NRC在学中
オクタヴィネルの寮内で1人佇む男がいた。
「ここは……」
男はパチリと1回瞬いた後、周囲の状況を確認する。
「オクタヴィネル寮の中……ですね」
そして指先で顎を支えるようにして考える。
(あの人は『これで俺が寮長に返り咲くんだ!』と言っていたけれど、僕は傷一つないし他に何か異常がある訳でもない……どういうことだ?)
男は先程あった出来事を振り返っていると、そこに通りかかったものがいた。
「あれー、アズール?」
「こんなところで何をしているんですか?」
フロイドとジェイドがモストロ・ラウンジへ向かう途中、アズールだと思って声をかけた男が振り向いた。
「……フロイドさんもジェイドさんも若い頃って本当にあったんですね」
ドカッ!
勢いよく蹴り飛ばされた扉の音を聞くのはもう慣れたもので、書類を見ながらアズールは注意する。
「フロイド、いい加減に足ではなく手で開けなさい。その手は何のためにあるんですか?」
「えぇー、荷物運んでるから無理。はーい、フロイド便到着でーす」
フロイドが何か床に置いたのかドスンと音がした。
「アズール、愉快……いえ、困っている方がいらっしゃってますよ」
ジェイドが楽しそうな声でアズールに声をかけた。
「はぁ、まったく……困っているというのはどちら様ですか?」
仕方なくアズールは書類から視線を離して顔を上げた。
「は?」
アズールの目の前にいるのはまるで鏡でも見ているかのように自分とよく似た男だった。
「ええと、はじめましてでいいのでしょうか? 僕は未来のあなたの息子です」
自称・アズールの息子の話を聞くために4人でソファに座った。
「本当にあなたは僕の未来の息子なんですか?」
幻覚の魔法や変身の魔法を使えばアズールに似た容姿なんて簡単に作れるから、アズールは確証を得るために質問をした。
「ええ、そうですよ……と言いたいところですが、生憎身分を示すことが出来るようなものを持っていないので、僕の言葉で信じてもらうしかないですね。僕の名前は――・アーシェングロットです」
アズール達は息子の名前の部分だけザザッとノイズのような音が重なり、聞き取ることが出来なかった。
「すみません。聞き取れなかったのでもう一度名乗ってもらっていいですか?」
「構いませんよ。僕の名前は――・アーシェングロットです」
やはり二度目も名前の部分だけノイズの音と重なる。
「名前わかんねーじゃん」
「未来のことは分からないようになっているのでしょうか?」
「……あなたの母の名前は言えますか?」
「母の名前は――・アーシェングロットですが……」
これもザザッとノイズの音がする。
「どんな力が働いているのか分かりませんが、あなたやあなたの母の名前が聞こえないようになっているようです」
「それは困りましたね。僕の名前を聞いてピンと来なくても、もしかしたら母の名前が証拠になったのかもしれないのに……」
息子はやれやれというように肩を竦めたのだが、その仕草はアズールがする仕草と同じだった。
「ああ、でも海に行けば証明できるかもしれません。僕は父の血を色濃く継いでいるらしく、海の中を潜ると魔法薬を使わなくても人魚の姿になるんです。姉達は陸の人間である母の血が濃いみたいで海に潜っても人間の姿のままなんですけどね」
タコの人魚は珍しいから、確かにタコの人魚だと証明できればアズールの息子だという可能性は高いと言えるだろう。
だが、それよりも興味を引く言葉が出てきた。
「小ダコちゃんは姉ちゃんいるんだねー」
「下にも弟と妹がいますよ」
「アズール……あなた、番に無理をさせて……」
「うわぁ、アズールひっでー」
ジェイドとフロイドはアズールにドン引きした。
人魚と陸の人間の間に子供が出来る可能性はとても低い。それなのに少なくとも4人以上子供がいる。
双子はアズールにどれだけ自分の番に無体を強いたのかと言っているのだ。
「お前ら、勝手なことを言うんじゃない! もちろん、合意の上に決まってるでしょう! ですよね!?」
「はい、母が父に『子供は沢山欲しい』と言ったら本当に叶えたからすごいと言っていました」
「ほら、見なさい!」
アズールが双子に対してドヤ顔をした。
「アズール、なんだかんだ言って小ダコちゃんを息子だって思ってるじゃん」
「そ、そんなことは……」
「本当でも嘘でもいいじゃないですか? 結局は元の世界に戻らないといけないそうですから」
アズールが息子の顔を見ると、困ったように笑っていた。
「早く帰らないと両親と姉弟達が心配しますから」
「そう、ですか……」
アズールは眼鏡を押し上げ、息子に尋ねる。
「これまでの経緯を聞いても?」
「対価はいいんですか? タダ働きは嫌いでしょう?」
「僕が喜ぶほどの対価をあなたが持っていると思っていません」
「……事実だから何も言えないのが悔しいですね」
悔しそうな表情をする息子を見て、『ああ、この子はきっと母親に似ているんだろう』と思った。
「あなた、そんなに分かりやすく表情に出るとすぐに弱みを握られますよ」
「ふふっ」
「何です? 楽しそうに笑って」
「いや……元の世界の父も同じことを言うので、今も昔も変わらないんだなと思って」
息子は未来のアズールを知っていても、現在のアズールは未来の自分のことなんて何も分からないから、調子がなんだか狂ってしまう。
「……対価のことならツケにしておきます。元の世界に戻ったら未来の僕にでも返しなさい。なんなら出世払いでもいいですよ」
「それはありがとうございます」
アズールがしないであろう無邪気な笑顔を浮かべて息子はお礼を言った。
そしてウツボの兄弟は面白いものを見るようにニヤニヤと笑っていた。
「そもそも何故あなたは過去に飛んだんですか?」
「おそらく前・寮長が何か魔法を使ったのだろうと思います」
「「「前・寮長?」」」
「ええ、僕は1年生ですが寮長をしています」
――前・寮長、1年生の寮長、過去に飛ばすという魔法
アズールの頭の中でパチパチとパズルが嵌るようにして導かれた解答を言うために口を開く。
「もしかして、何も根回しせずに決闘を挑んで寮長に勝ちましたか?」
「すごいですね、ご明察です」
パチパチと優雅に拍手する息子にアズールは呆れた。
「あなたは馬鹿ですか? 何の根回しをしなかったら反抗するに決まってます。寮長というものはプライドが高くて、人の言うことなんて聞かないんですから」
「あはっ、アズールが面白れぇこと言ってるー」
「ええ、本当に。自分も寮長なのに、数に入れてないのが愉快ですね」
「お前らは黙ってろ!」
アズールが笑っている双子に注意する中、息子はポツリと呟く。
「……許せなかったんです」
3人は黙って息子を見た。
「前・寮長はモストロ・ラウンジで気に入った無能な生徒を幹部にし、気に入らない有能な生徒は下っ端にしていました。それに支払うべき給料を横領していたんです……父の会社にバレないように隠しながら」
息子の手は爪が食い込みそうなほど強く握られていた。
「僕は両親からナイトレイブンカレッジにあるモストロ・ラウンジが最初に出会った思い出の場所だと聞いていたので、両親の思い出の場所が穢されたような気分になって腹が立ちました。だから決闘を挑んで勝ちました。それが入学して3日目のことです」
「……早すぎじゃないですか?」
「金魚ちゃんより早いじゃん」
「リドルさんは確か入学して1週間で寮長になりましたからね」
息子の行動の速さに驚いたけれど、アズールと妻のために怒ってしたという理由だと聞いたら嬉しいような恥ずかしいような複雑な感情になる。
「はぁ……早くあなたを元の世界に返さないといけないですね。多分学園長のことだから、あなたが行方不明になっていることは隠していると思いますが……」
すぐに保身に走る学園長のことだから、未来のアズールへ息子がいなくなったことは言わないだろう……もし伝えようものならアズールは学園を訴えて多額のお金を搾り取ると分かっているから。
「あ、母はナイトレイブンカレッジで働いています。だから多分僕がいなくなった情報を知ってるんじゃないかと」
「はぁ!? ナイトレイブンカレッジですって!? 男しかいないですよ!?」
「非常勤の職員なので、毎日はいないですが今日はナイトレイブンカレッジに来ると言っていました。……父が母のことをすごく鈍いと言っていた意味を最近知りました。学内唯一の女性である母に会いたいために校内をランニングする生徒達を母は『最近の子って意識高い子が多いのね。皆、朝早くから鍛えるためにランニングしているんだもの』と言っていました」
(危機感がない!)
アズールは心の中でまだ正体の分かっていない妻に対して頭を抱えた。
「ずっと思ってたんだけどさぁ、小ダコちゃんのママって誰?」
「僕達の知っている方だったら面白いんですけどね」
「それは……」
コンコン
扉をノックする音が響いた。
「どうぞ」
アズールが入室を許可すると――
「ねぇ、もうそろそろ開店の時間なのに支配人も副支配人もいないってどういうことなのかしら?」
モストロ・ラウンジのアルバイトの制服を着た監督生が現れた。
「あら?」
監督生は息子と目が合った。
「もしかして……双子はウツボだけではなかった?」
「違います! 僕は一人っ子です!」
アズールが全力で否定した。
「じゃあ、随分大きな隠し子ですね?」
「クッ! ツッコミたいのにどこからツッコめばいいのか分からない!」
未来から来たためにほとんど同い年の息子をどう説明したらいいのかアズールの賢い頭でもすぐには出なかった。
「あっ……」
アズールと監督生がわいわいしている中、驚いた息子の声が聞こえた。
「……透けてる?」
監督生の言葉通りに息子の姿が少しずつ透明になっていく。
「どうしたんですか!?」
「おそらく術者の魔力が切れたか、あるいは……」
一番最悪な未来を口にするのをやめ、息子はアズールに傍へ来るようにジェスチャーで伝える。
「何です?」
「これだけは伝えておきたいと思ったんです。僕の母は父のことを『稀代の努力家』だとよく言ってました……ふふっ、思い当たる相手がもういるみたいですね」
顔が真っ赤に染まったアズールを見て、息子は嬉しそうに笑った。
「それでは皆さん、そろそろお別れの時間のようです。またいつか未来にてお会いいたしましょう!」
そして息子は帽子を外して胸に当て、舞台役者のように華麗にお辞儀をして消え去った。
「結局、彼は誰だったの? ねぇ、聞いてる?」
監督生がアズールの声をかけるが、アズールはそれどころじゃない。
息子のいう母が彼女ならいいのにとずっと思っていた。
(僕のことを『稀代の努力家』と言った人なんて、この人しかいないというのに!)
息子はとんでもない爆弾を残していった。
アズールは監督生の前で平常心じゃいられなくなったのだから!
* * *
誰かが、僕の名前を呼んでる気がした。
「んん……」
目を開けば保健室のベッドで横になっていて、必死な表情をした母が僕の顔を覗き込んでいた。
「良かった! 無事だったのね! 痛い場所とか変な場所とかない!?」
母に抱きつかれたかと思えば、母は僕の顔をガシッと掴んで見つめた。
「うん、大丈夫だよ。母さん」
安心させるように笑うと、母さんは泣きそうな顔をしてまた僕を抱き締めた。
「突然消えたって聞いたから、心臓が止まるかと思ったわ」
「……ごめんなさい」
「謝らなくていいわ。悪いのはあなたに魔法を使った生徒だから」
「前の寮長は?」
「過去に飛ばすなんて禁術クラスの魔法を使ったからオーバーブロットしたの。なんとかオーバーブロットを止めて一命は取り留めたけど、魔法士としては生きていけないそうよ」
(やはりか……)
想像通りの結末に僕は深い溜息を吐いたら、バンッと勢いよく保健室の扉が開いた。
「無事ですか!」
慌てた様子の父の姿を見て、僕は安堵した。
「うん、無事だよ。父さん」
「速かったわね。もっと遅くなるかと思ってたわ」
「フロイドにかっ飛ばして運転してもらいました」
「比喩じゃなくて本当にかっ飛ばしそうね、それ」
「レーサーの気持ちが分かりました」
両親が会話しているところに僕は声をかける。
「ねぇ、父さん。母さん。夢かもしれないし、本当のことかもしれないけど、僕の話を聞いてくれる?」
「いいけど、どんな話?」
「僕が父さんにはじめましてをする話かな」
「ここは……」
男はパチリと1回瞬いた後、周囲の状況を確認する。
「オクタヴィネル寮の中……ですね」
そして指先で顎を支えるようにして考える。
(あの人は『これで俺が寮長に返り咲くんだ!』と言っていたけれど、僕は傷一つないし他に何か異常がある訳でもない……どういうことだ?)
男は先程あった出来事を振り返っていると、そこに通りかかったものがいた。
「あれー、アズール?」
「こんなところで何をしているんですか?」
フロイドとジェイドがモストロ・ラウンジへ向かう途中、アズールだと思って声をかけた男が振り向いた。
「……フロイドさんもジェイドさんも若い頃って本当にあったんですね」
ドカッ!
勢いよく蹴り飛ばされた扉の音を聞くのはもう慣れたもので、書類を見ながらアズールは注意する。
「フロイド、いい加減に足ではなく手で開けなさい。その手は何のためにあるんですか?」
「えぇー、荷物運んでるから無理。はーい、フロイド便到着でーす」
フロイドが何か床に置いたのかドスンと音がした。
「アズール、愉快……いえ、困っている方がいらっしゃってますよ」
ジェイドが楽しそうな声でアズールに声をかけた。
「はぁ、まったく……困っているというのはどちら様ですか?」
仕方なくアズールは書類から視線を離して顔を上げた。
「は?」
アズールの目の前にいるのはまるで鏡でも見ているかのように自分とよく似た男だった。
「ええと、はじめましてでいいのでしょうか? 僕は未来のあなたの息子です」
自称・アズールの息子の話を聞くために4人でソファに座った。
「本当にあなたは僕の未来の息子なんですか?」
幻覚の魔法や変身の魔法を使えばアズールに似た容姿なんて簡単に作れるから、アズールは確証を得るために質問をした。
「ええ、そうですよ……と言いたいところですが、生憎身分を示すことが出来るようなものを持っていないので、僕の言葉で信じてもらうしかないですね。僕の名前は――・アーシェングロットです」
アズール達は息子の名前の部分だけザザッとノイズのような音が重なり、聞き取ることが出来なかった。
「すみません。聞き取れなかったのでもう一度名乗ってもらっていいですか?」
「構いませんよ。僕の名前は――・アーシェングロットです」
やはり二度目も名前の部分だけノイズの音と重なる。
「名前わかんねーじゃん」
「未来のことは分からないようになっているのでしょうか?」
「……あなたの母の名前は言えますか?」
「母の名前は――・アーシェングロットですが……」
これもザザッとノイズの音がする。
「どんな力が働いているのか分かりませんが、あなたやあなたの母の名前が聞こえないようになっているようです」
「それは困りましたね。僕の名前を聞いてピンと来なくても、もしかしたら母の名前が証拠になったのかもしれないのに……」
息子はやれやれというように肩を竦めたのだが、その仕草はアズールがする仕草と同じだった。
「ああ、でも海に行けば証明できるかもしれません。僕は父の血を色濃く継いでいるらしく、海の中を潜ると魔法薬を使わなくても人魚の姿になるんです。姉達は陸の人間である母の血が濃いみたいで海に潜っても人間の姿のままなんですけどね」
タコの人魚は珍しいから、確かにタコの人魚だと証明できればアズールの息子だという可能性は高いと言えるだろう。
だが、それよりも興味を引く言葉が出てきた。
「小ダコちゃんは姉ちゃんいるんだねー」
「下にも弟と妹がいますよ」
「アズール……あなた、番に無理をさせて……」
「うわぁ、アズールひっでー」
ジェイドとフロイドはアズールにドン引きした。
人魚と陸の人間の間に子供が出来る可能性はとても低い。それなのに少なくとも4人以上子供がいる。
双子はアズールにどれだけ自分の番に無体を強いたのかと言っているのだ。
「お前ら、勝手なことを言うんじゃない! もちろん、合意の上に決まってるでしょう! ですよね!?」
「はい、母が父に『子供は沢山欲しい』と言ったら本当に叶えたからすごいと言っていました」
「ほら、見なさい!」
アズールが双子に対してドヤ顔をした。
「アズール、なんだかんだ言って小ダコちゃんを息子だって思ってるじゃん」
「そ、そんなことは……」
「本当でも嘘でもいいじゃないですか? 結局は元の世界に戻らないといけないそうですから」
アズールが息子の顔を見ると、困ったように笑っていた。
「早く帰らないと両親と姉弟達が心配しますから」
「そう、ですか……」
アズールは眼鏡を押し上げ、息子に尋ねる。
「これまでの経緯を聞いても?」
「対価はいいんですか? タダ働きは嫌いでしょう?」
「僕が喜ぶほどの対価をあなたが持っていると思っていません」
「……事実だから何も言えないのが悔しいですね」
悔しそうな表情をする息子を見て、『ああ、この子はきっと母親に似ているんだろう』と思った。
「あなた、そんなに分かりやすく表情に出るとすぐに弱みを握られますよ」
「ふふっ」
「何です? 楽しそうに笑って」
「いや……元の世界の父も同じことを言うので、今も昔も変わらないんだなと思って」
息子は未来のアズールを知っていても、現在のアズールは未来の自分のことなんて何も分からないから、調子がなんだか狂ってしまう。
「……対価のことならツケにしておきます。元の世界に戻ったら未来の僕にでも返しなさい。なんなら出世払いでもいいですよ」
「それはありがとうございます」
アズールがしないであろう無邪気な笑顔を浮かべて息子はお礼を言った。
そしてウツボの兄弟は面白いものを見るようにニヤニヤと笑っていた。
「そもそも何故あなたは過去に飛んだんですか?」
「おそらく前・寮長が何か魔法を使ったのだろうと思います」
「「「前・寮長?」」」
「ええ、僕は1年生ですが寮長をしています」
――前・寮長、1年生の寮長、過去に飛ばすという魔法
アズールの頭の中でパチパチとパズルが嵌るようにして導かれた解答を言うために口を開く。
「もしかして、何も根回しせずに決闘を挑んで寮長に勝ちましたか?」
「すごいですね、ご明察です」
パチパチと優雅に拍手する息子にアズールは呆れた。
「あなたは馬鹿ですか? 何の根回しをしなかったら反抗するに決まってます。寮長というものはプライドが高くて、人の言うことなんて聞かないんですから」
「あはっ、アズールが面白れぇこと言ってるー」
「ええ、本当に。自分も寮長なのに、数に入れてないのが愉快ですね」
「お前らは黙ってろ!」
アズールが笑っている双子に注意する中、息子はポツリと呟く。
「……許せなかったんです」
3人は黙って息子を見た。
「前・寮長はモストロ・ラウンジで気に入った無能な生徒を幹部にし、気に入らない有能な生徒は下っ端にしていました。それに支払うべき給料を横領していたんです……父の会社にバレないように隠しながら」
息子の手は爪が食い込みそうなほど強く握られていた。
「僕は両親からナイトレイブンカレッジにあるモストロ・ラウンジが最初に出会った思い出の場所だと聞いていたので、両親の思い出の場所が穢されたような気分になって腹が立ちました。だから決闘を挑んで勝ちました。それが入学して3日目のことです」
「……早すぎじゃないですか?」
「金魚ちゃんより早いじゃん」
「リドルさんは確か入学して1週間で寮長になりましたからね」
息子の行動の速さに驚いたけれど、アズールと妻のために怒ってしたという理由だと聞いたら嬉しいような恥ずかしいような複雑な感情になる。
「はぁ……早くあなたを元の世界に返さないといけないですね。多分学園長のことだから、あなたが行方不明になっていることは隠していると思いますが……」
すぐに保身に走る学園長のことだから、未来のアズールへ息子がいなくなったことは言わないだろう……もし伝えようものならアズールは学園を訴えて多額のお金を搾り取ると分かっているから。
「あ、母はナイトレイブンカレッジで働いています。だから多分僕がいなくなった情報を知ってるんじゃないかと」
「はぁ!? ナイトレイブンカレッジですって!? 男しかいないですよ!?」
「非常勤の職員なので、毎日はいないですが今日はナイトレイブンカレッジに来ると言っていました。……父が母のことをすごく鈍いと言っていた意味を最近知りました。学内唯一の女性である母に会いたいために校内をランニングする生徒達を母は『最近の子って意識高い子が多いのね。皆、朝早くから鍛えるためにランニングしているんだもの』と言っていました」
(危機感がない!)
アズールは心の中でまだ正体の分かっていない妻に対して頭を抱えた。
「ずっと思ってたんだけどさぁ、小ダコちゃんのママって誰?」
「僕達の知っている方だったら面白いんですけどね」
「それは……」
コンコン
扉をノックする音が響いた。
「どうぞ」
アズールが入室を許可すると――
「ねぇ、もうそろそろ開店の時間なのに支配人も副支配人もいないってどういうことなのかしら?」
モストロ・ラウンジのアルバイトの制服を着た監督生が現れた。
「あら?」
監督生は息子と目が合った。
「もしかして……双子はウツボだけではなかった?」
「違います! 僕は一人っ子です!」
アズールが全力で否定した。
「じゃあ、随分大きな隠し子ですね?」
「クッ! ツッコミたいのにどこからツッコめばいいのか分からない!」
未来から来たためにほとんど同い年の息子をどう説明したらいいのかアズールの賢い頭でもすぐには出なかった。
「あっ……」
アズールと監督生がわいわいしている中、驚いた息子の声が聞こえた。
「……透けてる?」
監督生の言葉通りに息子の姿が少しずつ透明になっていく。
「どうしたんですか!?」
「おそらく術者の魔力が切れたか、あるいは……」
一番最悪な未来を口にするのをやめ、息子はアズールに傍へ来るようにジェスチャーで伝える。
「何です?」
「これだけは伝えておきたいと思ったんです。僕の母は父のことを『稀代の努力家』だとよく言ってました……ふふっ、思い当たる相手がもういるみたいですね」
顔が真っ赤に染まったアズールを見て、息子は嬉しそうに笑った。
「それでは皆さん、そろそろお別れの時間のようです。またいつか未来にてお会いいたしましょう!」
そして息子は帽子を外して胸に当て、舞台役者のように華麗にお辞儀をして消え去った。
「結局、彼は誰だったの? ねぇ、聞いてる?」
監督生がアズールの声をかけるが、アズールはそれどころじゃない。
息子のいう母が彼女ならいいのにとずっと思っていた。
(僕のことを『稀代の努力家』と言った人なんて、この人しかいないというのに!)
息子はとんでもない爆弾を残していった。
アズールは監督生の前で平常心じゃいられなくなったのだから!
* * *
誰かが、僕の名前を呼んでる気がした。
「んん……」
目を開けば保健室のベッドで横になっていて、必死な表情をした母が僕の顔を覗き込んでいた。
「良かった! 無事だったのね! 痛い場所とか変な場所とかない!?」
母に抱きつかれたかと思えば、母は僕の顔をガシッと掴んで見つめた。
「うん、大丈夫だよ。母さん」
安心させるように笑うと、母さんは泣きそうな顔をしてまた僕を抱き締めた。
「突然消えたって聞いたから、心臓が止まるかと思ったわ」
「……ごめんなさい」
「謝らなくていいわ。悪いのはあなたに魔法を使った生徒だから」
「前の寮長は?」
「過去に飛ばすなんて禁術クラスの魔法を使ったからオーバーブロットしたの。なんとかオーバーブロットを止めて一命は取り留めたけど、魔法士としては生きていけないそうよ」
(やはりか……)
想像通りの結末に僕は深い溜息を吐いたら、バンッと勢いよく保健室の扉が開いた。
「無事ですか!」
慌てた様子の父の姿を見て、僕は安堵した。
「うん、無事だよ。父さん」
「速かったわね。もっと遅くなるかと思ってたわ」
「フロイドにかっ飛ばして運転してもらいました」
「比喩じゃなくて本当にかっ飛ばしそうね、それ」
「レーサーの気持ちが分かりました」
両親が会話しているところに僕は声をかける。
「ねぇ、父さん。母さん。夢かもしれないし、本当のことかもしれないけど、僕の話を聞いてくれる?」
「いいけど、どんな話?」
「僕が父さんにはじめましてをする話かな」