで嫌になってきて泣きそうになる。いつもだったらこんなことないのに、風邪のせいで身体だけでなく心まですっかり弱くなってしまったみたいだ。ぽたりと目から零れ落ちた雫をパジャマの袖で雑に拭う。一人暮らしで本当によかった。大の大人が風邪をひいたくらいで泣くだなんて。こんな情けない姿、他の人が見たら絶対に呆れられてしまう。黒野先輩だったら、喜んで眺めてきそうだけど。
「俺が何だって?」
「……え?」
一人暮らしのこの部屋に、私以外の人の声。それもよく知る人のもので、今度は確かに、はっきりと聞こえた。
「何で、黒野先輩がここに……」
ぼんやりと見上げた先にいたのは黒野先輩だった。家に招き入れた記憶はないのだけど、なぜかさも当然のような顔をしてそこに立っている。そして彼はがさりと手にしていたビニール袋を床に置き、私の前にしゃがみ込んだ。じぃっと鋭い視線が突き刺さる。それから無言のまま左手が伸びてきて、私は思わずぎゅっと目を閉じた。いつものが来る、と反射的に感じだからだ。いつもの、頭を割れそうなほど強く掴まれるあれ。けれど先輩の手は私の前髪を避けて、そっと額に触れてきた。包帯の巻かれていない掌から、じんわりと体温が伝わってくる。少しかさついた掌は熱を出している私と同じかそれより熱いくらいで、能力者の基礎体温が高いというのは本当なのだと改めて実感する。
「まだ熱があるな」
どうやら熱を測っただけらしい。けれど私は今目の前で起きた出来事が信じられなくて、ぽかんと口を開けてしまった。だって、あの黒野先輩だ。ただでさえ弱い側の私がいつもより弱っているというのに、何もしてこないだなんてあり得るだろうか。
もしかして黒野先輩のドッペルゲンガーとか? 公にはされていないものの、そういった事例はいくつかあると大黒部長から聞いている。そうだとしたら別人みたいに優しいのにも、まだ納得がいく。イメージとは真逆だけれど、そもそもドッペルゲンガーについてはわかっていないことが多いのだから、成り代わるためにそういう事例がないとも言い切れない。何にせよ、無能力者で風邪っぴきの私には太刀打ちできっこないのだけど。
黒野先輩(仮)の左手がゆっくりと離れていく。それと同時に身体が宙に浮き、「うわ、ちょ?!」抵抗という抵抗もできないまま小脇に抱えられ、私は元いた寝室に放り込まれた。一緒に投げられたのは、ペットボトルの水とタオルと替えのパジャマ。なぜ一度も家に来たことのない先輩が諸々の場所を知っているのか。そんな疑問が脳裏を過ったけれど、答えを知るのが怖くて何も訊けなかった。うん、きっと知らないほうがいい。先輩はしばらく私を注視していたけれど、「着替えたいんですけど」と伝えると大人しく部屋を出て行ってくれた。
黒野先輩が優しい。後輩としてこれほど嬉しいことはないはずなのに、一方でドッペルゲンガー疑惑はますます高まっていく。寝て起きたら全部夢でした、なんてことにならないかな。そんな淡い期待を抱き目を閉じてベッドに横になるも、部屋の外からは微かに物音が聞こえてきて、まだそこに人がいることをありありと伝えてきた。
もしあの黒野先輩がドッペルゲンガーだったとしたら、私はどうなるのだろう。やっぱり殺される? それで、私も私のドッペルゲンガーに成り代わられて……。
「おい」
「ひゃい?!」
いつの間にか戻ってきていた先輩が私の反応に眉を顰める。けれどそれもすぐにどうでも良くなったのか、つかつかと私のほうへと近付いてきた。
や、殺られる……!
思わずぎゅっと身を強張らせた私に、しかし予想した痛みはやってこなかった。代わりにふんわりとやさしい出汁の香りが鼻腔をくすぐる。恐る恐る目を開けると、そこにはほこほこと湯気を立てるれんげが突き出されていた。
「お粥だ。これくらいなら食べられるだろう」
「……あ、ありがとうございます」
私はれんげを受け取ろうと手を伸ばし、
「何のつもりだ」
そのままむにっと黒野先輩の頬をつねった。
「いや、先輩が優しいから夢でも見てるのか、ドッペルゲンガーなのかなと思って」
「そうか」
今度はれんげを置いた先輩の両手がこちらに伸びてきた。そして私の両頬を掴み、思い切り左右に引っ張られる。
「いっ……たぁ!!」
「元気そうで安心したよ。これなら遠慮もいらないな」
結論から言えば、黒野先輩は本物だった。今回は弱者である私がいたぶり甲斐がないほど弱っていたから、仕方なしに看病しにきたということだった。私がいないと大黒部長の無茶振りが全部先輩に来るとかで、いつもの倍ストレスが溜まるんだとか。私は黒野先輩から大黒部長の愚痴を聞きながら、ほぼスープ状のお粥を胃に流し込んだ。
「それを食べ終えたら薬を飲んでさっさと寝るんだな。明日には出社してもらわないと俺が困る」
「はい。あ、あのもう一つお願いが」
「何だ?」
「りんごが食べたくて。うさぎのやつ」
「図々しいな」
「う、でもそれを食べたら明日は出社できる気がします」
私は完全に調子に乗っていた。でも今日の黒野先輩がいつになく優しかったから、この滅多にない優しさをもう少し堪能したいと思ってしまったのだ。先輩も私の考えることなんてお見通しだったのだろう。何か言いたげにしつつも、はぁ、とめんどくさそうにため息をついただけで深く追及してこなかった。
「うさぎりんごでいいんだな」
程なくして、黒野先輩は綺麗に且つ可愛らしく剥かれたりんごを持って戻ってきた。
死神と恐れられる優一郎黒野が作ったうさぎりんご、自分で頼んでおきながら似合わなさに笑ってしまいそうになる。
「食べないのか」
「た、食べます食べます」
先輩の最初で最後かもしれない優しさを噛み締めようと、うさぎりんごに手を伸ばす。しかし私の手は皿まで届かなかった。黒野先輩が直前で皿を手前に引いたのだ。
「そういえばお前は病人だったな。このままだと消化に悪いから、もっと食べやすくしてやろう」
嫌な予感に顔を上げると、黒野先輩が楽しそうに目を細めた。そしてうさぎりんごを一つ手に取り、一緒に持ってきたらしいすりおろし器でーー。
「待って待って待って……ああ、私のうさぎりんごがぁぁ!!」
数羽いた赤いうさぎたちは跡形もなく、すりおろし器の海へと沈んでいった。黒野先輩はそれをスプーンで掬い、めそめそする私の口に無理やり突っ込む。
「うう、おいしい」
「そうか、よかった。なら明日は出社できるな」
嘘みたいに優しい黒野先輩。けれど彼は正真正銘、あの優一郎黒野に違いなかった。