保科・鳴海
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ーーぐうぅぅ。
ハッ、敵襲か?! 飛び起きてグルルルと威嚇するように唸り声を上げる。しかし辺りにそれらしき影はない。……なんだ気のせいか。
ホッとしたら腹が減った。太陽の位置を見るに、そろそろ昼だろう。
念のため言っておくが、さっきの音は決してボクの腹の音ではない。敵だ。敵がいたんだ。
ボクは最強と名高いポメラニアン、鳴海。
そんなボクの周りには、当然最強の座を狙うやつらがごまんといる。けれどそいつらは眠るボクを前にして恐れ慄き、尻尾を巻いて逃げていったのだ。姿は見てないが、そうに決まっている。
ボクはぐーっと大きく伸びをして、リビングへと向かった。そこには食事が用意されている。
もちろん『飼い主』が忘れていなければ、だが。
ーーよし、今日はあるな。
ボクはリビング脇にそびえ立つ白い巨人に駆け寄った。言っておくが、こいつは飼い主じゃないぞ。この白いのは『ロボット』だ。心惹かれる響きだろう? ツルツルしていて毛はないが、悪いやつじゃない。飼い主は「ハセガワさん」と呼んでいた。どこまでも追いかけてくる丸いやつにも何やら名前を付けていたが、そっちはもう忘れてしまった。
このハセガワとかいうやつは、飼い主の代わりにボクに食事を提供するのが仕事だ。
『おいハセガワ、こんなんじゃ足りないぞ! もっとよこせ! こら、ボクを無視するんじゃないハセガワァ!』
ふう。この通り、仕事に忠実過ぎて面白みのないやつだ。
さて腹も膨れたことだし、次は何をしようか。
ソファからローテーブルに華麗に飛び移、飛び移……ちっ。まあ、飛び移るのは行儀が悪いからな。背伸びをして、前脚でテレビのリモコンを手繰り落とす。落ちてしまえばこっちのものだ。ポチッと電源ボタンを押すと、ちょうど昼のワイドショーがやっていた。
正直人間のことはよくわからんが、その中の一人に見覚えがあった。ボクの飼い主が、そいつがテレビに映るたびにキャアキャア喚いていたからだ。最近ドラマにバラエティーに引っ張りだこの若手俳優らしい。
それにしても、こんなやつのどこがいいのか。全くもってわからんな。毛並みも愛嬌もかっこよさも、ボクのほうが数万倍いい男だろうに。
テレビに映った俳優がこちらに向かってにこやかに手を振った。それと同時にキャーと画面の向こうで歓声が上がる。
もし今ここに飼い主がいたら、同じように歓声を上げるのだろうか。それはなんだか、面白くない。飼い主はボクだけにキャアキャア言ってればいいんだ。
これ以上観ても時間の無駄だ。そう判断したボクは再びリモコンのボタンを押して、テレビの電源を切った。ソファによじのぼり、飼い主お気に入りのブランケットに寝転がる。
「もう、鳴海さんの毛でいっぱいじゃん!」
と飼い主の声が飛んできそうだが、知ったことか。
誰に何と言われようと、ボクはボクの寝たいところで寝るだけだ。
***
あれからどれくらい時間が経ったのか。目を開けると辺りはすっかり暗くなっていた。
玄関のほうからガチャガチャと鍵の音がしているから、ちょうど飼い主が帰ってきたのかもしれない。
出迎えてやってもいいが、このまま寝たふりをしていれば「ただいま〜」と向こうから撫でにやって来ることだろう。仕事から帰った飼い主がふにゃりと笑って、「聞いてよー」と今日あったことを話しながらボクを撫でる。その時間を、ボクは結構気に入っている。
「ただいま〜」
予想は的中し、玄関が開く音とともに飼い主の声が聞こえてくる。一緒に土の湿った匂いもして、いつの間にか雨が降っていたのだとそこで初めて知った。
あと少し。あと少しで飼い主がリビングにやって来る。ボクはわざとらしくブランケットの上で寝返りを打ち、今か今かとその時を待った。しかしーー。
『なんで来ない?!』
おかしい。待てど暮らせど飼い主が来ない。いつもなら真っ直ぐボクのところまで来る癖に、どうして今日に限って……。ハッ、まさかボクの出迎えを待っているのか? なら仕方ない。ボクが盛大に迎えに行ってやろうじゃないか!
『おい飼い主、ボクが来てやったぞ! 喜べ!! 撫でるのも許す!!』
リビングから真っ直ぐ廊下を突き抜けて、玄関へと走る。見知った背中はやっぱり飼い主だ。なかなかこちらを振り向かない飼い主の濡れた背中に体当たりしてやれば、色気のない悲鳴とともに彼女がこちらを向いた。
「ちょっ鳴海さん、何するの?!」
『キミがこっちを見ないのが悪い。しかもキミのせいでボクまで濡れたじゃないか。拭いてくれ!』
ボクは怒ったような顔をして何やら言っている飼い主を無視して、その膝に置かれたタオルに噛みついた。さっきまで彼女が使っていたのだろう。少し湿っているがボクを拭く分には問題ない。
「あ、こら! やめなさい!」
やめるものか。キミは飼い主としてボクを拭く義務が……。
『なんやえらい騒がしいなあ』
初めて聞く声にびくりと身体を震わせる。今のは飼い主の声じゃない。もちろんボクのものでもない。ハセガワに至っては喋ることすらない。
『誰だ?!』
唸り声を上げ、思い切り吠える。飼い主が「吠えないの!」と怒ったが、そんなことを言ってる場合じゃない。というか、何でキミはそんな呑気なんだ。この家にボクたち以外の侵入者がいるんだぞ。敵は即撃破だ!
『敵? それはあんまりやわ。僕はただこの人にうち来る? って言われて付いてきただけやのに』
『は……?』
もぞりと飼い主の膝に置かれていたタオルが動く。そこからするりと抜け出して床へと降り立ったのは艶やかな毛並みの黒猫だった。
そいつは「にゃあん」と酷く甘えた声を出して、ボクの飼い主に擦り寄っていく。
「ふふ、君は人懐っこいね。ほんと、さっきまで野良だったとは思えない」
飼い主が柔らかく微笑んで見知らぬ猫を撫でた。よっぽど気持ちよかったのだろう。猫はゴロゴロと満足そうに喉を鳴らし、うっとりと細い目をさらに細めている。そうだ、飼い主は撫でるのが上手いんだ。そしてそれを知るのはボクだけだったはずなのに。
……なんで。なんでボクじゃなくてそいつを撫でるんだ。
堪らなくなってボクはくるりと踵を返した。飼い主が他のやつを撫でているところなんてこれ以上見ていられない。しかし彼女の声で「鳴海さん」と呼ばれてしまえば、立ち去ることはできなかった。期待にしっぽが揺れる。耳が無意識に彼女の声を拾おうと動く。
「おいで」
ちらりと振り向けば、「ほら」と飼い主が笑顔で両手を広げていた。さっきまで他のやつに構っていた癖に今さら何だ、勝手なやつめ。だがキミがどうしてもと言うのなら、その腕に飛び込んでやらなくも……。
「はい、捕まえたー」
ひょいと抱き上げられ、ボクは犬なのに宇宙猫顔になった。感動的な場面になるはずだったのに、なんでこんなことに。空気が読めないにも程があるだろう、飼い主。だが、まあいい。
ボクはハッと鼻で笑い、飼い主の腕の中からあの黒猫を見下ろした。
『残念だったな。飼い主はボクを選んだぞ!』
これぞ勝者の雄叫び。しかし黒猫は怯むどころか憐れみを含んだ瞳でボクを見上げた。
『あー……せやったらいいですねえ』
『は? どういう意味だ?』
『どうもこうも……ほら』
飼い主がよいしょとボクを左腕で抱え直した。それからもう片方の腕が迷いなくあの猫のほうへと伸びていく。
ーー待て待て待て待て!
しかしボクの必死の訴えが人間の飼い主に届くことはなかった。そしてそのまま彼女の右腕がボクと同じように黒猫を抱き上げる。
黒猫はボクを見るなり『ね?』と肩を竦めたが、何が『ね?』だ、何が!
『か、飼い主、まさかと思うが、その……』
恐る恐る飼い主を見上げると、彼女はふわりと花が咲いたみたいに笑った。そしてそのかわいらしい顔のまま、とてつもなくおぞましいことを口にした。
「この子は保科さん。今日から一緒に暮らすから、仲良くしてあげてね」
『ま、そういうことなんで、よろしゅう頼んます』
『は…………はあぁぁぁぁぁ?!』
認めない! ボクは絶対に認めんぞ、そんなどこの馬の骨ともわからんやつ!! 猫だが!
しかし全力で抵抗を試みるも、飼い主はどこ吹く風。
クソッ、ボクは最強のポメラニアンなのに! もっとボクを敬え! 尊重しろ!
『あのー、ちなみにどの辺が最強なんです?』
『見ればわかるだろ! 全部だ全部!』
『へえ、全部』
『くすくす笑うな糸目ぇ!』
『別に笑てませんよ。僕は元々こういう顔です』
「ふふ、お喋りしてるの? すごいね二人とも。もう仲良しさんだ」
ボクとこいつの、どこをどう見たらそうなるのか。全く理解できん。文句の一つでも言ってやろうと飼い主を見上げれば、ぱちりと目が合った瞬間に彼女が余りにも嬉しそうに微笑むものだから、何も言えなくなってしまった。
『あれ、急に大人しくなってどないしたんです?』
『別に。これ以上は無駄だと思っただけだ』
『無駄、ですか?』
『ああ、飼い主は相当頑固でな。自分でこれと決めたことは誰が何と言おうと絶対に曲げないんだ』
ボクがこの家に来た時もそうだった。ボクが最強すぎるせいか、なかなか買い手がつかずペットショップに居座り続けていたところ、「よかったら家来る?」と抱き上げてくれたのが今の飼い主だった。人間はみんなボクより小さい新顔ばかり連れ帰るのに。一緒に来ていた友人とやらは「その子、成犬じゃん。やめときなよ」と反対してたのに。飼い主はそれを押し切ってボクを迎えてくれた。そしてボクのために、わざわざペット可の物件に引っ越すようなお人好し。
知りたくもないが、きっと保科の時もそうだったのだろう。すっと細い目を開いた黒猫は『それはわかります』とだけ呟いた。
『ま、飼い主が何と言おうとボクは絶対にお前なんか認めんがな!』
『構いませんよ。飼い主ちゃん以外に認めてもらう必要もないですし』
『はあ?!』
再びボクと保科の熾烈な言い争いの火蓋が切って落とされた。ムカつく猫だ。絶対に参りました鳴海様と言わせてやる!
しかし能天気な飼い主の「濡れちゃったし、二人ともお風呂入ろっか」の一言で、ボクたちは瞬時に沈黙し、結託して彼女の腕からの逃走を図ったのだった。
ハッ、敵襲か?! 飛び起きてグルルルと威嚇するように唸り声を上げる。しかし辺りにそれらしき影はない。……なんだ気のせいか。
ホッとしたら腹が減った。太陽の位置を見るに、そろそろ昼だろう。
念のため言っておくが、さっきの音は決してボクの腹の音ではない。敵だ。敵がいたんだ。
ボクは最強と名高いポメラニアン、鳴海。
そんなボクの周りには、当然最強の座を狙うやつらがごまんといる。けれどそいつらは眠るボクを前にして恐れ慄き、尻尾を巻いて逃げていったのだ。姿は見てないが、そうに決まっている。
ボクはぐーっと大きく伸びをして、リビングへと向かった。そこには食事が用意されている。
もちろん『飼い主』が忘れていなければ、だが。
ーーよし、今日はあるな。
ボクはリビング脇にそびえ立つ白い巨人に駆け寄った。言っておくが、こいつは飼い主じゃないぞ。この白いのは『ロボット』だ。心惹かれる響きだろう? ツルツルしていて毛はないが、悪いやつじゃない。飼い主は「ハセガワさん」と呼んでいた。どこまでも追いかけてくる丸いやつにも何やら名前を付けていたが、そっちはもう忘れてしまった。
このハセガワとかいうやつは、飼い主の代わりにボクに食事を提供するのが仕事だ。
『おいハセガワ、こんなんじゃ足りないぞ! もっとよこせ! こら、ボクを無視するんじゃないハセガワァ!』
ふう。この通り、仕事に忠実過ぎて面白みのないやつだ。
さて腹も膨れたことだし、次は何をしようか。
ソファからローテーブルに華麗に飛び移、飛び移……ちっ。まあ、飛び移るのは行儀が悪いからな。背伸びをして、前脚でテレビのリモコンを手繰り落とす。落ちてしまえばこっちのものだ。ポチッと電源ボタンを押すと、ちょうど昼のワイドショーがやっていた。
正直人間のことはよくわからんが、その中の一人に見覚えがあった。ボクの飼い主が、そいつがテレビに映るたびにキャアキャア喚いていたからだ。最近ドラマにバラエティーに引っ張りだこの若手俳優らしい。
それにしても、こんなやつのどこがいいのか。全くもってわからんな。毛並みも愛嬌もかっこよさも、ボクのほうが数万倍いい男だろうに。
テレビに映った俳優がこちらに向かってにこやかに手を振った。それと同時にキャーと画面の向こうで歓声が上がる。
もし今ここに飼い主がいたら、同じように歓声を上げるのだろうか。それはなんだか、面白くない。飼い主はボクだけにキャアキャア言ってればいいんだ。
これ以上観ても時間の無駄だ。そう判断したボクは再びリモコンのボタンを押して、テレビの電源を切った。ソファによじのぼり、飼い主お気に入りのブランケットに寝転がる。
「もう、鳴海さんの毛でいっぱいじゃん!」
と飼い主の声が飛んできそうだが、知ったことか。
誰に何と言われようと、ボクはボクの寝たいところで寝るだけだ。
***
あれからどれくらい時間が経ったのか。目を開けると辺りはすっかり暗くなっていた。
玄関のほうからガチャガチャと鍵の音がしているから、ちょうど飼い主が帰ってきたのかもしれない。
出迎えてやってもいいが、このまま寝たふりをしていれば「ただいま〜」と向こうから撫でにやって来ることだろう。仕事から帰った飼い主がふにゃりと笑って、「聞いてよー」と今日あったことを話しながらボクを撫でる。その時間を、ボクは結構気に入っている。
「ただいま〜」
予想は的中し、玄関が開く音とともに飼い主の声が聞こえてくる。一緒に土の湿った匂いもして、いつの間にか雨が降っていたのだとそこで初めて知った。
あと少し。あと少しで飼い主がリビングにやって来る。ボクはわざとらしくブランケットの上で寝返りを打ち、今か今かとその時を待った。しかしーー。
『なんで来ない?!』
おかしい。待てど暮らせど飼い主が来ない。いつもなら真っ直ぐボクのところまで来る癖に、どうして今日に限って……。ハッ、まさかボクの出迎えを待っているのか? なら仕方ない。ボクが盛大に迎えに行ってやろうじゃないか!
『おい飼い主、ボクが来てやったぞ! 喜べ!! 撫でるのも許す!!』
リビングから真っ直ぐ廊下を突き抜けて、玄関へと走る。見知った背中はやっぱり飼い主だ。なかなかこちらを振り向かない飼い主の濡れた背中に体当たりしてやれば、色気のない悲鳴とともに彼女がこちらを向いた。
「ちょっ鳴海さん、何するの?!」
『キミがこっちを見ないのが悪い。しかもキミのせいでボクまで濡れたじゃないか。拭いてくれ!』
ボクは怒ったような顔をして何やら言っている飼い主を無視して、その膝に置かれたタオルに噛みついた。さっきまで彼女が使っていたのだろう。少し湿っているがボクを拭く分には問題ない。
「あ、こら! やめなさい!」
やめるものか。キミは飼い主としてボクを拭く義務が……。
『なんやえらい騒がしいなあ』
初めて聞く声にびくりと身体を震わせる。今のは飼い主の声じゃない。もちろんボクのものでもない。ハセガワに至っては喋ることすらない。
『誰だ?!』
唸り声を上げ、思い切り吠える。飼い主が「吠えないの!」と怒ったが、そんなことを言ってる場合じゃない。というか、何でキミはそんな呑気なんだ。この家にボクたち以外の侵入者がいるんだぞ。敵は即撃破だ!
『敵? それはあんまりやわ。僕はただこの人にうち来る? って言われて付いてきただけやのに』
『は……?』
もぞりと飼い主の膝に置かれていたタオルが動く。そこからするりと抜け出して床へと降り立ったのは艶やかな毛並みの黒猫だった。
そいつは「にゃあん」と酷く甘えた声を出して、ボクの飼い主に擦り寄っていく。
「ふふ、君は人懐っこいね。ほんと、さっきまで野良だったとは思えない」
飼い主が柔らかく微笑んで見知らぬ猫を撫でた。よっぽど気持ちよかったのだろう。猫はゴロゴロと満足そうに喉を鳴らし、うっとりと細い目をさらに細めている。そうだ、飼い主は撫でるのが上手いんだ。そしてそれを知るのはボクだけだったはずなのに。
……なんで。なんでボクじゃなくてそいつを撫でるんだ。
堪らなくなってボクはくるりと踵を返した。飼い主が他のやつを撫でているところなんてこれ以上見ていられない。しかし彼女の声で「鳴海さん」と呼ばれてしまえば、立ち去ることはできなかった。期待にしっぽが揺れる。耳が無意識に彼女の声を拾おうと動く。
「おいで」
ちらりと振り向けば、「ほら」と飼い主が笑顔で両手を広げていた。さっきまで他のやつに構っていた癖に今さら何だ、勝手なやつめ。だがキミがどうしてもと言うのなら、その腕に飛び込んでやらなくも……。
「はい、捕まえたー」
ひょいと抱き上げられ、ボクは犬なのに宇宙猫顔になった。感動的な場面になるはずだったのに、なんでこんなことに。空気が読めないにも程があるだろう、飼い主。だが、まあいい。
ボクはハッと鼻で笑い、飼い主の腕の中からあの黒猫を見下ろした。
『残念だったな。飼い主はボクを選んだぞ!』
これぞ勝者の雄叫び。しかし黒猫は怯むどころか憐れみを含んだ瞳でボクを見上げた。
『あー……せやったらいいですねえ』
『は? どういう意味だ?』
『どうもこうも……ほら』
飼い主がよいしょとボクを左腕で抱え直した。それからもう片方の腕が迷いなくあの猫のほうへと伸びていく。
ーー待て待て待て待て!
しかしボクの必死の訴えが人間の飼い主に届くことはなかった。そしてそのまま彼女の右腕がボクと同じように黒猫を抱き上げる。
黒猫はボクを見るなり『ね?』と肩を竦めたが、何が『ね?』だ、何が!
『か、飼い主、まさかと思うが、その……』
恐る恐る飼い主を見上げると、彼女はふわりと花が咲いたみたいに笑った。そしてそのかわいらしい顔のまま、とてつもなくおぞましいことを口にした。
「この子は保科さん。今日から一緒に暮らすから、仲良くしてあげてね」
『ま、そういうことなんで、よろしゅう頼んます』
『は…………はあぁぁぁぁぁ?!』
認めない! ボクは絶対に認めんぞ、そんなどこの馬の骨ともわからんやつ!! 猫だが!
しかし全力で抵抗を試みるも、飼い主はどこ吹く風。
クソッ、ボクは最強のポメラニアンなのに! もっとボクを敬え! 尊重しろ!
『あのー、ちなみにどの辺が最強なんです?』
『見ればわかるだろ! 全部だ全部!』
『へえ、全部』
『くすくす笑うな糸目ぇ!』
『別に笑てませんよ。僕は元々こういう顔です』
「ふふ、お喋りしてるの? すごいね二人とも。もう仲良しさんだ」
ボクとこいつの、どこをどう見たらそうなるのか。全く理解できん。文句の一つでも言ってやろうと飼い主を見上げれば、ぱちりと目が合った瞬間に彼女が余りにも嬉しそうに微笑むものだから、何も言えなくなってしまった。
『あれ、急に大人しくなってどないしたんです?』
『別に。これ以上は無駄だと思っただけだ』
『無駄、ですか?』
『ああ、飼い主は相当頑固でな。自分でこれと決めたことは誰が何と言おうと絶対に曲げないんだ』
ボクがこの家に来た時もそうだった。ボクが最強すぎるせいか、なかなか買い手がつかずペットショップに居座り続けていたところ、「よかったら家来る?」と抱き上げてくれたのが今の飼い主だった。人間はみんなボクより小さい新顔ばかり連れ帰るのに。一緒に来ていた友人とやらは「その子、成犬じゃん。やめときなよ」と反対してたのに。飼い主はそれを押し切ってボクを迎えてくれた。そしてボクのために、わざわざペット可の物件に引っ越すようなお人好し。
知りたくもないが、きっと保科の時もそうだったのだろう。すっと細い目を開いた黒猫は『それはわかります』とだけ呟いた。
『ま、飼い主が何と言おうとボクは絶対にお前なんか認めんがな!』
『構いませんよ。飼い主ちゃん以外に認めてもらう必要もないですし』
『はあ?!』
再びボクと保科の熾烈な言い争いの火蓋が切って落とされた。ムカつく猫だ。絶対に参りました鳴海様と言わせてやる!
しかし能天気な飼い主の「濡れちゃったし、二人ともお風呂入ろっか」の一言で、ボクたちは瞬時に沈黙し、結託して彼女の腕からの逃走を図ったのだった。
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