4月 東風(山本視点)
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実際に誰かが何かをされるわけではありませんが、性被害に関して直接的に言及する場面があります。
あくまでも「おまけ」であり、読まなくとも全体に問題はありません。
苦手な方はブラウザバックをお願いします。
おまけ
距離を整える話。
夢主が12歳、ディーノが20歳そこそこの時の話。
視線の先、レイがディーノに駆け寄っていくのが見えた。
ディーノは何のためらいもなく腕を広げ、レイも何のためらいもなくその中に飛び込んでいく。
笑顔で親密なハグをする2人は、見た目も人種も、そもそもの種族すら違うというのに兄弟のように見える。
レイはディーノと一緒に戻ってきたほかの部下たちにも同様に抱き着いた。彼らも笑顔でレイを抱きしめる。力自慢の1人がレイを軽々と持ち上げて、ディーノの肩にレイを乗せた。肩車の状態だ。
誰もが笑っている。ロマーリオにとっても、守るべき愛しい光景だった。
しかし、レイはもう12歳になる。誰かが嫌な役を引き受けなければいけない。
「ボス」
ディーノを呼び止めれば、彼は肩に乗ったレイごと振り向いた。
「どうした?」
「2人で話したいことがあるんだが、いいか?」
「いいぜ。レイ、降りれるか?」
「はい」
ディーノや他の大人が手を貸すこともなく、レイは自分から器用にディーノの肩を降りる。
それから他の者に声を掛けられ、何やら手伝いをするために駆けていった。
その背中を見送ってから、2人で執務室に入る。ここならば他の者が急に入ってくることはほぼない。
「で、何の用だ?」
ジャケットを脱ぎながら、年若いボスが訊いてくる。
シャツ越しにも分かるほどにしっかりとした体は、もう子どものものではない。もう20歳だということも踏まえれば、その肉体は名実ともに大人の男だ。彼の父親である先代に見せてやりたいほど、心身共に立派に育った。
それでもまだ、その心は青く瑞々しい。世界の悪意に底がないことを、まだどこか絵空事のようにとらえている。
だからこそ、年長者が釘を刺さなければならないことがあった。
今からの話も、その一つだ。
「ボス、そろそろレイとの距離を考えた方がいい」
「距離って何だ?」
「あんた、今でもレイと思い切りハグしたり抱き上げたり、膝に乗せたりしてるだろ。まあ他の連中もそうだがな」
ロマーリオの言葉に、案の定ディーノは「してるけど」と返しながらきょとんとしている。
ディーノに一切の下心がないことは、ロマーリオもよく知っている。
彼にとってレイは親友であるヒロヤの妹であり、幼いころにはから足元でちょろちょろしていた可愛い子どもでしかない。
元々甘えん坊な性格だからか、幼かったレイはディーノにもよく懐いていた。『ディーノおにいちゃん』なんて呼びながらひっつきまわり、一人っ子のディーノも幼いレイを抱き上げたり肩車したりと可愛がっていた。
ディーノの様子を見にきていたロマーリオをはじめとしたキャバッローネの構成員にも、レイは『家によく来るおじさんたち』と、早々に心を開いてくれた。
瀬切家とは、家族ぐるみの付き合いに近かった。
それから数年後。
両親を亡くした当時15歳のヒロヤと6歳のレイをキャバッローネに受け入れ、ヒロヤがファミリーの構成員として動くようになってから。
レイはまっすぐな心根を失うことなく、素直に大人たちの言うことを聞いた。ディーノに対しても、いつしか敬称で呼びかけ、敬語で話しかけるようになった。
その代わり、抗いきれない寂しさがあったからか、兄以外の大人にも頻繁に甘えるようになった。
兄はもちろん、ディーノにも、ロマーリオにも、他の構成員にも、稀に様子を見に来る叔父の家光にも。
ロマーリオも、それが悪いことだとは微塵も思っていない。
親を亡くし、人間でないという秘密を兄と共に抱えながら、異国の地で泣かず文句も言わず健気に生きる幼子。そのわがままとも言えないような小さな願いくらい、叶えてやりたかった。
大人に甘えることを、人のぬくもりに触れることを許されずに歪んでしまった子どもを、少なくない数を見てきた。だからこの子はそうならないように、という親心のようなものもあった。
そしてレイが10歳のある日、ついにヒロヤも行方不明となった。幸せな家庭を知っている子どもが経験するには、あまりにも酷な喪失を、あの子はたった10歳にして知ってしまった。
親友を失ったディーノと、兄を失ったレイ。傷は時に、癒着を起こすことがある。妙な共依存にならないか不安になって、一時は監視していたこともあった。
幸いにもそれは杞憂に終わり、健全な疑似的な兄妹のような関係だけが維持され続けた。2人の間には決して男女の空気はない。
おそらく放っておいたとしても、彼らが間違いを犯すことはないと信じている。
しかし、それはあくまでも身内から見た答えだ。
「レイは確かにあんな風だが、女の子だ。そしてボスは男だ」
そう、事情を全く知らない第三者が見れば、この2人は『裏社会で権力を持つ若い男』と『身寄りのない少女』でしかない。要は下種なストーリーラインを描きやすい関係性なのだ。
「万が一、レイがこれから急に女らしい体なったら嫌な噂が立つ。ボスがガキに手を出す男だと噂されるのは、オレには耐え難い」
はっきりと伝えれば、ディーノは露骨に嫌そうな顔をした。
「そんなの気にしなけりゃいいだろ」
ああ、やはりまだまだ若い。
彼の気持ちは十分にわかる。こっちだってこんなのこと気にしなくていいのなら考えたくもない。
それでも世間というものは、それを許してはくれるほど優しくも清らかでもない。
「甘いぜ、ボス」
自分でも心底嫌だなぁと思いながら、ロマーリオは言った。
「その時はレイも、『ガキの頃から体を使っていた』なんて烙印を押されるぞ」
ディーノが動きを止めて、は、と声にならない息を漏らした。
「噂は消せない、特に弱者側に押し付けられるこの手の噂は残り続け、『自分にも触らせろ』なんてカスの免罪符になる。だから噂の種すら許しちゃいけない」
少し青い顔で黙りこくってしまったディーノに、胸が痛む。
恐らくまだ逃げ道を探しているであろうディーノに、その道を潰すべく話を続ける。
「ボスとだけじゃない。無意識だろうが、あの子は人との距離がやや近い。ボスもそう思うだろ?」
またディーノの顔が強張る。その認識が彼にもあるというのなら話は早い。
レイは、昔から敵意や害意には非常に敏感だった。ドールという存在特有のものだろうか。
戦う力を得た今となっては、不意打ちに対する反射神経のよさに、大人側が驚かされることも少なくない。
しかし、敵意や害意というには弱く、『欲』と呼ばれる人間の澱のような感情に対する感度は果たしていかほどか。むしろ人間でないからこそ、根本的に理解できない領域の可能性もある。
「どれだけ男の子に見えようが、女の子である以上は距離感を矯正してやらなきゃいけない。オレたちと同じ道を進むにせよ、表の世界に戻っていくにせよ、レイが無意識に近寄った男が勘違いして、あの子がいらない傷を負う可能性がある。その時『あいつが誘った』『気のない男にあそこまで近寄ってくるわけがない』と責任転嫁されるかもしれない」
「……やめろ」
声を震わせるディーノを無視して、「もうちょっと嫌な話もするぞ」と自身も覚悟しながらロマーリオは踏み込んだ。
「臓器のないアイツは、恐らく妊娠しない。傷の治りも早けりゃ感染症にかかることもない。そんな『使い勝手のいい』事実を、偶然でもクズが知ったらどうなる?」
レイが人間でない事実を知るのは、キャバッローネの中でも限られたごく一部だった。情報を絞った理由の一つには、まさに今挙げた懸念があった。
身内にそんな輩はいないと信じたいが、それでも何かの拍子にストッパーが外れる可能性は否めないし、そもそも情報が漏れる経路は可能な限り遮断したい。
「下手したら、そいつがお仲間を」
「やめろ!」
とうとうディーノは声を荒げた。引き攣った顔で、走ってもいないのに肩で息をする姿は、名実ともにレイを愛する保護者だった。
「そんな、そんなこと、オレが……」
「ボスが、どうするんだ?」
じっとその目を見つめ返せば、ディーノはわずかに怯むような表情を浮かべる。
「レイの人付き合いを、日常的な自由を奪うか?そうすりゃ確かに危険からは遠ざけられる。『飼い殺し』ともいえるがな」
あえて挑発的な物言いをすれば、彼はとうとう唇を噛んで俯いてしまった。
レイの幸せを願っているディーノは、彼女を閉じ込めるという選択肢を選べない。彼女が同世代の友人を作ることを望んでいる。だから、できない。
大人といってもまだ若く、この世界の深い汚さを想像しきれない青年。
親友の大切な存在を守っているだけの彼には、ひどい物言いだと理解している。それでも、この荒療治は2人が無駄な傷を負わないために必要なことだった。
ロマーリオの言わんとすることを理解したであろうディーノを見て、口元を緩める。
「あんたはまだ若い。そこまで思い至らなかったとしても仕方ない。それはオレたち年長者の役目だ」
むしろこの年でそこまで考えられてしまうとしたら、若くして汚いものを見過ぎた証左にもなる。だからこれでいい。
それでも、子どもを保護する1人の大人としての思考は、そろそろしっかりと持たなければならない。
「レイに色々と教えるのはボスとオレたち全員の役目だ」
そう、教えなければならない。おそらく普通の子どもよりもはっきりと、遠慮なく。
「普通なら反抗期に家族と距離が生まれる。思春期に学校で異性との距離感も学ぶ。だがあの子は家族を亡くした。学校にも行ってない。そうでなくとも人間じゃないから、反抗期や思春期自体がないかもしれない」
社会的な立ち位置だけでなく、存在そのものが特異である以上、こちらが意識して見てやらるべき事項は決して少なくないだろう。
レイの無垢さと無邪気さがあの子自身を傷付ける刃になるような未来を、ロマーリオは許すことができない。
「オレたちが教えてやらないといけない。それが大人の責任だ」
俯いたままのディーノが、小さく口を開く。
「……アイツ、まだ12歳でひとりなんだぞ」
その小さな呟きに、ロマーリオはそうだな、と返す。
ディーノがレイを守ろうとしている理由が、善意と愛情だけでないことをロマーリオは知っている。
マフィアのボスという守る力を持ちながら、自分の居場所でもあった一家を守れなかった、あるいは奪ってしまったという負い目が、ディーノの中に浅からぬ根を張っていた。
兄に成り代わろうとはしないが、その穴を少しでも埋めてやりたい。
だからレイにとって家族のような立場になろうとする。あらゆる形で温もりを与えてやりたいと願ってしまう。
「それに、甘えん坊だから無意識に近寄ってくるぜ?」
「なにも突き放す必要はない。年相応の距離感ってやつに変えていくだけだ」
裏社会の権力者としては不釣り合いなほど優しく清廉。誇らしさを覚えると同時に、危うさも感じる。
そして美しさを最大限に守ったまま、それを弱点としないために動くのが右腕の仕事だ。
抱き上げなくても、体を密着させなくても、目線合わせて話聞いてやったり、隣にいてやることはできる。頭を撫でるくらいであれば、下衆の勘繰りもそうそう起きないだろう。
あからさまなスキンシップだけが愛情を伝える手段ではない。
これには受け手側の資質も必要だが、レイは人の善意も愛情も、正面からきちんと受け取ることができる子だ。だからきっと大丈夫だ。
「泣いてたら?」
わずかに少年の面影が残る表情でディーノが言う。
赤ん坊の頃から知っているこの子は、また少しずつ本当の大人に成長していく。
優しくその背中を叩きながら、ロマーリオは笑った。
「そん時は思いっきり泣かせてから、美味いもんでも一緒に食ってやれ。オレが昔、あんたにそうしたようにな」
実際に誰かが何かをされるわけではありませんが、性被害に関して直接的に言及する場面があります。
あくまでも「おまけ」であり、読まなくとも全体に問題はありません。
苦手な方はブラウザバックをお願いします。
おまけ
距離を整える話。
夢主が12歳、ディーノが20歳そこそこの時の話。
視線の先、レイがディーノに駆け寄っていくのが見えた。
ディーノは何のためらいもなく腕を広げ、レイも何のためらいもなくその中に飛び込んでいく。
笑顔で親密なハグをする2人は、見た目も人種も、そもそもの種族すら違うというのに兄弟のように見える。
レイはディーノと一緒に戻ってきたほかの部下たちにも同様に抱き着いた。彼らも笑顔でレイを抱きしめる。力自慢の1人がレイを軽々と持ち上げて、ディーノの肩にレイを乗せた。肩車の状態だ。
誰もが笑っている。ロマーリオにとっても、守るべき愛しい光景だった。
しかし、レイはもう12歳になる。誰かが嫌な役を引き受けなければいけない。
「ボス」
ディーノを呼び止めれば、彼は肩に乗ったレイごと振り向いた。
「どうした?」
「2人で話したいことがあるんだが、いいか?」
「いいぜ。レイ、降りれるか?」
「はい」
ディーノや他の大人が手を貸すこともなく、レイは自分から器用にディーノの肩を降りる。
それから他の者に声を掛けられ、何やら手伝いをするために駆けていった。
その背中を見送ってから、2人で執務室に入る。ここならば他の者が急に入ってくることはほぼない。
「で、何の用だ?」
ジャケットを脱ぎながら、年若いボスが訊いてくる。
シャツ越しにも分かるほどにしっかりとした体は、もう子どものものではない。もう20歳だということも踏まえれば、その肉体は名実ともに大人の男だ。彼の父親である先代に見せてやりたいほど、心身共に立派に育った。
それでもまだ、その心は青く瑞々しい。世界の悪意に底がないことを、まだどこか絵空事のようにとらえている。
だからこそ、年長者が釘を刺さなければならないことがあった。
今からの話も、その一つだ。
「ボス、そろそろレイとの距離を考えた方がいい」
「距離って何だ?」
「あんた、今でもレイと思い切りハグしたり抱き上げたり、膝に乗せたりしてるだろ。まあ他の連中もそうだがな」
ロマーリオの言葉に、案の定ディーノは「してるけど」と返しながらきょとんとしている。
ディーノに一切の下心がないことは、ロマーリオもよく知っている。
彼にとってレイは親友であるヒロヤの妹であり、幼いころにはから足元でちょろちょろしていた可愛い子どもでしかない。
元々甘えん坊な性格だからか、幼かったレイはディーノにもよく懐いていた。『ディーノおにいちゃん』なんて呼びながらひっつきまわり、一人っ子のディーノも幼いレイを抱き上げたり肩車したりと可愛がっていた。
ディーノの様子を見にきていたロマーリオをはじめとしたキャバッローネの構成員にも、レイは『家によく来るおじさんたち』と、早々に心を開いてくれた。
瀬切家とは、家族ぐるみの付き合いに近かった。
それから数年後。
両親を亡くした当時15歳のヒロヤと6歳のレイをキャバッローネに受け入れ、ヒロヤがファミリーの構成員として動くようになってから。
レイはまっすぐな心根を失うことなく、素直に大人たちの言うことを聞いた。ディーノに対しても、いつしか敬称で呼びかけ、敬語で話しかけるようになった。
その代わり、抗いきれない寂しさがあったからか、兄以外の大人にも頻繁に甘えるようになった。
兄はもちろん、ディーノにも、ロマーリオにも、他の構成員にも、稀に様子を見に来る叔父の家光にも。
ロマーリオも、それが悪いことだとは微塵も思っていない。
親を亡くし、人間でないという秘密を兄と共に抱えながら、異国の地で泣かず文句も言わず健気に生きる幼子。そのわがままとも言えないような小さな願いくらい、叶えてやりたかった。
大人に甘えることを、人のぬくもりに触れることを許されずに歪んでしまった子どもを、少なくない数を見てきた。だからこの子はそうならないように、という親心のようなものもあった。
そしてレイが10歳のある日、ついにヒロヤも行方不明となった。幸せな家庭を知っている子どもが経験するには、あまりにも酷な喪失を、あの子はたった10歳にして知ってしまった。
親友を失ったディーノと、兄を失ったレイ。傷は時に、癒着を起こすことがある。妙な共依存にならないか不安になって、一時は監視していたこともあった。
幸いにもそれは杞憂に終わり、健全な疑似的な兄妹のような関係だけが維持され続けた。2人の間には決して男女の空気はない。
おそらく放っておいたとしても、彼らが間違いを犯すことはないと信じている。
しかし、それはあくまでも身内から見た答えだ。
「レイは確かにあんな風だが、女の子だ。そしてボスは男だ」
そう、事情を全く知らない第三者が見れば、この2人は『裏社会で権力を持つ若い男』と『身寄りのない少女』でしかない。要は下種なストーリーラインを描きやすい関係性なのだ。
「万が一、レイがこれから急に女らしい体なったら嫌な噂が立つ。ボスがガキに手を出す男だと噂されるのは、オレには耐え難い」
はっきりと伝えれば、ディーノは露骨に嫌そうな顔をした。
「そんなの気にしなけりゃいいだろ」
ああ、やはりまだまだ若い。
彼の気持ちは十分にわかる。こっちだってこんなのこと気にしなくていいのなら考えたくもない。
それでも世間というものは、それを許してはくれるほど優しくも清らかでもない。
「甘いぜ、ボス」
自分でも心底嫌だなぁと思いながら、ロマーリオは言った。
「その時はレイも、『ガキの頃から体を使っていた』なんて烙印を押されるぞ」
ディーノが動きを止めて、は、と声にならない息を漏らした。
「噂は消せない、特に弱者側に押し付けられるこの手の噂は残り続け、『自分にも触らせろ』なんてカスの免罪符になる。だから噂の種すら許しちゃいけない」
少し青い顔で黙りこくってしまったディーノに、胸が痛む。
恐らくまだ逃げ道を探しているであろうディーノに、その道を潰すべく話を続ける。
「ボスとだけじゃない。無意識だろうが、あの子は人との距離がやや近い。ボスもそう思うだろ?」
またディーノの顔が強張る。その認識が彼にもあるというのなら話は早い。
レイは、昔から敵意や害意には非常に敏感だった。ドールという存在特有のものだろうか。
戦う力を得た今となっては、不意打ちに対する反射神経のよさに、大人側が驚かされることも少なくない。
しかし、敵意や害意というには弱く、『欲』と呼ばれる人間の澱のような感情に対する感度は果たしていかほどか。むしろ人間でないからこそ、根本的に理解できない領域の可能性もある。
「どれだけ男の子に見えようが、女の子である以上は距離感を矯正してやらなきゃいけない。オレたちと同じ道を進むにせよ、表の世界に戻っていくにせよ、レイが無意識に近寄った男が勘違いして、あの子がいらない傷を負う可能性がある。その時『あいつが誘った』『気のない男にあそこまで近寄ってくるわけがない』と責任転嫁されるかもしれない」
「……やめろ」
声を震わせるディーノを無視して、「もうちょっと嫌な話もするぞ」と自身も覚悟しながらロマーリオは踏み込んだ。
「臓器のないアイツは、恐らく妊娠しない。傷の治りも早けりゃ感染症にかかることもない。そんな『使い勝手のいい』事実を、偶然でもクズが知ったらどうなる?」
レイが人間でない事実を知るのは、キャバッローネの中でも限られたごく一部だった。情報を絞った理由の一つには、まさに今挙げた懸念があった。
身内にそんな輩はいないと信じたいが、それでも何かの拍子にストッパーが外れる可能性は否めないし、そもそも情報が漏れる経路は可能な限り遮断したい。
「下手したら、そいつがお仲間を」
「やめろ!」
とうとうディーノは声を荒げた。引き攣った顔で、走ってもいないのに肩で息をする姿は、名実ともにレイを愛する保護者だった。
「そんな、そんなこと、オレが……」
「ボスが、どうするんだ?」
じっとその目を見つめ返せば、ディーノはわずかに怯むような表情を浮かべる。
「レイの人付き合いを、日常的な自由を奪うか?そうすりゃ確かに危険からは遠ざけられる。『飼い殺し』ともいえるがな」
あえて挑発的な物言いをすれば、彼はとうとう唇を噛んで俯いてしまった。
レイの幸せを願っているディーノは、彼女を閉じ込めるという選択肢を選べない。彼女が同世代の友人を作ることを望んでいる。だから、できない。
大人といってもまだ若く、この世界の深い汚さを想像しきれない青年。
親友の大切な存在を守っているだけの彼には、ひどい物言いだと理解している。それでも、この荒療治は2人が無駄な傷を負わないために必要なことだった。
ロマーリオの言わんとすることを理解したであろうディーノを見て、口元を緩める。
「あんたはまだ若い。そこまで思い至らなかったとしても仕方ない。それはオレたち年長者の役目だ」
むしろこの年でそこまで考えられてしまうとしたら、若くして汚いものを見過ぎた証左にもなる。だからこれでいい。
それでも、子どもを保護する1人の大人としての思考は、そろそろしっかりと持たなければならない。
「レイに色々と教えるのはボスとオレたち全員の役目だ」
そう、教えなければならない。おそらく普通の子どもよりもはっきりと、遠慮なく。
「普通なら反抗期に家族と距離が生まれる。思春期に学校で異性との距離感も学ぶ。だがあの子は家族を亡くした。学校にも行ってない。そうでなくとも人間じゃないから、反抗期や思春期自体がないかもしれない」
社会的な立ち位置だけでなく、存在そのものが特異である以上、こちらが意識して見てやらるべき事項は決して少なくないだろう。
レイの無垢さと無邪気さがあの子自身を傷付ける刃になるような未来を、ロマーリオは許すことができない。
「オレたちが教えてやらないといけない。それが大人の責任だ」
俯いたままのディーノが、小さく口を開く。
「……アイツ、まだ12歳でひとりなんだぞ」
その小さな呟きに、ロマーリオはそうだな、と返す。
ディーノがレイを守ろうとしている理由が、善意と愛情だけでないことをロマーリオは知っている。
マフィアのボスという守る力を持ちながら、自分の居場所でもあった一家を守れなかった、あるいは奪ってしまったという負い目が、ディーノの中に浅からぬ根を張っていた。
兄に成り代わろうとはしないが、その穴を少しでも埋めてやりたい。
だからレイにとって家族のような立場になろうとする。あらゆる形で温もりを与えてやりたいと願ってしまう。
「それに、甘えん坊だから無意識に近寄ってくるぜ?」
「なにも突き放す必要はない。年相応の距離感ってやつに変えていくだけだ」
裏社会の権力者としては不釣り合いなほど優しく清廉。誇らしさを覚えると同時に、危うさも感じる。
そして美しさを最大限に守ったまま、それを弱点としないために動くのが右腕の仕事だ。
抱き上げなくても、体を密着させなくても、目線合わせて話聞いてやったり、隣にいてやることはできる。頭を撫でるくらいであれば、下衆の勘繰りもそうそう起きないだろう。
あからさまなスキンシップだけが愛情を伝える手段ではない。
これには受け手側の資質も必要だが、レイは人の善意も愛情も、正面からきちんと受け取ることができる子だ。だからきっと大丈夫だ。
「泣いてたら?」
わずかに少年の面影が残る表情でディーノが言う。
赤ん坊の頃から知っているこの子は、また少しずつ本当の大人に成長していく。
優しくその背中を叩きながら、ロマーリオは笑った。
「そん時は思いっきり泣かせてから、美味いもんでも一緒に食ってやれ。オレが昔、あんたにそうしたようにな」
