新門紅丸
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お天道様が昇ると同時に目を覚まして気怠い身体を起こす。動きづらさを感じて布団を捲ると恋人の腕がしっかりと腰に回っていて、起こさないようにゆっくりと指を外していく。
冷気に晒されて寒いのか時折唸って身を縮めているけれど、大丈夫、まだ起きる気配はない。
隣で眠るまあるい頭をひと撫でして、私は静かに部屋を抜け出した。
二月二十日。我らが浅草の破壊王・新門紅丸の誕生日で、この日は毎年朝から晩まで浅草中がお祭り騒ぎになる。彼がお酒を飲めるようになってからはより賑やかになった。
紅ちゃんの誕生日にかこつけてどんちゃん騒ぎがしたいともいえるのだけれど、それも含めて浅草らしい祝い方だと思う。
私もやることが山のようにあって、いつもより早めに起きたものの、間に合うかどうか。いや、頑張らなきゃ。手早く襷掛けをして準備に取り掛かる。
取り敢えず朝餉の支度をして、それからーー。
かたん、と後ろから物音がして振り返る。私以外でこんな時間に起きて来るのは一人しかいない。
「おはよう、紺兄さ……」
*
肌寒くて目が覚めた。まだ意識のはっきりしない頭で手を伸ばし、隣にあったはずのぬくもりがないことに気付いて眉間に皺を寄せる。
居たら抱き寄せて困ったように頬を染めるあいつを眺めながらもうひと眠りするつもりだったが、いないとわかるとそんな気も失せてしまった。
「「わかー‼︎ はっぴーばーすでー‼︎」」
部屋を片して朝飯まで暇を持て余していると弾むような足音とともにヒカゲとヒナタが飛び込んで来た。
「法被がどうしたって?」
「ちげェよ! はっぴーばーすでーだ。今日は若の誕生日だろ」
「自分の誕生日忘れてンじゃねェよ! ぷれぜんともくれてやる!」
「「ありがたく受け取りやがれ‼︎」」
ばしんと胡座の上に叩きつけられたのは丸まった筒状の紙とジグザグに折り畳まれた紙だった。筒状の紙を広げると赤や青といった鮮やかな色が飛び込んでくる。
「似顔絵か」
「そうだ、似てンだろ? これが若でこっちがコンロ!」
「あとは姉御とヒカとヒナ!」
第八の奴らに『くれよん』とやらを貰ってはじゃいでいたが、貰ったばかりのそれをすり減らして何を描いているのかと思いきや。
「よく描けてンじゃねェか。ありがとよ」
そう言ってまだ結ってない髪を撫でてやると双子は照れ臭そうにはにかんだ。
もうひとつの折り畳まれた紙を広げると一枚につき一文字が書かれていて、縦長の紙を上から順に読み上げる。
「かたたたたた……」
「「かたたたきけんだぞ‼︎」」
それにしては『た』が多いような気もしたが十枚綴りの紙を折り直して懐にしまう。
「ありがたく使わせてもらう。髪梳いてやるから座れ」
ヒカゲの髪を梳いていると後ろでヒナタが肩(というより背中だが)を叩き始めた。まだ券使ってないんだがなと苦笑しつつ黙ってその揺れに身を任せる。
二人の髪を結い終わる頃には味噌汁の匂いが漂ってきて、朝餉の支度もひと段落ついたのだろうと、部屋を飛び出す双子に続いて重い腰を上げた。
「……?」
かさりとした物音に目をやると白いやっこが転がっていた。ヒカゲとヒナタが落として行ったのか。あとで渡そうと俺はそいつも懐にしまった。
*
「若、誕生日おめでとうございやす!」
居間に降りていくと朝飯を食べ終えたらしい若い衆たちに声を掛けられた。大広間の方では乗り込んで来た町民たちがすでに宴会が始めているようで、楽しそうな笑い声がここまで響いてくる。
「おう若、起きたのか。みんな待ってやすよ」
大広間から空になった大皿を何枚か持って紺炉がやってきた。
「あいつら俺がいてもいなくても関係ねェじゃねェか」
「そう言わねェで、ちゃんと顔出してやってくだせェよ」
「ああ。あとでな」
しこたま飲まされるのは目に見えている。酒を飲む前に胃に何か入れておきたいというのは建前で、忙しなく料理を作っているであろうあいつの顔を今のうちに見ておきたいというのが本音だ。大広間に行ってしまえば話す時間も取れないとこの日を数年繰り返して漸く学んだ。
台所に顔を出す。いつもなら町のババァたちと一緒に宴会料理を作っている頃で、忙しそうな背中を眺めるだけなのだが、今日はその小さな背中が見当たらない。
「ちょっと紺ちゃん料理が冷めちまうよ!」
「熱燗できたよ、とっとと持っていきな!」
「おいおい、俺は一人しかいねェんだ。無茶言うなって」
「人が足りないんだ。さっさと手ェ動かしな!」
バシバシと大きな背中を叩かれてこき使われているのは紺炉だった。
「おい、あいつはどうした?」
慌ただしく働く紺炉を捕まえて問い詰める。
「ん? ああ、それがわからねェんだ。一応書き置きはあったんだがな」
顎で指したところにはあいつがよく使う裏紙が置いてあって確かに「買い出しに行ってきます」と本人の字で書かれている。それにしたってどこまで買い出しに行っているのか。様子でも見に行くかと顔を上げると、視界の端に白いものが映った。
「おい、ヒカゲ、ヒナタ。火の近くに紙切れ置くんじゃねェ」
摘み上げて例のやっこを二人の前に持っていくと不思議そうな顔をして頭が傾く。
「ヒカたちじゃねェぞ」
「ヒナたちはそんなクソダセェやっこ知らねェぞ」
じゃあ誰が、と言う前にヒカゲとヒナタが顔を近付けて鼻をひくつかせた。
「なんかクセェぞこれ!」
「本当だクセェ! ヒナ知ってるぞこれ! あれだあれ」
ふすふすと鼻を鳴らす双子からやっこを取り上げて顔を近付ける。犬みてェだと笑われたが今はそんなことどうでもいい。
「みかんか」」
「「それだそれェ‼︎」」
白い紙にみかんとくればーー。懐から拾ったやっこも取り出して上下合わせて四枚を全部広げ、裏から出した炎で炙ってやればじわじわと文字が浮かび上がった。
「「ら、の、や、ひ?」」
何のことだかさっぱりわからねェ。
わしわしと頭を掻いていると、玄関から「やってるかー」と町民の声がした。
「やってねェ。今忙し……」
「いやいや暇だろ紅ちゃん、こんなやっこさんまで作っちゃってよ」
先に飲んできたのかすでに出来上がっている町民からやっこを奪い火を点ける。
「ぐ、と…み、か」
ぐしゃりと握り潰すと同時に跡形もなくやっこを燃やし切る。
こんなことする奴ァどこのどいつかと思ったが、紙切れにわざとらしく残されたみかん以外の匂いに犯人の目星もついた。
ーー人の誕生日に大事なもン掻っ攫っていくたァ、
「……いい度胸してンじゃねェか」
*
「へっ……ぶしっ‼︎」
「大丈夫ですか?」
「あー、大丈夫大丈夫。誰かが噂してんのかもな。もしかして最強さんだったりして」
「それは、ジョーカーさんの命の危機なのでは」
まだ寒い如月半ば、風通しのいい火の見櫓に数時間もいれば体も冷えてくる。私はまだ厚着しているからいいとしてもジョーカーさんはだいぶ薄着だ。足なんかはつっかけで、聞けばついうっかり部屋着で来てしまったのだという。それくらい気を許してくれているということなら、浅草で育った者としては素直に嬉しい。
「悪かったな、嬢ちゃん巻き込んで」
「本当ですよ。今日は朝からみんなといっぱい料理作る予定だったのに」
今朝朝餉の支度をしている最中に「ちょっと付き合ってくれねェか?」と軽いノリでジョーカーさんに攫われた。正確には断ってもなかなか折れてくれなかったので私が先に折れたのだけど、紅ちゃんの誕生日を祝うためと言われては断れない。
遠くから乾いた花火の音が聞こえてくる。私がいなくても紺兄さんや婦人会の人たちがきっとうまくやってくれていることだろう。そこまで心配はしていないのだけど、
「紅ちゃん、こんなんで喜びますかね?」
私は不自由な自分の身体を見つめた。下から上までぐるりと赤い『リボン』で巻かれて、特にきつく巻かれた手首は鎖で繋がれた囚人みたいにも見える。
「喜ぶだろ! プレゼントは私ってのは男のロマンなんだよ」
そういうものなのだろうか。これを見た紅ちゃんが鼻で笑う姿は何となく想像がつく。
「女だと何だろうな。お姫様抱っことかはロマンがあんじゃねェの?」
どうだった? と聞かれてここまで来たときのことを思い出す。詰所でぐるぐる巻きにされ自力で歩けなくて、櫓の上までジョーカーさんが横抱きで運んでくれたのだ。皇国風にいうと人生初の『お姫様抱っこ』だった。
元々お姫様抱っこに憧れはなかったけれど、揺れるし意外と高くて怖いし、相手との顔が近いのも緊張した。手が自由だったらもうすこし違うのかもしれない。
「んー、色んな意味でドキドキはしましたかね」
「ほぉ……」
その相槌にぴしりと空気が固まった。首は固定されてないのに声のほうに顔を向けるのに、ぎぎぎと錆びついた音がした気がした。ジョーカーさんはにやにやと笑っていて、わざと言わされたのだと気付く。
「紅ちゃん、」
そこには紅ちゃんじゃなくて般若がいた。梯子から顔を覗かせているが全身を見なくても苛立っているのを感じる。
「思ったより早かったな最強さん」
ジョーカーさんは早々に櫓の手すりに足を掛けた。逃げる気満々だ。せめて誤解を解いてからにしてください!
「てめェ待ちやがれ!」
掴みかかろうとした紅ちゃんの手は空を切った。捕まるより先にジョーカーさんが手すりを踏み蹴ったのだ。
「ジョーカーさん⁈」
火の見櫓は浅草一高い建物だ。皇国のビルほどの高さはないとはいえ、落ちたら流石のジョーカーさんでもどうなるか。身動きの取れない私は紅ちゃんの表情を見つめるしかなかった。
「……ちっ」
どうやったのかはわからないけれど無事逃げ果せたみたいだ。ほっと胸を撫で下ろしているとちりりとした視線が私を射抜く。
そういえば誤解はまだ解けていなかった。
ゆらりと般若が近付いてきて、元々櫓の隅に座っていた私にはもう逃げ場がない。
「紅ちゃん待って、これには深い訳、が……」
左肩にもすっとした衝撃がきた。衝撃というより軽い頭突きに近いかもしれない。そのまま肩口にぐりぐりと頭を擦り付けて抱きしめられた。
「……あんまり心配させンじゃねェ」
「ん。ごめんなさい、紅ちゃん。来てくれてありがとう」
抱きとめて頭を撫でたかったけれど、できないのが口惜しかった。リボンを解いてほしくてお願いすると素直に解いてくれたがすぐにその手が止まった。
「ちょ、紅ちゃんくすぐったい!」
急に髪や首元に鼻を埋めたかと思いきや、心底気に食わないといった顔でこちらを見てくる。
「あいつの匂いがする」
「あいつってジョーカーさん? まぁ一緒に居たし煙草も吸ってたからね。それに……」
「それに?」
「……何でもない」
お姫様抱っこのことを言ったらまた不機嫌になりそうだ。話を終わらせようとしたらこういうときばかり勘のいい紅ちゃんが、リボンをきつく結び直した。
「あの、紅ちゃん」
「お姫様抱っこってのは女のロマンなんだろ?」
「どこから聞いて……というか私ひとこともそんなこと言ってな、うわっ⁈」
突然の浮遊感に舌を噛みそうになる。酔ってもいないのに愉しげに笑う彼の顔がすぐ近くにあって、目のやり場に困る。ドキドキと速くなる心音も伝わってしまうのではと身動ぐと、気に食わなかったようで、ぐいと肩を寄せられてしまった。
「嫌ってほどドキドキさせてやる」
もう破裂しそうなほどドキドキしてるんだけど。
けれどその言葉は紅ちゃんの耳に届くことはなく、櫓から詰所までの道のりを私はお姫様抱っこの状態で帰る羽目になり、町のみんなからはこれでもか、と冷やかしを受けたのだった。
冷気に晒されて寒いのか時折唸って身を縮めているけれど、大丈夫、まだ起きる気配はない。
隣で眠るまあるい頭をひと撫でして、私は静かに部屋を抜け出した。
二月二十日。我らが浅草の破壊王・新門紅丸の誕生日で、この日は毎年朝から晩まで浅草中がお祭り騒ぎになる。彼がお酒を飲めるようになってからはより賑やかになった。
紅ちゃんの誕生日にかこつけてどんちゃん騒ぎがしたいともいえるのだけれど、それも含めて浅草らしい祝い方だと思う。
私もやることが山のようにあって、いつもより早めに起きたものの、間に合うかどうか。いや、頑張らなきゃ。手早く襷掛けをして準備に取り掛かる。
取り敢えず朝餉の支度をして、それからーー。
かたん、と後ろから物音がして振り返る。私以外でこんな時間に起きて来るのは一人しかいない。
「おはよう、紺兄さ……」
*
肌寒くて目が覚めた。まだ意識のはっきりしない頭で手を伸ばし、隣にあったはずのぬくもりがないことに気付いて眉間に皺を寄せる。
居たら抱き寄せて困ったように頬を染めるあいつを眺めながらもうひと眠りするつもりだったが、いないとわかるとそんな気も失せてしまった。
「「わかー‼︎ はっぴーばーすでー‼︎」」
部屋を片して朝飯まで暇を持て余していると弾むような足音とともにヒカゲとヒナタが飛び込んで来た。
「法被がどうしたって?」
「ちげェよ! はっぴーばーすでーだ。今日は若の誕生日だろ」
「自分の誕生日忘れてンじゃねェよ! ぷれぜんともくれてやる!」
「「ありがたく受け取りやがれ‼︎」」
ばしんと胡座の上に叩きつけられたのは丸まった筒状の紙とジグザグに折り畳まれた紙だった。筒状の紙を広げると赤や青といった鮮やかな色が飛び込んでくる。
「似顔絵か」
「そうだ、似てンだろ? これが若でこっちがコンロ!」
「あとは姉御とヒカとヒナ!」
第八の奴らに『くれよん』とやらを貰ってはじゃいでいたが、貰ったばかりのそれをすり減らして何を描いているのかと思いきや。
「よく描けてンじゃねェか。ありがとよ」
そう言ってまだ結ってない髪を撫でてやると双子は照れ臭そうにはにかんだ。
もうひとつの折り畳まれた紙を広げると一枚につき一文字が書かれていて、縦長の紙を上から順に読み上げる。
「かたたたたた……」
「「かたたたきけんだぞ‼︎」」
それにしては『た』が多いような気もしたが十枚綴りの紙を折り直して懐にしまう。
「ありがたく使わせてもらう。髪梳いてやるから座れ」
ヒカゲの髪を梳いていると後ろでヒナタが肩(というより背中だが)を叩き始めた。まだ券使ってないんだがなと苦笑しつつ黙ってその揺れに身を任せる。
二人の髪を結い終わる頃には味噌汁の匂いが漂ってきて、朝餉の支度もひと段落ついたのだろうと、部屋を飛び出す双子に続いて重い腰を上げた。
「……?」
かさりとした物音に目をやると白いやっこが転がっていた。ヒカゲとヒナタが落として行ったのか。あとで渡そうと俺はそいつも懐にしまった。
*
「若、誕生日おめでとうございやす!」
居間に降りていくと朝飯を食べ終えたらしい若い衆たちに声を掛けられた。大広間の方では乗り込んで来た町民たちがすでに宴会が始めているようで、楽しそうな笑い声がここまで響いてくる。
「おう若、起きたのか。みんな待ってやすよ」
大広間から空になった大皿を何枚か持って紺炉がやってきた。
「あいつら俺がいてもいなくても関係ねェじゃねェか」
「そう言わねェで、ちゃんと顔出してやってくだせェよ」
「ああ。あとでな」
しこたま飲まされるのは目に見えている。酒を飲む前に胃に何か入れておきたいというのは建前で、忙しなく料理を作っているであろうあいつの顔を今のうちに見ておきたいというのが本音だ。大広間に行ってしまえば話す時間も取れないとこの日を数年繰り返して漸く学んだ。
台所に顔を出す。いつもなら町のババァたちと一緒に宴会料理を作っている頃で、忙しそうな背中を眺めるだけなのだが、今日はその小さな背中が見当たらない。
「ちょっと紺ちゃん料理が冷めちまうよ!」
「熱燗できたよ、とっとと持っていきな!」
「おいおい、俺は一人しかいねェんだ。無茶言うなって」
「人が足りないんだ。さっさと手ェ動かしな!」
バシバシと大きな背中を叩かれてこき使われているのは紺炉だった。
「おい、あいつはどうした?」
慌ただしく働く紺炉を捕まえて問い詰める。
「ん? ああ、それがわからねェんだ。一応書き置きはあったんだがな」
顎で指したところにはあいつがよく使う裏紙が置いてあって確かに「買い出しに行ってきます」と本人の字で書かれている。それにしたってどこまで買い出しに行っているのか。様子でも見に行くかと顔を上げると、視界の端に白いものが映った。
「おい、ヒカゲ、ヒナタ。火の近くに紙切れ置くんじゃねェ」
摘み上げて例のやっこを二人の前に持っていくと不思議そうな顔をして頭が傾く。
「ヒカたちじゃねェぞ」
「ヒナたちはそんなクソダセェやっこ知らねェぞ」
じゃあ誰が、と言う前にヒカゲとヒナタが顔を近付けて鼻をひくつかせた。
「なんかクセェぞこれ!」
「本当だクセェ! ヒナ知ってるぞこれ! あれだあれ」
ふすふすと鼻を鳴らす双子からやっこを取り上げて顔を近付ける。犬みてェだと笑われたが今はそんなことどうでもいい。
「みかんか」」
「「それだそれェ‼︎」」
白い紙にみかんとくればーー。懐から拾ったやっこも取り出して上下合わせて四枚を全部広げ、裏から出した炎で炙ってやればじわじわと文字が浮かび上がった。
「「ら、の、や、ひ?」」
何のことだかさっぱりわからねェ。
わしわしと頭を掻いていると、玄関から「やってるかー」と町民の声がした。
「やってねェ。今忙し……」
「いやいや暇だろ紅ちゃん、こんなやっこさんまで作っちゃってよ」
先に飲んできたのかすでに出来上がっている町民からやっこを奪い火を点ける。
「ぐ、と…み、か」
ぐしゃりと握り潰すと同時に跡形もなくやっこを燃やし切る。
こんなことする奴ァどこのどいつかと思ったが、紙切れにわざとらしく残されたみかん以外の匂いに犯人の目星もついた。
ーー人の誕生日に大事なもン掻っ攫っていくたァ、
「……いい度胸してンじゃねェか」
*
「へっ……ぶしっ‼︎」
「大丈夫ですか?」
「あー、大丈夫大丈夫。誰かが噂してんのかもな。もしかして最強さんだったりして」
「それは、ジョーカーさんの命の危機なのでは」
まだ寒い如月半ば、風通しのいい火の見櫓に数時間もいれば体も冷えてくる。私はまだ厚着しているからいいとしてもジョーカーさんはだいぶ薄着だ。足なんかはつっかけで、聞けばついうっかり部屋着で来てしまったのだという。それくらい気を許してくれているということなら、浅草で育った者としては素直に嬉しい。
「悪かったな、嬢ちゃん巻き込んで」
「本当ですよ。今日は朝からみんなといっぱい料理作る予定だったのに」
今朝朝餉の支度をしている最中に「ちょっと付き合ってくれねェか?」と軽いノリでジョーカーさんに攫われた。正確には断ってもなかなか折れてくれなかったので私が先に折れたのだけど、紅ちゃんの誕生日を祝うためと言われては断れない。
遠くから乾いた花火の音が聞こえてくる。私がいなくても紺兄さんや婦人会の人たちがきっとうまくやってくれていることだろう。そこまで心配はしていないのだけど、
「紅ちゃん、こんなんで喜びますかね?」
私は不自由な自分の身体を見つめた。下から上までぐるりと赤い『リボン』で巻かれて、特にきつく巻かれた手首は鎖で繋がれた囚人みたいにも見える。
「喜ぶだろ! プレゼントは私ってのは男のロマンなんだよ」
そういうものなのだろうか。これを見た紅ちゃんが鼻で笑う姿は何となく想像がつく。
「女だと何だろうな。お姫様抱っことかはロマンがあんじゃねェの?」
どうだった? と聞かれてここまで来たときのことを思い出す。詰所でぐるぐる巻きにされ自力で歩けなくて、櫓の上までジョーカーさんが横抱きで運んでくれたのだ。皇国風にいうと人生初の『お姫様抱っこ』だった。
元々お姫様抱っこに憧れはなかったけれど、揺れるし意外と高くて怖いし、相手との顔が近いのも緊張した。手が自由だったらもうすこし違うのかもしれない。
「んー、色んな意味でドキドキはしましたかね」
「ほぉ……」
その相槌にぴしりと空気が固まった。首は固定されてないのに声のほうに顔を向けるのに、ぎぎぎと錆びついた音がした気がした。ジョーカーさんはにやにやと笑っていて、わざと言わされたのだと気付く。
「紅ちゃん、」
そこには紅ちゃんじゃなくて般若がいた。梯子から顔を覗かせているが全身を見なくても苛立っているのを感じる。
「思ったより早かったな最強さん」
ジョーカーさんは早々に櫓の手すりに足を掛けた。逃げる気満々だ。せめて誤解を解いてからにしてください!
「てめェ待ちやがれ!」
掴みかかろうとした紅ちゃんの手は空を切った。捕まるより先にジョーカーさんが手すりを踏み蹴ったのだ。
「ジョーカーさん⁈」
火の見櫓は浅草一高い建物だ。皇国のビルほどの高さはないとはいえ、落ちたら流石のジョーカーさんでもどうなるか。身動きの取れない私は紅ちゃんの表情を見つめるしかなかった。
「……ちっ」
どうやったのかはわからないけれど無事逃げ果せたみたいだ。ほっと胸を撫で下ろしているとちりりとした視線が私を射抜く。
そういえば誤解はまだ解けていなかった。
ゆらりと般若が近付いてきて、元々櫓の隅に座っていた私にはもう逃げ場がない。
「紅ちゃん待って、これには深い訳、が……」
左肩にもすっとした衝撃がきた。衝撃というより軽い頭突きに近いかもしれない。そのまま肩口にぐりぐりと頭を擦り付けて抱きしめられた。
「……あんまり心配させンじゃねェ」
「ん。ごめんなさい、紅ちゃん。来てくれてありがとう」
抱きとめて頭を撫でたかったけれど、できないのが口惜しかった。リボンを解いてほしくてお願いすると素直に解いてくれたがすぐにその手が止まった。
「ちょ、紅ちゃんくすぐったい!」
急に髪や首元に鼻を埋めたかと思いきや、心底気に食わないといった顔でこちらを見てくる。
「あいつの匂いがする」
「あいつってジョーカーさん? まぁ一緒に居たし煙草も吸ってたからね。それに……」
「それに?」
「……何でもない」
お姫様抱っこのことを言ったらまた不機嫌になりそうだ。話を終わらせようとしたらこういうときばかり勘のいい紅ちゃんが、リボンをきつく結び直した。
「あの、紅ちゃん」
「お姫様抱っこってのは女のロマンなんだろ?」
「どこから聞いて……というか私ひとこともそんなこと言ってな、うわっ⁈」
突然の浮遊感に舌を噛みそうになる。酔ってもいないのに愉しげに笑う彼の顔がすぐ近くにあって、目のやり場に困る。ドキドキと速くなる心音も伝わってしまうのではと身動ぐと、気に食わなかったようで、ぐいと肩を寄せられてしまった。
「嫌ってほどドキドキさせてやる」
もう破裂しそうなほどドキドキしてるんだけど。
けれどその言葉は紅ちゃんの耳に届くことはなく、櫓から詰所までの道のりを私はお姫様抱っこの状態で帰る羽目になり、町のみんなからはこれでもか、と冷やかしを受けたのだった。