野火丸
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面倒ごとには首を突っ込まないのが一番だ。特に、僕がやろうとしていることに関係ないものに関しては。
だから向かいから泣きじゃくる子どもが歩いて来ようとどうでもよくて、というか視界にすら入っていなかった。タクシーから降りた僕の頭にあったのは、今日は久々に何の予定も根回しも必要のない非番の日だから、ホテルに戻ってさっさと寝ようということくらい。だから、
「きゃっ?!」
「っ!」
濡れた目を擦って前を見ていなかった子どもと正面からぶつかるなんてことになってしまったのだろう。はっと我に返ると、子どもは尻餅をついていた。ぱっと見怪我はしていないようだが、やらかしたと内心舌打ちする。
疲れが溜まっていた自覚はある。が、それにしたって気を抜きすぎだ。
僕はスイッチを切り替えるようにいつもの笑顔を貼り付けて、子どもの前にしゃがみ込んだ。それから優しい声でそっと手を差し出す。
「すみません。よそ見をしてました。お怪我はありませんか?」
ふわりと微笑むと、子どもはぱちりと目を瞬かせた。あとは僕の手を取った子どもを立ち上がらせて、それでおしまい。
しかし、目の前の子どもは僕の手を一向に取ろうとしなかった。それどころか大きな目にみるみる涙が溜まっていき、「え、ちょ……」そのまま止める間もなく決壊した。
思わず「は?」と口から出そうになるのを何とか飲み込む。泣かせるようなことはしてないし、怪我もしてないはずなのに。何で急に泣き出したのか、意味がわからなかった。
どうかしたのか、痛いところでもあるのかと尋ねても、子どもはえぐえぐと泣くばかり。
……めんどくさ。もうこのまま置いていってしまおうか。
そんな考えが頭をよぎる。しかし今更だった。ここは最悪なことに人通りの多い街中で、僕はすでに道ゆく人間たちの不審の目を集めすぎている。
「あーあ、ここに梅太郎刑事がいればなー」
そうすればこの意味のわからない生き物を押し付けて、今頃ベッドでゆっくりできてたのに。彼に他の任務を言い渡したのが心底悔やまれる。
「はあ、仕方ありませんね」
僕は大きくため息をついてから、未だ泣き止まない子どもを抱き上げた。
「わー、怪我しちゃったんですね。早く手当しないと」
わざとらしく周りに聞こえるよう声を出す。もちろんでまかせだ。けど、ここから離れる口実にはぴったりだろう。子どもは「ひっ」と短く悲鳴を上げたが、抵抗はしなかった。
そのまま人気がないほうへとしばらく歩き、たまたま見つけた公園のベンチに子どもを下ろす。近くの自販機でジュースを買って差し出せば、子どもはおろおろとしつつもそれを受け取った。
「で、何で泣き出したんです?」
「え?」
僕の問いかけに、俯いていた子どもが顔を上げた。もう涙は止まっていたが、その目は赤く腫れている。
どうして子どもが泣いたのか、正直興味はない。ただ自分用に買ったコーヒーを飲み終えるまでの時間潰しになればと思ったのだ。
しかし子どもはそうは思わなかったらしい。ぽつりぽつりと泣いた理由を話し始めた。僕に親切心や優しさなんてこれっぽっちもないのに心を許して、本当に単純で馬鹿だなあと思う。
しかも泣いた理由も馬鹿らしくて、僕はすっかり呆れてしまった。
「母の日だから、ママに花を贈ろうと思ったの。でもお小遣いじゃ足りなくて、買えなくて……」
「へー、そうなんですかー」
ずずっとわざとらしくコーヒーを啜りながら、聞く価値もなかったなと思う。花が買えなかったのは前もって金額を確認しておかなかったのが悪いし、どうせなら最初からお金のかからないプレゼントを用意すればよかったのだ。子どもとはそういう生き物なのか、考えなしすぎてイライラしてくる。おまけにまた泣きそうになってるし。
「っ、う、どうしよ……ママのプレゼント……」
僕は自分が思っている以上に疲れていたらしい。こういう時はどうにも感覚が過敏になっていけない。子どもの泣き声がいやに耳に響く。煩わしくて目を閉じても、瞼の裏に泣き顔が浮かぶ。
泣くな。泣くな。
泣いたってどうしようもないんだから。泣く暇があったら、目的のために自分に何ができるかを考えろよ。僕だったら、そうする。
けれど人間の子どもの泣く声は、なかなか止まらなかった。
「……花が手に入れば泣き止んでくれます?」
眉間を押さえながら、子どもに問いかける。これ以上関わりたくはなかったが、このまま泣かれるほうが今の僕には苦痛で仕方なかった。もう泣き止むなら何でもいい。
僕はきょとんとする子どもを再び抱き上げ、来た道を引き返した。確か途中に花屋があったはずだから。
***
「ありがとうお兄ちゃん。でも、本当にいいの?」
「ええ、ぶつかってしまったお詫びなので」
子どもは単純だ。あんなに泣きじゃくっていたくせに、お目当ての花束が手に入った今、笑顔さえ浮かべている。
子どもは手にしたカーネーションのミニブーケを見て、ふふっと嬉しそうに笑った。彼女の少ないお小遣いに、足りない分は僕が出して手に入れたブーケは、本数は少ないものの見栄えはよかった。子どもが母親に渡すにはぴったりだろう。
「ママ、よろこんでくれるかな?」
僕の服の袖を引っ張って、子どもが無邪気に訊いてきた。泣いている時よりはましだが、やっぱり煩わしい。僕はそれを極力顔に出さないよう、笑みを貼り付けて答えた。
「ええ、きっと」
少しして、子どもの住む家が見えてきた。
「もう一人で帰れますね」
「うん、だいじょうぶ!」
その言葉に僕は安堵した。とんだ休日になってしまったが、やっとこの煩わしい生き物から解放される。それが嬉しくて堪らない。
しかし子どもは数歩歩いてから、くるりと向きを変えた。それから僕のほうへとやってきて、ブーケから赤いカーネーションを一本引き抜き差し出してくる。
「えーっと……?」
「あげる! 今日は母の日だから、お兄ちゃんもママにあげて」
そう言ってにこりと笑うと、子どもは僕に無理やりカーネーションを押し付けて家へと帰っていった。
子どもの姿が見えなくなってから、手に残された一輪の赤い花に視線を落とし、今日何度目かのため息をつく。
「母の日、ね」
何だか、どっと疲れた。泣きじゃくる子どもの面倒を見る羽目になるし、最後にこんないらないものまで渡されるし。
この花だって、あの子どもが持っていたほうがよかったのだ。僕が持っていたところで、渡すことは絶対にないのだから。
「まあ、僕には関係ないですけど」
ぐ、と右手に力を入れる。ゆっくりと手を開けば、くしゃりと潰れた赤い花びらが指のあいだからはらはらと落ちていった。
だから向かいから泣きじゃくる子どもが歩いて来ようとどうでもよくて、というか視界にすら入っていなかった。タクシーから降りた僕の頭にあったのは、今日は久々に何の予定も根回しも必要のない非番の日だから、ホテルに戻ってさっさと寝ようということくらい。だから、
「きゃっ?!」
「っ!」
濡れた目を擦って前を見ていなかった子どもと正面からぶつかるなんてことになってしまったのだろう。はっと我に返ると、子どもは尻餅をついていた。ぱっと見怪我はしていないようだが、やらかしたと内心舌打ちする。
疲れが溜まっていた自覚はある。が、それにしたって気を抜きすぎだ。
僕はスイッチを切り替えるようにいつもの笑顔を貼り付けて、子どもの前にしゃがみ込んだ。それから優しい声でそっと手を差し出す。
「すみません。よそ見をしてました。お怪我はありませんか?」
ふわりと微笑むと、子どもはぱちりと目を瞬かせた。あとは僕の手を取った子どもを立ち上がらせて、それでおしまい。
しかし、目の前の子どもは僕の手を一向に取ろうとしなかった。それどころか大きな目にみるみる涙が溜まっていき、「え、ちょ……」そのまま止める間もなく決壊した。
思わず「は?」と口から出そうになるのを何とか飲み込む。泣かせるようなことはしてないし、怪我もしてないはずなのに。何で急に泣き出したのか、意味がわからなかった。
どうかしたのか、痛いところでもあるのかと尋ねても、子どもはえぐえぐと泣くばかり。
……めんどくさ。もうこのまま置いていってしまおうか。
そんな考えが頭をよぎる。しかし今更だった。ここは最悪なことに人通りの多い街中で、僕はすでに道ゆく人間たちの不審の目を集めすぎている。
「あーあ、ここに梅太郎刑事がいればなー」
そうすればこの意味のわからない生き物を押し付けて、今頃ベッドでゆっくりできてたのに。彼に他の任務を言い渡したのが心底悔やまれる。
「はあ、仕方ありませんね」
僕は大きくため息をついてから、未だ泣き止まない子どもを抱き上げた。
「わー、怪我しちゃったんですね。早く手当しないと」
わざとらしく周りに聞こえるよう声を出す。もちろんでまかせだ。けど、ここから離れる口実にはぴったりだろう。子どもは「ひっ」と短く悲鳴を上げたが、抵抗はしなかった。
そのまま人気がないほうへとしばらく歩き、たまたま見つけた公園のベンチに子どもを下ろす。近くの自販機でジュースを買って差し出せば、子どもはおろおろとしつつもそれを受け取った。
「で、何で泣き出したんです?」
「え?」
僕の問いかけに、俯いていた子どもが顔を上げた。もう涙は止まっていたが、その目は赤く腫れている。
どうして子どもが泣いたのか、正直興味はない。ただ自分用に買ったコーヒーを飲み終えるまでの時間潰しになればと思ったのだ。
しかし子どもはそうは思わなかったらしい。ぽつりぽつりと泣いた理由を話し始めた。僕に親切心や優しさなんてこれっぽっちもないのに心を許して、本当に単純で馬鹿だなあと思う。
しかも泣いた理由も馬鹿らしくて、僕はすっかり呆れてしまった。
「母の日だから、ママに花を贈ろうと思ったの。でもお小遣いじゃ足りなくて、買えなくて……」
「へー、そうなんですかー」
ずずっとわざとらしくコーヒーを啜りながら、聞く価値もなかったなと思う。花が買えなかったのは前もって金額を確認しておかなかったのが悪いし、どうせなら最初からお金のかからないプレゼントを用意すればよかったのだ。子どもとはそういう生き物なのか、考えなしすぎてイライラしてくる。おまけにまた泣きそうになってるし。
「っ、う、どうしよ……ママのプレゼント……」
僕は自分が思っている以上に疲れていたらしい。こういう時はどうにも感覚が過敏になっていけない。子どもの泣き声がいやに耳に響く。煩わしくて目を閉じても、瞼の裏に泣き顔が浮かぶ。
泣くな。泣くな。
泣いたってどうしようもないんだから。泣く暇があったら、目的のために自分に何ができるかを考えろよ。僕だったら、そうする。
けれど人間の子どもの泣く声は、なかなか止まらなかった。
「……花が手に入れば泣き止んでくれます?」
眉間を押さえながら、子どもに問いかける。これ以上関わりたくはなかったが、このまま泣かれるほうが今の僕には苦痛で仕方なかった。もう泣き止むなら何でもいい。
僕はきょとんとする子どもを再び抱き上げ、来た道を引き返した。確か途中に花屋があったはずだから。
***
「ありがとうお兄ちゃん。でも、本当にいいの?」
「ええ、ぶつかってしまったお詫びなので」
子どもは単純だ。あんなに泣きじゃくっていたくせに、お目当ての花束が手に入った今、笑顔さえ浮かべている。
子どもは手にしたカーネーションのミニブーケを見て、ふふっと嬉しそうに笑った。彼女の少ないお小遣いに、足りない分は僕が出して手に入れたブーケは、本数は少ないものの見栄えはよかった。子どもが母親に渡すにはぴったりだろう。
「ママ、よろこんでくれるかな?」
僕の服の袖を引っ張って、子どもが無邪気に訊いてきた。泣いている時よりはましだが、やっぱり煩わしい。僕はそれを極力顔に出さないよう、笑みを貼り付けて答えた。
「ええ、きっと」
少しして、子どもの住む家が見えてきた。
「もう一人で帰れますね」
「うん、だいじょうぶ!」
その言葉に僕は安堵した。とんだ休日になってしまったが、やっとこの煩わしい生き物から解放される。それが嬉しくて堪らない。
しかし子どもは数歩歩いてから、くるりと向きを変えた。それから僕のほうへとやってきて、ブーケから赤いカーネーションを一本引き抜き差し出してくる。
「えーっと……?」
「あげる! 今日は母の日だから、お兄ちゃんもママにあげて」
そう言ってにこりと笑うと、子どもは僕に無理やりカーネーションを押し付けて家へと帰っていった。
子どもの姿が見えなくなってから、手に残された一輪の赤い花に視線を落とし、今日何度目かのため息をつく。
「母の日、ね」
何だか、どっと疲れた。泣きじゃくる子どもの面倒を見る羽目になるし、最後にこんないらないものまで渡されるし。
この花だって、あの子どもが持っていたほうがよかったのだ。僕が持っていたところで、渡すことは絶対にないのだから。
「まあ、僕には関係ないですけど」
ぐ、と右手に力を入れる。ゆっくりと手を開けば、くしゃりと潰れた赤い花びらが指のあいだからはらはらと落ちていった。