優一郎黒野
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「俺というものがありながらどういうつもりだ」
ひたりと首に突き付けられたのは鈍く光る鎌だった。力任せに引き寄せられ、「ぐえ」と潰れた蛙のような声が出る。
鎌が偽物で本当に良かった。本物だったら私は今頃真っ二つだ。けれど発泡スチロールとアルミホイルで作られた鎌はそれなりに頑丈で、それなりに痛い。
引っ張られるまま勢いよく後ろに倒れると、私の体を受け止めるように腕が伸びてきて、そのままがっちりとお腹に巻きついた。危険を感じて逃げようにもびくともしない。
背後から身に覚えのない台詞が聞こえてからここまでが一瞬の出来事だった。その一瞬でさっきまで楽しそうにしていた子どもたちの顔がみるみる恐怖に染まっていくものだから、後ろを見ずとも誰がいるのかわかってしまう。
見たくないなぁ。でもそういうわけにもいかない。相手にしないならしないで、もっと面倒なことになるだけだ。
はあ、と大きな溜め息を吐いて渋々顔を上げる。その動きをなぞるように包帯だらけの指先が、つっと私の喉から顎を撫で上げた。熱を持った指先がそこから動く気配はなく、私は体だけでなく頭も自由に動かせなくなった。
夜空に浮かぶ月のような瞳が私を覗き込んでいる。注がれる視線にぞくりとした。飲み込まれてしまいそうだ、と思う。頭からぱくりと、私のすべてを。
ぼろぼろの黒いローブに身を包むその男は、確かに、死神と呼ぶに相応しい。
「何用ですか、黒野先輩」
「いつまで遊んでいる」
まだ自由の利く腕を掲げ時計を確認すると、予定していた業務時間をいくらか過ぎていた。どうやらそれを報せに来てくれたらしい。普通に言えばいいのにとも思うがこの人に普通を求めるのはとうの昔に諦めた。こっちが黒野先輩に慣れた方が早くて楽だ。
「わかりました。とりあえず苦しいので離してください」
やんわりとお腹に回った腕を押す。しばらくじっと黙っていた先輩は、もう一度押すと力を緩めてくれて、私はようやく自由を取り戻した。
怯えすぎてその場から動けず、泣き出すこともできずにいた子どもたちに駆け寄る。すると緊張の糸が切れたようで一斉にわんわんと大合唱が始まり、すぐに天使のお姉さん先輩が「あらあら」と助けに来てくれた。でも子どもたちは一向に泣き止まない。原因はわかりきっている。
「黒野先輩、先に戻っててもらえますか」
「お前はどうする」
「この子たちが泣き止んだら行きます」
「ならそれまで待っている」
そう言って黒野先輩は泣き喚く子どもたちを満面の笑みで眺めていた。言わずもがなさらにギャン泣きだ。これじゃあ埒があかない。お姉さん先輩もそう判断したのだろう、笑顔で早く部屋から出ろと促してくる。
「行きましょう黒野先輩」
「いいのか? まだ泣いてるぞ」
「いいから、さっさと行きますよ」
部屋を出るギリギリまで子どもたちに顔を向ける黒野先輩の背中を押して、私はその場を後にした。
*
「ハロウィンなんてなくなればいいと思わないか」
「はあ」
何故です? と悪魔の角と翼を外しながら続ける。今日はハロウィンだった。個人的に全く興味はないが私たちの部署では毎年恒例の一大イベントだ。子どもたちの機嫌を取り、実験に活かすために必要不可欠な。しかしこれがなかなか大変で私もできればない方がいいとは思うのだけど、黒野先輩は恐らく私とは別の理由だろう。
「弱いのがあんなに沢山群がってくるのに、手を出してはいけないんだぞ。意味がわからない。虐めてくれと近付いて来るのはあっちなのに」
「あの子たちは虐めてほしくて近付いてくるわけではないですよ。それに先輩には誰も近寄って来ないでしょう」
灰島のハロウィンにはいくつかルールがある。が、それはどれも黒野先輩の暴走を止めるためのものだ。子どもに手を出してはならないという当たり前のルールができたのも、先輩が子どもに『トリックオアトリート』と言って虐めようとしたからと聞く。可哀想に。絡まれた子どもには同情しかない。
あとのルールは子どもを楽しませるだとか、必要以上に怖がらせないだとか、気にするまでもないことばかりだ。
「まだ残ってるじゃないか」
ローブを脱ぎ終えたらしい黒野先輩が私のバスケットを見て言った。
そういえば、お菓子を全て配り終えるまで戻って来てはいけない、なんてルールもあったっけ。でもこのルールは子どもに逃げられていつまでも帰って来れない黒野先輩を見て大黒部長が楽しむためのルールだ。どうせ黒野先輩だって残ってーー。
「うそ、空……なんで⁉︎」
毎年全然減らなくて、大黒部長に残業させられているというのに、なんで今年は?
「全部ナタクにやった。ちゃんと一回一回トリックオアトリートと言わせてな」
「それは、可哀想に」
「喜んでいたぞ」
ならいいのか……? しかし困った。お菓子が残っているのがバレたら大黒部長に何て言われるかわかったものじゃない。
「何をしている?」
「見てわかりませんか? お菓子を食べてるんです」
プラスチックの包装を破ってチョコレートを口に放り込む。要はバレなければいいのだ。幸い数も少ないし、こうやって証拠隠滅してしまえば問題ない、はず。
「ほら、先輩も手伝ってください」
バスケットからいくつか引っ掴んで黒野先輩に押し付ける。元はと言えば先輩が子どもたちを怖がらせたせいでお菓子を配りきれなかったのだ。これくらいしてくれてもいいだろう。
先輩が渡した内のひとつを取り出して指先で摘む。
「ぷにぷにしているな」
予想外の言い方に思わず吹き出しそうになった。確かにその通りなのだけど。黒野先輩は独特のやわらかさを甚く気に入ったらしい。親指と人差し指で何度もその感触を確かめている。
「それはギモーヴです。マシュマロとは違ったやわらかさでしょう?」
ギモーヴ、と唱えながら黒野先輩は不思議そうに首を傾けた。そのままゆっくりとギモーヴが口の中に運ばれていく。するとすぐに先輩の目が見開かれ、驚いているのは味か食感、どちらだろうか。私も初めて食べた時は衝撃だった。マシュマロみたいなものかと思って口に含んだらその瞬間にふわりと溶けて、広がっていくフルーツの爽やかな甘さ。味わったことのない食感にはまってしばらく買い続けたのを今でもよく覚えている。黒野先輩もあの時の私と同じ衝撃を受けているのかもしれない。
「どうです? 美味しいでしょ……っ」
しっとりと吸い付くようにやわらかくて、ふわりと溶けて、広がるのは甘酸っぱいイチゴ味。あと、微かに炭の匂い。よく似ている。でもこれはギモーヴじゃない。知らない、こんなの、こんな、
「似ていると思ったが、こっちの方がやわらかいな」
離れていく唇がゆるりと弧を描く。「俺はこっちのが好みだ」なんてそんなことは聞いてない。
「ああ、そろそろナタクとの実験の時間だな。俺は先に行く」
「ぇ、あ……待って! 待ってください、黒野先輩!」
私を置いて行こうとする先輩を慌てて追いかける。けれど足の長さが違いすぎて全然追いつけない。お願い待って、聞きたいことが山程ある。いきなりキスしてきたのも気になるが、それよりも問題は。
「何で先輩が私の唇の感触を知ってるんですかっ⁈」
初めてだったのに‼︎ という叫びは届いたのか否か。止まることなく実験棟に向かう黒野先輩の足取りは、心なしかいつもより軽やかに見えた。
ひたりと首に突き付けられたのは鈍く光る鎌だった。力任せに引き寄せられ、「ぐえ」と潰れた蛙のような声が出る。
鎌が偽物で本当に良かった。本物だったら私は今頃真っ二つだ。けれど発泡スチロールとアルミホイルで作られた鎌はそれなりに頑丈で、それなりに痛い。
引っ張られるまま勢いよく後ろに倒れると、私の体を受け止めるように腕が伸びてきて、そのままがっちりとお腹に巻きついた。危険を感じて逃げようにもびくともしない。
背後から身に覚えのない台詞が聞こえてからここまでが一瞬の出来事だった。その一瞬でさっきまで楽しそうにしていた子どもたちの顔がみるみる恐怖に染まっていくものだから、後ろを見ずとも誰がいるのかわかってしまう。
見たくないなぁ。でもそういうわけにもいかない。相手にしないならしないで、もっと面倒なことになるだけだ。
はあ、と大きな溜め息を吐いて渋々顔を上げる。その動きをなぞるように包帯だらけの指先が、つっと私の喉から顎を撫で上げた。熱を持った指先がそこから動く気配はなく、私は体だけでなく頭も自由に動かせなくなった。
夜空に浮かぶ月のような瞳が私を覗き込んでいる。注がれる視線にぞくりとした。飲み込まれてしまいそうだ、と思う。頭からぱくりと、私のすべてを。
ぼろぼろの黒いローブに身を包むその男は、確かに、死神と呼ぶに相応しい。
「何用ですか、黒野先輩」
「いつまで遊んでいる」
まだ自由の利く腕を掲げ時計を確認すると、予定していた業務時間をいくらか過ぎていた。どうやらそれを報せに来てくれたらしい。普通に言えばいいのにとも思うがこの人に普通を求めるのはとうの昔に諦めた。こっちが黒野先輩に慣れた方が早くて楽だ。
「わかりました。とりあえず苦しいので離してください」
やんわりとお腹に回った腕を押す。しばらくじっと黙っていた先輩は、もう一度押すと力を緩めてくれて、私はようやく自由を取り戻した。
怯えすぎてその場から動けず、泣き出すこともできずにいた子どもたちに駆け寄る。すると緊張の糸が切れたようで一斉にわんわんと大合唱が始まり、すぐに天使のお姉さん先輩が「あらあら」と助けに来てくれた。でも子どもたちは一向に泣き止まない。原因はわかりきっている。
「黒野先輩、先に戻っててもらえますか」
「お前はどうする」
「この子たちが泣き止んだら行きます」
「ならそれまで待っている」
そう言って黒野先輩は泣き喚く子どもたちを満面の笑みで眺めていた。言わずもがなさらにギャン泣きだ。これじゃあ埒があかない。お姉さん先輩もそう判断したのだろう、笑顔で早く部屋から出ろと促してくる。
「行きましょう黒野先輩」
「いいのか? まだ泣いてるぞ」
「いいから、さっさと行きますよ」
部屋を出るギリギリまで子どもたちに顔を向ける黒野先輩の背中を押して、私はその場を後にした。
*
「ハロウィンなんてなくなればいいと思わないか」
「はあ」
何故です? と悪魔の角と翼を外しながら続ける。今日はハロウィンだった。個人的に全く興味はないが私たちの部署では毎年恒例の一大イベントだ。子どもたちの機嫌を取り、実験に活かすために必要不可欠な。しかしこれがなかなか大変で私もできればない方がいいとは思うのだけど、黒野先輩は恐らく私とは別の理由だろう。
「弱いのがあんなに沢山群がってくるのに、手を出してはいけないんだぞ。意味がわからない。虐めてくれと近付いて来るのはあっちなのに」
「あの子たちは虐めてほしくて近付いてくるわけではないですよ。それに先輩には誰も近寄って来ないでしょう」
灰島のハロウィンにはいくつかルールがある。が、それはどれも黒野先輩の暴走を止めるためのものだ。子どもに手を出してはならないという当たり前のルールができたのも、先輩が子どもに『トリックオアトリート』と言って虐めようとしたからと聞く。可哀想に。絡まれた子どもには同情しかない。
あとのルールは子どもを楽しませるだとか、必要以上に怖がらせないだとか、気にするまでもないことばかりだ。
「まだ残ってるじゃないか」
ローブを脱ぎ終えたらしい黒野先輩が私のバスケットを見て言った。
そういえば、お菓子を全て配り終えるまで戻って来てはいけない、なんてルールもあったっけ。でもこのルールは子どもに逃げられていつまでも帰って来れない黒野先輩を見て大黒部長が楽しむためのルールだ。どうせ黒野先輩だって残ってーー。
「うそ、空……なんで⁉︎」
毎年全然減らなくて、大黒部長に残業させられているというのに、なんで今年は?
「全部ナタクにやった。ちゃんと一回一回トリックオアトリートと言わせてな」
「それは、可哀想に」
「喜んでいたぞ」
ならいいのか……? しかし困った。お菓子が残っているのがバレたら大黒部長に何て言われるかわかったものじゃない。
「何をしている?」
「見てわかりませんか? お菓子を食べてるんです」
プラスチックの包装を破ってチョコレートを口に放り込む。要はバレなければいいのだ。幸い数も少ないし、こうやって証拠隠滅してしまえば問題ない、はず。
「ほら、先輩も手伝ってください」
バスケットからいくつか引っ掴んで黒野先輩に押し付ける。元はと言えば先輩が子どもたちを怖がらせたせいでお菓子を配りきれなかったのだ。これくらいしてくれてもいいだろう。
先輩が渡した内のひとつを取り出して指先で摘む。
「ぷにぷにしているな」
予想外の言い方に思わず吹き出しそうになった。確かにその通りなのだけど。黒野先輩は独特のやわらかさを甚く気に入ったらしい。親指と人差し指で何度もその感触を確かめている。
「それはギモーヴです。マシュマロとは違ったやわらかさでしょう?」
ギモーヴ、と唱えながら黒野先輩は不思議そうに首を傾けた。そのままゆっくりとギモーヴが口の中に運ばれていく。するとすぐに先輩の目が見開かれ、驚いているのは味か食感、どちらだろうか。私も初めて食べた時は衝撃だった。マシュマロみたいなものかと思って口に含んだらその瞬間にふわりと溶けて、広がっていくフルーツの爽やかな甘さ。味わったことのない食感にはまってしばらく買い続けたのを今でもよく覚えている。黒野先輩もあの時の私と同じ衝撃を受けているのかもしれない。
「どうです? 美味しいでしょ……っ」
しっとりと吸い付くようにやわらかくて、ふわりと溶けて、広がるのは甘酸っぱいイチゴ味。あと、微かに炭の匂い。よく似ている。でもこれはギモーヴじゃない。知らない、こんなの、こんな、
「似ていると思ったが、こっちの方がやわらかいな」
離れていく唇がゆるりと弧を描く。「俺はこっちのが好みだ」なんてそんなことは聞いてない。
「ああ、そろそろナタクとの実験の時間だな。俺は先に行く」
「ぇ、あ……待って! 待ってください、黒野先輩!」
私を置いて行こうとする先輩を慌てて追いかける。けれど足の長さが違いすぎて全然追いつけない。お願い待って、聞きたいことが山程ある。いきなりキスしてきたのも気になるが、それよりも問題は。
「何で先輩が私の唇の感触を知ってるんですかっ⁈」
初めてだったのに‼︎ という叫びは届いたのか否か。止まることなく実験棟に向かう黒野先輩の足取りは、心なしかいつもより軽やかに見えた。