白線(10月その1)
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おまけ その1
レイとベルの出会いの話。
外に出るときは一緒にいてくれた人がいない。気を抜けば滲みそうになる涙をのみ込みながら、レイは町の中を歩いた。
おつかいに行ったパン屋の店主が、家族を失ったばかりのレイを気にかけて、ビスコッティをおまけにくれた。
兄、ヒロヤの失踪から早くも2か月が経つ。
何があったのか、ディーノたちは誠意をもって教えてくれた。
ヒロヤは一般人を盾に取られて何者かにさらわれたこと、そこで何らかの実験を施されて思考と行動が反転させられたこと。その結果、最も大切な存在であるディーノに刃を向け、自身の思考を裏切る体をさらに裏切るように自らの左腕を切り落として、痛みで自らを制御するようにして姿を消したということ。
大人たちの顔を見れば、彼らがこの事実を告げることをどれだけ躊躇ったかが伺えた。
それでも教えてくれた。
本来であればファミリーの裏切り者の置き土産として罵られても追放されても文句は言えない立場なのに、彼らはそうはしなかった。
イタリアに残りたいというレイのわがままを、ディーノや家光をはじめ、多くの大人たちが聞いてくれた。
さらにはある程度は身を守れるようにと、実践的な身のこなしや体術を教えてくれるようになった。
間違いなく、破格の優しさを受けている。彼らには感謝しかないし、ファミリーのためにその命を捧げろと言われればそれくらいする覚悟はできている。
それでも一つだけ、不満ではないが不安があった。
彼はレイに、実践的な殺しの訓練をさせようとしない。
銃の使い方は教わった。人間の急所だって教わった。だが、本気の命の取り合いに直結するようなものには、触れさせてくれない。
これも彼らの愛情の一つだと分かっている。
その力を得たら、レイは兄と対峙した際に逃走ではなく対峙を選ぶからだ。
彼らは、特にディーノは、ヒロヤとレイが兄妹で殺し合うことを望まない。
あと数年経てば、多少は気が変わるかもしれないが、それでは遅いかもしれない。
強くなりたい。もっとちゃんと、戦う力が欲しい。必要な時に、躊躇いなく命を奪えるだけの、力と覚悟が欲しい。
そう思いながら歩いていたら、ふと前方で何かがチカリと光るのが見えた。
ディーノより少し淡い、丸く整えられたブロンド、そこに乗せられたティアラが輝いたのだ。
「ベル……」
何度かスクアーロや他の幹部に首根っこをひっつかまれたまま、キャバッローネの本部に訪れていたのを見たことがある。向こうがこちらを認識しているかは不明だが。
ボンゴレファミリーの独立暗殺部隊、ヴァリアーの幹部。『プリンス・ザ・リッパー』という彼の二つ名はレイですら耳にするほどだ。
彼を連れていた者たちが「ベル」と言っていたのは知っているが、それが本名なのか、あるいは愛称なのか。そこまでは知らない。
ふと、一つの考えがレイの中に浮かんだ。浮かんでしまえば、足は勝手に動き出した。
ジェラートのショーケースを覗いている少年が、こちらを見た。前髪で目が隠れているので、恐らくこちらを見た、というのが正しいかもしれない。
殺気を飛ばしてくるわけでもない。だが、間違っても友好的な空気でもない。
彼は再度視線をジェラートに向けてしまう。
注文を終え、店主から商品を受け取った彼が、顎で一本裏に抜ける道を指して歩き出した。
その後ろについていき、人気がなくなったところでナイフを喉に当てられた。
真正面に立っていると言うのに、彼が一歩大きく詰めてくるのに一切反応できなかった。
「殺されたいならそう言えよ」
刃が首の皮を薄く裂いたのか、ピリつくような痛みを感じる。
だが、そこを掻き切られたくらいではレイは死なない。だから腰が抜けるほどの恐怖にはならなかった。
「お願いがあるんだ」
「あ?」
「戦い方を教えてほしい。強くなりたいんだ」
腰が抜けるほどでないとはいえ、怖いものは怖い。声は掠れ、震えていた。
それでも、教えを乞うのであれば意地を張らなければならない。そう思って、背筋を伸ばして、目があるであろう場所を見つめる。
「強くなりたいだけ?」
思いの外、真剣な声色で訊かれた。だから、こちらも正直に答える。
「もしかしたら、殺さなきゃいけないから、それも教えて欲しい」
やはり前髪に隠れて見えないが、その目がレイを頭のてっぺんから足の先まで見たような気がした。
それから喉元のナイフが離れた。体温が移っていたのか、離れたことで冷気を感じる。
「いいぜ」
歯を見せるように笑いながら、彼は言った。
「暇潰しになるならいいぜ」
暇潰し。彼の望む『暇潰し』のレベルは分からないが、了承してくれたということでいいのだろうか。
「あ、ありがとう」と一応の礼を伝えれば、彼は今一度レイを見る。
「そういや、お前どっかで見たことあるような」
「キャバッローネが面倒見てる孤児だよ」
頭上から降ってきた声に、驚いて顔を上げる。
暗色のローブを身に纏った赤子が、ゆっくりと降りてくる。
はっきりと喋る赤ん坊。
思わず「リボーン……」と呟けば、「僕の存在は他言無用だ。いいね?」と、強い声色で釘を刺される。
「おい、マーモン。お前どこ行ってたんだよ」
「どこだって別にいいだろ。そんなことより、勝手にとんでもない口約束をしてくれたようだね」
こちらの赤ん坊も目元が隠れているのでよく分からないが、睨み付けられていることは分かった。
「ベル。同盟ファミリーの保護下の子どもを『間違って殺してしまいました』なんてことは許されないよ」
「えー?コイツから言ってきたのに?」
「当たり前だろ。保護下であり、完全なファミリーではない。つまり半分堅気だ。そうでなくても『ゆりかご』の件でまだ監視が強いって分かってるかい?」
「別にいいじゃん、王子暇だもん」
自分のことを王子と思ってるなんて変な人だな。
他人事のようにそう思っていたら、ベルがマーモンの口を片手で押さえながら人差し指を向けてきた。
「明後日の今頃の時間なら相手してやれるぜ。一旦ここに来い」
そして、約束の2日後、同じ路地裏。
「いっつ……、ぅ……」
小さく呻きながら、レイは肘をつきながら体を起こす。鼻腔から垂れた赤い雫が石畳を汚した。
が、また脇腹に衝撃を受けて視界が回る。また顔が地面に付いてしまったのか、石とカビの臭いが鼻をついた。あちこちが痛くて、どこが痛いのかすらよく分からない。
「ザッコ。何も楽しくねぇじゃん」
上から冷たい声が降ってきて、側頭部をつま先で小突かれた。
「ザコは痛みで止まるからザコなんだぜ」
死にたくなけりゃ、痛かろうが血を吐いてようが動き回れよ。
そう言い残して心底つまらなさそうに去っていった。それでも「気絶しないだけ褒めてやるよ。そうだなー、次6日後な」と続きがあることだけは言い残してくれた。
レイがゆっくり立ち上がると、目の前にはマーモンが浮いていた。マーモンはぐるっとレイの周囲を回り、「死ぬような傷はないね」と呟いてから背中を向ける。
「キャバッローネへの言い訳は自分で考えとくんだよ。そこまでは僕の仕事じゃないからね」
本人曰く、ベルが勢い余ってレイを殺さないためのお目付け役とのことだが、本当に命の有無が判断基準らしい。ボコボコにされている間、一切の助けがなかった。
まあ、本気で殺す気がないから武器なしの手足だけにしてくれたのだろう。
キャバッローネの人たちって、本当に優しいんだな。同じマフィアなのに全く違う。
痛む体を引き摺りながら、レイは改めて実感した。
それでも、きっと人を殺したり、レイには見せたくないような仕事をしたりはしているのだろう。マフィアなのだから。
額に触れれば、手に掠れた血がついた。さっき石畳に擦り付けてしまったのだろうか。
もう一度擦れば、血の量は半分程度になった。
幸いにも人間より丈夫で、治癒も早い体だ。今日くらいの怪我なら明日には誤魔化せるくらいになっているだろう。
せめて今日は誰にも見つからないように、さっとシャワーを浴びて自室に篭ろう。薄暗くなったから、きっと大丈夫だ。
そう思ったのに。
「レイ。おかえり」
びくり、と全身が震えた。ぎこちなく声の出所を向く。
よりによって立っていたのはディーノだった。その肩にはリボーン、そして隣にはロマーリオもいる。
あえて裏口から屋敷に入ろうとしたのに。
ベルに戦い方を教わることは、ひいては殺しの技術を学ぶことは、キャバッローネの誰にも言っていない。
怪我の言い訳を必死に考える。
転んだにしても酷すぎる。チンピラに絡まれたなんて言って、変な心配をさせたくない。
言葉を出さないまま口を開閉させていると、先にディーノが話し出した。
「お前が誰と何してたか、知ってるぜ。スクアーロから『ガキの教育くらいしとけ』って大音量の苦情電話が入ったからな」
ひゅ、と呼吸が止まりかけた。叱られると思って、視線が下がって体が竦む。
どうしよう、と焦るばかりで言い訳を考えることすらできなくなった。
縮こまっているレイの耳に、リボーンのため息が届いた。
「お前のやったことは褒められたことじゃねぇぞ。同盟ファミリーと言えど、上の人間が承知していない状態で他ファミリーの人間に師事を受けるなんざ大問題だ」
リボーンの言葉にも何も返せないまま、唇を噛み締める。
悪いことをしている自覚はある。彼らの想いを、優しさを踏み躙る行為だと分かっている。
叱られるだけならマシで、追い出されるかもしれない。それでも文句は言えない。
上着の裾を握って、感情の波をやり過ごそうとした。
不意に頭にポン、と誰かの手が乗った。ディーノの手だった。
「殺しの技術を学ぶのは、もう止めない」
え、と自分の喉から無意識の声が漏れる。恐る恐る顔を上げた。
「ただ、一個だけ約束してくれ」
ディーノは笑みを浮かべていた。痛みを堪えた笑みだった。
「殺しよりも何よりも、まずは生き延びる技術を磨くこと。それを約束してくれ」
あまりにも優しい願いだった。
叱ることもなく、追放することもなく、殺すわけでもなく。ただ生きていることを望んでくれた。
ベルに与えられた痛みや恐怖、急に解けた緊張、そしてディーノの優しい願い。
全部がレイの中でぐちゃぐちゃに混ざって、気付けば目からは涙が溢れて止まらなくなっていた。喉からは不格好な息が漏れていく。
「ごめ……、ごめんなさいぃ……!」
「分かった分かった、そんなに泣くなって」
泣きながら必死に謝れば、ディーノは苦笑いしながらガシガシとレイの頭を撫でた。
ベルに殴られたところにディーノの指の骨が当たって痛い。でも、安心感の方が勝っていた。
ロマーリオが近付いてくる気配がした。いたわるような温かい手が、レイの背中を軽く押す。
「さ、とりあえず汚れ落として手当てして、お説教はその後だな。なあ、ボス?」
レイとベルの出会いの話。
外に出るときは一緒にいてくれた人がいない。気を抜けば滲みそうになる涙をのみ込みながら、レイは町の中を歩いた。
おつかいに行ったパン屋の店主が、家族を失ったばかりのレイを気にかけて、ビスコッティをおまけにくれた。
兄、ヒロヤの失踪から早くも2か月が経つ。
何があったのか、ディーノたちは誠意をもって教えてくれた。
ヒロヤは一般人を盾に取られて何者かにさらわれたこと、そこで何らかの実験を施されて思考と行動が反転させられたこと。その結果、最も大切な存在であるディーノに刃を向け、自身の思考を裏切る体をさらに裏切るように自らの左腕を切り落として、痛みで自らを制御するようにして姿を消したということ。
大人たちの顔を見れば、彼らがこの事実を告げることをどれだけ躊躇ったかが伺えた。
それでも教えてくれた。
本来であればファミリーの裏切り者の置き土産として罵られても追放されても文句は言えない立場なのに、彼らはそうはしなかった。
イタリアに残りたいというレイのわがままを、ディーノや家光をはじめ、多くの大人たちが聞いてくれた。
さらにはある程度は身を守れるようにと、実践的な身のこなしや体術を教えてくれるようになった。
間違いなく、破格の優しさを受けている。彼らには感謝しかないし、ファミリーのためにその命を捧げろと言われればそれくらいする覚悟はできている。
それでも一つだけ、不満ではないが不安があった。
彼はレイに、実践的な殺しの訓練をさせようとしない。
銃の使い方は教わった。人間の急所だって教わった。だが、本気の命の取り合いに直結するようなものには、触れさせてくれない。
これも彼らの愛情の一つだと分かっている。
その力を得たら、レイは兄と対峙した際に逃走ではなく対峙を選ぶからだ。
彼らは、特にディーノは、ヒロヤとレイが兄妹で殺し合うことを望まない。
あと数年経てば、多少は気が変わるかもしれないが、それでは遅いかもしれない。
強くなりたい。もっとちゃんと、戦う力が欲しい。必要な時に、躊躇いなく命を奪えるだけの、力と覚悟が欲しい。
そう思いながら歩いていたら、ふと前方で何かがチカリと光るのが見えた。
ディーノより少し淡い、丸く整えられたブロンド、そこに乗せられたティアラが輝いたのだ。
「ベル……」
何度かスクアーロや他の幹部に首根っこをひっつかまれたまま、キャバッローネの本部に訪れていたのを見たことがある。向こうがこちらを認識しているかは不明だが。
ボンゴレファミリーの独立暗殺部隊、ヴァリアーの幹部。『プリンス・ザ・リッパー』という彼の二つ名はレイですら耳にするほどだ。
彼を連れていた者たちが「ベル」と言っていたのは知っているが、それが本名なのか、あるいは愛称なのか。そこまでは知らない。
ふと、一つの考えがレイの中に浮かんだ。浮かんでしまえば、足は勝手に動き出した。
ジェラートのショーケースを覗いている少年が、こちらを見た。前髪で目が隠れているので、恐らくこちらを見た、というのが正しいかもしれない。
殺気を飛ばしてくるわけでもない。だが、間違っても友好的な空気でもない。
彼は再度視線をジェラートに向けてしまう。
注文を終え、店主から商品を受け取った彼が、顎で一本裏に抜ける道を指して歩き出した。
その後ろについていき、人気がなくなったところでナイフを喉に当てられた。
真正面に立っていると言うのに、彼が一歩大きく詰めてくるのに一切反応できなかった。
「殺されたいならそう言えよ」
刃が首の皮を薄く裂いたのか、ピリつくような痛みを感じる。
だが、そこを掻き切られたくらいではレイは死なない。だから腰が抜けるほどの恐怖にはならなかった。
「お願いがあるんだ」
「あ?」
「戦い方を教えてほしい。強くなりたいんだ」
腰が抜けるほどでないとはいえ、怖いものは怖い。声は掠れ、震えていた。
それでも、教えを乞うのであれば意地を張らなければならない。そう思って、背筋を伸ばして、目があるであろう場所を見つめる。
「強くなりたいだけ?」
思いの外、真剣な声色で訊かれた。だから、こちらも正直に答える。
「もしかしたら、殺さなきゃいけないから、それも教えて欲しい」
やはり前髪に隠れて見えないが、その目がレイを頭のてっぺんから足の先まで見たような気がした。
それから喉元のナイフが離れた。体温が移っていたのか、離れたことで冷気を感じる。
「いいぜ」
歯を見せるように笑いながら、彼は言った。
「暇潰しになるならいいぜ」
暇潰し。彼の望む『暇潰し』のレベルは分からないが、了承してくれたということでいいのだろうか。
「あ、ありがとう」と一応の礼を伝えれば、彼は今一度レイを見る。
「そういや、お前どっかで見たことあるような」
「キャバッローネが面倒見てる孤児だよ」
頭上から降ってきた声に、驚いて顔を上げる。
暗色のローブを身に纏った赤子が、ゆっくりと降りてくる。
はっきりと喋る赤ん坊。
思わず「リボーン……」と呟けば、「僕の存在は他言無用だ。いいね?」と、強い声色で釘を刺される。
「おい、マーモン。お前どこ行ってたんだよ」
「どこだって別にいいだろ。そんなことより、勝手にとんでもない口約束をしてくれたようだね」
こちらの赤ん坊も目元が隠れているのでよく分からないが、睨み付けられていることは分かった。
「ベル。同盟ファミリーの保護下の子どもを『間違って殺してしまいました』なんてことは許されないよ」
「えー?コイツから言ってきたのに?」
「当たり前だろ。保護下であり、完全なファミリーではない。つまり半分堅気だ。そうでなくても『ゆりかご』の件でまだ監視が強いって分かってるかい?」
「別にいいじゃん、王子暇だもん」
自分のことを王子と思ってるなんて変な人だな。
他人事のようにそう思っていたら、ベルがマーモンの口を片手で押さえながら人差し指を向けてきた。
「明後日の今頃の時間なら相手してやれるぜ。一旦ここに来い」
そして、約束の2日後、同じ路地裏。
「いっつ……、ぅ……」
小さく呻きながら、レイは肘をつきながら体を起こす。鼻腔から垂れた赤い雫が石畳を汚した。
が、また脇腹に衝撃を受けて視界が回る。また顔が地面に付いてしまったのか、石とカビの臭いが鼻をついた。あちこちが痛くて、どこが痛いのかすらよく分からない。
「ザッコ。何も楽しくねぇじゃん」
上から冷たい声が降ってきて、側頭部をつま先で小突かれた。
「ザコは痛みで止まるからザコなんだぜ」
死にたくなけりゃ、痛かろうが血を吐いてようが動き回れよ。
そう言い残して心底つまらなさそうに去っていった。それでも「気絶しないだけ褒めてやるよ。そうだなー、次6日後な」と続きがあることだけは言い残してくれた。
レイがゆっくり立ち上がると、目の前にはマーモンが浮いていた。マーモンはぐるっとレイの周囲を回り、「死ぬような傷はないね」と呟いてから背中を向ける。
「キャバッローネへの言い訳は自分で考えとくんだよ。そこまでは僕の仕事じゃないからね」
本人曰く、ベルが勢い余ってレイを殺さないためのお目付け役とのことだが、本当に命の有無が判断基準らしい。ボコボコにされている間、一切の助けがなかった。
まあ、本気で殺す気がないから武器なしの手足だけにしてくれたのだろう。
キャバッローネの人たちって、本当に優しいんだな。同じマフィアなのに全く違う。
痛む体を引き摺りながら、レイは改めて実感した。
それでも、きっと人を殺したり、レイには見せたくないような仕事をしたりはしているのだろう。マフィアなのだから。
額に触れれば、手に掠れた血がついた。さっき石畳に擦り付けてしまったのだろうか。
もう一度擦れば、血の量は半分程度になった。
幸いにも人間より丈夫で、治癒も早い体だ。今日くらいの怪我なら明日には誤魔化せるくらいになっているだろう。
せめて今日は誰にも見つからないように、さっとシャワーを浴びて自室に篭ろう。薄暗くなったから、きっと大丈夫だ。
そう思ったのに。
「レイ。おかえり」
びくり、と全身が震えた。ぎこちなく声の出所を向く。
よりによって立っていたのはディーノだった。その肩にはリボーン、そして隣にはロマーリオもいる。
あえて裏口から屋敷に入ろうとしたのに。
ベルに戦い方を教わることは、ひいては殺しの技術を学ぶことは、キャバッローネの誰にも言っていない。
怪我の言い訳を必死に考える。
転んだにしても酷すぎる。チンピラに絡まれたなんて言って、変な心配をさせたくない。
言葉を出さないまま口を開閉させていると、先にディーノが話し出した。
「お前が誰と何してたか、知ってるぜ。スクアーロから『ガキの教育くらいしとけ』って大音量の苦情電話が入ったからな」
ひゅ、と呼吸が止まりかけた。叱られると思って、視線が下がって体が竦む。
どうしよう、と焦るばかりで言い訳を考えることすらできなくなった。
縮こまっているレイの耳に、リボーンのため息が届いた。
「お前のやったことは褒められたことじゃねぇぞ。同盟ファミリーと言えど、上の人間が承知していない状態で他ファミリーの人間に師事を受けるなんざ大問題だ」
リボーンの言葉にも何も返せないまま、唇を噛み締める。
悪いことをしている自覚はある。彼らの想いを、優しさを踏み躙る行為だと分かっている。
叱られるだけならマシで、追い出されるかもしれない。それでも文句は言えない。
上着の裾を握って、感情の波をやり過ごそうとした。
不意に頭にポン、と誰かの手が乗った。ディーノの手だった。
「殺しの技術を学ぶのは、もう止めない」
え、と自分の喉から無意識の声が漏れる。恐る恐る顔を上げた。
「ただ、一個だけ約束してくれ」
ディーノは笑みを浮かべていた。痛みを堪えた笑みだった。
「殺しよりも何よりも、まずは生き延びる技術を磨くこと。それを約束してくれ」
あまりにも優しい願いだった。
叱ることもなく、追放することもなく、殺すわけでもなく。ただ生きていることを望んでくれた。
ベルに与えられた痛みや恐怖、急に解けた緊張、そしてディーノの優しい願い。
全部がレイの中でぐちゃぐちゃに混ざって、気付けば目からは涙が溢れて止まらなくなっていた。喉からは不格好な息が漏れていく。
「ごめ……、ごめんなさいぃ……!」
「分かった分かった、そんなに泣くなって」
泣きながら必死に謝れば、ディーノは苦笑いしながらガシガシとレイの頭を撫でた。
ベルに殴られたところにディーノの指の骨が当たって痛い。でも、安心感の方が勝っていた。
ロマーリオが近付いてくる気配がした。いたわるような温かい手が、レイの背中を軽く押す。
「さ、とりあえず汚れ落として手当てして、お説教はその後だな。なあ、ボス?」