保科宗四郎
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世の中は危険なことだらけ。だから常に危険予知して事にあたるべきだ。勤務中、慣れたと思った頃が一番気が緩むから特に注意してーー。
脳内で再生されるのは、そんないつかの安全講習での記憶。ハインリッヒの法則、ヒヤリハット。まるで走馬灯のように脳裏を流れゆくそれらに、私は全くもってその通りだと内心うんうん頷いた。まあ重大な事故が起きてしまった今となっては、何もかもが遅いのだけど。
保科副隊長の驚く顔を、初めて見た。
見開かれた彼の目に映るのは、同じく目を丸くする私の姿。
「っ、すまん」
「いえ、私のほうこそ……その、申し訳ありませんでした」
弾かれたように身を引いた保科副隊長に続くように、私も慌てて顔を逸らす。本当はちゃんと目を見て謝るべきなのに、ろくに顔も合わせられないのは許してほしい。だって見たら、絶対変に意識してしまう。今でさえ心臓がうるさくて敵わないのだから。
資料室に気まずい沈黙が流れる。正直息が詰まるけれど、悪いのは私だ。私がしでかしたことで、こんな空気になってしまった。
私が床に書類をぶち撒けなければ、いや、きちんと確認してから振り向けば、こんなことにはーー保科副隊長と唇が触れてしまうなんてことにはならなかったのに。
そっと指先で触れた自身の唇には、まだあの柔らかな感触と熱が残っている。それを極力意識しないようにしながら、私は言葉を続けた。
「あの、本当になんてお詫びしたらいいか……」
これは勤務中に起きた不運な事故。そう、事故チューというだけあって、これはれっきとした事故である。書類を拾って手渡そうとしただけの保科副隊長は被害者以外の何者でもない。加害者である私は彼から慰謝料を請求されても文句は言えない立場で、ああそうだ。
「労災っておりますかね」
「何言うとんの、君。ちょっと落ち着きい。ほら、深呼吸」
保科副隊長に促されるまま何度か深い呼吸を繰り返せば、強張っていた身体から力が抜けて少しだけ冷静になれたような気がした。
「今のは君が悪いんとちゃう。声かけたら振り向くってわかっとったのに、すぐ傍におった僕が悪い」
「と、とんでもない! 私がもっと気をつけていればよかっただけで」
部下である私に非はないと言ってくれる保科副隊長は、やっぱりできた上司だと思う。とはいえ起きてしまったものは今さらどうしようもない。そしてしかるべき対処も必要だろう。
今回の場合はーーお互い起きた出来事を誰にも言わず、何事もなかったように過ごすのが最適解。そうすれば私たちは、これからも今まで通りの上司と部下の関係を続けられるはず。
幸い保科副隊長は今回の事故チューをキスとしてカウントしていないようだし、変に意識しているのは私だけ。だから私が今日のことを忘れてしまえば、それでいい。全部が丸く収まって、何の問題もなくなる。
例えそれが、片思いをしている相手とのキスだったとしても。
私にとって一番大切なことは、部下として、保科副隊長を支えることだから。
「今日のことはお互いに、綺麗さっぱり忘れましょう」
私の提案に、保科副隊長が頷く。
「せやなぁ」
返ってきたのはわかりきっていた答えだった。予想していた、私が望んですらいた言葉。それなのにつきりと胸が痛んで、その資格もない癖に傷ついているのだから自分勝手にも程がある。
入隊前からずっと憧れていた保科副隊長のことを異性として好きになるのに、そう時間はかからなかった。それと同時にこの恋が叶うことはないし、叶える必要もない、とも思った。
私にとって保科副隊長は、手の届かない雲の上のひと。だから彼とどうにかなりたいだなんて考えたこともない。
私はただ、あんな風になりたいと憧れた保科副隊長の力になれれば、それでよくて。でも良き部下でいようとすればするほど、恋心は邪魔で仕方なくて。
いつか保科副隊長のことが好きだと本人にバレて、遠ざけられたらどうしよう。そう思ったら毎日気が気じゃなくて、いつしか自分の気持ちを隠すことばかりが上手くなっていた。
でもそのお陰で、今回も乗り切れるはず。きっと大丈夫、私ならやれる。少し時間はかかるかもしれないけれど、隠すのには慣れてるから。
ゆっくりと息を吐けば、さっき感じた胸の痛みが微かに和らいだ気がした。床にはまだいくつか書類が散らばっている。それを拾おうと手を伸ばして、
「なあ、ほんまに忘れなあかん?」
ぽつりと零された声に意識が持っていかれる。
「え……?」
思わずぽかんとする私の手に、大きな手が重なった。そのまま柔く握り込まれて、軽く引き寄せられる。
「あの、保科副隊長……」
触れた手が信じられないくらい熱い。そこから伝播するように体中の熱が上がっていくのを感じる。でもこの熱は、私だけのもの?
見上げると保科副隊長と目が合った。けれどすぐに逸らされて、「あーもう!」と彼はガシガシと頭を掻いた。
「こんなん言うつもりやなかったんやけど、無理やわ」
何やら吹っ切れたのか、保科副隊長がきっぱりとした口調で言った。
「僕はさっきの、忘れられそうにない」
まっすぐに見つめられ、どきりと心臓が一層音を立てて鳴った。叶わなくていいと思っていたのに、その言葉に期待してしまう自分がいる。
「上司としてあかんのはわかっとる。けど僕も男やから、好きな子とキスして忘れろ言われても無理や。君が嫌なら努力はするけど」
まだ、忘れんでいい? そう問われ、私はこくこくと頷いた。じわりと浮かんだ涙が溢れないよう必死に堪える。
私の気持ちひとつで壊れるくらいなら、良い上司と部下でありたかった。でも保科副隊長も同じ気持ちだったとしたら、私はその先を望んでもいいのだろうか。
「……私も、忘れなくていいですか。保科副隊長が好きだから、忘れたくない、です」
震える声で告げる私に、保科副隊長は再び「あ〜」と頭を掻いて唸り声を上げた。
なんや両思いやったんか、ならもっとカッコよく決めたのに、云々。
その様子がおかしくて、可愛くて、私は思わず笑ってしまった。
「キス、もっかいしてええ?」
「へっ?!」
「さすがにここではせえへんよ。でも初チューは別でちゃんとしたいやんか。だから、また今度」
こつん、と保科副隊長が額を合わせて私を見つめてきた。それだけで私の心臓はどうにかなりそうだったのだけど、「なあ」と甘えるような瞳と声で同意を求められては、「はい」としか言えなかった。
脳内で再生されるのは、そんないつかの安全講習での記憶。ハインリッヒの法則、ヒヤリハット。まるで走馬灯のように脳裏を流れゆくそれらに、私は全くもってその通りだと内心うんうん頷いた。まあ重大な事故が起きてしまった今となっては、何もかもが遅いのだけど。
保科副隊長の驚く顔を、初めて見た。
見開かれた彼の目に映るのは、同じく目を丸くする私の姿。
「っ、すまん」
「いえ、私のほうこそ……その、申し訳ありませんでした」
弾かれたように身を引いた保科副隊長に続くように、私も慌てて顔を逸らす。本当はちゃんと目を見て謝るべきなのに、ろくに顔も合わせられないのは許してほしい。だって見たら、絶対変に意識してしまう。今でさえ心臓がうるさくて敵わないのだから。
資料室に気まずい沈黙が流れる。正直息が詰まるけれど、悪いのは私だ。私がしでかしたことで、こんな空気になってしまった。
私が床に書類をぶち撒けなければ、いや、きちんと確認してから振り向けば、こんなことにはーー保科副隊長と唇が触れてしまうなんてことにはならなかったのに。
そっと指先で触れた自身の唇には、まだあの柔らかな感触と熱が残っている。それを極力意識しないようにしながら、私は言葉を続けた。
「あの、本当になんてお詫びしたらいいか……」
これは勤務中に起きた不運な事故。そう、事故チューというだけあって、これはれっきとした事故である。書類を拾って手渡そうとしただけの保科副隊長は被害者以外の何者でもない。加害者である私は彼から慰謝料を請求されても文句は言えない立場で、ああそうだ。
「労災っておりますかね」
「何言うとんの、君。ちょっと落ち着きい。ほら、深呼吸」
保科副隊長に促されるまま何度か深い呼吸を繰り返せば、強張っていた身体から力が抜けて少しだけ冷静になれたような気がした。
「今のは君が悪いんとちゃう。声かけたら振り向くってわかっとったのに、すぐ傍におった僕が悪い」
「と、とんでもない! 私がもっと気をつけていればよかっただけで」
部下である私に非はないと言ってくれる保科副隊長は、やっぱりできた上司だと思う。とはいえ起きてしまったものは今さらどうしようもない。そしてしかるべき対処も必要だろう。
今回の場合はーーお互い起きた出来事を誰にも言わず、何事もなかったように過ごすのが最適解。そうすれば私たちは、これからも今まで通りの上司と部下の関係を続けられるはず。
幸い保科副隊長は今回の事故チューをキスとしてカウントしていないようだし、変に意識しているのは私だけ。だから私が今日のことを忘れてしまえば、それでいい。全部が丸く収まって、何の問題もなくなる。
例えそれが、片思いをしている相手とのキスだったとしても。
私にとって一番大切なことは、部下として、保科副隊長を支えることだから。
「今日のことはお互いに、綺麗さっぱり忘れましょう」
私の提案に、保科副隊長が頷く。
「せやなぁ」
返ってきたのはわかりきっていた答えだった。予想していた、私が望んですらいた言葉。それなのにつきりと胸が痛んで、その資格もない癖に傷ついているのだから自分勝手にも程がある。
入隊前からずっと憧れていた保科副隊長のことを異性として好きになるのに、そう時間はかからなかった。それと同時にこの恋が叶うことはないし、叶える必要もない、とも思った。
私にとって保科副隊長は、手の届かない雲の上のひと。だから彼とどうにかなりたいだなんて考えたこともない。
私はただ、あんな風になりたいと憧れた保科副隊長の力になれれば、それでよくて。でも良き部下でいようとすればするほど、恋心は邪魔で仕方なくて。
いつか保科副隊長のことが好きだと本人にバレて、遠ざけられたらどうしよう。そう思ったら毎日気が気じゃなくて、いつしか自分の気持ちを隠すことばかりが上手くなっていた。
でもそのお陰で、今回も乗り切れるはず。きっと大丈夫、私ならやれる。少し時間はかかるかもしれないけれど、隠すのには慣れてるから。
ゆっくりと息を吐けば、さっき感じた胸の痛みが微かに和らいだ気がした。床にはまだいくつか書類が散らばっている。それを拾おうと手を伸ばして、
「なあ、ほんまに忘れなあかん?」
ぽつりと零された声に意識が持っていかれる。
「え……?」
思わずぽかんとする私の手に、大きな手が重なった。そのまま柔く握り込まれて、軽く引き寄せられる。
「あの、保科副隊長……」
触れた手が信じられないくらい熱い。そこから伝播するように体中の熱が上がっていくのを感じる。でもこの熱は、私だけのもの?
見上げると保科副隊長と目が合った。けれどすぐに逸らされて、「あーもう!」と彼はガシガシと頭を掻いた。
「こんなん言うつもりやなかったんやけど、無理やわ」
何やら吹っ切れたのか、保科副隊長がきっぱりとした口調で言った。
「僕はさっきの、忘れられそうにない」
まっすぐに見つめられ、どきりと心臓が一層音を立てて鳴った。叶わなくていいと思っていたのに、その言葉に期待してしまう自分がいる。
「上司としてあかんのはわかっとる。けど僕も男やから、好きな子とキスして忘れろ言われても無理や。君が嫌なら努力はするけど」
まだ、忘れんでいい? そう問われ、私はこくこくと頷いた。じわりと浮かんだ涙が溢れないよう必死に堪える。
私の気持ちひとつで壊れるくらいなら、良い上司と部下でありたかった。でも保科副隊長も同じ気持ちだったとしたら、私はその先を望んでもいいのだろうか。
「……私も、忘れなくていいですか。保科副隊長が好きだから、忘れたくない、です」
震える声で告げる私に、保科副隊長は再び「あ〜」と頭を掻いて唸り声を上げた。
なんや両思いやったんか、ならもっとカッコよく決めたのに、云々。
その様子がおかしくて、可愛くて、私は思わず笑ってしまった。
「キス、もっかいしてええ?」
「へっ?!」
「さすがにここではせえへんよ。でも初チューは別でちゃんとしたいやんか。だから、また今度」
こつん、と保科副隊長が額を合わせて私を見つめてきた。それだけで私の心臓はどうにかなりそうだったのだけど、「なあ」と甘えるような瞳と声で同意を求められては、「はい」としか言えなかった。