閃光(2月その1)
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「日本人って本当に手作りが好きなんだな」
「ハルちゃんは特にだと思うよ」
「へー。それにしてもすごいよね、ツナが好きなことをあんなにはっきりと……」
京子、ハルと別れてまたレイと2人になる。
レイの声に純粋な敬意がにじんでいた。クロームだってあそこまではっきり気持ちを表現できたらと思わなくもない。
まっすぐな好意は勇気の塊のようなものだ。かっこいいとすら思う。
もしもクロームがハルに相当するレベルで骸に好意を見せたら、果たしてどんな顔をするのだろうか。
曲がり角、不意に人の気配がして顔を上げる。
「あ」
「お」
山本だった。
エナメルバッグを掛け、制服の上着にはウィンドブレーカーだけを羽織っている。
「よ!本屋行ってたのか?」
2人が手に持っている袋を見て、山本が首を傾げた。
「問題集買ってたんだ」
「へー、なんの?」
「過去問とかの」
「過去問の問題集とかあんのか?」
「そりゃああるよ」
レイが袋を軽く掲げて、そこからなんてことのない会話が始まった。
最近、2人の間に漂う空気はどこか落ち着いている。
元から肩肘張らない会話が多かった。しかし、レイが明らかに山本を意識するようになってから薄く存在していた膜が、ここにきて消えたような気がするのだ。
レイへの誕生日プレゼントとは別に、2人の関係にいい影響を及ぼすような何かがあったのかもしれない。
とはいえ別に交際したようには見えないので、単に仲が良くなっただけかもしれない。
進展があったら是非とも教えてもらいたい。
「クロームは?」と山本から会話を向けられたので、「私は数学の問題集」と答えた。
特にどうということもない会話を交わしながら公園の横を通りかかったとき、不意に視界の端で何かが揺らめいた。幻術の発端だと直感する。
槍の穂先を握り締め、クロームはとっさに自身を中心としたドーム型の炎の膜を張る。
全体をひっくり返すことはできなかった。周囲を闇に覆われている。
少なくとも仲間の分断は避けられたが、一つ止まらない足音がしてクロームはハッと振り返った。
幻覚を感知できないレイは、周囲に起きた異変もクロームの行動もわかっていない。クロームの張った膜を出そうになった瞬間、山本がレイの腕を掴んで動きを止める。
「え、なんだ?」
キョトンとしたレイに、山本が「あー、そっか、瀬切はわかんねぇんだったな」と呟く。
「多分、オレら今幻覚の中だぜ。離れるとオレらから瀬切の場所が分からなくなる」
「え」
「クロームがとっさにオレらへの影響は抑えてくれてる。な、クローム、サンキュ」
「ううん、気付くのが遅くてごめん」
そう、もっと早く気付くべきだった。
幻覚の侵食を食い止めることはできても、術士の居場所が分からなければ直接打ち破るには至らない。骸ほどの力があれば分からないが、少なくともクロームは先手を打たなければならない立場だった。悔しい。
「山本君、どう?」
そう訊けば、山本はネックレスを指でいじりながらうーん、と眉を顰める。
「動いてるような幻覚とか、術士が近くにいるならいいんだけどな……」
「そう、だよね……」
山本の剣術は術士に対して特効性のあるものも少なくない。しかし、彼の言う通り、炎の『鎮静』の効果を活かすにも、止まっている幻覚の中では効果が薄い。
剣で闇雲に突破できるものかも分からない以上、膜の中から出るのは危険だ。
「ツナならXバーナーがあるんだけどな……」
山本の悔し気な呟きに、レイが首を傾げた。
「Xバーナー?」
「あれ、瀬切は知らねぇんだっけ?ツナのすげー技!パってやってドーン、て感じなんだけどさ」
「パってやってドーン……?」
オノマトペ以外の情報がない山本の説明に、レイが困惑している。
逼迫した状況に似合わない緩い会話に、クロームの心も少し穏やかになっていく。レイのために説明を引き継いだ。
「前方に大量の炎を打ち込む感じなの。ボスの炎だからすごく強くて、幻覚の空間も打ち破れたりするの」
何度も救ってくれた、あの鮮やかな炎を思い出す。
ツナに連絡をすれば来てくれるだろうか。しかしボスであるツナを危険に晒すのは、彼がとても強いと理解していても可能な限り避けたい。
「ツナの炎……」
「瀬切?」
山本の声に、2人を見る。
レイは顎に手を当て、何やら考え込んでいた。
「レイ、どうしたの?」
「やってみる」
クロームも声を掛けると、レイは顔を上げ、マフラーを外した。そしてマフラーと問題集の入った袋を自身のスクールバッグに突っ込み、床に置いた。
指に黒いリングを通しながら、レイが一歩前に出る。その手はいつの間にか右手に短剣を握り締めていた。
「少し下がっててくれ」
いやに落ち着いたレイの言葉に、山本とクロームはよく分からないながらも半歩ずつ下がる。
レイは大きく深呼吸してから3秒、足を開き、地面を踏みしめる。短剣は刃を下に向けて腰の後ろで構えた。
リングと短剣が大きくオレンジ色の炎に包まれ、そして。
「オラァッ!!」
聞いたこともない勇ましい声とともに、レイは短剣を振り上げる。
その瞬間、鮮やかな炎が短剣の軌道に合わせて扇状に勢いよく広がり、空間を焼き払っていった。
縦に割れた黒い殻から、青空が見える。
「すげ……」
山本の呟きに、クロームは無言で頷いた。
ツナのXバーナーには劣るものの、頬に当たる熱の余韻は確かにツナの炎と同じで、どこか優しく心を癒してくれる。
レイがくるりと振り向いた。その目はいつもの黒色より、ほんの少しだけ赤みを帯びて見える。
「2人とも外見えるか?出よう」
そう言ってレイは荷物を拾って走り出そうとした。
が、その瞬間に膝ががくりと折れ、受け身を取ることすらせずに思い切り転倒した。
「レイ!?」
「お、おい!大丈夫か!?」
「あ……れ……?」
慌てて駆け寄る。
レイは腕をついて起き上がろうとするが、息が荒く声もガサガサ、うまく体を起こすこともできないようだった。クロームと山本はもちろん、本人が一番動揺している。
「あ、やべ」
山本の言葉にクロームは顔を上げ、「あ」と声を漏らす。
レイがこじ開けた空間が、また閉じようとしていた。
「担ぐからな!」
山本はレイの返事を待つことなく、その体を肩に担ぎ上げて走り出した。クロームもレイの荷物を持ってその後を追う。
閉じていく空間から外に場所に出るが、術士を撒くためにとりあえず走った。
走りながら、山本は明るく笑う。
「なんかもうお前すげぇな!」
何がすごいのか、分からない。
が、おそらく初めて聞く勇ましい声、レイ本人も初めて放ったであろう大量の炎、そしてその後のガス欠。全部ひっくるめた笑いだろう。 クロームもつられて少しだけ笑ってしまう。
レイだけが、担がれたままゼエゼエと荒い息を吐いていた。
クロームを先頭に、市街地をしばらく走り回る。レイを抱えているというのに山本の足は軽やかで、クロームの速さに合わせてくれていることが分かった。自分も体力と走力をつけなければ、と静かに思う。
おそらく先ほど幻覚に襲われた場所にたどり着き、クロームは再度槍を握り締める。
襲い掛かってくる暗闇を、巨大な蛇に飲み込ませる。次は事前に対処ができた。
山本が地面にレイを置いたのが見えた。その体は家の塀に力なく寄りかかっている。
「ボクも……」
「まあまあ、オレらに任せとけって!」
ガサガサなレイの声を包むように、明るい山本の声が響く。そして視界の端で青い炎が揺らめいた。2本の剣を携えた山本が、人影のような物体を切り払う。
「さてと。クローム、オレはどうすりゃいい?」
「どこにいるかは分かったから、山本君はレイのことお願い」
「了解」
顔を上げ、少し先の公園を見据える。
わかる。あそこに何かがある。何かがいる。それを隠すように空間が揺らめいているのを、クロームの左目は逃さない。
影が飛んでくる。
「クローム」
山本の案ずるような声に、大丈夫、とだけ答えて、ヴェルデの装置を右手に付ける。
データが取りたいからと、今でも貸してくれていることに心の中で感謝を述べた。
飛んでくる物体、これは幻覚。3個先にあるものが有幻覚。それも、クロームが槍を振るうだけで霧散するほどのもの。深く集中せずとも感知できる。
わずかだが後ろに流れていった霧の炎は、山本の青い炎によって完全に非活性化される。
歩いて近付いていく。その間も霧の炎が皮膚を浅く焼いていったのか、ほんの少しだけ頬がひりついた。
走る。信頼してくれているのか、山本は動かず見守っていてくれていた。
槍の穂先に霧の炎を溜め、容赦なく前方に放った。
炎は公園を包み込み、樹木で何者かを閉じ込める。抵抗されている感触はあるが、破られる予感はない。
慎重に近付き、様子を伺う。
その時、悪寒と共に遠くからレイのかすれた悲鳴が飛んできた。
「クローム!!」
咄嗟に構えた槍に何かが強く当たる。その重さに耐え切れずにクロームは押され、そのまま背中から地面に倒れた。
術士は1人でも、もう1人別にいたのか、気付けなかった。自身の経験不足と肉弾戦の弱さに歯噛みする。
視界の端、遠くに見える山本がこちらに向かってこようとするのが見えた。レイのところにいてって言ったのに。
ああ、ほら、立ちあがろうとしたレイが、力が入らないからまた倒れ込んでしまった。
鋼鉄の盾を作れば身を守れるだろうか。
でもきっとそれなりの強度を求めるとなると時間が足りない。
目の前の見知らぬ男が振り下ろす槌に、蔦を絡ませようとした、その瞬間だった。
男が斜め後ろに吹っ飛んだ。
そして藍色の粒子が舞い散って、一人の青年が姿を現す。
「骸、様……」
背中を向けられているので、その表情はクロームから見えない。しかし、彼がそこにいてくれるというだけで、クロームの中に温かいものが湧き上がってくる。
すぐに立ち上がり、自身の幻覚の強度を上げると同時に、借り受けている装置を使って樹木に閉じ込められている男をワイヤーロープで拘束する。申し訳ないが、中の状態を見ている余裕はないからぐるぐる巻きにさせてもらう。
一方、骸の三叉槍で殴られた男は「六道骸……!」とうめくように呟く。
「2人がかりで中学生の術士に向かわざるを得ないとは」
なんと無様な。
冷たく吐き捨てた骸は、そのまま男の頭を漆黒の球体で包み込んだ。男は地面をのたうち回り、球体の中からはくぐもった悲鳴が聞こえる。1分と経たず男の体は動かなくなった。
頭部の球体が消えると、中から白目をむいて苦悶の表情を浮かべたまま浅い呼吸を繰り返す男の顔あ出てくる。
これは精神を壊されたな、と冷静にクロームは眺めた。あの短時間でこれだ、いったいどれだけの情報量を流し込まれたのだろうか。
「クローム」
静かな声に呼ばれてハッと顔を上げる。
「お前の捕らえた男を見せなさい」
「あ、は、はい!」
力を抜けば、公園のど真ん中に生えた樹木だけが消える。その中にいた男はワイヤーロープから逃れようと必死にもがいていたようだ。猿轡のように口元にもロープがかかっているため、舌も噛めないだろう。息が上がっている。
男は骸の姿を見るなり小さく悲鳴を上げた。骸を怖がるなら最初からボンゴレに、いや、ツナの関係者に喧嘩を売らなければいいのに。
「犬、千種」
「あいあーい!」
骸の呼び声とともに公園の外から2つの影が出てくる。舌なめずりをしながら大股で男に近付く犬と、心底面倒くさそうに小さく嘆息しながらゆるゆると近付く千種。
犬の体が巨大化して、必死にもがく男と白目をむいたままの男を抱え上げる。
「骸様、どの程度やりますか?」
「情報を聞き出しなさい。出所と目的で十分です。そのあとはフランの実験台にでもしてあげましょう」
「わかりました」
行くよ、犬。
千種がそう呼びかけ、2人は住宅街の中を進む。骸の術だろうか、そのうち2人の姿が溶けるように消えていった。
その姿をぼーっと見ていると、「クローム」と呼び掛けられる。
「戦士が気を抜いてはならない」
「ごめんなさい」
叱責は予想していた。当たり前のことだ。
むしろ山本相手にあれだけ啖呵を切ってこれなのだから、自分のこととしても非常に恥ずかしい。
目線を下げていると、砂の擦れる音と共に骸の靴が視界に入ってきた。
「顔を上げなさい」
静かな声だった。促されるように顔を上げると、表情の読めない目とかちあった。
真顔だ。そのまま言葉も発さないので本当に何を考えているのかわからない。
グローブをはめたままの骸の手が伸びてきて、クロームの頬をその指が擦った。かすかなヒリつきに、軽く霧の炎で焼かれたことを思い出した。
そのまま骸は動かない。しばらく見つめ合う形になり、クロームの心拍は否応にでも上がってくる。
心臓が押し出す血流に乗っかるように、何かが口から飛び出した。
「骸様、今度チョコを渡したいです」
「……は?」
「あ」
ぽかんとした骸の表情に、自分の発した言葉を理解して顔が熱くなる。
取り消したいが、吐いた言葉はどうしようもない。
妙な沈黙が落ちてしまい、クロームは内心パニックに陥った。
その沈黙をザリ、と砂を踏む音がかき消す。骸が背後を向いた。
「あーっと、……入っても大丈夫か?」
骸の視線の先には、公園の入り口で足踏みしている山本がいた。レイはその背中に背負われている。
「……遠慮する必要が?」
「いやー、大事な話してたら悪いなって」
気まずそうに、しかしカラッと笑う山本に、骸も小さくため息を吐くだけだった。
レイが「クローム」と、まだ掠れた声で呼んでくれた。
不安と安堵をその目に見つけて、近寄ってから手を握る。山本におぶられているから、いつもより目線が高い。
握ったその手はクロームより冷たかった。やはりさっきの影響だろうか。少しでも温められればと、軽く握りこむ。
「私は大丈夫だよ」
「よかった……。ごめん、ボクほとんど……」
気にしているどころか、凹むところまで行っているようだ。いつもは勝気な目が少しだけ潤んでいるに、相当心配もかけたようだ。
骸が近付き、「随分消耗していますね。何をしたのですか?」とレイに訊く。
敵の幻術に捕らわれたこと、レイがツナのXバーナーを模したかのように短剣から大量の炎を飛ばして空間ごと焼き払ったこと、その後はこの通りに動けなくなったことをかいつまんで説明する。
一通り話を聞いた骸は嘆息し、呆れたようにレイを見た。
「死ぬ気の炎の源流は大量の生命エネルギーです。そんなものを一息に放出すれば、常人であっても消耗は激しい。特に自分で生命エネルギーを生み出せず、他者に依存する君がそれをやればどうなるか、少し考えればわかることでしょう」
言葉はあれだが、声色は案外柔らかいものだった。そのせいか、レイの表情にも反発の気配はない。
「あの」
「何でしょう」
「もし、六道さんがドールについて知っていることがあるなら、教えてください。少しのことでもいいです」
レイの言葉に、全員が少しだけ息をのむ。
「お父さんもお母さんも兄さんも、色々教えてくれる前にいなくなりました。ディーノさん達も知ってることを教えてくれたり、一緒に調べたりもしてくれたけど専門じゃないし、公にされていない技術だからどうしても」
エストラーネオで見た資料でも、なんでもいいんです。
レイの声は同情を誘うようなものではなく、淡々と事実だけを述べるものだった。
知らないから知りたい。自分のことだから、これからツナやみんなと一緒に過ごすためにも知りたい。
消耗しているせいで声の圧はないが、それでもまっすぐな言葉だった。
「……僕が持っている知識は、おそらく君と大差ありません」
骸はレイから視線を外し、思い出すように目を閉じながら話す。
「エストラーネオを壊滅させた後、残された資料には粗方目を通しました。しかしドールに関する資料は極端に少なかった。そもそも十分に知見があるのなら、あのように乱雑な手を選ぶ必要もない」
「そう、ですか……」
かすかな落胆がレイの口からこぼれる。気遣わしげに山本が背中のレイに目線を送る。
そんなレイに対して、骸がかすかにまなじりを緩めて声をかける。
「ひたすら試しなさい」
「え?」
「僕の右目と同じだ。人の理を外れた技術が体にある以上、己の体で試し続けるしかない」
「六道さんは、試したんですか?」
「当然です。マフィア殲滅を果たすためならば、その程度の痛みなど造作もなかった」
試すような笑みを浮かべながら、骸はレイを見る。
「君にそれだけの覚悟があれば、の話ですが」
挑発するような骸の言葉に、レイは目を瞬かせてから一呼吸、「あります」としっかり答えた。
「ハルちゃんは特にだと思うよ」
「へー。それにしてもすごいよね、ツナが好きなことをあんなにはっきりと……」
京子、ハルと別れてまたレイと2人になる。
レイの声に純粋な敬意がにじんでいた。クロームだってあそこまではっきり気持ちを表現できたらと思わなくもない。
まっすぐな好意は勇気の塊のようなものだ。かっこいいとすら思う。
もしもクロームがハルに相当するレベルで骸に好意を見せたら、果たしてどんな顔をするのだろうか。
曲がり角、不意に人の気配がして顔を上げる。
「あ」
「お」
山本だった。
エナメルバッグを掛け、制服の上着にはウィンドブレーカーだけを羽織っている。
「よ!本屋行ってたのか?」
2人が手に持っている袋を見て、山本が首を傾げた。
「問題集買ってたんだ」
「へー、なんの?」
「過去問とかの」
「過去問の問題集とかあんのか?」
「そりゃああるよ」
レイが袋を軽く掲げて、そこからなんてことのない会話が始まった。
最近、2人の間に漂う空気はどこか落ち着いている。
元から肩肘張らない会話が多かった。しかし、レイが明らかに山本を意識するようになってから薄く存在していた膜が、ここにきて消えたような気がするのだ。
レイへの誕生日プレゼントとは別に、2人の関係にいい影響を及ぼすような何かがあったのかもしれない。
とはいえ別に交際したようには見えないので、単に仲が良くなっただけかもしれない。
進展があったら是非とも教えてもらいたい。
「クロームは?」と山本から会話を向けられたので、「私は数学の問題集」と答えた。
特にどうということもない会話を交わしながら公園の横を通りかかったとき、不意に視界の端で何かが揺らめいた。幻術の発端だと直感する。
槍の穂先を握り締め、クロームはとっさに自身を中心としたドーム型の炎の膜を張る。
全体をひっくり返すことはできなかった。周囲を闇に覆われている。
少なくとも仲間の分断は避けられたが、一つ止まらない足音がしてクロームはハッと振り返った。
幻覚を感知できないレイは、周囲に起きた異変もクロームの行動もわかっていない。クロームの張った膜を出そうになった瞬間、山本がレイの腕を掴んで動きを止める。
「え、なんだ?」
キョトンとしたレイに、山本が「あー、そっか、瀬切はわかんねぇんだったな」と呟く。
「多分、オレら今幻覚の中だぜ。離れるとオレらから瀬切の場所が分からなくなる」
「え」
「クロームがとっさにオレらへの影響は抑えてくれてる。な、クローム、サンキュ」
「ううん、気付くのが遅くてごめん」
そう、もっと早く気付くべきだった。
幻覚の侵食を食い止めることはできても、術士の居場所が分からなければ直接打ち破るには至らない。骸ほどの力があれば分からないが、少なくともクロームは先手を打たなければならない立場だった。悔しい。
「山本君、どう?」
そう訊けば、山本はネックレスを指でいじりながらうーん、と眉を顰める。
「動いてるような幻覚とか、術士が近くにいるならいいんだけどな……」
「そう、だよね……」
山本の剣術は術士に対して特効性のあるものも少なくない。しかし、彼の言う通り、炎の『鎮静』の効果を活かすにも、止まっている幻覚の中では効果が薄い。
剣で闇雲に突破できるものかも分からない以上、膜の中から出るのは危険だ。
「ツナならXバーナーがあるんだけどな……」
山本の悔し気な呟きに、レイが首を傾げた。
「Xバーナー?」
「あれ、瀬切は知らねぇんだっけ?ツナのすげー技!パってやってドーン、て感じなんだけどさ」
「パってやってドーン……?」
オノマトペ以外の情報がない山本の説明に、レイが困惑している。
逼迫した状況に似合わない緩い会話に、クロームの心も少し穏やかになっていく。レイのために説明を引き継いだ。
「前方に大量の炎を打ち込む感じなの。ボスの炎だからすごく強くて、幻覚の空間も打ち破れたりするの」
何度も救ってくれた、あの鮮やかな炎を思い出す。
ツナに連絡をすれば来てくれるだろうか。しかしボスであるツナを危険に晒すのは、彼がとても強いと理解していても可能な限り避けたい。
「ツナの炎……」
「瀬切?」
山本の声に、2人を見る。
レイは顎に手を当て、何やら考え込んでいた。
「レイ、どうしたの?」
「やってみる」
クロームも声を掛けると、レイは顔を上げ、マフラーを外した。そしてマフラーと問題集の入った袋を自身のスクールバッグに突っ込み、床に置いた。
指に黒いリングを通しながら、レイが一歩前に出る。その手はいつの間にか右手に短剣を握り締めていた。
「少し下がっててくれ」
いやに落ち着いたレイの言葉に、山本とクロームはよく分からないながらも半歩ずつ下がる。
レイは大きく深呼吸してから3秒、足を開き、地面を踏みしめる。短剣は刃を下に向けて腰の後ろで構えた。
リングと短剣が大きくオレンジ色の炎に包まれ、そして。
「オラァッ!!」
聞いたこともない勇ましい声とともに、レイは短剣を振り上げる。
その瞬間、鮮やかな炎が短剣の軌道に合わせて扇状に勢いよく広がり、空間を焼き払っていった。
縦に割れた黒い殻から、青空が見える。
「すげ……」
山本の呟きに、クロームは無言で頷いた。
ツナのXバーナーには劣るものの、頬に当たる熱の余韻は確かにツナの炎と同じで、どこか優しく心を癒してくれる。
レイがくるりと振り向いた。その目はいつもの黒色より、ほんの少しだけ赤みを帯びて見える。
「2人とも外見えるか?出よう」
そう言ってレイは荷物を拾って走り出そうとした。
が、その瞬間に膝ががくりと折れ、受け身を取ることすらせずに思い切り転倒した。
「レイ!?」
「お、おい!大丈夫か!?」
「あ……れ……?」
慌てて駆け寄る。
レイは腕をついて起き上がろうとするが、息が荒く声もガサガサ、うまく体を起こすこともできないようだった。クロームと山本はもちろん、本人が一番動揺している。
「あ、やべ」
山本の言葉にクロームは顔を上げ、「あ」と声を漏らす。
レイがこじ開けた空間が、また閉じようとしていた。
「担ぐからな!」
山本はレイの返事を待つことなく、その体を肩に担ぎ上げて走り出した。クロームもレイの荷物を持ってその後を追う。
閉じていく空間から外に場所に出るが、術士を撒くためにとりあえず走った。
走りながら、山本は明るく笑う。
「なんかもうお前すげぇな!」
何がすごいのか、分からない。
が、おそらく初めて聞く勇ましい声、レイ本人も初めて放ったであろう大量の炎、そしてその後のガス欠。全部ひっくるめた笑いだろう。 クロームもつられて少しだけ笑ってしまう。
レイだけが、担がれたままゼエゼエと荒い息を吐いていた。
クロームを先頭に、市街地をしばらく走り回る。レイを抱えているというのに山本の足は軽やかで、クロームの速さに合わせてくれていることが分かった。自分も体力と走力をつけなければ、と静かに思う。
おそらく先ほど幻覚に襲われた場所にたどり着き、クロームは再度槍を握り締める。
襲い掛かってくる暗闇を、巨大な蛇に飲み込ませる。次は事前に対処ができた。
山本が地面にレイを置いたのが見えた。その体は家の塀に力なく寄りかかっている。
「ボクも……」
「まあまあ、オレらに任せとけって!」
ガサガサなレイの声を包むように、明るい山本の声が響く。そして視界の端で青い炎が揺らめいた。2本の剣を携えた山本が、人影のような物体を切り払う。
「さてと。クローム、オレはどうすりゃいい?」
「どこにいるかは分かったから、山本君はレイのことお願い」
「了解」
顔を上げ、少し先の公園を見据える。
わかる。あそこに何かがある。何かがいる。それを隠すように空間が揺らめいているのを、クロームの左目は逃さない。
影が飛んでくる。
「クローム」
山本の案ずるような声に、大丈夫、とだけ答えて、ヴェルデの装置を右手に付ける。
データが取りたいからと、今でも貸してくれていることに心の中で感謝を述べた。
飛んでくる物体、これは幻覚。3個先にあるものが有幻覚。それも、クロームが槍を振るうだけで霧散するほどのもの。深く集中せずとも感知できる。
わずかだが後ろに流れていった霧の炎は、山本の青い炎によって完全に非活性化される。
歩いて近付いていく。その間も霧の炎が皮膚を浅く焼いていったのか、ほんの少しだけ頬がひりついた。
走る。信頼してくれているのか、山本は動かず見守っていてくれていた。
槍の穂先に霧の炎を溜め、容赦なく前方に放った。
炎は公園を包み込み、樹木で何者かを閉じ込める。抵抗されている感触はあるが、破られる予感はない。
慎重に近付き、様子を伺う。
その時、悪寒と共に遠くからレイのかすれた悲鳴が飛んできた。
「クローム!!」
咄嗟に構えた槍に何かが強く当たる。その重さに耐え切れずにクロームは押され、そのまま背中から地面に倒れた。
術士は1人でも、もう1人別にいたのか、気付けなかった。自身の経験不足と肉弾戦の弱さに歯噛みする。
視界の端、遠くに見える山本がこちらに向かってこようとするのが見えた。レイのところにいてって言ったのに。
ああ、ほら、立ちあがろうとしたレイが、力が入らないからまた倒れ込んでしまった。
鋼鉄の盾を作れば身を守れるだろうか。
でもきっとそれなりの強度を求めるとなると時間が足りない。
目の前の見知らぬ男が振り下ろす槌に、蔦を絡ませようとした、その瞬間だった。
男が斜め後ろに吹っ飛んだ。
そして藍色の粒子が舞い散って、一人の青年が姿を現す。
「骸、様……」
背中を向けられているので、その表情はクロームから見えない。しかし、彼がそこにいてくれるというだけで、クロームの中に温かいものが湧き上がってくる。
すぐに立ち上がり、自身の幻覚の強度を上げると同時に、借り受けている装置を使って樹木に閉じ込められている男をワイヤーロープで拘束する。申し訳ないが、中の状態を見ている余裕はないからぐるぐる巻きにさせてもらう。
一方、骸の三叉槍で殴られた男は「六道骸……!」とうめくように呟く。
「2人がかりで中学生の術士に向かわざるを得ないとは」
なんと無様な。
冷たく吐き捨てた骸は、そのまま男の頭を漆黒の球体で包み込んだ。男は地面をのたうち回り、球体の中からはくぐもった悲鳴が聞こえる。1分と経たず男の体は動かなくなった。
頭部の球体が消えると、中から白目をむいて苦悶の表情を浮かべたまま浅い呼吸を繰り返す男の顔あ出てくる。
これは精神を壊されたな、と冷静にクロームは眺めた。あの短時間でこれだ、いったいどれだけの情報量を流し込まれたのだろうか。
「クローム」
静かな声に呼ばれてハッと顔を上げる。
「お前の捕らえた男を見せなさい」
「あ、は、はい!」
力を抜けば、公園のど真ん中に生えた樹木だけが消える。その中にいた男はワイヤーロープから逃れようと必死にもがいていたようだ。猿轡のように口元にもロープがかかっているため、舌も噛めないだろう。息が上がっている。
男は骸の姿を見るなり小さく悲鳴を上げた。骸を怖がるなら最初からボンゴレに、いや、ツナの関係者に喧嘩を売らなければいいのに。
「犬、千種」
「あいあーい!」
骸の呼び声とともに公園の外から2つの影が出てくる。舌なめずりをしながら大股で男に近付く犬と、心底面倒くさそうに小さく嘆息しながらゆるゆると近付く千種。
犬の体が巨大化して、必死にもがく男と白目をむいたままの男を抱え上げる。
「骸様、どの程度やりますか?」
「情報を聞き出しなさい。出所と目的で十分です。そのあとはフランの実験台にでもしてあげましょう」
「わかりました」
行くよ、犬。
千種がそう呼びかけ、2人は住宅街の中を進む。骸の術だろうか、そのうち2人の姿が溶けるように消えていった。
その姿をぼーっと見ていると、「クローム」と呼び掛けられる。
「戦士が気を抜いてはならない」
「ごめんなさい」
叱責は予想していた。当たり前のことだ。
むしろ山本相手にあれだけ啖呵を切ってこれなのだから、自分のこととしても非常に恥ずかしい。
目線を下げていると、砂の擦れる音と共に骸の靴が視界に入ってきた。
「顔を上げなさい」
静かな声だった。促されるように顔を上げると、表情の読めない目とかちあった。
真顔だ。そのまま言葉も発さないので本当に何を考えているのかわからない。
グローブをはめたままの骸の手が伸びてきて、クロームの頬をその指が擦った。かすかなヒリつきに、軽く霧の炎で焼かれたことを思い出した。
そのまま骸は動かない。しばらく見つめ合う形になり、クロームの心拍は否応にでも上がってくる。
心臓が押し出す血流に乗っかるように、何かが口から飛び出した。
「骸様、今度チョコを渡したいです」
「……は?」
「あ」
ぽかんとした骸の表情に、自分の発した言葉を理解して顔が熱くなる。
取り消したいが、吐いた言葉はどうしようもない。
妙な沈黙が落ちてしまい、クロームは内心パニックに陥った。
その沈黙をザリ、と砂を踏む音がかき消す。骸が背後を向いた。
「あーっと、……入っても大丈夫か?」
骸の視線の先には、公園の入り口で足踏みしている山本がいた。レイはその背中に背負われている。
「……遠慮する必要が?」
「いやー、大事な話してたら悪いなって」
気まずそうに、しかしカラッと笑う山本に、骸も小さくため息を吐くだけだった。
レイが「クローム」と、まだ掠れた声で呼んでくれた。
不安と安堵をその目に見つけて、近寄ってから手を握る。山本におぶられているから、いつもより目線が高い。
握ったその手はクロームより冷たかった。やはりさっきの影響だろうか。少しでも温められればと、軽く握りこむ。
「私は大丈夫だよ」
「よかった……。ごめん、ボクほとんど……」
気にしているどころか、凹むところまで行っているようだ。いつもは勝気な目が少しだけ潤んでいるに、相当心配もかけたようだ。
骸が近付き、「随分消耗していますね。何をしたのですか?」とレイに訊く。
敵の幻術に捕らわれたこと、レイがツナのXバーナーを模したかのように短剣から大量の炎を飛ばして空間ごと焼き払ったこと、その後はこの通りに動けなくなったことをかいつまんで説明する。
一通り話を聞いた骸は嘆息し、呆れたようにレイを見た。
「死ぬ気の炎の源流は大量の生命エネルギーです。そんなものを一息に放出すれば、常人であっても消耗は激しい。特に自分で生命エネルギーを生み出せず、他者に依存する君がそれをやればどうなるか、少し考えればわかることでしょう」
言葉はあれだが、声色は案外柔らかいものだった。そのせいか、レイの表情にも反発の気配はない。
「あの」
「何でしょう」
「もし、六道さんがドールについて知っていることがあるなら、教えてください。少しのことでもいいです」
レイの言葉に、全員が少しだけ息をのむ。
「お父さんもお母さんも兄さんも、色々教えてくれる前にいなくなりました。ディーノさん達も知ってることを教えてくれたり、一緒に調べたりもしてくれたけど専門じゃないし、公にされていない技術だからどうしても」
エストラーネオで見た資料でも、なんでもいいんです。
レイの声は同情を誘うようなものではなく、淡々と事実だけを述べるものだった。
知らないから知りたい。自分のことだから、これからツナやみんなと一緒に過ごすためにも知りたい。
消耗しているせいで声の圧はないが、それでもまっすぐな言葉だった。
「……僕が持っている知識は、おそらく君と大差ありません」
骸はレイから視線を外し、思い出すように目を閉じながら話す。
「エストラーネオを壊滅させた後、残された資料には粗方目を通しました。しかしドールに関する資料は極端に少なかった。そもそも十分に知見があるのなら、あのように乱雑な手を選ぶ必要もない」
「そう、ですか……」
かすかな落胆がレイの口からこぼれる。気遣わしげに山本が背中のレイに目線を送る。
そんなレイに対して、骸がかすかにまなじりを緩めて声をかける。
「ひたすら試しなさい」
「え?」
「僕の右目と同じだ。人の理を外れた技術が体にある以上、己の体で試し続けるしかない」
「六道さんは、試したんですか?」
「当然です。マフィア殲滅を果たすためならば、その程度の痛みなど造作もなかった」
試すような笑みを浮かべながら、骸はレイを見る。
「君にそれだけの覚悟があれば、の話ですが」
挑発するような骸の言葉に、レイは目を瞬かせてから一呼吸、「あります」としっかり答えた。