優一郎黒野
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とある英雄が世界を救ってしばらく。私の知っていた世界はがらりと変わり、大きく広がっていった。命の価値も軽くなったらしいのだけど、その辺りは正直よくわからない。絶望の炎に飲み込まれた時のことをあまり覚えていないのだ。ギリギリまで大黒部長や黒野先輩にこき使われたいたような気はするのだけど。とりあえず人体発火に怯える心配がなくなったのはよかったと、無能力者だった私は思う。
ーー平和、だなあ。
お気に入りのカフェで、ぼんやりと外を眺めながらコーヒーを啜る。大きく変わった世界のかたち。街ゆく人々はそれにすっかり慣れたのか、疑問すら抱かないのか、みんな楽しそうに歩いている。いいこと、なんだろうけど。いまいちそちら側にいけないのは、私の生活が以前とさほど変わっていないからかもしれない。
平和な世界の訪れとともに、特殊消防隊はすべて解散した。その後『世界英雄隊』という組織が作られ、灰島重工は全面的にその組織のサポートにあたっている。人体発火の研究や能力開発に携わっていた部署の人間が主にその仕事に割り当てられ、私もその一人。世界がどれだけ変わろうと、今も変わらず上司である大黒部長にこき使われているのである。今日だけで何度減給と言われたことか。思い出したら胃がキリキリしてきて、私はブラックで飲んでいたコーヒーにたっぷりとミルクを注いだ。
「すまない、待たせた」
少しぬるくなったコーヒーに口を付けていると、聞き覚えのある声がして顔を上げた。その人は私を見るなり目を細め、「弱っているな」とひとこと。
「相変わらずですね。黒野先輩」
「俺はもうお前の先輩じゃない」
向かいのソファに腰かけながら彼が言った。
「そうでしたね。すみません、黒野さん」
世界が変わってもあまり変わらなかった私の生活。その中で唯一変わったことと言えば、黒野先輩が私の上司ではなくなったことだった。黒野先輩は子どもをいたぶれないならここにいても意味がないと、早々に退職願を提出した。てっきり大黒部長が引き止めるだろうと思っていたのに、すんなり受理されて最狂の死神は灰島から姿を消した。その後は世界英雄隊から隊員育成を頼まれたらしいのだけど、強くなりたい奴とやっても楽しくないと即断ったのだとか。
「先ぱ……黒野さんが辞めたせいで、大黒部長の無茶振りが全部私に来るんですよ」
「そうか。それを見れないのは残念だ」
「黒野さんはお仕事順調ですか」
「ああ。たくさんの弱者を間近で見られるのはいいぞ」
ニタァと笑う黒野先輩に懐かしさを覚えると同時に、少しばかり心配にもなった。
黒野先輩の転職先は弱者の筆頭である子どもたちの通う学校だった。先輩が教員免許を持っていることにも驚いたけれど、採用されたと聞いた時は今日はエイプリルフールだったかと何度もカレンダーを確認したものだった。
「子どもに手を出したりしてないですよね」
「当たり前だ。お前は俺を何だと思ってるんだ」
何だと言われても、私は灰島にいた頃の先輩しか知らない。弱者をいたぶるのが好きな最狂の死神。その人が弱者を前にして、衝動に抗えるとは思えなかった。今の彼の職場には社長も大黒部長もいないのだ。
「子どもに暴力を振るえば、職を失う。下手したら罪に問われるかもしれない。俺がそんな馬鹿なことをする人間に見えるのか」
「それは……。でも、息苦しくないですか?」
「そうだな。だが今はこの世界で生きていくしかないからな。それに暴力以外にも弱者をいたぶる方法はいくらでもある」
黒野先輩の最近の趣味は子どもの苦手教科でわざと多く当てることらしい。それで苦手意識が強まる子もいれば成績が上がる子もいて、親からは非難されたり感謝されたりなんだとか。この前はモンスターペアレントと相対し言い負かしたとかで、先生たちからも尊敬されているらしい。
「転職上手くいったみたいでよかったですね」
絶対に新しい世界に馴染めないと思っていた黒野先輩が、意外と楽しそうに過ごしていて内心ホッとする。あの恐ろしいほどの狂気を持った彼がこの世界でどう生きていくのか、正直不安だったのだ。もしかしたらどこか遠くに行ってしまうのではないか。そう思っていたけれど、彼は変わらず、こうしてすぐ会える距離にいる。
「そうだな。転職して三か月、意外と長かったな」
何の話だろうと首を傾げていると、黒野先輩が何やら鞄から取り出して私の前に置いた。それは小さな箱で、テレビドラマとかで見たことのある形をしていた。
「えっと……?」
私の想像通りなら中身は「あれ」である。でも渡してくる理由がわからなくて、私は戸惑いながら黒野先輩を見つめた。先輩は呆れたように溜息を吐く。その口からはもう黒い煤は出てこない。
「手を出せ」
右手を出したら案の定そっちじゃないと左手を引っ張られた。黒野先輩が開けた箱にはやはりキラリとしたダイヤの輝く指輪が鎮座していて、それを無理矢理左手の薬指にはめられる。驚くことにサイズはぴったりだった。
「俺と結婚してくれ」
私をまっすぐに見つめ、黒野先輩が言った。
「本当は俺の灰で作ろうと思っていたんだが、この通りすっかり治ってしまったからな。代わりに給料三か月分のダイヤにした」
「いや、あの……」
「気に入らなかったか? 灰島にいた頃ならもっといいのを買えたんだが、教師は意外と薄給なんだ」
「そ、そうではなくて」
話の展開にもついていけないけれど、それよりも確認しておかなければならない大事なことがある。
「あの、私たちまず付き合ってないですよね?」
「そうだな。だが結婚するのに必ずしも交際する必要はないだろう」
「私は付き合ってから結婚したい派なんですけど。というかそもそも黒野さんは私のこと好きなんですか?」
「ああ。灰島にいた頃からな」
「えっ」
「言っただろう俺の灰でダイヤを作るつもりだったと。その前に世界がすっかり変わってしまったがな」
黒野先輩が私に好意を抱いていたなんて全然気づかなかった。好きならもっと優しくするものだと思うのだけど、私は先輩からあらゆるハラスメントを受けた記憶しかない。そんな相手に恋愛感情なんて抱けるはずがーー。
「返事は?」
黒野先輩がきゅっと私の左手を握った。昔のように黒くはないけれど、熱い手だった。
この世界を救った英雄が、今の世界を構築し、人々の命の価値観を変えたという。それはきっとすごいこと。すごすぎて、凡人の私にはピンとこないくらい。でも変えたのは本当に命の価値だけだろうか。私たちが知らないだけで、もしかしたら他にも色々変えられてたりして。そう例えば、黒野先輩の狂気とか。だとしたら、私が最狂の死神からのプロポーズにどきりとしてしまったのにも納得がいく。私たちは英雄が新しい世界を構築するのと一緒に、生き返ったのだから。胸を張って以前と全く同じ人間ですと言えるはずがない。もちろんそれを確かめる術はないのだけど。
「と、とりあえずお友達からお願いします」
私は握手をするように黒野先輩の手を握り返した。前の世界の私だったらどう答えていたのだろうと心の片隅で思いながら。
「わかった。籍はいつ入れる?」
「人の話聞いてましたか、黒野さん」
世界平和のそのあとで、人知れず上がる第二幕。私たちはこの舞台の上で死ぬまで生きていく。果たしてその先にあるのはハッピーエンドかバッドエンドか。そればかりは、かの英雄も知らないに違いない。
ーー平和、だなあ。
お気に入りのカフェで、ぼんやりと外を眺めながらコーヒーを啜る。大きく変わった世界のかたち。街ゆく人々はそれにすっかり慣れたのか、疑問すら抱かないのか、みんな楽しそうに歩いている。いいこと、なんだろうけど。いまいちそちら側にいけないのは、私の生活が以前とさほど変わっていないからかもしれない。
平和な世界の訪れとともに、特殊消防隊はすべて解散した。その後『世界英雄隊』という組織が作られ、灰島重工は全面的にその組織のサポートにあたっている。人体発火の研究や能力開発に携わっていた部署の人間が主にその仕事に割り当てられ、私もその一人。世界がどれだけ変わろうと、今も変わらず上司である大黒部長にこき使われているのである。今日だけで何度減給と言われたことか。思い出したら胃がキリキリしてきて、私はブラックで飲んでいたコーヒーにたっぷりとミルクを注いだ。
「すまない、待たせた」
少しぬるくなったコーヒーに口を付けていると、聞き覚えのある声がして顔を上げた。その人は私を見るなり目を細め、「弱っているな」とひとこと。
「相変わらずですね。黒野先輩」
「俺はもうお前の先輩じゃない」
向かいのソファに腰かけながら彼が言った。
「そうでしたね。すみません、黒野さん」
世界が変わってもあまり変わらなかった私の生活。その中で唯一変わったことと言えば、黒野先輩が私の上司ではなくなったことだった。黒野先輩は子どもをいたぶれないならここにいても意味がないと、早々に退職願を提出した。てっきり大黒部長が引き止めるだろうと思っていたのに、すんなり受理されて最狂の死神は灰島から姿を消した。その後は世界英雄隊から隊員育成を頼まれたらしいのだけど、強くなりたい奴とやっても楽しくないと即断ったのだとか。
「先ぱ……黒野さんが辞めたせいで、大黒部長の無茶振りが全部私に来るんですよ」
「そうか。それを見れないのは残念だ」
「黒野さんはお仕事順調ですか」
「ああ。たくさんの弱者を間近で見られるのはいいぞ」
ニタァと笑う黒野先輩に懐かしさを覚えると同時に、少しばかり心配にもなった。
黒野先輩の転職先は弱者の筆頭である子どもたちの通う学校だった。先輩が教員免許を持っていることにも驚いたけれど、採用されたと聞いた時は今日はエイプリルフールだったかと何度もカレンダーを確認したものだった。
「子どもに手を出したりしてないですよね」
「当たり前だ。お前は俺を何だと思ってるんだ」
何だと言われても、私は灰島にいた頃の先輩しか知らない。弱者をいたぶるのが好きな最狂の死神。その人が弱者を前にして、衝動に抗えるとは思えなかった。今の彼の職場には社長も大黒部長もいないのだ。
「子どもに暴力を振るえば、職を失う。下手したら罪に問われるかもしれない。俺がそんな馬鹿なことをする人間に見えるのか」
「それは……。でも、息苦しくないですか?」
「そうだな。だが今はこの世界で生きていくしかないからな。それに暴力以外にも弱者をいたぶる方法はいくらでもある」
黒野先輩の最近の趣味は子どもの苦手教科でわざと多く当てることらしい。それで苦手意識が強まる子もいれば成績が上がる子もいて、親からは非難されたり感謝されたりなんだとか。この前はモンスターペアレントと相対し言い負かしたとかで、先生たちからも尊敬されているらしい。
「転職上手くいったみたいでよかったですね」
絶対に新しい世界に馴染めないと思っていた黒野先輩が、意外と楽しそうに過ごしていて内心ホッとする。あの恐ろしいほどの狂気を持った彼がこの世界でどう生きていくのか、正直不安だったのだ。もしかしたらどこか遠くに行ってしまうのではないか。そう思っていたけれど、彼は変わらず、こうしてすぐ会える距離にいる。
「そうだな。転職して三か月、意外と長かったな」
何の話だろうと首を傾げていると、黒野先輩が何やら鞄から取り出して私の前に置いた。それは小さな箱で、テレビドラマとかで見たことのある形をしていた。
「えっと……?」
私の想像通りなら中身は「あれ」である。でも渡してくる理由がわからなくて、私は戸惑いながら黒野先輩を見つめた。先輩は呆れたように溜息を吐く。その口からはもう黒い煤は出てこない。
「手を出せ」
右手を出したら案の定そっちじゃないと左手を引っ張られた。黒野先輩が開けた箱にはやはりキラリとしたダイヤの輝く指輪が鎮座していて、それを無理矢理左手の薬指にはめられる。驚くことにサイズはぴったりだった。
「俺と結婚してくれ」
私をまっすぐに見つめ、黒野先輩が言った。
「本当は俺の灰で作ろうと思っていたんだが、この通りすっかり治ってしまったからな。代わりに給料三か月分のダイヤにした」
「いや、あの……」
「気に入らなかったか? 灰島にいた頃ならもっといいのを買えたんだが、教師は意外と薄給なんだ」
「そ、そうではなくて」
話の展開にもついていけないけれど、それよりも確認しておかなければならない大事なことがある。
「あの、私たちまず付き合ってないですよね?」
「そうだな。だが結婚するのに必ずしも交際する必要はないだろう」
「私は付き合ってから結婚したい派なんですけど。というかそもそも黒野さんは私のこと好きなんですか?」
「ああ。灰島にいた頃からな」
「えっ」
「言っただろう俺の灰でダイヤを作るつもりだったと。その前に世界がすっかり変わってしまったがな」
黒野先輩が私に好意を抱いていたなんて全然気づかなかった。好きならもっと優しくするものだと思うのだけど、私は先輩からあらゆるハラスメントを受けた記憶しかない。そんな相手に恋愛感情なんて抱けるはずがーー。
「返事は?」
黒野先輩がきゅっと私の左手を握った。昔のように黒くはないけれど、熱い手だった。
この世界を救った英雄が、今の世界を構築し、人々の命の価値観を変えたという。それはきっとすごいこと。すごすぎて、凡人の私にはピンとこないくらい。でも変えたのは本当に命の価値だけだろうか。私たちが知らないだけで、もしかしたら他にも色々変えられてたりして。そう例えば、黒野先輩の狂気とか。だとしたら、私が最狂の死神からのプロポーズにどきりとしてしまったのにも納得がいく。私たちは英雄が新しい世界を構築するのと一緒に、生き返ったのだから。胸を張って以前と全く同じ人間ですと言えるはずがない。もちろんそれを確かめる術はないのだけど。
「と、とりあえずお友達からお願いします」
私は握手をするように黒野先輩の手を握り返した。前の世界の私だったらどう答えていたのだろうと心の片隅で思いながら。
「わかった。籍はいつ入れる?」
「人の話聞いてましたか、黒野さん」
世界平和のそのあとで、人知れず上がる第二幕。私たちはこの舞台の上で死ぬまで生きていく。果たしてその先にあるのはハッピーエンドかバッドエンドか。そればかりは、かの英雄も知らないに違いない。