優一郎黒野
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
カタカタとキーボードを叩く音だけが響く。
後輩は山のように積まれた書類に囲まれてパソコンの画面を睨みつけている。
隣に立つ俺には一瞥もくれない。視線に気付くとこれでもかと眉間に皺を寄せて席を立ってしまうから、穴が開くほど見ることができるのは貴重といえば貴重だが。
顔を上げる度に揺れる束ねた髪が小動物の尾に見えて掴みたい衝動に駆られたが、淹れてきたコーヒーをひとくち飲んで気持ちを落ち着かせる。そんなことをしたら後輩は席を立ってしまうに違いない。
彼女の視線を奪い、且つここに留まらせる。
声を掛けてこちらを向かせるのは不可能だ。後輩の耳には社長の稟議が下りたという、最新のノイズキャンセリングイヤホンが着いている。
業務に支障が出るから使用をやめさせるよう社長に電話をしたら支障は君だろうと言われた。意味が分からない。
とはいえイヤホンを着けてから後輩がこちらに顔を向けることがめっきり減った。声が届かないから隣にいるのに見向きもしない。
忌々しい。早く壊れてしまえ。いっそ壊してしまおうか。
ああ、今大事なことはそれじゃない。どうやって声を掛けずに振り向かせるか。そもそもそんな方法……いや、あれなら。
俺は後輩の左肩を二回叩いた。
「……」
あのときはすぐに振り向いていた筈だが。もう一度、二回叩く。
「…………」
長いな。気付いていないのか?
俺は後輩がこちらを向くまで肩を叩き続けることにした。
「っ、もう何なんですか、黒野先ぱ……」
指先に柔らかいものが食い込んで思わず唇が吊り上がる。後輩は心底嫌そうな顔をしてイヤホンを外した。
「やっとこっちを向いたな。ナタクのときとは随分違う反応だが」
「そりゃ違うに決まってるじゃないですか。早く指どけてください。ものすごくほっぺにめり込んでます」
ナタクが同じことをしたときは俺には向けたことのない笑顔を返していたじゃないか。あのときと何が違う。
「……へへ、お姉さん引っかかりましたね」
「もしかしてナタクくんの真似ですか?黒野先輩がそんな声出しても可愛くないですよ。面白くはありますが、あだだだだっ‼ ︎」
ぐりぐりと人差し指をねじ込む。あまりの柔らかさにどこまで沈んでいくのか試してみたくはあるが「労災だ労災‼︎」と叫ばれてはやめざるを得ない。
「本当に何なんですか黒野先輩」
涙目になりながら痛む頬を摩る姿がいじらしい。
「根を詰めすぎじゃないか」
後輩を労う先輩は慕われると本で読んだが、彼女の眉間の皺は深くなるばかりで、あの本は帰ったら燃やす。
「誰のせいだと思ってるんですか。先輩が用もないのにしょっちゅう呼ぶから仕事が進まなくてこんなことになってるんですよ」
「そうか。そんなにも俺のことを考えて……」
「主に恨み辛みですけど、人の話聞いてましたか先輩」
「当然だ。一言一句違わず言えるぞ」
「あ、言わなくて大丈夫です」
顔を合わせて言葉を交わすのは久しぶりだ。この時間がもっと続いたらいい。
が、社会人はそうもいかない。後輩の手は再びイヤホンに、視線はパソコン画面に戻ろうとしている。俺は彼女の目の前に用意していたマグカップを置いた。
「コーヒー好きだろう?必要なら砂糖もある」
「……ありがとうございます」
一瞬目を丸くした後輩はおずおずとマグカップに口を付けた。
「すっぱ‼︎ぬっる‼︎え、アイスコーヒーですか?」
「淹れたときはホットだった」
とっくに冷めてしまったコーヒーは酸化してしまったようで、後輩は渡したシュガースティックを破って全部突っ込んだ。
「ふふっ、全然溶けない。どれくらい待ってたんですか。もっと早く声掛けてくれればよかったのに」
「それを着けてたら聞こえないだろう」
イヤホンを顎で指すと後輩は伸びたコードに指を絡ませた。
「だって先輩が邪魔ばかりするから。ちゃんと用があるときは言ってください。コーヒー休憩くらいは付き合いますよ」
「本当か?」
「そうですね。とりあえずこのコーヒーと、今日はもう一杯温かいコーヒーが飲みたい気分です」
また淹れてくれますか、と後輩は笑う。ナタクのときとは違うが柔らかい笑みだ。どうして俺の後輩は、どこもかしこも柔らかそうなのか。
「どれだけ煮たらそうなるんだ」
「は?何言ってるんですか黒野先輩」
重たい溜息を吐いて頭を抱える俺に後輩は冷ややかな視線を送る。
柔らかな彼女を思いのままに、独り占めしたいという気持ちがないわけではない。だが今はまだ、確約されたコーヒー休憩で我慢しておく。我慢して我慢して、彼女が手に入った暁には、相応の褒美があって然るべきだろう。
俺が衝動を我慢をするなんて奇跡みたいなものなのだから。
後輩は山のように積まれた書類に囲まれてパソコンの画面を睨みつけている。
隣に立つ俺には一瞥もくれない。視線に気付くとこれでもかと眉間に皺を寄せて席を立ってしまうから、穴が開くほど見ることができるのは貴重といえば貴重だが。
顔を上げる度に揺れる束ねた髪が小動物の尾に見えて掴みたい衝動に駆られたが、淹れてきたコーヒーをひとくち飲んで気持ちを落ち着かせる。そんなことをしたら後輩は席を立ってしまうに違いない。
彼女の視線を奪い、且つここに留まらせる。
声を掛けてこちらを向かせるのは不可能だ。後輩の耳には社長の稟議が下りたという、最新のノイズキャンセリングイヤホンが着いている。
業務に支障が出るから使用をやめさせるよう社長に電話をしたら支障は君だろうと言われた。意味が分からない。
とはいえイヤホンを着けてから後輩がこちらに顔を向けることがめっきり減った。声が届かないから隣にいるのに見向きもしない。
忌々しい。早く壊れてしまえ。いっそ壊してしまおうか。
ああ、今大事なことはそれじゃない。どうやって声を掛けずに振り向かせるか。そもそもそんな方法……いや、あれなら。
俺は後輩の左肩を二回叩いた。
「……」
あのときはすぐに振り向いていた筈だが。もう一度、二回叩く。
「…………」
長いな。気付いていないのか?
俺は後輩がこちらを向くまで肩を叩き続けることにした。
「っ、もう何なんですか、黒野先ぱ……」
指先に柔らかいものが食い込んで思わず唇が吊り上がる。後輩は心底嫌そうな顔をしてイヤホンを外した。
「やっとこっちを向いたな。ナタクのときとは随分違う反応だが」
「そりゃ違うに決まってるじゃないですか。早く指どけてください。ものすごくほっぺにめり込んでます」
ナタクが同じことをしたときは俺には向けたことのない笑顔を返していたじゃないか。あのときと何が違う。
「……へへ、お姉さん引っかかりましたね」
「もしかしてナタクくんの真似ですか?黒野先輩がそんな声出しても可愛くないですよ。面白くはありますが、あだだだだっ‼ ︎」
ぐりぐりと人差し指をねじ込む。あまりの柔らかさにどこまで沈んでいくのか試してみたくはあるが「労災だ労災‼︎」と叫ばれてはやめざるを得ない。
「本当に何なんですか黒野先輩」
涙目になりながら痛む頬を摩る姿がいじらしい。
「根を詰めすぎじゃないか」
後輩を労う先輩は慕われると本で読んだが、彼女の眉間の皺は深くなるばかりで、あの本は帰ったら燃やす。
「誰のせいだと思ってるんですか。先輩が用もないのにしょっちゅう呼ぶから仕事が進まなくてこんなことになってるんですよ」
「そうか。そんなにも俺のことを考えて……」
「主に恨み辛みですけど、人の話聞いてましたか先輩」
「当然だ。一言一句違わず言えるぞ」
「あ、言わなくて大丈夫です」
顔を合わせて言葉を交わすのは久しぶりだ。この時間がもっと続いたらいい。
が、社会人はそうもいかない。後輩の手は再びイヤホンに、視線はパソコン画面に戻ろうとしている。俺は彼女の目の前に用意していたマグカップを置いた。
「コーヒー好きだろう?必要なら砂糖もある」
「……ありがとうございます」
一瞬目を丸くした後輩はおずおずとマグカップに口を付けた。
「すっぱ‼︎ぬっる‼︎え、アイスコーヒーですか?」
「淹れたときはホットだった」
とっくに冷めてしまったコーヒーは酸化してしまったようで、後輩は渡したシュガースティックを破って全部突っ込んだ。
「ふふっ、全然溶けない。どれくらい待ってたんですか。もっと早く声掛けてくれればよかったのに」
「それを着けてたら聞こえないだろう」
イヤホンを顎で指すと後輩は伸びたコードに指を絡ませた。
「だって先輩が邪魔ばかりするから。ちゃんと用があるときは言ってください。コーヒー休憩くらいは付き合いますよ」
「本当か?」
「そうですね。とりあえずこのコーヒーと、今日はもう一杯温かいコーヒーが飲みたい気分です」
また淹れてくれますか、と後輩は笑う。ナタクのときとは違うが柔らかい笑みだ。どうして俺の後輩は、どこもかしこも柔らかそうなのか。
「どれだけ煮たらそうなるんだ」
「は?何言ってるんですか黒野先輩」
重たい溜息を吐いて頭を抱える俺に後輩は冷ややかな視線を送る。
柔らかな彼女を思いのままに、独り占めしたいという気持ちがないわけではない。だが今はまだ、確約されたコーヒー休憩で我慢しておく。我慢して我慢して、彼女が手に入った暁には、相応の褒美があって然るべきだろう。
俺が衝動を我慢をするなんて奇跡みたいなものなのだから。