保科宗四郎
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十一月二十一日、時刻は午前九時三十分。
少しだけ扉を開けて辺りに誰もいないことを何度も確認し、私はこっそりと部屋を出た。しかし、
「あれ、出かけるの?」
後ろからかけられた声に思わず息を呑む。さっきまで誰もいなかったのに、いつの間に……。ギギギと音がしそうなほどぎこちなく振り向いた先には、一体何徹目なのか、目の下にくっきりと濃い隈を作った小此木先輩がいた。
「おはようございます。久々のお休みなので街のほうに行ってみようかなと。小此木先輩は今からお休みですか?」
「そうなの、データまとめてたら遅くなっちゃって。そういえば今日保科副隊長もお休みって言ってたなあ」
ふあ、と大きな欠伸をしながら小此木先輩がゆったりとした口調で言った。きっと小此木先輩からしたら何てことない世間話なんだろうけど、私は聞こえてきた名前に心臓が飛び出すかと思った。今からその人と会うんです、とは口が裂けても言えない。
「へー、そうなんですね。き、奇遇だなあ」
「何か大事な用事があるんだって。あ、引き止めちゃってごめんね。お出かけ楽しんできて! じゃあお休みなさーい」
へろへろの小此木先輩が扉の向こうに消えるのを見守ってから、ばくばくと動揺する心臓を落ち着かせるよう大きく息を吐く。誤魔化すように貼り付けた笑顔は自分でもわかるほど引き攣っていたが、徹夜明けの小此木先輩は不審に思わなかったようだ。気付かれなくてよかった、けれどまだ始まってすらいないのにこの疲れよう。こんな調子で、今日一日大丈夫だろうかと心配になってくる。
でも約束を破るわけにはいかない。今日は保科副隊長の誕生日、彼を美味しいモンブランのあるお店に連れて行く日だ。甘いもの好きの隊員たちにおすすめを聞いたり雑誌でたくさん調べたりして、良いお店も見つかった。きっと保科副隊長も喜んでくれるに違いない。
そう思うのに妙にそわそわしてしまうのは、昨晩の女子寮談話室での会話のせいだ。
「いやー、年頃の男女が二人きりで出かけてたらそれはもうデートでしょ」
缶ビールを片手に熱弁していたのはイケメン好きの中ノ島小隊長だ。どうやら恋に悩める女性隊員の何人かが経験豊富な中ノ島小隊長に恋愛相談をしていたようで、女子寮談話室ではよく見かける、珍しくもない光景だった。なのに昨日はどうしてか気になって、気付けば私も風呂上がりのフルーツ牛乳を飲みながら恋愛相談の輪の中に加わっていた。
「やっぱそうですよね。向こう手も繋いで来たんですよ! なのに告白してくれなくて……」
「ええーもう好きなら押し倒しちゃえば? 美味しく頂いてから考えればよくない?」
最後のほうはアドバイスと言えていたかどうか。とりあえず呂律の怪しい中ノ島小隊長周りの空き缶の数はすごいことになっていた。
今日は保科副隊長と二人きり、だけど。決してデートではない。
今日はこの前誕生日を祝ってもらったお礼で、いつもお世話になってるからそれも踏まえて……と色々理由も並び立てるも、脳内の中ノ島小隊長が「いやそれデートだから」と一蹴してくる。違うって言ってるのに。イマジナリー中ノ島小隊長、かなり厄介である。
変に噂されて保科副隊長に迷惑がかかることだけは避けたい。小此木先輩に出かけるところは見られてしまったけれど、二人でいるところは絶対に知り合いに見られないよう気をつけないと。
悶々と考えているうちに集合場所に着いていた。駅近くの遊具の少ない公園だ。時刻は九時四十五分、集合時刻のきっかり十五分前。だというのにこっちに向かって手を振る人影を見つけて、私は大慌てて駆け寄った。
「保科副隊長もう着いてらしたんですか⁈ お待たせしてすみません」
「そんな走って来んでもよかったのに。全然待っとらんし、僕も今来たとこやから安心しい」
何でもないように言うけれど、嘘だ。寮からここまで一本道で、その間後ろ姿を見かけたことは一度もなかった。一体いつから待っていたのだろう。でも問いただしたところできっと本当のことは何も教えてくれないのだろう。保科副隊長はそういう人だ。
「ほな落ち着いたら行こか。店、どこやっけ?」
「ここから三つ先の駅のところです。ご案内しますね!」
お誕生日様を待たせて格好はつかないけれど、ここからはしっかりリードしないと。私は保科副隊長の前を歩き、駅へと向かった。
***
モンブランが美味しいと評判のお店は、基地最寄り駅から三駅先、そこから徒歩五分という立地にあった。比較的わかりやすい位置にあるから迷うことはないと口コミにも書かれていたのだが、
「なあ、愛弟子ちゃん」
「はい」
「もしかして迷……」
「迷ってません、大丈夫です!」
迷ってはいない。まだ辿り着いていないだけで。徒歩五分のところ二十分ほど経っているが、決して迷ってはいない……と思いたい。
昔から方向音痴の自覚はある。けれど徒歩五分くらいなら辿り着けるだろうと謎の自信があった。スマホのナビアプリもあるしきっと大丈夫だろうと。しかしナビアプリは目的のお店と距離が近すぎるのか、勝手に案内を終了してしまった。それらしきお店はどこにもないのに。
どうしよう。駅まで戻って駅員さんに聞いてこようか。そう思ってスマホから顔を上げると、思いの外近くに保科副隊長の顔があって、うっかり手にしていたスマホを落としそうになった。
「な、どうしたんですか」
「それちょお見せて」
私が制止するより先に手からスマホを奪われる。「ふむふむ、なるほどなあ」返してくださいと背伸びするも平均身長より低い私の身長では、頑張ったところで手を掲げた保科副隊長に届くはずもなかった。
「よし!」
「何がよし! なんですか」
「店の場所わかったで。あっちや」
言うなり保科副隊長はにかっと歯を見せて笑い、私の手を握った。一瞬何が起こったかわからず、けれど心臓が一番に反応する。
「え、あの副隊長、手……!」
離してくださいと訴えるも「あかん」と間髪入れずに却下された。何とか逃れようと暴れる手もすっぽりと包み込まれてしまう。
「こうしとらんとはぐれてまうやろ。君ちっさいし、迷子になるし」
「そんなこと……」
ないですとは言い切れなくて、私が言葉に困っている間に保科副隊長は「ほな行くでー!」と繋いだ手を引いていく。
私と保科副隊長が二人きりで出かけるのは、お世話になっている人の誕生日を祝うためであって、決してデートではない。でもこれは、手を繋ぐのはどうなのだろう。師匠と弟子、上司と部下は手を繋いで出かけるもの? そもそも保科副隊長は、今日のことをどう思っているのだろう。
前を行く背中に目を向けて、唇を噛む。微か痛みは淡い期待を振り払うのに充分だった。保科副隊長にとって私は一人きりの弟子、可愛がりも妹に向けるようなもの。
だからこれは、デートではない。
そう断言したいのに「いやいや、だから〜」と再び聞き覚えのある声が聞こえた気がして、私は繋いだ手を引く保科副隊長の背を追いながら、いつまでも脳内に居座る中ノ島小隊長を必死に追い出していた。
少しだけ扉を開けて辺りに誰もいないことを何度も確認し、私はこっそりと部屋を出た。しかし、
「あれ、出かけるの?」
後ろからかけられた声に思わず息を呑む。さっきまで誰もいなかったのに、いつの間に……。ギギギと音がしそうなほどぎこちなく振り向いた先には、一体何徹目なのか、目の下にくっきりと濃い隈を作った小此木先輩がいた。
「おはようございます。久々のお休みなので街のほうに行ってみようかなと。小此木先輩は今からお休みですか?」
「そうなの、データまとめてたら遅くなっちゃって。そういえば今日保科副隊長もお休みって言ってたなあ」
ふあ、と大きな欠伸をしながら小此木先輩がゆったりとした口調で言った。きっと小此木先輩からしたら何てことない世間話なんだろうけど、私は聞こえてきた名前に心臓が飛び出すかと思った。今からその人と会うんです、とは口が裂けても言えない。
「へー、そうなんですね。き、奇遇だなあ」
「何か大事な用事があるんだって。あ、引き止めちゃってごめんね。お出かけ楽しんできて! じゃあお休みなさーい」
へろへろの小此木先輩が扉の向こうに消えるのを見守ってから、ばくばくと動揺する心臓を落ち着かせるよう大きく息を吐く。誤魔化すように貼り付けた笑顔は自分でもわかるほど引き攣っていたが、徹夜明けの小此木先輩は不審に思わなかったようだ。気付かれなくてよかった、けれどまだ始まってすらいないのにこの疲れよう。こんな調子で、今日一日大丈夫だろうかと心配になってくる。
でも約束を破るわけにはいかない。今日は保科副隊長の誕生日、彼を美味しいモンブランのあるお店に連れて行く日だ。甘いもの好きの隊員たちにおすすめを聞いたり雑誌でたくさん調べたりして、良いお店も見つかった。きっと保科副隊長も喜んでくれるに違いない。
そう思うのに妙にそわそわしてしまうのは、昨晩の女子寮談話室での会話のせいだ。
「いやー、年頃の男女が二人きりで出かけてたらそれはもうデートでしょ」
缶ビールを片手に熱弁していたのはイケメン好きの中ノ島小隊長だ。どうやら恋に悩める女性隊員の何人かが経験豊富な中ノ島小隊長に恋愛相談をしていたようで、女子寮談話室ではよく見かける、珍しくもない光景だった。なのに昨日はどうしてか気になって、気付けば私も風呂上がりのフルーツ牛乳を飲みながら恋愛相談の輪の中に加わっていた。
「やっぱそうですよね。向こう手も繋いで来たんですよ! なのに告白してくれなくて……」
「ええーもう好きなら押し倒しちゃえば? 美味しく頂いてから考えればよくない?」
最後のほうはアドバイスと言えていたかどうか。とりあえず呂律の怪しい中ノ島小隊長周りの空き缶の数はすごいことになっていた。
今日は保科副隊長と二人きり、だけど。決してデートではない。
今日はこの前誕生日を祝ってもらったお礼で、いつもお世話になってるからそれも踏まえて……と色々理由も並び立てるも、脳内の中ノ島小隊長が「いやそれデートだから」と一蹴してくる。違うって言ってるのに。イマジナリー中ノ島小隊長、かなり厄介である。
変に噂されて保科副隊長に迷惑がかかることだけは避けたい。小此木先輩に出かけるところは見られてしまったけれど、二人でいるところは絶対に知り合いに見られないよう気をつけないと。
悶々と考えているうちに集合場所に着いていた。駅近くの遊具の少ない公園だ。時刻は九時四十五分、集合時刻のきっかり十五分前。だというのにこっちに向かって手を振る人影を見つけて、私は大慌てて駆け寄った。
「保科副隊長もう着いてらしたんですか⁈ お待たせしてすみません」
「そんな走って来んでもよかったのに。全然待っとらんし、僕も今来たとこやから安心しい」
何でもないように言うけれど、嘘だ。寮からここまで一本道で、その間後ろ姿を見かけたことは一度もなかった。一体いつから待っていたのだろう。でも問いただしたところできっと本当のことは何も教えてくれないのだろう。保科副隊長はそういう人だ。
「ほな落ち着いたら行こか。店、どこやっけ?」
「ここから三つ先の駅のところです。ご案内しますね!」
お誕生日様を待たせて格好はつかないけれど、ここからはしっかりリードしないと。私は保科副隊長の前を歩き、駅へと向かった。
***
モンブランが美味しいと評判のお店は、基地最寄り駅から三駅先、そこから徒歩五分という立地にあった。比較的わかりやすい位置にあるから迷うことはないと口コミにも書かれていたのだが、
「なあ、愛弟子ちゃん」
「はい」
「もしかして迷……」
「迷ってません、大丈夫です!」
迷ってはいない。まだ辿り着いていないだけで。徒歩五分のところ二十分ほど経っているが、決して迷ってはいない……と思いたい。
昔から方向音痴の自覚はある。けれど徒歩五分くらいなら辿り着けるだろうと謎の自信があった。スマホのナビアプリもあるしきっと大丈夫だろうと。しかしナビアプリは目的のお店と距離が近すぎるのか、勝手に案内を終了してしまった。それらしきお店はどこにもないのに。
どうしよう。駅まで戻って駅員さんに聞いてこようか。そう思ってスマホから顔を上げると、思いの外近くに保科副隊長の顔があって、うっかり手にしていたスマホを落としそうになった。
「な、どうしたんですか」
「それちょお見せて」
私が制止するより先に手からスマホを奪われる。「ふむふむ、なるほどなあ」返してくださいと背伸びするも平均身長より低い私の身長では、頑張ったところで手を掲げた保科副隊長に届くはずもなかった。
「よし!」
「何がよし! なんですか」
「店の場所わかったで。あっちや」
言うなり保科副隊長はにかっと歯を見せて笑い、私の手を握った。一瞬何が起こったかわからず、けれど心臓が一番に反応する。
「え、あの副隊長、手……!」
離してくださいと訴えるも「あかん」と間髪入れずに却下された。何とか逃れようと暴れる手もすっぽりと包み込まれてしまう。
「こうしとらんとはぐれてまうやろ。君ちっさいし、迷子になるし」
「そんなこと……」
ないですとは言い切れなくて、私が言葉に困っている間に保科副隊長は「ほな行くでー!」と繋いだ手を引いていく。
私と保科副隊長が二人きりで出かけるのは、お世話になっている人の誕生日を祝うためであって、決してデートではない。でもこれは、手を繋ぐのはどうなのだろう。師匠と弟子、上司と部下は手を繋いで出かけるもの? そもそも保科副隊長は、今日のことをどう思っているのだろう。
前を行く背中に目を向けて、唇を噛む。微か痛みは淡い期待を振り払うのに充分だった。保科副隊長にとって私は一人きりの弟子、可愛がりも妹に向けるようなもの。
だからこれは、デートではない。
そう断言したいのに「いやいや、だから〜」と再び聞き覚えのある声が聞こえた気がして、私は繋いだ手を引く保科副隊長の背を追いながら、いつまでも脳内に居座る中ノ島小隊長を必死に追い出していた。