新門紅丸
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
年に一度、詰所の大広間が一層華やかになる時期がある。
「毎年のことながら、圧巻だねぇ」
三月三日、桃の節句。大広間に置かれた七段飾りの雛人形は先代が、私がここに来て初めて雛祭りを迎えるときに買ってくれたものだ。当時は知りもしなかったが、男所帯の浅草火消しは誰一人として雛人形の飾り方を知らなかったらしい。にもかかわらず私のために毎年火消し総動員で飾ってくれていたのだと思うと胸の辺りがじんわり温かくなる。
紺兄さんがもうこれでいいじゃねェかと幼い私と紅ちゃんを抱えて、雛壇の一番上に座らせたのは今では良い思い出だ。童謡みたいに二人並んですまし顔とはいかず、私はあまりの高さに大泣きして紺兄さんにしがみついてたなぁ、なんて。
「準備に時間がかかって仕方ねェ」
「ヒカちゃんとヒナちゃんのも増えたからね。紅ちゃん配置完璧だから助かるよ」
「てめェが覚えてなさすぎなだけだ」
「お内裏様とお雛様の位置はわかるんだけどね」
あの日紅ちゃんが座っていた方がお内裏様、私が座っていた方がお雛様。胸を張って言うほどのことではないけれど、これだけは間違えない。
何年経っても覚えられない配置場所、増えた雛壇、時間のかかる準備と片付け。大変なのに飾るのをやめようとは思えないから不思議だ。
ヒカちゃんとヒナちゃんが健やかでありますように。
二人の成長を願いながら飾る雛は、大変なはずなのに手間も苦労も感じない。あの頃の火消しの皆も同じ気持ちだったのだろうか。
「うひぇひぇひぇ、いいところに刀が刺さってら」
「あひぇひぇひぇ、見ろよヒカ。二刀流だぞ!」
「あー、ずりー‼︎三刀流もやろうぜヒナ」
親の心子知らずなのも、きっと今も昔も変わらない。毎年恒例の記念撮影を終えた双子は晴れ着のまま大広間を駆け回り、外へ飛び出して行った。
「あんなところまで誰かさんに似ちゃって……」
「あァ?」
何の話だと左右非対称の目が訴えている。子どもの頃の話だ。忘れていても仕方がない。
「雛飾りを片付けるときに決まってお内裏様の刀持って行っちゃったでしょう?」
剣術よりも体術のが好きだった紅ちゃんも一応男の子だ。お内裏様の刀が魅力的に映ったに違いない。雛祭りを終えた翌日、いざ片付けるぞというときに限って刀が行方不明で、日が暮れる頃に紺兄さんが捕まえてくる犯人は決まって紅ちゃんだった。そんな時間から片付けるのは骨が折れるので次の日に回されるのだが、当時の私はおばあちゃんに聞かされた『迷信』に頭を悩ませていた。
「べにちゃんのせいでけっこんがおそくなる」
「あ?」
「だれもけっこんしてくれなかったらどうしよう」
子どもの頃は結婚というものに淡い憧れを抱くものだけれど例に漏れず私もその一人で、雛飾りをしまうのが遅れると婚期が遅れるなどという迷信を真に受けていた。本気で落ち込む私に紅ちゃんはくししと頭を掻くばかりで。
反省するかと思いきや、その後も懲りずに刀を奪って姿をくらますものだから、彼にとってそれはよほど浪漫の塊だったのだろう。
初めて雛人形を飾ってから毎年その繰り返しで、一体どれだけ私の婚期が遅れたのか。迷信とはいえ、気にかけるくらいの年齢にはなってしまった。
「きっと紅ちゃんのせいで結婚が遅くなったのね」
「あ?」
「誰も結婚してくれなかったらどうしよう」
思い出をなぞって、やんちゃだった彼を困らせて、冗談だと笑い飛ばすつもりだった。隣の彼はくししと頭を掻いて、懐かしい記憶と重なっていく。
「そん時は俺が貰ってやる」
「……え」
「てめェは昔から何回言わせるつもりだ」
思い出の中のべにちゃんと、目の前の紅ちゃんがずれていく。そんなの知らない。知らないはずなのに私を見つめるその表情は何度も見てきた気がする。いつ、どこで見たのだったか。
「どうせ忘れてやがったんだろ」
顔を見て察したのか彼は舌打ちをして、するりと私の小指を絡め取った。いわゆる指切りの姿勢なのだがこんな一方的なのは初めてだ。絡んでいるのは小指だけなのに引き戻そうにもびくともしない。
「行き遅れたら俺が貰う。そう約束しただろうが。だから俺ァ毎年……」
毎年?毎年どうしたというのだろう。彼が雛祭りに欠かさずしていたことといえば刀を持ち逃げしたくらいで。もしも。もしも思い出に続きがあって、彼の行動理由が私の思っていたものと違うとしたら。
「えっと、紅ちゃん」
「……何でもねェ、今のは忘れろ」
ふいと紅ちゃんが顔を逸らした。いつもと同じ無愛想、でも長年一緒にいる私にはそれが照れ隠しなのだとわかってしまう。もしかしたらが確信に変わった。彼の想いを知ってしまって、私は一体どうしたらいいのか。逃げたくても繋がれた小指のせいで逃げられない。
触れた指先からじわじわと熱が伝わってくるような気がして、私は自由の利く手でぱたぱたと顔を扇いだ。
「ハッ、白酒でも飲んだか?」
「の、飲んでない!」
距離を縮めるように、くいと小指を引かれた。
「端から俺以外の奴にくれてやるつもりもなかったが、頃合いだ。大人しく俺に貰われろ」
「そんな、急に言われても」
「急じゃねェ。ガキの頃から言い続けてる。それに嘘吐いたら何とやら、ってなァ」
くつりと浮かぶ綺麗な三日月に鼓動がはやる。芽生えたばかりの感情は恋と呼ぶには幼すぎて彼の想いには到底及ばない。でも、もう少しだけ待ってもらえるのなら。
「こ、今度は絶対忘れない! 約束はちゃんと守るから」
自分の小指を紅ちゃんのに絡ませる。裏返る声に鼻で笑われたけれど、その顔は懐かしい日のものと同じに見えた。
「毎年のことながら、圧巻だねぇ」
三月三日、桃の節句。大広間に置かれた七段飾りの雛人形は先代が、私がここに来て初めて雛祭りを迎えるときに買ってくれたものだ。当時は知りもしなかったが、男所帯の浅草火消しは誰一人として雛人形の飾り方を知らなかったらしい。にもかかわらず私のために毎年火消し総動員で飾ってくれていたのだと思うと胸の辺りがじんわり温かくなる。
紺兄さんがもうこれでいいじゃねェかと幼い私と紅ちゃんを抱えて、雛壇の一番上に座らせたのは今では良い思い出だ。童謡みたいに二人並んですまし顔とはいかず、私はあまりの高さに大泣きして紺兄さんにしがみついてたなぁ、なんて。
「準備に時間がかかって仕方ねェ」
「ヒカちゃんとヒナちゃんのも増えたからね。紅ちゃん配置完璧だから助かるよ」
「てめェが覚えてなさすぎなだけだ」
「お内裏様とお雛様の位置はわかるんだけどね」
あの日紅ちゃんが座っていた方がお内裏様、私が座っていた方がお雛様。胸を張って言うほどのことではないけれど、これだけは間違えない。
何年経っても覚えられない配置場所、増えた雛壇、時間のかかる準備と片付け。大変なのに飾るのをやめようとは思えないから不思議だ。
ヒカちゃんとヒナちゃんが健やかでありますように。
二人の成長を願いながら飾る雛は、大変なはずなのに手間も苦労も感じない。あの頃の火消しの皆も同じ気持ちだったのだろうか。
「うひぇひぇひぇ、いいところに刀が刺さってら」
「あひぇひぇひぇ、見ろよヒカ。二刀流だぞ!」
「あー、ずりー‼︎三刀流もやろうぜヒナ」
親の心子知らずなのも、きっと今も昔も変わらない。毎年恒例の記念撮影を終えた双子は晴れ着のまま大広間を駆け回り、外へ飛び出して行った。
「あんなところまで誰かさんに似ちゃって……」
「あァ?」
何の話だと左右非対称の目が訴えている。子どもの頃の話だ。忘れていても仕方がない。
「雛飾りを片付けるときに決まってお内裏様の刀持って行っちゃったでしょう?」
剣術よりも体術のが好きだった紅ちゃんも一応男の子だ。お内裏様の刀が魅力的に映ったに違いない。雛祭りを終えた翌日、いざ片付けるぞというときに限って刀が行方不明で、日が暮れる頃に紺兄さんが捕まえてくる犯人は決まって紅ちゃんだった。そんな時間から片付けるのは骨が折れるので次の日に回されるのだが、当時の私はおばあちゃんに聞かされた『迷信』に頭を悩ませていた。
「べにちゃんのせいでけっこんがおそくなる」
「あ?」
「だれもけっこんしてくれなかったらどうしよう」
子どもの頃は結婚というものに淡い憧れを抱くものだけれど例に漏れず私もその一人で、雛飾りをしまうのが遅れると婚期が遅れるなどという迷信を真に受けていた。本気で落ち込む私に紅ちゃんはくししと頭を掻くばかりで。
反省するかと思いきや、その後も懲りずに刀を奪って姿をくらますものだから、彼にとってそれはよほど浪漫の塊だったのだろう。
初めて雛人形を飾ってから毎年その繰り返しで、一体どれだけ私の婚期が遅れたのか。迷信とはいえ、気にかけるくらいの年齢にはなってしまった。
「きっと紅ちゃんのせいで結婚が遅くなったのね」
「あ?」
「誰も結婚してくれなかったらどうしよう」
思い出をなぞって、やんちゃだった彼を困らせて、冗談だと笑い飛ばすつもりだった。隣の彼はくししと頭を掻いて、懐かしい記憶と重なっていく。
「そん時は俺が貰ってやる」
「……え」
「てめェは昔から何回言わせるつもりだ」
思い出の中のべにちゃんと、目の前の紅ちゃんがずれていく。そんなの知らない。知らないはずなのに私を見つめるその表情は何度も見てきた気がする。いつ、どこで見たのだったか。
「どうせ忘れてやがったんだろ」
顔を見て察したのか彼は舌打ちをして、するりと私の小指を絡め取った。いわゆる指切りの姿勢なのだがこんな一方的なのは初めてだ。絡んでいるのは小指だけなのに引き戻そうにもびくともしない。
「行き遅れたら俺が貰う。そう約束しただろうが。だから俺ァ毎年……」
毎年?毎年どうしたというのだろう。彼が雛祭りに欠かさずしていたことといえば刀を持ち逃げしたくらいで。もしも。もしも思い出に続きがあって、彼の行動理由が私の思っていたものと違うとしたら。
「えっと、紅ちゃん」
「……何でもねェ、今のは忘れろ」
ふいと紅ちゃんが顔を逸らした。いつもと同じ無愛想、でも長年一緒にいる私にはそれが照れ隠しなのだとわかってしまう。もしかしたらが確信に変わった。彼の想いを知ってしまって、私は一体どうしたらいいのか。逃げたくても繋がれた小指のせいで逃げられない。
触れた指先からじわじわと熱が伝わってくるような気がして、私は自由の利く手でぱたぱたと顔を扇いだ。
「ハッ、白酒でも飲んだか?」
「の、飲んでない!」
距離を縮めるように、くいと小指を引かれた。
「端から俺以外の奴にくれてやるつもりもなかったが、頃合いだ。大人しく俺に貰われろ」
「そんな、急に言われても」
「急じゃねェ。ガキの頃から言い続けてる。それに嘘吐いたら何とやら、ってなァ」
くつりと浮かぶ綺麗な三日月に鼓動がはやる。芽生えたばかりの感情は恋と呼ぶには幼すぎて彼の想いには到底及ばない。でも、もう少しだけ待ってもらえるのなら。
「こ、今度は絶対忘れない! 約束はちゃんと守るから」
自分の小指を紅ちゃんのに絡ませる。裏返る声に鼻で笑われたけれど、その顔は懐かしい日のものと同じに見えた。