野火丸
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伝えたかったのは「さよなら」だった。いや、本当はそれさえ言わずに彼女の前から姿を消すつもりだった。
「今度はいつ会えますか」別れ際、目に涙を浮かべて問う彼女に「さあ、いつでしょうね」と、いつものお決まりのやりとりをして。それで終わり。何も難しいことはない。そう思っていたのに。
「野火丸、さん?」
彼女の声が聞こえる。困ったような、驚いたようなそんな声が。
「……どうかしました?」
おずおずと訊ねる彼女は、今や僕の腕の中。返事も碌にせず無言のまま抱きすくめると、彼女は少しばかり苦しそうに身を捩ったが、それ以上は何も訊いてこなかった。代わりにそっと僕の背中に腕を回し、ぽんぽんと撫でてくる。ゆっくりと、優しく。子ども姿の僕を撫でる時と全く同じ手つきで。
ーー今の僕は、子どもじゃないんですけどね。
ふ、と零した苦笑に、彼女が顔を上げた。こちらを見つめる黒目がちな瞳の中に、くしゃりと顔を歪めた僕がいる。ああ、こんな姿を彼女に晒していたのか。あまりにも情けない顔に、彼女が僕を子ども扱いするのにも納得がいってしまった。
本当に情けない。
彼女の幸せを、愛する人の幸せを心から願いながら、いざとなると手放せないなんて。
「不幸にしていいですか?」
痛いくらいに彼女を抱きしめて、言うつもりのなかった言葉を吐く。声に出すと同時に心臓がひりつくような心地がしたのは、彼女の返事を聞くのが怖かったからかもしれない。
僕の道行きに、迎える結末に、幸せなんてものはない。だからこれは地獄への誘いだ。貴女を道連れにしていいですか、なんて馬鹿げた誘いに、誰が好き好んで乗るだろうか。
「えっと、その……」
案の定、腕の中から聞こえてきた声には戸惑いが滲み出ていた。やんわりと胸を押し返され、やはりそうかときつく彼女を抱きしめていた腕を緩める。
こうなることは端からわかりきっていた。だから残るは後腐れのないようにするだけだ。いつものように笑って「なーんて、冗談です。本気にしちゃいました?」と茶化して、本来言うべきだった「さよなら」を伝えて去るだけ。なのに。
顔を上げた彼女が何事かを呟く。
「は……?」
化狐である僕は耳には自信があった。けれど何故か、この時ばかりは彼女の言葉を上手く聞き取ることができなかった。いや、理解が追いつかなかったというのが正しいか。
彼女は顔だけでなく耳まで真っ赤に染め上げて、きょとんとする僕にもう一度、同じ言葉を繰り返す。
「喜んで」
言ってから、彼女は一層顔を赤くして恥ずかしそうに俯いた。僕は不幸にしていいかと訊いたのに、どうしてそんな反応になるのか。意味がわからない。わからなすぎて、笑えてくる。
「はは、貴女はバカですか」
「えっ」
「バカなんですね。そうだと思ってました」
「えぇ……」
「不幸になると言ってるのに、喜んではダメでしょう」
「だって、野火丸さんがプロポーズみたいなこと言うから……!」
なるほど、彼女が赤面する理由はこれか。そんなつもりで言ったわけではないけれど、傍にいて欲しいという意味では確かに似たようなものかもしれない。
かつて人は、アイラブユーを月が綺麗ですね、と訳したらしい。そして彼女は僕のあの言葉を、それと同じように受け取ったわけだ。あながち間違いではないところが少し癪だが、彼女は僕が思っていた以上に僕を理解していたということだろう。
「貴女は本当にバカですね。幸せになる道はいくらでもあったでしょうに」
再び彼女を抱きしめて、呆れたように溜め息を吐く。すると彼女は不服だと言わんばかりに唇を尖らせた。
「そんなことないです。私は野火丸さんが居てくれればそれだけで幸せで。だからやっぱりさっきの、訂正してくれますか?」
どうやら彼女は、僕に負けず劣らず我儘で欲張りだったらしい。さっきは「喜んで」と可愛らしく頷いた癖に、あろうことかプロポーズ(仮)のやり直しを要求してきた。調子に乗りすぎです、と頬をつねってやりたくなったが、僕もカッコ悪いままでは終われない。
跪いて、彼女の左手を取り、薬指に恭しく口付ける。
「僕と一緒に地獄を歩いて頂けますか?」
なんて最低最悪の誘い文句。だというのに、
「はい、喜んで!」
彼女は世界一幸せだと言わんばかりに顔を綻ばせ、僕の手を握り返してくるのだった。
「今度はいつ会えますか」別れ際、目に涙を浮かべて問う彼女に「さあ、いつでしょうね」と、いつものお決まりのやりとりをして。それで終わり。何も難しいことはない。そう思っていたのに。
「野火丸、さん?」
彼女の声が聞こえる。困ったような、驚いたようなそんな声が。
「……どうかしました?」
おずおずと訊ねる彼女は、今や僕の腕の中。返事も碌にせず無言のまま抱きすくめると、彼女は少しばかり苦しそうに身を捩ったが、それ以上は何も訊いてこなかった。代わりにそっと僕の背中に腕を回し、ぽんぽんと撫でてくる。ゆっくりと、優しく。子ども姿の僕を撫でる時と全く同じ手つきで。
ーー今の僕は、子どもじゃないんですけどね。
ふ、と零した苦笑に、彼女が顔を上げた。こちらを見つめる黒目がちな瞳の中に、くしゃりと顔を歪めた僕がいる。ああ、こんな姿を彼女に晒していたのか。あまりにも情けない顔に、彼女が僕を子ども扱いするのにも納得がいってしまった。
本当に情けない。
彼女の幸せを、愛する人の幸せを心から願いながら、いざとなると手放せないなんて。
「不幸にしていいですか?」
痛いくらいに彼女を抱きしめて、言うつもりのなかった言葉を吐く。声に出すと同時に心臓がひりつくような心地がしたのは、彼女の返事を聞くのが怖かったからかもしれない。
僕の道行きに、迎える結末に、幸せなんてものはない。だからこれは地獄への誘いだ。貴女を道連れにしていいですか、なんて馬鹿げた誘いに、誰が好き好んで乗るだろうか。
「えっと、その……」
案の定、腕の中から聞こえてきた声には戸惑いが滲み出ていた。やんわりと胸を押し返され、やはりそうかときつく彼女を抱きしめていた腕を緩める。
こうなることは端からわかりきっていた。だから残るは後腐れのないようにするだけだ。いつものように笑って「なーんて、冗談です。本気にしちゃいました?」と茶化して、本来言うべきだった「さよなら」を伝えて去るだけ。なのに。
顔を上げた彼女が何事かを呟く。
「は……?」
化狐である僕は耳には自信があった。けれど何故か、この時ばかりは彼女の言葉を上手く聞き取ることができなかった。いや、理解が追いつかなかったというのが正しいか。
彼女は顔だけでなく耳まで真っ赤に染め上げて、きょとんとする僕にもう一度、同じ言葉を繰り返す。
「喜んで」
言ってから、彼女は一層顔を赤くして恥ずかしそうに俯いた。僕は不幸にしていいかと訊いたのに、どうしてそんな反応になるのか。意味がわからない。わからなすぎて、笑えてくる。
「はは、貴女はバカですか」
「えっ」
「バカなんですね。そうだと思ってました」
「えぇ……」
「不幸になると言ってるのに、喜んではダメでしょう」
「だって、野火丸さんがプロポーズみたいなこと言うから……!」
なるほど、彼女が赤面する理由はこれか。そんなつもりで言ったわけではないけれど、傍にいて欲しいという意味では確かに似たようなものかもしれない。
かつて人は、アイラブユーを月が綺麗ですね、と訳したらしい。そして彼女は僕のあの言葉を、それと同じように受け取ったわけだ。あながち間違いではないところが少し癪だが、彼女は僕が思っていた以上に僕を理解していたということだろう。
「貴女は本当にバカですね。幸せになる道はいくらでもあったでしょうに」
再び彼女を抱きしめて、呆れたように溜め息を吐く。すると彼女は不服だと言わんばかりに唇を尖らせた。
「そんなことないです。私は野火丸さんが居てくれればそれだけで幸せで。だからやっぱりさっきの、訂正してくれますか?」
どうやら彼女は、僕に負けず劣らず我儘で欲張りだったらしい。さっきは「喜んで」と可愛らしく頷いた癖に、あろうことかプロポーズ(仮)のやり直しを要求してきた。調子に乗りすぎです、と頬をつねってやりたくなったが、僕もカッコ悪いままでは終われない。
跪いて、彼女の左手を取り、薬指に恭しく口付ける。
「僕と一緒に地獄を歩いて頂けますか?」
なんて最低最悪の誘い文句。だというのに、
「はい、喜んで!」
彼女は世界一幸せだと言わんばかりに顔を綻ばせ、僕の手を握り返してくるのだった。