オリジナル
死は救済だと、君は信じて疑わなかった。
窓の外に目をやる。うすら青い空が、目の奥に染みた。
今でも覚えている。君の少し高い、どこか柔らかく笑う声。君の、少し力を入れただけで折れてしまいそうな身体。
あの日の、あの台詞も。
「私ね、ずっと曖昧なの」
夏の、蝉が五月蝿く鳴いていたあの日。駄菓子屋で買ったアイスを食べながら、君はそう言った。
ベンチに腰かける。夏になると、駄菓子屋のおじいさんは縁側に水を張ったトタンのたらいを置いていた。白い靴下を脱いで、そこに足をつける。
「ずっと誰かの特別になりたかったの。けど、ただ漠然とそう思っているだけで、私に特別なんて文字は似合わないの」
白いセーラー服に、アイスの水色がいやに眩しく写った。空を反射した水面のように、それは青い影となって服を染める。
腕にあたる陽が、ジリジリと肌を焼いていた。
「星の王子さまって、知ってる?私はキツネがうらやましい。私だって、誰かの小麦畑になりたいのに」
ぬるくなった水が足を掬う。
その時の君の目は、きっと未来を見ていた。溶けたアイスでベトベトになった手にも目をくれず、じっと、光のない澄み切った目で、私には見えない何かを見ていた。
「……ごめんね、こんな話。忘れてね」
不意に君が立ち上がる。波のように、たらいから水が溢れた。
「忘れ、ないよ」
思わず、口から言葉が漏れる。君も驚いたらしく、少しだけ目を見開いた。
「私は、忘れないよ。きっと、必ず」
「……月にも誓える?」
立ち上がったまま、君がそろそろと近づいてくる。そっと腕を広げれば、たまらないように君は飛び込んできた。
水鞠が、地面に落ちる。
「私、月には誓わないよ。今この瞬間と、私達の気持ちに誓うから」
君の、向日葵の香りが鼻をくすぐる。首筋に顔を埋めて、君の鼓動を聞いた。少しの安堵が私を襲う。
だって、私は知っている。
君が、本当は今すぐにでも死んじゃいたいってこと。
「私、死ぬ前に誰かを信じてみたいの」
道端に生えていた蒲公英を手折る。君は細い指で、一枚ずつ花弁をちぎっていった。
「誰も信じられないまま死ぬのは、寂しいから」
黒いプリーツスカートの上に、まるで雪が降るように真っ黄色の花弁が落ちる。少しずつ増えるそれは、闇夜に浮かぶ月の様だった。
ぽつぽつと、蒲公英は君の手によって散っていく。まだ鮮やかに照ったような色の花弁が、誰にも知られずに死んでいくのを見ていた。
「花占いでも、しているの」
「そうね、花占いかも。」
占ってる相手は誰だと思う?
そう言うと、君はくすぐったそうに笑った。
「……ふふ、『嫌い』で終わっちゃった」
スカートの裾を広げて持って、君はベンチの上に立つ。
「貴方って、聞き上手ね。何でも喋ってしまいそう」
スカートが、風をはらんでハタハタ鳴いた。
本望だった。君の話を聞けるのは。
「水臭いよ。私達、もう腹心の友じゃない」
私よりも背の高くなった君に、そっと手を差し伸べる。少し不思議そうな顔をした後、君は吐息を含んだほほ笑みを浮かべた。
「じゃあ、腹心の友さん。私の秘密、貴方にだけよ」
耳元に、君の顔が近づく。
きっとあの時、私達は酔っていた。あまりにも、青すぎる春に。
「私ね、ほんとのほんとは」
『大人になる前に死んじゃいたいの』
あの日君が言った言葉を、口の中で復唱する。
まだ春も盛りの時期だと言うのに、どこかで向日葵の香りがした。君の香りだ。
「私は、忘れない」
あの日の誓いを反芻する。無意識に、両腕を強く抱きしめていた。
さっきまでそこにあったはずの君の体温が、鼓動が、時間に奪われていく。一つ瞬きをする毎に、君の一欠片が死んでいく。
結局、私は君を止められなかった。本気で止めるつもりでもなかったけれど。
窓の向こう側に、蒲公英の綿毛が見えた。
「特別が似合わないなんて、嘘ばっかり」
どこにいても、君の面影を見つける。
夢を見て死んでいった君は、今もどこかで笑うだろうか。
窓の外に目をやる。うすら青い空が、目の奥に染みた。
今でも覚えている。君の少し高い、どこか柔らかく笑う声。君の、少し力を入れただけで折れてしまいそうな身体。
あの日の、あの台詞も。
「私ね、ずっと曖昧なの」
夏の、蝉が五月蝿く鳴いていたあの日。駄菓子屋で買ったアイスを食べながら、君はそう言った。
ベンチに腰かける。夏になると、駄菓子屋のおじいさんは縁側に水を張ったトタンのたらいを置いていた。白い靴下を脱いで、そこに足をつける。
「ずっと誰かの特別になりたかったの。けど、ただ漠然とそう思っているだけで、私に特別なんて文字は似合わないの」
白いセーラー服に、アイスの水色がいやに眩しく写った。空を反射した水面のように、それは青い影となって服を染める。
腕にあたる陽が、ジリジリと肌を焼いていた。
「星の王子さまって、知ってる?私はキツネがうらやましい。私だって、誰かの小麦畑になりたいのに」
ぬるくなった水が足を掬う。
その時の君の目は、きっと未来を見ていた。溶けたアイスでベトベトになった手にも目をくれず、じっと、光のない澄み切った目で、私には見えない何かを見ていた。
「……ごめんね、こんな話。忘れてね」
不意に君が立ち上がる。波のように、たらいから水が溢れた。
「忘れ、ないよ」
思わず、口から言葉が漏れる。君も驚いたらしく、少しだけ目を見開いた。
「私は、忘れないよ。きっと、必ず」
「……月にも誓える?」
立ち上がったまま、君がそろそろと近づいてくる。そっと腕を広げれば、たまらないように君は飛び込んできた。
水鞠が、地面に落ちる。
「私、月には誓わないよ。今この瞬間と、私達の気持ちに誓うから」
君の、向日葵の香りが鼻をくすぐる。首筋に顔を埋めて、君の鼓動を聞いた。少しの安堵が私を襲う。
だって、私は知っている。
君が、本当は今すぐにでも死んじゃいたいってこと。
「私、死ぬ前に誰かを信じてみたいの」
道端に生えていた蒲公英を手折る。君は細い指で、一枚ずつ花弁をちぎっていった。
「誰も信じられないまま死ぬのは、寂しいから」
黒いプリーツスカートの上に、まるで雪が降るように真っ黄色の花弁が落ちる。少しずつ増えるそれは、闇夜に浮かぶ月の様だった。
ぽつぽつと、蒲公英は君の手によって散っていく。まだ鮮やかに照ったような色の花弁が、誰にも知られずに死んでいくのを見ていた。
「花占いでも、しているの」
「そうね、花占いかも。」
占ってる相手は誰だと思う?
そう言うと、君はくすぐったそうに笑った。
「……ふふ、『嫌い』で終わっちゃった」
スカートの裾を広げて持って、君はベンチの上に立つ。
「貴方って、聞き上手ね。何でも喋ってしまいそう」
スカートが、風をはらんでハタハタ鳴いた。
本望だった。君の話を聞けるのは。
「水臭いよ。私達、もう腹心の友じゃない」
私よりも背の高くなった君に、そっと手を差し伸べる。少し不思議そうな顔をした後、君は吐息を含んだほほ笑みを浮かべた。
「じゃあ、腹心の友さん。私の秘密、貴方にだけよ」
耳元に、君の顔が近づく。
きっとあの時、私達は酔っていた。あまりにも、青すぎる春に。
「私ね、ほんとのほんとは」
『大人になる前に死んじゃいたいの』
あの日君が言った言葉を、口の中で復唱する。
まだ春も盛りの時期だと言うのに、どこかで向日葵の香りがした。君の香りだ。
「私は、忘れない」
あの日の誓いを反芻する。無意識に、両腕を強く抱きしめていた。
さっきまでそこにあったはずの君の体温が、鼓動が、時間に奪われていく。一つ瞬きをする毎に、君の一欠片が死んでいく。
結局、私は君を止められなかった。本気で止めるつもりでもなかったけれど。
窓の向こう側に、蒲公英の綿毛が見えた。
「特別が似合わないなんて、嘘ばっかり」
どこにいても、君の面影を見つける。
夢を見て死んでいった君は、今もどこかで笑うだろうか。