新門紅丸
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ここ最近、町全体が浮き足立っているような気がする。
ふらりと町を歩けば呼び止められてなかなか前に進まないのも、飛び交う町民たちの喧騒も、いつも通りといえばそれまでだがどうにも違和感が残る。
頬を撫ぜるのは祭りが始まる前のような高揚した空気。だが如月にそんな祭りごとはないはずだ。
「よぉ、難しい顔してるな。最強さん」
軽く手を上げて向かいから歩いてくる人影に眉を寄せる。
「皇国に手配されてる割に堂々としてるんだな」
「堅いこと言うなよ。一緒にお礼参りした仲だろ」
「あれから紺炉が知らねェやつに付いて行くなって口うるせェんだよ」
隣に並ぶようにして歩く黒尽くめの男は聖陽教に殴り込みに行ってからというもの時折浅草に顔を出すようになった。昼間からうろついているのは珍しいが特に追い出す理由もない。
「禁煙のつもりか」
「ん? ああこれか」
咥え煙草から煙が出ていないのを訊くとそいつはポキリとそれを噛み砕いた。
「これはチョコだ」
「ちょこ」
「皇国の菓子だ。二月十四日はバレンタインって言ってな。女が好きな男にチョコレートを渡すんだ。最近は本命以外にも色々あるみたいだけどな」
「ばれんたいん」
バレンタインが何たるかの説明を受けて漸くなるほどと合点がいった。
意識して町の様子を眺めると楽しげな空気を纏うのは着飾った若い娘たちで、皇国に出向いて行く者や販売店のチラシを眺めている者もいる。
そしてそれを遠巻きに見る若い男どもも。
「皇国嫌いの最強さんはてっきりくだらねぇとか言うのかと思ってたが、予想外だな」
「興味はねェがくだらなくはねェだろ。あいつらが楽しそうにしてンなら俺がとやかく口出すことじゃねェ」
浅草は皇国のすべてを否定しているわけではない。町民たちが良いと思ったものは皇国のものであろうと取り入れるし、気に食わないものは決して受け入れないというだけだ。
バレンタインは彼らが受け入れてもいいと判断したのだろう。
「お前さんのそれも好いた女に貰ったのか?」
箱から二本目のチョコを取り出そうとしていたジョーカーに話し掛けると、くるりとこちらに背を向けて顔だけ寄こす。
「……やらねぇぞ」
「いらねェよ」
「いるって言われたら全力で逃げてたぜ」
安心したとジョーカーは煙草柄の包み紙を剥がして口に咥えた。
「明日のバレンタイン、最強さんはいっぱい貰いそうだな。気を付けろよ、大昔は媚薬として使ってたみたいだからな。ま、毒の効かねぇあんたには関係ねぇ話だが。最強さんは好きな奴とかいんのか?」
「いねェよ、そんなもン」
「……ハァ⁈」
ジョーカーの口からぽろりとチョコレートが落ちて、地面すれすれのところで拾い上げる。
「あんたその歳で好きな女もいねぇのか!……枯れてんのか?」
「枯れてねェ!……今は別段いねェだけだ」
女が嫌いなわけじゃない。ただ今は特定の相手がいないだけで、その必要性も感じていない。
「まぁ恋は落ちるものだからな。いつかあんたにもその時が来るだろ」
そう言い残してジョーカーは人通りの少ない路地裏に消えて行った。
*
次の日の散歩はいつも以上に進まなかった。
「あ、お邪魔してます新門大隊長! うわっ……⁈」
詰所の戸をくぐると出迎えたのは第八の消防官だった。
「定期報告か」
「いえ、今日は非番でヒカゲちゃんとヒナタちゃんと約束がありまして。それにしてもすごい量ですね」
驚いているのは持ち帰った風呂敷包みの量だろう。
知り合いのババァに捕まったかと思いきや、それを皮切りに町娘たちに囲まれてもはや誰に何をもらったかすら分からない。遠くから名前を呼ぶ野太い声と悪寒がしたので適当に切り上げてきたのだが、バレンタインがこれほどのものとは思ってもみなかった。
「甘ェのは嫌いだって言ってンのによ」
どかりと床上に腰を下ろすとふふっと後ろから声がした。
「何笑ってやがる」
「すみません、そう言いながらも新門大隊長はちゃんと食べてあげるんだろうなと思って」
一瞬目を丸くして、すぐに眉間に皺を寄せる。
ーー心でも読めンのか、こいつは。
自分宛てに贈られたものを無下にするのは相手にも、その気持ちに対しても失礼だ。いくら甘いものが嫌いとはいえ、端から残すつもりもなかったが。
胸の奥底がさざめくのは、付き合いの浅いこいつに見透かされたような気がして癪だからか。
訝しげに睨め付けるとやわく笑む瞳と目が合って毒気を抜かれる。
「モテモテの新門大隊長に私からも渡したいものがあるのですが、受け取っていただけますか?」
そういうと台所のほうに消えて行きすぐに小さな箱を持ってきた。
「実は今日ヒカゲちゃんとヒナタちゃんとバレンタインのチョコを作ってたんです。二人はロシアンチョコレートを町中に配りに行っちゃいましたけど。新門大隊長は甘いのが苦手とのことだったので他のとは別で作ってみたんです」
「俺だけ違ェのか?」
「はい、皆と一緒のが良ければ向こうから持って来ますよ?」
「いや、これでいい」
礼を言って包装された箱を開ける。中にはつるりとした涅色の三日月が四粒ほど収まっていて、内一つを口に入れた。
「……どうですか?」
味の感想が気になるのか不安げな顔がこちらを覗き込んでくる。
舌の上で転がすと溶けたところから程よい甘さと味わったことのないほろ苦さが広がっていく。これがチョコレートというやつか。
「悪くねェ」
そう言ってもう一粒を口に運び、珍しい味わいをゆっくりと楽しむ。これぐらいの甘さなら酒とも合うかもしれない。
「よかったぁ……!」
安堵の声が聞こえてきて視線を上げるとこぼれるような笑みが飛び込んで来た。
「新門大隊長?」
はっとして、摘みかけていた三粒目を取りこぼしていたことに気付く。何でもねェと言いながら口に残る甘さに首を捻った。
一粒目よりも二粒目のほうがより甘い。喉に滲みるような甘さがいつまでも残っていて、苦味で打ち消そうと三粒目を口に含む。
「なァ、これは何チョコだ?」
「ビターチョコです!」
「そうじゃねェ。義理とか友とか色々あンだろ」
「ああそっちですか、んー強いて言うなら……」
柔らかそうな唇が形を変える。
「いつもお世話になってますチョコ、ですかね!」
ーー嗚呼、クソっ。
何て言って欲しかったのか、続く言葉に淡い期待を抱いていた自分に悪態をついて口の中のチョコを噛み砕く。
いつまで経っても甘さが消えない。
「……てめェ、これに何入れやがった」
頭を過るのは先日のジョーカーとのやり取りだ。
「へ? 市販のチョコを溶かして冷やし固めただけですけど、やっぱり不味かったですか⁉︎」
「そんなことねェ、けど……」
「けど?」
「……何でもねェ」
喉まで出かかった言葉をぐっと呑み込む。
ーー甘ェ。
胸焼けするほどに、めまいがするほどに。
毒も媚薬も効かねェはずなのに何てザマだ。いや、その類のほうがまだいくらかましだった。この身体に媚薬なんぞが効くはずがない、だとしたら。
行き着いた『答え』に頭を抱えた。
対処の仕様がないものを、一体どうしろという。途端に煩いくらい主張を始める心臓が恨めしい。
残る最後の三日月を口の中に放り込むとじわじわと蕩けて甘さの波が押し寄せてくる。
行儀よく膝上に置かれたひとまわり小さな手に自分のを重ねてやれば、くるりとした目が瞬いて不思議そうにこちらを見つめた。
ーー甘ェのは嫌いだ。
それなのにこの『甘さ』を手放したくない自分がいて苦笑する。
逃さないように重ねた手を握り込んでさらりとした甲を指の腹で撫でるとぴくりと細い肩が跳ねた。
「あ、あの新門大隊長……?」
僅かに染まる頬と戸惑いに揺れる表情に口許が緩む。それでもこいつの抱く感情は俺のものとは程遠い。
こうなったら落ちるところまで落ちて、堕ちて、そのあとはーー。
人の気も知らずに呑気に首をかしげるこいつを、俺と同じところまで堕とすだけだ。
ふらりと町を歩けば呼び止められてなかなか前に進まないのも、飛び交う町民たちの喧騒も、いつも通りといえばそれまでだがどうにも違和感が残る。
頬を撫ぜるのは祭りが始まる前のような高揚した空気。だが如月にそんな祭りごとはないはずだ。
「よぉ、難しい顔してるな。最強さん」
軽く手を上げて向かいから歩いてくる人影に眉を寄せる。
「皇国に手配されてる割に堂々としてるんだな」
「堅いこと言うなよ。一緒にお礼参りした仲だろ」
「あれから紺炉が知らねェやつに付いて行くなって口うるせェんだよ」
隣に並ぶようにして歩く黒尽くめの男は聖陽教に殴り込みに行ってからというもの時折浅草に顔を出すようになった。昼間からうろついているのは珍しいが特に追い出す理由もない。
「禁煙のつもりか」
「ん? ああこれか」
咥え煙草から煙が出ていないのを訊くとそいつはポキリとそれを噛み砕いた。
「これはチョコだ」
「ちょこ」
「皇国の菓子だ。二月十四日はバレンタインって言ってな。女が好きな男にチョコレートを渡すんだ。最近は本命以外にも色々あるみたいだけどな」
「ばれんたいん」
バレンタインが何たるかの説明を受けて漸くなるほどと合点がいった。
意識して町の様子を眺めると楽しげな空気を纏うのは着飾った若い娘たちで、皇国に出向いて行く者や販売店のチラシを眺めている者もいる。
そしてそれを遠巻きに見る若い男どもも。
「皇国嫌いの最強さんはてっきりくだらねぇとか言うのかと思ってたが、予想外だな」
「興味はねェがくだらなくはねェだろ。あいつらが楽しそうにしてンなら俺がとやかく口出すことじゃねェ」
浅草は皇国のすべてを否定しているわけではない。町民たちが良いと思ったものは皇国のものであろうと取り入れるし、気に食わないものは決して受け入れないというだけだ。
バレンタインは彼らが受け入れてもいいと判断したのだろう。
「お前さんのそれも好いた女に貰ったのか?」
箱から二本目のチョコを取り出そうとしていたジョーカーに話し掛けると、くるりとこちらに背を向けて顔だけ寄こす。
「……やらねぇぞ」
「いらねェよ」
「いるって言われたら全力で逃げてたぜ」
安心したとジョーカーは煙草柄の包み紙を剥がして口に咥えた。
「明日のバレンタイン、最強さんはいっぱい貰いそうだな。気を付けろよ、大昔は媚薬として使ってたみたいだからな。ま、毒の効かねぇあんたには関係ねぇ話だが。最強さんは好きな奴とかいんのか?」
「いねェよ、そんなもン」
「……ハァ⁈」
ジョーカーの口からぽろりとチョコレートが落ちて、地面すれすれのところで拾い上げる。
「あんたその歳で好きな女もいねぇのか!……枯れてんのか?」
「枯れてねェ!……今は別段いねェだけだ」
女が嫌いなわけじゃない。ただ今は特定の相手がいないだけで、その必要性も感じていない。
「まぁ恋は落ちるものだからな。いつかあんたにもその時が来るだろ」
そう言い残してジョーカーは人通りの少ない路地裏に消えて行った。
*
次の日の散歩はいつも以上に進まなかった。
「あ、お邪魔してます新門大隊長! うわっ……⁈」
詰所の戸をくぐると出迎えたのは第八の消防官だった。
「定期報告か」
「いえ、今日は非番でヒカゲちゃんとヒナタちゃんと約束がありまして。それにしてもすごい量ですね」
驚いているのは持ち帰った風呂敷包みの量だろう。
知り合いのババァに捕まったかと思いきや、それを皮切りに町娘たちに囲まれてもはや誰に何をもらったかすら分からない。遠くから名前を呼ぶ野太い声と悪寒がしたので適当に切り上げてきたのだが、バレンタインがこれほどのものとは思ってもみなかった。
「甘ェのは嫌いだって言ってンのによ」
どかりと床上に腰を下ろすとふふっと後ろから声がした。
「何笑ってやがる」
「すみません、そう言いながらも新門大隊長はちゃんと食べてあげるんだろうなと思って」
一瞬目を丸くして、すぐに眉間に皺を寄せる。
ーー心でも読めンのか、こいつは。
自分宛てに贈られたものを無下にするのは相手にも、その気持ちに対しても失礼だ。いくら甘いものが嫌いとはいえ、端から残すつもりもなかったが。
胸の奥底がさざめくのは、付き合いの浅いこいつに見透かされたような気がして癪だからか。
訝しげに睨め付けるとやわく笑む瞳と目が合って毒気を抜かれる。
「モテモテの新門大隊長に私からも渡したいものがあるのですが、受け取っていただけますか?」
そういうと台所のほうに消えて行きすぐに小さな箱を持ってきた。
「実は今日ヒカゲちゃんとヒナタちゃんとバレンタインのチョコを作ってたんです。二人はロシアンチョコレートを町中に配りに行っちゃいましたけど。新門大隊長は甘いのが苦手とのことだったので他のとは別で作ってみたんです」
「俺だけ違ェのか?」
「はい、皆と一緒のが良ければ向こうから持って来ますよ?」
「いや、これでいい」
礼を言って包装された箱を開ける。中にはつるりとした涅色の三日月が四粒ほど収まっていて、内一つを口に入れた。
「……どうですか?」
味の感想が気になるのか不安げな顔がこちらを覗き込んでくる。
舌の上で転がすと溶けたところから程よい甘さと味わったことのないほろ苦さが広がっていく。これがチョコレートというやつか。
「悪くねェ」
そう言ってもう一粒を口に運び、珍しい味わいをゆっくりと楽しむ。これぐらいの甘さなら酒とも合うかもしれない。
「よかったぁ……!」
安堵の声が聞こえてきて視線を上げるとこぼれるような笑みが飛び込んで来た。
「新門大隊長?」
はっとして、摘みかけていた三粒目を取りこぼしていたことに気付く。何でもねェと言いながら口に残る甘さに首を捻った。
一粒目よりも二粒目のほうがより甘い。喉に滲みるような甘さがいつまでも残っていて、苦味で打ち消そうと三粒目を口に含む。
「なァ、これは何チョコだ?」
「ビターチョコです!」
「そうじゃねェ。義理とか友とか色々あンだろ」
「ああそっちですか、んー強いて言うなら……」
柔らかそうな唇が形を変える。
「いつもお世話になってますチョコ、ですかね!」
ーー嗚呼、クソっ。
何て言って欲しかったのか、続く言葉に淡い期待を抱いていた自分に悪態をついて口の中のチョコを噛み砕く。
いつまで経っても甘さが消えない。
「……てめェ、これに何入れやがった」
頭を過るのは先日のジョーカーとのやり取りだ。
「へ? 市販のチョコを溶かして冷やし固めただけですけど、やっぱり不味かったですか⁉︎」
「そんなことねェ、けど……」
「けど?」
「……何でもねェ」
喉まで出かかった言葉をぐっと呑み込む。
ーー甘ェ。
胸焼けするほどに、めまいがするほどに。
毒も媚薬も効かねェはずなのに何てザマだ。いや、その類のほうがまだいくらかましだった。この身体に媚薬なんぞが効くはずがない、だとしたら。
行き着いた『答え』に頭を抱えた。
対処の仕様がないものを、一体どうしろという。途端に煩いくらい主張を始める心臓が恨めしい。
残る最後の三日月を口の中に放り込むとじわじわと蕩けて甘さの波が押し寄せてくる。
行儀よく膝上に置かれたひとまわり小さな手に自分のを重ねてやれば、くるりとした目が瞬いて不思議そうにこちらを見つめた。
ーー甘ェのは嫌いだ。
それなのにこの『甘さ』を手放したくない自分がいて苦笑する。
逃さないように重ねた手を握り込んでさらりとした甲を指の腹で撫でるとぴくりと細い肩が跳ねた。
「あ、あの新門大隊長……?」
僅かに染まる頬と戸惑いに揺れる表情に口許が緩む。それでもこいつの抱く感情は俺のものとは程遠い。
こうなったら落ちるところまで落ちて、堕ちて、そのあとはーー。
人の気も知らずに呑気に首をかしげるこいつを、俺と同じところまで堕とすだけだ。