アーサー・ボイル
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三丁目のカンタロウさんの弔いが終わってから数刻、詰所に炊き出しの手伝いに向かう途中のことだった。
見慣れない金糸の髪と夏空を溶かしたような瞳が困ったようにこちらを見ていて、訊けば道に迷ったのだという。
紅丸さんのところへ乗り込んできた皇国の人間だろうと察しはついたけれど、赤の他人とはいえ見捨てておくのは忍びない。
私は仕方なく詰所まで彼を連れて行った。
無事辿り着いた彼は先ほどまでの捨てられた仔犬のような表情とは一変して、自信に満ち溢れた顔で私の前に跪く。そして、
「感謝する、異国の姫よ」
流れるような所作で手を取り、甲にやわらかいものが触れた。
「なにすんだい! この、助平‼︎」
ぱぁんと乾いた音が浅草の町に響く。
しばらくして菓子折りとともに謝りに来た彼曰く、あれは道案内をした私への「敬意」だったそうで。
誤解したことと、怪我をさせてしまったことを私もすぐさま謝った。
と同時に皇国にはあんなしきたりがあるのかと浅草との違いに驚く。皇国ではあれが普通なのだろうか。
この町から出たことのない私には、破廉恥に思えて仕方がなかったけれど。
皇国のお侍さん(きし?というらしい)はそれから何度も浅草にやって来た。
強くなるために紅丸さんと紺炉さんに修行をつけてもらっているそうで、伸されているのをしょっちゅう見かけた。
立ち上がれなくなるまでやらなくても、と思うのだが、きしおーは大事なものを守るために今よりもっと強くならないといけないらしい。皇国のお侍さんも大変だ。
みっちり修行を終えた彼は、誇らしげな顔をして別れを告げに来た。
第八からならいつでも来られるだろうに、律儀なことだ。
「あっちでも元気にやんなよ」
「ああ、姫君もお達者でな」
微妙にこちらの言葉に染まっている気がしてふふっと声を漏らすと、彼の手が肩に置かれた。
「っ⁈」
やわらかな感触に、私は慌てておでこに手を当てた。そこからぶわり、熱が広がっていく。
あやうく手が出かけたけれど、突き飛ばさなかっただけ褒めて欲しい。
私はぐっと彼の胸を押した。
「今のも皇国のしきたりかい⁉︎」
「騎士の……いや、友への挨拶だ」
「皇国では友達同士でこんなことすんのかい」
かしましい浅草は大抵のことは口で言って済ます。そのせいで喧嘩は日常茶飯事でもあるけれど。
口を使わずに気持ちを伝えるだなんて、皇国の人間は難儀だなァ。
向こうにとっては挨拶みたいなものでも、耐性のない私の心臓は毎度驚くばかりで、とてもじゃないが保ちそうにない。
「毎日俺に味噌汁を作ってくれ」
差し出されたお椀を受け取りながら二度、三度瞬きする。気を抜いたらうっかり手を滑らせそうだった。
きっとこの人は、その言葉が意味することを知らない。
なんの変哲もない豆腐とわかめの味噌汁をおかわりしたくなるほど美味しく感じた。それだけのことだ。日ごと厳しくなる修行のあとなら、なおさらそう思うに違いない。
純粋で真っ直ぐな人だから、感じたままに言ったのだろう。
「そんなに気に入ったのかい? 私がいるときなら構わないよ」
「本当か?」
「人手が足りないときに手伝いに来てるだけだから、毎日は無理だけどね」
私は鍋をおたまでひと回しして、努めて冷静に応える。その気のない言葉にひとり浮き足立っているのがバレるのは恥ずかしい。
味噌汁をお椀に注いで振り向きざま、私は目を見張った。
やめとくれよ。そんな顔見たら、期待しちまう。
細められた青い瞳が揺らいだかと思えば、頬に口づけが落とされる。
すぐに離れた彼は私にもう一度微笑んで、味噌汁を持って行ってしまった。
尊敬だとか、友愛だとか。今のもそういう類のものなのか。
驚きすぎてへたへたと腰が抜けてしまったので、口づけの意味は結局訊けず終いだ。
町中に第八連中の悲鳴が響く。
浅草のみんなは屋根の瓦が落ちようが、窓が割れようが気にせず、楽しそうに彼らを煽っている。
にぎやかだなァ、こんな日が続いたらきっと楽しいだろうに。
けれどそうは問屋が卸さない。
彼らは強くなるためにここに来ているのだ。
素人目で見ても彼らが強くなっているのはわかる。それだけ修行も経験も重ねてきたのだろう。
しかしそれでも足りないくらい、浅草を燃やした奴らが強大なことも、身をもって知っている。
会わないあいだの、任務という名の騎士王英雄譚を聴くのが楽しみだったのは、最初のうちだけだった。
消防官は常に死と隣り合わせ。いってらっしゃいと背中を押すべきなのに、ずっとここにいてほしいと引き留めたい気持ちが日に日に増していく。
「姫、しばしの別れだ」
「ああ。またどらごんとか、ぐりふぉんとか、騎士王様の土産話をいっぱい聞かせとくれよ」
次も、君に会えるだろうか。
行かないでという我が儘と、もしかしたらの恐怖を奥底にしまって、いつもどおり笑顔で送り出す。
私が彼にできるのはそれだけだ。
「アーサー、 」
続くはずだった見送りの挨拶は、彼にすべて飲み込まれた。
軽く触れた唇が離れ、角度を変えてもう一度。
泣きたくなるほどやさしい口づけだった。
惜しむようにゆっくりと、重ねられた唇が離される。
「必ず姫のもとに戻ると、ここに誓おう」
騎士王の誓いは絶対だ、と彼は眩しく笑った。
「だからそのときまで待っていてくれ」
ああ、彼は全部お見通しだったのだ。かけられた言葉にはなんの確証もない。けれど私の不安を拭うには十分だった。
「きっと……きっとだよ! 嘘ついたら承知しないからね」
私は涙でぐしゃぐしゃになりながら不細工な笑顔で彼の背を押した。
皇国のしきたりなんか浅草生まれの私にはわかりゃしない。言ってくれなきゃ、わかってやるつもりもない。
だから次に会うそのときは、どうか君の言葉でその意味を教えて。
見慣れない金糸の髪と夏空を溶かしたような瞳が困ったようにこちらを見ていて、訊けば道に迷ったのだという。
紅丸さんのところへ乗り込んできた皇国の人間だろうと察しはついたけれど、赤の他人とはいえ見捨てておくのは忍びない。
私は仕方なく詰所まで彼を連れて行った。
無事辿り着いた彼は先ほどまでの捨てられた仔犬のような表情とは一変して、自信に満ち溢れた顔で私の前に跪く。そして、
「感謝する、異国の姫よ」
流れるような所作で手を取り、甲にやわらかいものが触れた。
「なにすんだい! この、助平‼︎」
ぱぁんと乾いた音が浅草の町に響く。
しばらくして菓子折りとともに謝りに来た彼曰く、あれは道案内をした私への「敬意」だったそうで。
誤解したことと、怪我をさせてしまったことを私もすぐさま謝った。
と同時に皇国にはあんなしきたりがあるのかと浅草との違いに驚く。皇国ではあれが普通なのだろうか。
この町から出たことのない私には、破廉恥に思えて仕方がなかったけれど。
皇国のお侍さん(きし?というらしい)はそれから何度も浅草にやって来た。
強くなるために紅丸さんと紺炉さんに修行をつけてもらっているそうで、伸されているのをしょっちゅう見かけた。
立ち上がれなくなるまでやらなくても、と思うのだが、きしおーは大事なものを守るために今よりもっと強くならないといけないらしい。皇国のお侍さんも大変だ。
みっちり修行を終えた彼は、誇らしげな顔をして別れを告げに来た。
第八からならいつでも来られるだろうに、律儀なことだ。
「あっちでも元気にやんなよ」
「ああ、姫君もお達者でな」
微妙にこちらの言葉に染まっている気がしてふふっと声を漏らすと、彼の手が肩に置かれた。
「っ⁈」
やわらかな感触に、私は慌てておでこに手を当てた。そこからぶわり、熱が広がっていく。
あやうく手が出かけたけれど、突き飛ばさなかっただけ褒めて欲しい。
私はぐっと彼の胸を押した。
「今のも皇国のしきたりかい⁉︎」
「騎士の……いや、友への挨拶だ」
「皇国では友達同士でこんなことすんのかい」
かしましい浅草は大抵のことは口で言って済ます。そのせいで喧嘩は日常茶飯事でもあるけれど。
口を使わずに気持ちを伝えるだなんて、皇国の人間は難儀だなァ。
向こうにとっては挨拶みたいなものでも、耐性のない私の心臓は毎度驚くばかりで、とてもじゃないが保ちそうにない。
「毎日俺に味噌汁を作ってくれ」
差し出されたお椀を受け取りながら二度、三度瞬きする。気を抜いたらうっかり手を滑らせそうだった。
きっとこの人は、その言葉が意味することを知らない。
なんの変哲もない豆腐とわかめの味噌汁をおかわりしたくなるほど美味しく感じた。それだけのことだ。日ごと厳しくなる修行のあとなら、なおさらそう思うに違いない。
純粋で真っ直ぐな人だから、感じたままに言ったのだろう。
「そんなに気に入ったのかい? 私がいるときなら構わないよ」
「本当か?」
「人手が足りないときに手伝いに来てるだけだから、毎日は無理だけどね」
私は鍋をおたまでひと回しして、努めて冷静に応える。その気のない言葉にひとり浮き足立っているのがバレるのは恥ずかしい。
味噌汁をお椀に注いで振り向きざま、私は目を見張った。
やめとくれよ。そんな顔見たら、期待しちまう。
細められた青い瞳が揺らいだかと思えば、頬に口づけが落とされる。
すぐに離れた彼は私にもう一度微笑んで、味噌汁を持って行ってしまった。
尊敬だとか、友愛だとか。今のもそういう類のものなのか。
驚きすぎてへたへたと腰が抜けてしまったので、口づけの意味は結局訊けず終いだ。
町中に第八連中の悲鳴が響く。
浅草のみんなは屋根の瓦が落ちようが、窓が割れようが気にせず、楽しそうに彼らを煽っている。
にぎやかだなァ、こんな日が続いたらきっと楽しいだろうに。
けれどそうは問屋が卸さない。
彼らは強くなるためにここに来ているのだ。
素人目で見ても彼らが強くなっているのはわかる。それだけ修行も経験も重ねてきたのだろう。
しかしそれでも足りないくらい、浅草を燃やした奴らが強大なことも、身をもって知っている。
会わないあいだの、任務という名の騎士王英雄譚を聴くのが楽しみだったのは、最初のうちだけだった。
消防官は常に死と隣り合わせ。いってらっしゃいと背中を押すべきなのに、ずっとここにいてほしいと引き留めたい気持ちが日に日に増していく。
「姫、しばしの別れだ」
「ああ。またどらごんとか、ぐりふぉんとか、騎士王様の土産話をいっぱい聞かせとくれよ」
次も、君に会えるだろうか。
行かないでという我が儘と、もしかしたらの恐怖を奥底にしまって、いつもどおり笑顔で送り出す。
私が彼にできるのはそれだけだ。
「アーサー、 」
続くはずだった見送りの挨拶は、彼にすべて飲み込まれた。
軽く触れた唇が離れ、角度を変えてもう一度。
泣きたくなるほどやさしい口づけだった。
惜しむようにゆっくりと、重ねられた唇が離される。
「必ず姫のもとに戻ると、ここに誓おう」
騎士王の誓いは絶対だ、と彼は眩しく笑った。
「だからそのときまで待っていてくれ」
ああ、彼は全部お見通しだったのだ。かけられた言葉にはなんの確証もない。けれど私の不安を拭うには十分だった。
「きっと……きっとだよ! 嘘ついたら承知しないからね」
私は涙でぐしゃぐしゃになりながら不細工な笑顔で彼の背を押した。
皇国のしきたりなんか浅草生まれの私にはわかりゃしない。言ってくれなきゃ、わかってやるつもりもない。
だから次に会うそのときは、どうか君の言葉でその意味を教えて。
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