橋田悠
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
……ない。ない、ない、ない!
「嘘でしょお」
泣きそうになりながら項垂れる私に、隣にいた橋田が「どないしたん?」と声をかけてきた。私は無言のまま手に持ったものを差し出す。買ったばかりのグレーの手袋だ。ただし、片方だけ。
「あらら、失くしてしもたん?」
橋田にそう訊かれて力なく頷く。コートのポケットも鞄の中も何度も隅々まで探して、それでも見つからないのだからそうなのだろう。今朝は暖かかったから、手袋は使わなかった。けれど持ってきたのは確かだから、家から学校までの道中で落としたのかもしれない。
「あーあ、買ったばかりだったのに」
今年の冬を乗り切るためにと買った手袋だった。ワンポイントに小さな黒いリボンが付いていて、大人っぽくありながらもかわいい手袋。一目見て「これだ!」となったものだったから、余計にショックだ。しばらく立ち直れそうにない。
そしてそんな私に追い討ちをかけるように、外にははらはらと雪が舞っていた。初雪だ。この辺りではあまり降らない雪にいつもなら心が躍るのに、今日はちっともダメだった。ただただ寒いだけ。
「寒いなあ」
白い息を吐きながら橋田が言った。
「そうだね」
マフラーに顔を埋めながら鼻を啜る。マフラーは失くさなくてよかった、と心から思った。これがなかったら、みっともない顔をしてるのが橋田にバレていたことだろう。
「手袋、片方だけでもしとき。しもやけできてまうよ」
そう言われて、のろのろと左手に手袋をはめた。途端に刺すような寒さが和らいで、少しずつ悴んでいた指先の感覚が戻ってくる。けど、何もしてない右手は冷たいまま。失くした手袋は、今どこにあるのだろうか。
「帰り道に落ちとるとええなあ」
「うん」
「駅も見てみよか。落とし物として届いとるかもしれんし」
「うん」
どこかに落ちてないかと、地面を見ながら歩く。頭を下げて歩く様はとぼとぼという擬音がぴったりだっただろう。手袋らしきものは見つからず、私はマフラーの下でこっそりとため息を吐いた。白い息はすぐに冬の空気に溶けてなくなる。
「ないなあ」
「うん。残念だけどこればっかりは仕方ない」
自分に言い聞かせるように、努めて明るくそう言った。ないものはない。諦めよう。
「ええの?」
こういう時の橋田の視線が苦手だ。こっちが必死に隠しているものを暴くみたいにじぃっと見るめられると、居心地が悪くて逃げ出したくなる。
「いい。大丈夫」
きっぱりと言い切ると、間近で私を覗き込んでいた橋田の顔が離れていった。
「ならこうしよか」
ふいに右手があたたかいものに包まれた。悴んでいた右手は反応が鈍く、何だろうと思った頃にはもう遅かった。するりと指先を絡められ、ぐいと引っ張られ、気づけば私の右手は橋田のコートのポケットに連れ去られていた。
「え、ちょ……」
「手袋が見つかるまで僕があたためたるよ」
ポケットの中で、きゅっと手を握られる。私の手が冷えすぎていたせいか、橋田の手は熱いくらいだった。橋田なりに気を遣ってくれたのだろうか。けどこれは、何というか。
「恥ずかしいんだけど……」
「そう?」
「人が見てるかもしれないし」
「誰もおらんよ」
橋田の言う通り、幸い周りに人の気配はない。でも、いなければいいというわけではないのだ。
「そういうのは彼女にやってあげなよ」
「それはもちろんやけど、僕彼女おらんしなあ」
さっきから引き寄せてはいるのだけど、繋がれた手は一向に緩む様子がない。「もうあたたまったから大丈夫!」何度もそう言うも、橋田からは「まだ冷えとるやん」と返ってくるだけだった。
私たちはただの友達なのに、時折よくわからなくなる。橋田の距離感が近いせいか、私もその距離感に慣れてしまったせいか、私たちの友達の境界はひどく曖昧だ。
橋田は友達だから優しくしてくれるの? 友達だから私はこの手を振り解かないの? わからないことが多すぎる。
「……聞いとる?」
「え、ごめん。何だった?」
「いやだから、今度の週末空いとるって」
「部活の後なら空いてるけど」
「なら隣町のショッピングモール行かへん?」
「別にいいけど、橋田買いたいものあるの?」
「僕は特にないけど、君はあるやろ。手袋見つからんかったら新しいの買うたほうがええんやない?」
「あ、そっか。うん、そうだね」
さっきまで失くした手袋のことばかり考えていたのに、いつの間にかすっかり頭から抜け落ちていた。そのことに橋田も気づいたようで、生暖かい視線を送ってくる。
「もしかして僕の手、気に入ってくれたん? 嬉しいなあ」
「ち、違っ」
「ええよ。君のためならいくらでもあたためたるで」
「だから違うって!」
橋田のポケットに入ったままの右手は、手袋をした左手よりもずっとあたたかくなっていた。舞っていた雪もいつしか止んでいたけれど、気づかないふりをしたのは、冬の空気がまだ冷たかったからだ。
「嘘でしょお」
泣きそうになりながら項垂れる私に、隣にいた橋田が「どないしたん?」と声をかけてきた。私は無言のまま手に持ったものを差し出す。買ったばかりのグレーの手袋だ。ただし、片方だけ。
「あらら、失くしてしもたん?」
橋田にそう訊かれて力なく頷く。コートのポケットも鞄の中も何度も隅々まで探して、それでも見つからないのだからそうなのだろう。今朝は暖かかったから、手袋は使わなかった。けれど持ってきたのは確かだから、家から学校までの道中で落としたのかもしれない。
「あーあ、買ったばかりだったのに」
今年の冬を乗り切るためにと買った手袋だった。ワンポイントに小さな黒いリボンが付いていて、大人っぽくありながらもかわいい手袋。一目見て「これだ!」となったものだったから、余計にショックだ。しばらく立ち直れそうにない。
そしてそんな私に追い討ちをかけるように、外にははらはらと雪が舞っていた。初雪だ。この辺りではあまり降らない雪にいつもなら心が躍るのに、今日はちっともダメだった。ただただ寒いだけ。
「寒いなあ」
白い息を吐きながら橋田が言った。
「そうだね」
マフラーに顔を埋めながら鼻を啜る。マフラーは失くさなくてよかった、と心から思った。これがなかったら、みっともない顔をしてるのが橋田にバレていたことだろう。
「手袋、片方だけでもしとき。しもやけできてまうよ」
そう言われて、のろのろと左手に手袋をはめた。途端に刺すような寒さが和らいで、少しずつ悴んでいた指先の感覚が戻ってくる。けど、何もしてない右手は冷たいまま。失くした手袋は、今どこにあるのだろうか。
「帰り道に落ちとるとええなあ」
「うん」
「駅も見てみよか。落とし物として届いとるかもしれんし」
「うん」
どこかに落ちてないかと、地面を見ながら歩く。頭を下げて歩く様はとぼとぼという擬音がぴったりだっただろう。手袋らしきものは見つからず、私はマフラーの下でこっそりとため息を吐いた。白い息はすぐに冬の空気に溶けてなくなる。
「ないなあ」
「うん。残念だけどこればっかりは仕方ない」
自分に言い聞かせるように、努めて明るくそう言った。ないものはない。諦めよう。
「ええの?」
こういう時の橋田の視線が苦手だ。こっちが必死に隠しているものを暴くみたいにじぃっと見るめられると、居心地が悪くて逃げ出したくなる。
「いい。大丈夫」
きっぱりと言い切ると、間近で私を覗き込んでいた橋田の顔が離れていった。
「ならこうしよか」
ふいに右手があたたかいものに包まれた。悴んでいた右手は反応が鈍く、何だろうと思った頃にはもう遅かった。するりと指先を絡められ、ぐいと引っ張られ、気づけば私の右手は橋田のコートのポケットに連れ去られていた。
「え、ちょ……」
「手袋が見つかるまで僕があたためたるよ」
ポケットの中で、きゅっと手を握られる。私の手が冷えすぎていたせいか、橋田の手は熱いくらいだった。橋田なりに気を遣ってくれたのだろうか。けどこれは、何というか。
「恥ずかしいんだけど……」
「そう?」
「人が見てるかもしれないし」
「誰もおらんよ」
橋田の言う通り、幸い周りに人の気配はない。でも、いなければいいというわけではないのだ。
「そういうのは彼女にやってあげなよ」
「それはもちろんやけど、僕彼女おらんしなあ」
さっきから引き寄せてはいるのだけど、繋がれた手は一向に緩む様子がない。「もうあたたまったから大丈夫!」何度もそう言うも、橋田からは「まだ冷えとるやん」と返ってくるだけだった。
私たちはただの友達なのに、時折よくわからなくなる。橋田の距離感が近いせいか、私もその距離感に慣れてしまったせいか、私たちの友達の境界はひどく曖昧だ。
橋田は友達だから優しくしてくれるの? 友達だから私はこの手を振り解かないの? わからないことが多すぎる。
「……聞いとる?」
「え、ごめん。何だった?」
「いやだから、今度の週末空いとるって」
「部活の後なら空いてるけど」
「なら隣町のショッピングモール行かへん?」
「別にいいけど、橋田買いたいものあるの?」
「僕は特にないけど、君はあるやろ。手袋見つからんかったら新しいの買うたほうがええんやない?」
「あ、そっか。うん、そうだね」
さっきまで失くした手袋のことばかり考えていたのに、いつの間にかすっかり頭から抜け落ちていた。そのことに橋田も気づいたようで、生暖かい視線を送ってくる。
「もしかして僕の手、気に入ってくれたん? 嬉しいなあ」
「ち、違っ」
「ええよ。君のためならいくらでもあたためたるで」
「だから違うって!」
橋田のポケットに入ったままの右手は、手袋をした左手よりもずっとあたたかくなっていた。舞っていた雪もいつしか止んでいたけれど、気づかないふりをしたのは、冬の空気がまだ冷たかったからだ。