秋風(10月その2)
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リムジンから降りると、少し冷たさの混じる風が吹いてきた。
全開日本に来たときは梅雨の湿り気がまだ残る、夏の始まりの時期だった。今は幾分か過ごしやすい。
今日は元家庭教師と弟弟子、そして親友の妹の顔を見に来たのだ。そして明日は戦闘狂の教え子の相手でつぶれることだろう。
ふと上を見ると、2階の窓越しにツナと目が合った。
ツナの顔が引っ込んで10秒後、玄関のドアが勢いよく開いた。
「ディーノさん!」
「よお、ツナ!」
リビングに通され、奈々に挨拶をして土産を渡す。
いつもなら飛んでくるであろうレイの気配がないことに、ディーノは不思議に思っていた。
そんなディーノの心中を読むように声が聞こえた。
「レイなら今はガキたちと公園だぞ」
「お、リボーン!……また少し大きくなったか?」
背後から現れた元家庭教師は、記憶の中の姿よりも僅かに大きくなっている。
挨拶を交わしながら、次に来るときはオーダーメイドの靴でもプレゼントしようか、などと考えた。
「あの……」
プレゼントを考えるディーノに、小さな声が聞こえた。ツナだった。
「どうした?」
「えっと……、ちょっと訊きたいことがあって」
最近では珍しいほどに遠慮が見える。
ちら、とその目がリボーンやロマーリオに向いた。2人で話したいのだろうか。
ツナの肩に手をやりながら、ロマーリオに声を掛ける。
「久々にツナと2人で話したいから縁側にいるぞ」
「おう、なんかあったら呼んでくれ」
そして、庭に続く窓を開けた。
暖かい日差しと程よく涼しい風、日本の秋はいいものだ。
ディーノには小さいつっかけに、つま先だけ入れて縁側に腰を下ろす。
ツナも横に座った。
「で、どうしたんだ?何かあったか?」
深刻になりすぎないように、しかし傾聴の姿勢は見せる。
ツナは視線をウロウロとさせ、そしてディーノを見て、自身の膝を見た。
そして口を開く。
「あの、ディーノさんは……、マフィアのボスになったことを後悔したことはありますか?」
後悔、とディーノの口が模倣する。
脈絡のない質問に、上手く反応できないでいると、次第にツナの表情に焦りが滲み始めた。
ああ、これはちゃんと答えてやらないとダメだ。
そしてディーノは少しだけ目を閉じる。
「後悔なら、たくさんあるぜ」
例えば、ヒロヤのこととかな。
口には出さずに、大きな後悔を一つ思い浮かべる。
ツナの視線はまだ膝の上だ。
「オレは親父が死んでからボスになった。その前からボスになれとは言われてたけどな」
懐かしい昔の話だ。随分と駄々をこねて、父の心労にもなっていたことだろう。
「責任があることは別にいい。でもやっぱ、どうしたって裏社会だ。性根の腐ったやつ、金かクスリにしか興味のないやつ、自分の力を誇示したいやつ……。ろくでもないやつのオンパレードだ」
そういう奴らを相手取るだけでも毎回後悔する。
「でも、オレにとってファミリーは、文字通り家族だった。生まれた時からずっと一緒にいた家族だ。だから捨てられなかった。マフィアのボスになる後悔より、あいつらを失う後悔の方がよっぽど耐えられなかったんだ」
いつの間にか、ツナは真剣な目をこちらに向けて話を聞いていた。
そして、ディーノもなぜツナがこんな話をしたのか思い至る。
「継承の話、急かされてるのか?」
ツナは息を小さく止め、そして頷いた。
訊いた立場ながら、思わず苦笑する。
継承の話を探されているなんて、本来であればトップシークレットである。いくら深い信頼を築いている同盟ファミリーであっても。
それはすなわち、ファミリーにとっては繋ぎ目であり、脆さの象徴となるからだ。
しかし、そんなことを10代の一般家庭出身の少年が思い当たるはずもない。
ひたすらに素直、信頼している人間から訊かれたから答えた、ただそれだけだ。
しかし、ということはボンゴレ本部の方でも何らかの懸念点が出てきたということだろうか。
9代目ももういい歳だ。考えたくはないが、第三者の介入なしにいつ何が起きてもおかしくはない。
寿命を迎えるだけではない。
心身の病、記憶の混濁、それを見た内部の反乱。
ボスが高齢であるほどそのリスクは高くなる。
だからツナがボスになることを受け入れるか、あるいは継承を断り次のボス候補を立てるまでの時間的猶予は、長くて5年。
ツナに設けられたタイムリミットは知らないが、きっと大きなプレッシャーになっていることだろう。
「なあ、ツナ」
「はい」
「オレとお前は生い立ちが全く違う」
先ほども言った通り、なんやかんやでディーノは生まれた時から裏社会に全身が浸かっていた。その恩恵に育まれてきた。
ファミリーは文字通り家族だった。
赤ん坊の頃からの居場所と家族を奪われないために、ボスになった。
ではツナはどうだ。
「お前はずっと普通の日本の学生だった。本当に急にやれって言われて、数年で『はいそうですか』で受け入れられるやつの方がよっぽどヤバい」
実際は、そういうやつの方がこっちの世界は向いているのだろうが。
その言葉は飲み込んだまま、ツナの目を見る。
目の前の琥珀色は、どこか焦りと迷いと、そしてわずかな恐れを滲ませていた。
ふっ、とツナの視線が外れる。その目は庭に干された洗濯物をぼんやりと見ている。
「正直、オレもう継承するしかないんじゃないかなって思ってるんです」
ディーノは思わず息を止める。
あれだけ何度も何度も「ならない!」と言い張っていた姿を見てきたのに、一体どういう風の吹き回しだろうか。
そんなディーノの気持ちを読んだように、ツナは苦笑しながら言う。
「ボスになりたい訳じゃないんです」
静かな声だった。
「でも、なんやかんやで継承式をやっちゃったし」
そうだ、途中で有耶無耶になったとはいえ、あの時ツナたちは時代のボンゴレボスおよびその守護者として、こちらの世界にその顔をお披露目した。
「その時にリングもオレたち専用?……みたいな感じになっちゃったし」
ツナが自身の右手を空にかざす。リングが陽の光を受けて煌めいた。
確かに、これを次のボンゴレ継承者にそのまま渡すわけにはいかないだろう。
例の彫金師に頼むにも、相応の理由がなければきっと難しい。
「本当はオレじゃない方がいいと思うんです。オレじゃない人がボスやった方が、絶対にいい」
それはどうだろうか、とディーノは思う。
ツナは、あの凶悪犯の六道骸の手綱を握ることができる。
一筋縄ではいかない暗殺集団ヴァリアーの幹部から一目置かれている。
数多の未来の可能性を掌握した白蘭と対等な立場で会話のテーブルに着くことができる。
ボンゴレが初代から重ねてきた因縁を精算し、シモンファミリーと真の和解を果たした。
復讐者と元アルコバレーノに対して、多大な恩義がある。
彼がこの2年ちょっとで作り上げた実績を無視することは、きっとできない。
「でも、もしもオレが、『やっぱやーめた』って言った時、……ここまで巻き込んだみんなはどうなるんだろうって」
不意に沈んだ声に、ディーノはこれがツナの1番の恐れなのだと察する。
「山本とかお兄さんとか、全然こっちと関係なかったのに巻き込んだし、未来では京子ちゃんとかハルとかも巻き込んで……、それを全部無かったことにできるんですか?」
ディーノは答えられない。
彼らはツナがボンゴレ10代目にならなければ、ボンゴレ10代目の関係者にはならない。
しかし、ボンゴレの関係者であった事実は、おそらく一生消えない。消すことができない。
それは、ボンゴレという組織の庇護がない状態で野放しにされることと同義である。
戦う力のある山本や了平はともかく、京子やハルは果たしてどうなるのか、そして彼らの家族がどうなるのか。
あまりにも未知数だ。
「じゃあ、オレがボスになるのが……、『責任』ってやつなのかなって」
ディーノは息が苦しくなってきた。
わずか10代で血筋だけで歴史と罪と因縁を押し付けられた。そしてそれでもここまで立ってきた少年が、今は責任を前に震えながら足を踏みだろうとしている。
それはマフィアのボスとしてはあまりに純粋で優しく、マフィアのボスとしてあまりに立派な理由だった。
ツナの目には涙の幕が張っている。しかし涙は落ちていない。
強い少年だ、と改めて思う。
本当なら助けてやりたい。
ボスになってからのツナが「やっぱり辞めたい」と言ったら、手を差し伸べてやりたい。逃げ場になってやりたい。
しかし、ディーノにも守るべきものがたくさんある。
イタリアンマフィア最大規模のボンゴレファミリーのボスをその席から逃したなど、とんでもない敵対行為だ。
全力で対抗してもきっと、キャバッローネは無事では済まない。
愛してやまないあの町だって被害を受けるだろう。
「何かあったらすぐに言えよ。オレにできることならしてやる」
あまりにも保険を掛けまくった言葉だった。
兄貴分を名乗るくせに情けない。
「……ごめんな、こんな言葉しか掛けてやれなくて」
「そんな、オレ、誰かに聞いて欲しかったんだと思います」
少しだけ鼻を啜りながら、ツナが笑った。
「ありがとうございます。ちょっと楽になりました」
しばらく2人で会話もなく庭の洗濯物を眺めた。
干されているシャツの、どちらがツナのものでどちらがレイのものだろう。柄の少ない方がレイのものだろうか。
「あ、そういえば」
ツナが思い出したように声を出す。
そこに先ほどのような沈んだ色はない。
「ヒロヤにいちゃんって、恋人とか好きな人とかっていたんですか?」
「ヒロヤ?好きな人?何でまた急に」
先ほど以上に脈絡のない質問に、ディーノは目を丸くする。
「そういう話は聞いたことないな。恋人がいたような感じもなかったし、好きな子がいたようにも見えなかったな」
イタリアに来る前、日本で好きな子がいた可能性もあるが、流石にそこまでは把握できない。
ツナは「そうですか」とあっさり受け入れ、会話を終えようとした。
「いやいや待て待て!なんでそれを訊いたか教えろ!」
「えっ!?い、いや、そんな特に理由は……」
しどろもどろになるツナに、ひとつだけ「もしや」が浮かぶ。
「レイに恋人ができたのか……?」
窓は閉まっているのに聞かれたらダメな気がして、思わず耳打ちするような声になってしまった。
「こっ、いやっ、その、まだというか」
「『まだ』?」
「あ……」
墓穴を掘って、ツナが凍りつく。
本当に素直で笑ってしまう。ボスになるまでにはもう少し誘導に乗らないようになるといいが。
それにしても。
「そうか、そういう感じの相手がいるのか。そうだよな、もうすぐ15だもんな」
初めて会った時はまだまだ小さくて、愛だの恋だのなんて全く気にしていなくて、思春期に入る頃にはヒロヤのことでいっぱいいっぱいで。
そんなレイが、誰かに恋をしたのか、あるいはされたのか。
まあでも、ツナの顔に変な憂いがない。
ならば相手はきっと、悪い奴じゃないだろう。
窓を開けて部屋に入ると、そこにはレイがいた。
「あ、ディーノさん」
パッと明るくなる顔は、昔から変わらない。その頭をガシガシと混ぜてやる。
レイは頭を揺らしながらツナに向かって「さっきランボがゲームするってキミの部屋に行ったけど」と言い放った。
そしてツナは「オレのセーブデータ……!」と言い残して自室に向かって走っていく。
その後ろ姿を見送ってから、ディーノはレイに耳打ちした。
「なあ、もしもツナが本気で『逃げたい』『ボスを辞めたい』っつったらどうする?」
その質問に、レイは表情ひとつ変えず、ディーノの袖を引いた。
体を傾けてやれば、同じように耳打ちされる。
「何があっても、ボクはツナの味方です」
「よし、よく言った!」
嬉しくなって、ディーノはレイの肩を抱いた。そんなディーノに、レイもつられるように笑った。
室内にいる右腕が少し驚いた顔でこちらを見る。
彼や元家庭教師には内緒の話だ。
そして一つ思い出す。
ヒロヤが言ってくれた言葉だ。
『もしディーノがどうしてもボスを辞めたくなったら、ボクが何としてでも逃すよ。ディーノとボクとレイで逃げまくろう!』
追い詰められ掛けていたあの頃、親友のその言葉一つでどれだけ救われたか。
ドールだから、オーナーだから。自分たちの間にあったのは、きっとそんなものじゃ無かった。
ただただ友達だった。友達が苦しんでいたから、声を掛けてくれた。
同じようにレイは、家族であるツナが苦しんでいたら何が何でも救いたい、きっとそれだけなのだ。
本当に助けを求められたら、ファミリーに迷惑がかからない程度に力を貸してやろう。
そう静かにディーノは誓った。
全開日本に来たときは梅雨の湿り気がまだ残る、夏の始まりの時期だった。今は幾分か過ごしやすい。
今日は元家庭教師と弟弟子、そして親友の妹の顔を見に来たのだ。そして明日は戦闘狂の教え子の相手でつぶれることだろう。
ふと上を見ると、2階の窓越しにツナと目が合った。
ツナの顔が引っ込んで10秒後、玄関のドアが勢いよく開いた。
「ディーノさん!」
「よお、ツナ!」
リビングに通され、奈々に挨拶をして土産を渡す。
いつもなら飛んでくるであろうレイの気配がないことに、ディーノは不思議に思っていた。
そんなディーノの心中を読むように声が聞こえた。
「レイなら今はガキたちと公園だぞ」
「お、リボーン!……また少し大きくなったか?」
背後から現れた元家庭教師は、記憶の中の姿よりも僅かに大きくなっている。
挨拶を交わしながら、次に来るときはオーダーメイドの靴でもプレゼントしようか、などと考えた。
「あの……」
プレゼントを考えるディーノに、小さな声が聞こえた。ツナだった。
「どうした?」
「えっと……、ちょっと訊きたいことがあって」
最近では珍しいほどに遠慮が見える。
ちら、とその目がリボーンやロマーリオに向いた。2人で話したいのだろうか。
ツナの肩に手をやりながら、ロマーリオに声を掛ける。
「久々にツナと2人で話したいから縁側にいるぞ」
「おう、なんかあったら呼んでくれ」
そして、庭に続く窓を開けた。
暖かい日差しと程よく涼しい風、日本の秋はいいものだ。
ディーノには小さいつっかけに、つま先だけ入れて縁側に腰を下ろす。
ツナも横に座った。
「で、どうしたんだ?何かあったか?」
深刻になりすぎないように、しかし傾聴の姿勢は見せる。
ツナは視線をウロウロとさせ、そしてディーノを見て、自身の膝を見た。
そして口を開く。
「あの、ディーノさんは……、マフィアのボスになったことを後悔したことはありますか?」
後悔、とディーノの口が模倣する。
脈絡のない質問に、上手く反応できないでいると、次第にツナの表情に焦りが滲み始めた。
ああ、これはちゃんと答えてやらないとダメだ。
そしてディーノは少しだけ目を閉じる。
「後悔なら、たくさんあるぜ」
例えば、ヒロヤのこととかな。
口には出さずに、大きな後悔を一つ思い浮かべる。
ツナの視線はまだ膝の上だ。
「オレは親父が死んでからボスになった。その前からボスになれとは言われてたけどな」
懐かしい昔の話だ。随分と駄々をこねて、父の心労にもなっていたことだろう。
「責任があることは別にいい。でもやっぱ、どうしたって裏社会だ。性根の腐ったやつ、金かクスリにしか興味のないやつ、自分の力を誇示したいやつ……。ろくでもないやつのオンパレードだ」
そういう奴らを相手取るだけでも毎回後悔する。
「でも、オレにとってファミリーは、文字通り家族だった。生まれた時からずっと一緒にいた家族だ。だから捨てられなかった。マフィアのボスになる後悔より、あいつらを失う後悔の方がよっぽど耐えられなかったんだ」
いつの間にか、ツナは真剣な目をこちらに向けて話を聞いていた。
そして、ディーノもなぜツナがこんな話をしたのか思い至る。
「継承の話、急かされてるのか?」
ツナは息を小さく止め、そして頷いた。
訊いた立場ながら、思わず苦笑する。
継承の話を探されているなんて、本来であればトップシークレットである。いくら深い信頼を築いている同盟ファミリーであっても。
それはすなわち、ファミリーにとっては繋ぎ目であり、脆さの象徴となるからだ。
しかし、そんなことを10代の一般家庭出身の少年が思い当たるはずもない。
ひたすらに素直、信頼している人間から訊かれたから答えた、ただそれだけだ。
しかし、ということはボンゴレ本部の方でも何らかの懸念点が出てきたということだろうか。
9代目ももういい歳だ。考えたくはないが、第三者の介入なしにいつ何が起きてもおかしくはない。
寿命を迎えるだけではない。
心身の病、記憶の混濁、それを見た内部の反乱。
ボスが高齢であるほどそのリスクは高くなる。
だからツナがボスになることを受け入れるか、あるいは継承を断り次のボス候補を立てるまでの時間的猶予は、長くて5年。
ツナに設けられたタイムリミットは知らないが、きっと大きなプレッシャーになっていることだろう。
「なあ、ツナ」
「はい」
「オレとお前は生い立ちが全く違う」
先ほども言った通り、なんやかんやでディーノは生まれた時から裏社会に全身が浸かっていた。その恩恵に育まれてきた。
ファミリーは文字通り家族だった。
赤ん坊の頃からの居場所と家族を奪われないために、ボスになった。
ではツナはどうだ。
「お前はずっと普通の日本の学生だった。本当に急にやれって言われて、数年で『はいそうですか』で受け入れられるやつの方がよっぽどヤバい」
実際は、そういうやつの方がこっちの世界は向いているのだろうが。
その言葉は飲み込んだまま、ツナの目を見る。
目の前の琥珀色は、どこか焦りと迷いと、そしてわずかな恐れを滲ませていた。
ふっ、とツナの視線が外れる。その目は庭に干された洗濯物をぼんやりと見ている。
「正直、オレもう継承するしかないんじゃないかなって思ってるんです」
ディーノは思わず息を止める。
あれだけ何度も何度も「ならない!」と言い張っていた姿を見てきたのに、一体どういう風の吹き回しだろうか。
そんなディーノの気持ちを読んだように、ツナは苦笑しながら言う。
「ボスになりたい訳じゃないんです」
静かな声だった。
「でも、なんやかんやで継承式をやっちゃったし」
そうだ、途中で有耶無耶になったとはいえ、あの時ツナたちは時代のボンゴレボスおよびその守護者として、こちらの世界にその顔をお披露目した。
「その時にリングもオレたち専用?……みたいな感じになっちゃったし」
ツナが自身の右手を空にかざす。リングが陽の光を受けて煌めいた。
確かに、これを次のボンゴレ継承者にそのまま渡すわけにはいかないだろう。
例の彫金師に頼むにも、相応の理由がなければきっと難しい。
「本当はオレじゃない方がいいと思うんです。オレじゃない人がボスやった方が、絶対にいい」
それはどうだろうか、とディーノは思う。
ツナは、あの凶悪犯の六道骸の手綱を握ることができる。
一筋縄ではいかない暗殺集団ヴァリアーの幹部から一目置かれている。
数多の未来の可能性を掌握した白蘭と対等な立場で会話のテーブルに着くことができる。
ボンゴレが初代から重ねてきた因縁を精算し、シモンファミリーと真の和解を果たした。
復讐者と元アルコバレーノに対して、多大な恩義がある。
彼がこの2年ちょっとで作り上げた実績を無視することは、きっとできない。
「でも、もしもオレが、『やっぱやーめた』って言った時、……ここまで巻き込んだみんなはどうなるんだろうって」
不意に沈んだ声に、ディーノはこれがツナの1番の恐れなのだと察する。
「山本とかお兄さんとか、全然こっちと関係なかったのに巻き込んだし、未来では京子ちゃんとかハルとかも巻き込んで……、それを全部無かったことにできるんですか?」
ディーノは答えられない。
彼らはツナがボンゴレ10代目にならなければ、ボンゴレ10代目の関係者にはならない。
しかし、ボンゴレの関係者であった事実は、おそらく一生消えない。消すことができない。
それは、ボンゴレという組織の庇護がない状態で野放しにされることと同義である。
戦う力のある山本や了平はともかく、京子やハルは果たしてどうなるのか、そして彼らの家族がどうなるのか。
あまりにも未知数だ。
「じゃあ、オレがボスになるのが……、『責任』ってやつなのかなって」
ディーノは息が苦しくなってきた。
わずか10代で血筋だけで歴史と罪と因縁を押し付けられた。そしてそれでもここまで立ってきた少年が、今は責任を前に震えながら足を踏みだろうとしている。
それはマフィアのボスとしてはあまりに純粋で優しく、マフィアのボスとしてあまりに立派な理由だった。
ツナの目には涙の幕が張っている。しかし涙は落ちていない。
強い少年だ、と改めて思う。
本当なら助けてやりたい。
ボスになってからのツナが「やっぱり辞めたい」と言ったら、手を差し伸べてやりたい。逃げ場になってやりたい。
しかし、ディーノにも守るべきものがたくさんある。
イタリアンマフィア最大規模のボンゴレファミリーのボスをその席から逃したなど、とんでもない敵対行為だ。
全力で対抗してもきっと、キャバッローネは無事では済まない。
愛してやまないあの町だって被害を受けるだろう。
「何かあったらすぐに言えよ。オレにできることならしてやる」
あまりにも保険を掛けまくった言葉だった。
兄貴分を名乗るくせに情けない。
「……ごめんな、こんな言葉しか掛けてやれなくて」
「そんな、オレ、誰かに聞いて欲しかったんだと思います」
少しだけ鼻を啜りながら、ツナが笑った。
「ありがとうございます。ちょっと楽になりました」
しばらく2人で会話もなく庭の洗濯物を眺めた。
干されているシャツの、どちらがツナのものでどちらがレイのものだろう。柄の少ない方がレイのものだろうか。
「あ、そういえば」
ツナが思い出したように声を出す。
そこに先ほどのような沈んだ色はない。
「ヒロヤにいちゃんって、恋人とか好きな人とかっていたんですか?」
「ヒロヤ?好きな人?何でまた急に」
先ほど以上に脈絡のない質問に、ディーノは目を丸くする。
「そういう話は聞いたことないな。恋人がいたような感じもなかったし、好きな子がいたようにも見えなかったな」
イタリアに来る前、日本で好きな子がいた可能性もあるが、流石にそこまでは把握できない。
ツナは「そうですか」とあっさり受け入れ、会話を終えようとした。
「いやいや待て待て!なんでそれを訊いたか教えろ!」
「えっ!?い、いや、そんな特に理由は……」
しどろもどろになるツナに、ひとつだけ「もしや」が浮かぶ。
「レイに恋人ができたのか……?」
窓は閉まっているのに聞かれたらダメな気がして、思わず耳打ちするような声になってしまった。
「こっ、いやっ、その、まだというか」
「『まだ』?」
「あ……」
墓穴を掘って、ツナが凍りつく。
本当に素直で笑ってしまう。ボスになるまでにはもう少し誘導に乗らないようになるといいが。
それにしても。
「そうか、そういう感じの相手がいるのか。そうだよな、もうすぐ15だもんな」
初めて会った時はまだまだ小さくて、愛だの恋だのなんて全く気にしていなくて、思春期に入る頃にはヒロヤのことでいっぱいいっぱいで。
そんなレイが、誰かに恋をしたのか、あるいはされたのか。
まあでも、ツナの顔に変な憂いがない。
ならば相手はきっと、悪い奴じゃないだろう。
窓を開けて部屋に入ると、そこにはレイがいた。
「あ、ディーノさん」
パッと明るくなる顔は、昔から変わらない。その頭をガシガシと混ぜてやる。
レイは頭を揺らしながらツナに向かって「さっきランボがゲームするってキミの部屋に行ったけど」と言い放った。
そしてツナは「オレのセーブデータ……!」と言い残して自室に向かって走っていく。
その後ろ姿を見送ってから、ディーノはレイに耳打ちした。
「なあ、もしもツナが本気で『逃げたい』『ボスを辞めたい』っつったらどうする?」
その質問に、レイは表情ひとつ変えず、ディーノの袖を引いた。
体を傾けてやれば、同じように耳打ちされる。
「何があっても、ボクはツナの味方です」
「よし、よく言った!」
嬉しくなって、ディーノはレイの肩を抱いた。そんなディーノに、レイもつられるように笑った。
室内にいる右腕が少し驚いた顔でこちらを見る。
彼や元家庭教師には内緒の話だ。
そして一つ思い出す。
ヒロヤが言ってくれた言葉だ。
『もしディーノがどうしてもボスを辞めたくなったら、ボクが何としてでも逃すよ。ディーノとボクとレイで逃げまくろう!』
追い詰められ掛けていたあの頃、親友のその言葉一つでどれだけ救われたか。
ドールだから、オーナーだから。自分たちの間にあったのは、きっとそんなものじゃ無かった。
ただただ友達だった。友達が苦しんでいたから、声を掛けてくれた。
同じようにレイは、家族であるツナが苦しんでいたら何が何でも救いたい、きっとそれだけなのだ。
本当に助けを求められたら、ファミリーに迷惑がかからない程度に力を貸してやろう。
そう静かにディーノは誓った。