狂信
あなたののろい
貴方の咳が座敷に響く。もう長くないことは、誰が見ても明らかだった。
厚い雲が空を覆う。太陽は見れそうにない。
涙を流し、幼子のように袖を引く私を、貴方はただ虚ろな目で眺めていた。
布団が血で染まっている。あんなに綺麗だった貴方の声は、もう聞けそうになかった。
「ごめんなさい、こんな身体で」
乾いた唇で、貴方が私に告げる。椿のように赤かった唇も、今はもう面影すらない。
この前の雨のせいだ。あれさえなければ、貴方はもう少し生きられたはずなのに。
あれさえなければ、貴方にそんな言葉を言わせなかったのに。
「そんな風に言わないで、私は貴方だから良いのです、貴方だから添い遂げたかった」
「でも、」
「こんな身体なんて、言わないでください、私は貴方のためならば生も死も変えられます。貴方が願ってさえくれたなら、今すぐにでも。」
だから。
お願いだから、私に祈って。
皺になるほど強く、貴方の袖を掴む。おかしな話だ、貴方の願いを叶えるために、貴方の願いを求めるなんて。
そんな私を見て、貴方は弱弱しく首を振る。
「いいえ……それだけは、できません。そんなことをしたら貴方様が儚くなることくらい、私にだって分かります」
そっと、貴方の手が私の手に触れる。
白魚のような肌だ。骨のように細くなってしまった腕。汚いと思ったことなんて一度もない。
いつまでたっても、綺麗な貴方。
どこか、死の匂いがした。
「優しい神様……私は貴方様の生贄になれて幸せでした」
「やめてください、そんなこと言わないで」
そんな、まるで最期の挨拶のようなこと。私はまだ聞きたくない。
私の懇願も聞かず、貴方は話し続ける。
「光に反射して銀色に見える白髪も、鈍く光る鱗も、椿のように赤い瞳も。きっと私は一生忘れません、生まれ変わってもきっと……」
告白のような言葉を、貴方はつらつらと語り続ける。私のことなんて眼中に無いように。それは独白に近かった。
「ねえ、私の神様……今だけそう呼ぶのをお許しください、今夜だけでいい、私だけの神様になって。」
言葉は出せなかった。頷くことしかできない。
貴方の言葉一つ一つが、刃のように胸を刺した。
「貴方様と出会うまで、私は死んでもいい人間でした。きっと誰も悲しまなかった。でも、今は貴方様がいる……貴方様だけが泣いてくださる。これほど嬉しいことはありません。あぁ、でも、それだけでは足りなくなってしまったのです。ごめんなさい、こんな強欲な人間をお許しになってください、神様。私は、生まれ変わっても、貴方様に見つけてほしい」
そこで、言葉が途切れた。貴方を見る。
初めて、貴方の涙を見た。
貴方の手を握り返す。強く、壊れてしまいそうなほど。
「もちろんです。私は、貴方を見つけ出す。貴方の願いは私の願いだ」
ぽろぽろと涙を流しながら微笑む貴方。貴方の笑顔を、久しぶりに見た気がした。
「約束ですよ、私の神様」
「私の約束は重いこと、貴方はよく知っているでしょう」
そっと、唇に触れる。大丈夫、貴方はまだ温かい。
「あぁ、嬉しい。私はもう一度、貴方様に会えるのですね……」
嬉しい、嬉しいと、うわ言のように貴方が呟く。
雨の音が遠くで聞こえる。きっと、いつまでも鳴り止まない。
次の日に貴方は亡くなった。
太陽が地面に刺さるように当たる。乾いた地面は砂の匂いを漂わせ、嫌に湿った空気が周りを包む。
貴方と出逢ったのも、こんな日だったな。
今でも鮮明に感じられる。貴方の声。貴方の肌。貴方の香り。貴方の温度。
貴方がいない世界は、退屈でしかない。花も紅葉も鶯も綺麗でなくなった。貴方の笑顔がなければ、どんなものも色褪せて見える。本当につまらない世の中だ。
でも大丈夫、必ず会える。
今まで雨を降らせなかったのも、貴方をここに差し出させるため。前世の因縁は変わらない。貴方は必ず、生贄になる。
それからは、たんと貴方を愛でよう。貴方の好きだった桜餅を作ろう。貴方の好きだった雪を降らそう。貴方の好きな物、全てを与えよう。
そうすればまた、貴方の鈴を転がすような声を聞けるだろう。私には貴方の笑顔さえあればいい。貴方の声で、貴方の話を聞かせてほしい。
ずっと私の、そばに居て欲しい。
縄で縛られたように胸が痛む。これが、恋慕の痛みか。
あぁ、愛しい貴方。
絶対、迎えに行くからね。
「私の約束は重いから。」
貴方の咳が座敷に響く。もう長くないことは、誰が見ても明らかだった。
厚い雲が空を覆う。太陽は見れそうにない。
涙を流し、幼子のように袖を引く私を、貴方はただ虚ろな目で眺めていた。
布団が血で染まっている。あんなに綺麗だった貴方の声は、もう聞けそうになかった。
「ごめんなさい、こんな身体で」
乾いた唇で、貴方が私に告げる。椿のように赤かった唇も、今はもう面影すらない。
この前の雨のせいだ。あれさえなければ、貴方はもう少し生きられたはずなのに。
あれさえなければ、貴方にそんな言葉を言わせなかったのに。
「そんな風に言わないで、私は貴方だから良いのです、貴方だから添い遂げたかった」
「でも、」
「こんな身体なんて、言わないでください、私は貴方のためならば生も死も変えられます。貴方が願ってさえくれたなら、今すぐにでも。」
だから。
お願いだから、私に祈って。
皺になるほど強く、貴方の袖を掴む。おかしな話だ、貴方の願いを叶えるために、貴方の願いを求めるなんて。
そんな私を見て、貴方は弱弱しく首を振る。
「いいえ……それだけは、できません。そんなことをしたら貴方様が儚くなることくらい、私にだって分かります」
そっと、貴方の手が私の手に触れる。
白魚のような肌だ。骨のように細くなってしまった腕。汚いと思ったことなんて一度もない。
いつまでたっても、綺麗な貴方。
どこか、死の匂いがした。
「優しい神様……私は貴方様の生贄になれて幸せでした」
「やめてください、そんなこと言わないで」
そんな、まるで最期の挨拶のようなこと。私はまだ聞きたくない。
私の懇願も聞かず、貴方は話し続ける。
「光に反射して銀色に見える白髪も、鈍く光る鱗も、椿のように赤い瞳も。きっと私は一生忘れません、生まれ変わってもきっと……」
告白のような言葉を、貴方はつらつらと語り続ける。私のことなんて眼中に無いように。それは独白に近かった。
「ねえ、私の神様……今だけそう呼ぶのをお許しください、今夜だけでいい、私だけの神様になって。」
言葉は出せなかった。頷くことしかできない。
貴方の言葉一つ一つが、刃のように胸を刺した。
「貴方様と出会うまで、私は死んでもいい人間でした。きっと誰も悲しまなかった。でも、今は貴方様がいる……貴方様だけが泣いてくださる。これほど嬉しいことはありません。あぁ、でも、それだけでは足りなくなってしまったのです。ごめんなさい、こんな強欲な人間をお許しになってください、神様。私は、生まれ変わっても、貴方様に見つけてほしい」
そこで、言葉が途切れた。貴方を見る。
初めて、貴方の涙を見た。
貴方の手を握り返す。強く、壊れてしまいそうなほど。
「もちろんです。私は、貴方を見つけ出す。貴方の願いは私の願いだ」
ぽろぽろと涙を流しながら微笑む貴方。貴方の笑顔を、久しぶりに見た気がした。
「約束ですよ、私の神様」
「私の約束は重いこと、貴方はよく知っているでしょう」
そっと、唇に触れる。大丈夫、貴方はまだ温かい。
「あぁ、嬉しい。私はもう一度、貴方様に会えるのですね……」
嬉しい、嬉しいと、うわ言のように貴方が呟く。
雨の音が遠くで聞こえる。きっと、いつまでも鳴り止まない。
次の日に貴方は亡くなった。
太陽が地面に刺さるように当たる。乾いた地面は砂の匂いを漂わせ、嫌に湿った空気が周りを包む。
貴方と出逢ったのも、こんな日だったな。
今でも鮮明に感じられる。貴方の声。貴方の肌。貴方の香り。貴方の温度。
貴方がいない世界は、退屈でしかない。花も紅葉も鶯も綺麗でなくなった。貴方の笑顔がなければ、どんなものも色褪せて見える。本当につまらない世の中だ。
でも大丈夫、必ず会える。
今まで雨を降らせなかったのも、貴方をここに差し出させるため。前世の因縁は変わらない。貴方は必ず、生贄になる。
それからは、たんと貴方を愛でよう。貴方の好きだった桜餅を作ろう。貴方の好きだった雪を降らそう。貴方の好きな物、全てを与えよう。
そうすればまた、貴方の鈴を転がすような声を聞けるだろう。私には貴方の笑顔さえあればいい。貴方の声で、貴方の話を聞かせてほしい。
ずっと私の、そばに居て欲しい。
縄で縛られたように胸が痛む。これが、恋慕の痛みか。
あぁ、愛しい貴方。
絶対、迎えに行くからね。
「私の約束は重いから。」