橋田悠
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視界に揺れた三つ編みと「おはよう」と降ってきた声に顔を上げ、私は思わず固まった。
ちょうど挨拶を返しかけていたところだったから、口はまぬけに開いたまま。ぽかんとする私の視線の先で、橋田は少し気恥ずかしそうに頬を掻いた。
「は、橋田が眼鏡!」
「あー、うん。うっかりコンタクト切らしてしもて」
毎日見ている橋田の顔に、深い夜を思わせる色をしたフレームの眼鏡。物珍しさにまじまじと見ていると、ふいと顔を逸らされてしまった。いつもは橋田のほうがじーっと見てくる癖に、どうやら逆となると慣れないらしい。
眼鏡もその反応も新鮮でもっとよく見たいのに橋田はなかなか顔を拝ませてくれなくて、彼の真正面に回り込もうと興奮気味にうろちょろすることしばらく。先に根を上げたのは橋田のほうだった。
「もー、見すぎや見すぎ。そんなに見られたら穴あいてまうわ」
そう言ってこれ以上動くなとばかりにガッと両肩を掴まれる。
「だって珍しいから」
むぅ、と唇を尖らせるも「そんな顔したってあかんよ」と一蹴されてしまった。珍しい眼鏡姿は見慣れないけれど、彼によく似合っていてもっと見ていたかったのに……。残念だ。
「橋田って、目悪かったんだね」
「あれ言うてなかったっけ? まあ普段はコンタクトやし、眼鏡かけんのも寝る前くらいやから言わんとわからんかもなあ」
「うん、初耳。ずっと裸眼だと思ってた」
「君は目ぇいいの?」
「両目2.0!」
「そらすごいなあ」
あまり見すぎると橋田が目を合わせてくれなくなるから程々に。そう思うのに、私の目はつい眼鏡のフレームを追ってしまう。
「ねえ、眼鏡ってどんな感じ? 私かけたことないからわからなくて」
「どうって、むつかしいなあ。コンタクトに慣れとると変な感じはするけど。かけてみる?」
「え、いいの⁈」
ぴょんと跳ねるように反応してから、橋田の生暖かい視線にはしゃぎすぎたと恥ずかしくなる。「んふふ、ええよ」ゆるゆると口元を緩ませて笑う彼の眼差しは小さい子どもを見守るそれに違いなかった。
「顔上げて」
何だろうと言われるままに顔を上げると、眼鏡を外した橋田が目を細めていた。そのままするりと耳上を何かが掠めて、視界がぐにゃりとぼやける。
「うわっ」
そこで初めて眼鏡をかけられたのだと気づく。眼鏡くらい自分でかけられたのにと文句を言いたくなったが、正直それどころではなかった。橋田の眼鏡は思っていた以上に度が強かったようで、視界は不安定だしクラクラする。無理やり視力を矯正されるからか、目の奥も痛い。私はよっぽど酷い顔をしていたようで、はっきりとは見えないが、橋田らしいシルエットは肩を震わせるほど笑っているようだった。
「ちょっと笑いすぎ! そんなに変?」
「ん、ふっ。そんなこと、んふふっ」
「もう。どうせ私には似合いませんよーだ」
「あー、待って待って。ちゃんと似合うとるから、外す前にもっかいよう見せて」
あれだけ笑っておいて似合ってると言われても全く説得力がない。けれど眼鏡を借りた手前無碍にもできなくて、「一回だけだからね」と念を押して私は橋田のほうへと顔を向けた。「ありがとう」とぼんやりとしたシルエットがお礼を言って近づいてくる。大きな体躯を屈めてじぃーっと見つめられるのはいつまで経っても慣れない。けれど今日は視界がはっきりしないせいか、それほど緊張しなかった。が。
「ちょ、近くない⁈」
ぼやけた視界でも橋田がどれくらいの距離にいるかはわかる。眼鏡をかけた私の視界は今、橋田の影で埋まっていた。距離の近さがいつもの比じゃない。そのはずなのに橋田は「そんなことないで」と言い張る。
「いつもと同じくらいやで。けど僕今眼鏡しとらんからよう見えんくて、もうちょい近づかんと何もわからんなあ」
嘘。絶対嘘。表情は見えなくても声だけで揶揄っているのが丸わかりだ。視界はこれ以上ないくらい橋田で埋め尽くされているのに未だ止まる気配のない彼に、怖くなった私はぎゅっと目を閉じた。すぐに鼻先同士が触れる感触がして、心臓が跳ねる。
「ん。よう似合うとるよ眼鏡。かわええ」
かちゃりと微かな音とともに、すぐ傍にあった気配が離れていく。詰めていた息を吐くと同時に目を開けると、ちょうど橋田が私から外した眼鏡を自身にかけ直しているところだった。
「あの、橋田……」
「んー?」
「な、何でもない」
「そう? ならそろそろ行こか。授業始まるで」
並んで歩きつつちらりと盗み見た橋田は、眼鏡以外はいつも通りだった。いつもと違う何かがあった後とは思えないほど、いつも通り。だからやっぱり、あれは私の勘違いだったのだと、未だ早鐘を打つ心臓に言い聞かせる。さっきの距離の近さは橋田がいつものように私を揶揄っただけ。鼻先が触れただけで、他には何もなかった。
だから唇に残るこの微かな熱は、きっと私の気のせいだ。
ちょうど挨拶を返しかけていたところだったから、口はまぬけに開いたまま。ぽかんとする私の視線の先で、橋田は少し気恥ずかしそうに頬を掻いた。
「は、橋田が眼鏡!」
「あー、うん。うっかりコンタクト切らしてしもて」
毎日見ている橋田の顔に、深い夜を思わせる色をしたフレームの眼鏡。物珍しさにまじまじと見ていると、ふいと顔を逸らされてしまった。いつもは橋田のほうがじーっと見てくる癖に、どうやら逆となると慣れないらしい。
眼鏡もその反応も新鮮でもっとよく見たいのに橋田はなかなか顔を拝ませてくれなくて、彼の真正面に回り込もうと興奮気味にうろちょろすることしばらく。先に根を上げたのは橋田のほうだった。
「もー、見すぎや見すぎ。そんなに見られたら穴あいてまうわ」
そう言ってこれ以上動くなとばかりにガッと両肩を掴まれる。
「だって珍しいから」
むぅ、と唇を尖らせるも「そんな顔したってあかんよ」と一蹴されてしまった。珍しい眼鏡姿は見慣れないけれど、彼によく似合っていてもっと見ていたかったのに……。残念だ。
「橋田って、目悪かったんだね」
「あれ言うてなかったっけ? まあ普段はコンタクトやし、眼鏡かけんのも寝る前くらいやから言わんとわからんかもなあ」
「うん、初耳。ずっと裸眼だと思ってた」
「君は目ぇいいの?」
「両目2.0!」
「そらすごいなあ」
あまり見すぎると橋田が目を合わせてくれなくなるから程々に。そう思うのに、私の目はつい眼鏡のフレームを追ってしまう。
「ねえ、眼鏡ってどんな感じ? 私かけたことないからわからなくて」
「どうって、むつかしいなあ。コンタクトに慣れとると変な感じはするけど。かけてみる?」
「え、いいの⁈」
ぴょんと跳ねるように反応してから、橋田の生暖かい視線にはしゃぎすぎたと恥ずかしくなる。「んふふ、ええよ」ゆるゆると口元を緩ませて笑う彼の眼差しは小さい子どもを見守るそれに違いなかった。
「顔上げて」
何だろうと言われるままに顔を上げると、眼鏡を外した橋田が目を細めていた。そのままするりと耳上を何かが掠めて、視界がぐにゃりとぼやける。
「うわっ」
そこで初めて眼鏡をかけられたのだと気づく。眼鏡くらい自分でかけられたのにと文句を言いたくなったが、正直それどころではなかった。橋田の眼鏡は思っていた以上に度が強かったようで、視界は不安定だしクラクラする。無理やり視力を矯正されるからか、目の奥も痛い。私はよっぽど酷い顔をしていたようで、はっきりとは見えないが、橋田らしいシルエットは肩を震わせるほど笑っているようだった。
「ちょっと笑いすぎ! そんなに変?」
「ん、ふっ。そんなこと、んふふっ」
「もう。どうせ私には似合いませんよーだ」
「あー、待って待って。ちゃんと似合うとるから、外す前にもっかいよう見せて」
あれだけ笑っておいて似合ってると言われても全く説得力がない。けれど眼鏡を借りた手前無碍にもできなくて、「一回だけだからね」と念を押して私は橋田のほうへと顔を向けた。「ありがとう」とぼんやりとしたシルエットがお礼を言って近づいてくる。大きな体躯を屈めてじぃーっと見つめられるのはいつまで経っても慣れない。けれど今日は視界がはっきりしないせいか、それほど緊張しなかった。が。
「ちょ、近くない⁈」
ぼやけた視界でも橋田がどれくらいの距離にいるかはわかる。眼鏡をかけた私の視界は今、橋田の影で埋まっていた。距離の近さがいつもの比じゃない。そのはずなのに橋田は「そんなことないで」と言い張る。
「いつもと同じくらいやで。けど僕今眼鏡しとらんからよう見えんくて、もうちょい近づかんと何もわからんなあ」
嘘。絶対嘘。表情は見えなくても声だけで揶揄っているのが丸わかりだ。視界はこれ以上ないくらい橋田で埋め尽くされているのに未だ止まる気配のない彼に、怖くなった私はぎゅっと目を閉じた。すぐに鼻先同士が触れる感触がして、心臓が跳ねる。
「ん。よう似合うとるよ眼鏡。かわええ」
かちゃりと微かな音とともに、すぐ傍にあった気配が離れていく。詰めていた息を吐くと同時に目を開けると、ちょうど橋田が私から外した眼鏡を自身にかけ直しているところだった。
「あの、橋田……」
「んー?」
「な、何でもない」
「そう? ならそろそろ行こか。授業始まるで」
並んで歩きつつちらりと盗み見た橋田は、眼鏡以外はいつも通りだった。いつもと違う何かがあった後とは思えないほど、いつも通り。だからやっぱり、あれは私の勘違いだったのだと、未だ早鐘を打つ心臓に言い聞かせる。さっきの距離の近さは橋田がいつものように私を揶揄っただけ。鼻先が触れただけで、他には何もなかった。
だから唇に残るこの微かな熱は、きっと私の気のせいだ。