灰島重工
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近くを通ったバイト仲間が肘で私をつついて「今日も来たよ、あの人」と耳打ちしていった。目の前の客がメニューを見てどれにしようかと迷っているのを確認してからちらりと顔を上げると、確かに長い列の真ん中辺りに黒いスーツの影があった。またか。私は気付かれぬよう、心の中で盛大に溜め息を吐いた。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
「ああ。スマイルをひとつ」
こういう注文はたまにある。「スマイル0円」などと言い出した上の偉い人たちは、忙しい現場のことなど何もわかっていないのだろう。
私は舌打ちをしそうになるのをグッと堪え、「ご注文をどうぞ」と笑顔で返す。このやり取りももう何度目かわからない。黒スーツの客は私の笑顔に「ありがとう」と目を細め、手元にあるメニューに視線を落とした。
この人は私たちバイトのあいだで『スマイルさん』と呼ばれている。理由は毎回注文時に「スマイルをひとつ」と言ってくることと、彼本人がいつも笑顔を浮かべているからだ。惚れっぽいバイト仲間は彼の笑顔を爽やかでかっこいいと言っていたけれど、私はそうだろうかと首を傾げたくなる。なんだか纏わりついてくるようで爽やかには程遠い気がするのだが、好みの問題だろうか。
スマイルさんがこの店に来るようになったのは先月くらいからだったと思う。けれど利用頻度が非常に高く(頻度が高すぎて食生活が不安になる程)、印象に残る注文をすることもあってか、最短であだ名付きの常連客となった。
「君のおすすめは?」
「おすすめ、ですか?」
ほぼ毎日来ている人におすすめを聞かれても、と思う。昨日も来ていたし、新メニューも出ていない。全メニューを制覇していて不思議じゃない客に勧められるものなど……と考え込んでいると、それを見透かしたようにスマイルさんが「君の好きなのを教えてくれればいい」と付け足した。
「私はこちらのハンバーガーが……」
「好きなのか?」
「はい、好きですね」
頷くとスマイルさんが何かを噛み締めるように目を閉じた。
「他には?」
「他は……これと、あとこちらも好きです」
まただ。また噛み締めている。静かにうんうんと頷いた彼は「全部もらおう」と見るからに高級そうな財布を取り出した。
「この店は本当に安いな」
「安さと速さが売りですから」
ファストフード店とはそういうものだ。注文された種類の違うハンバーガー三つとポテト、ホットコーヒーをトレイにのせてスマイルさんに渡す。これでやっと面倒な客から解放される、と思ったのに。スマイルさんの手はトレイではなく、それを持つ私の手に重ねられた。彼の指先が私の手の甲を撫でて、ぞわりと鳥肌が立つ。
「ハンバーガーも、ポテトも。この店は安すぎる。そのうえ君の笑顔は0円ときた」
「あの、」
「君本人はいくらだろうか」
スマイルさんが唇を吊り上げて言った。その笑顔にどきりとしたが、バイト仲間のドキドキとは確実に違う。心臓を素手で撫でられて、命を握られているような、そんな可愛げもないドキドキだ。
「ここはハンバーガーショップですので、私は商品ではございません。スマイルはただのサービスです」
絞り出した声は震えていたかもしれない。それでもスマイルさんの耳には届いたらしく、パッと握られていた手を離された。息を止めていたわけではないのに、やっと呼吸ができたような気がした。
「ハハッ、冗談だ冗談。また来よう」
私の手からトレイを奪い、スマイルさんが去っていく。
軽い調子で言われたが、どうにも冗談に思えなくて。気づけば帰りにバイト情報誌を手にしていた。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
「ああ。スマイルをひとつ」
こういう注文はたまにある。「スマイル0円」などと言い出した上の偉い人たちは、忙しい現場のことなど何もわかっていないのだろう。
私は舌打ちをしそうになるのをグッと堪え、「ご注文をどうぞ」と笑顔で返す。このやり取りももう何度目かわからない。黒スーツの客は私の笑顔に「ありがとう」と目を細め、手元にあるメニューに視線を落とした。
この人は私たちバイトのあいだで『スマイルさん』と呼ばれている。理由は毎回注文時に「スマイルをひとつ」と言ってくることと、彼本人がいつも笑顔を浮かべているからだ。惚れっぽいバイト仲間は彼の笑顔を爽やかでかっこいいと言っていたけれど、私はそうだろうかと首を傾げたくなる。なんだか纏わりついてくるようで爽やかには程遠い気がするのだが、好みの問題だろうか。
スマイルさんがこの店に来るようになったのは先月くらいからだったと思う。けれど利用頻度が非常に高く(頻度が高すぎて食生活が不安になる程)、印象に残る注文をすることもあってか、最短であだ名付きの常連客となった。
「君のおすすめは?」
「おすすめ、ですか?」
ほぼ毎日来ている人におすすめを聞かれても、と思う。昨日も来ていたし、新メニューも出ていない。全メニューを制覇していて不思議じゃない客に勧められるものなど……と考え込んでいると、それを見透かしたようにスマイルさんが「君の好きなのを教えてくれればいい」と付け足した。
「私はこちらのハンバーガーが……」
「好きなのか?」
「はい、好きですね」
頷くとスマイルさんが何かを噛み締めるように目を閉じた。
「他には?」
「他は……これと、あとこちらも好きです」
まただ。また噛み締めている。静かにうんうんと頷いた彼は「全部もらおう」と見るからに高級そうな財布を取り出した。
「この店は本当に安いな」
「安さと速さが売りですから」
ファストフード店とはそういうものだ。注文された種類の違うハンバーガー三つとポテト、ホットコーヒーをトレイにのせてスマイルさんに渡す。これでやっと面倒な客から解放される、と思ったのに。スマイルさんの手はトレイではなく、それを持つ私の手に重ねられた。彼の指先が私の手の甲を撫でて、ぞわりと鳥肌が立つ。
「ハンバーガーも、ポテトも。この店は安すぎる。そのうえ君の笑顔は0円ときた」
「あの、」
「君本人はいくらだろうか」
スマイルさんが唇を吊り上げて言った。その笑顔にどきりとしたが、バイト仲間のドキドキとは確実に違う。心臓を素手で撫でられて、命を握られているような、そんな可愛げもないドキドキだ。
「ここはハンバーガーショップですので、私は商品ではございません。スマイルはただのサービスです」
絞り出した声は震えていたかもしれない。それでもスマイルさんの耳には届いたらしく、パッと握られていた手を離された。息を止めていたわけではないのに、やっと呼吸ができたような気がした。
「ハハッ、冗談だ冗談。また来よう」
私の手からトレイを奪い、スマイルさんが去っていく。
軽い調子で言われたが、どうにも冗談に思えなくて。気づけば帰りにバイト情報誌を手にしていた。