白線(10月その1)
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ひたりとした殺気がツナの背中に張り付いた。あまりにもあからさまで、まるで気付けと言わんばかりの殺気だ。
共に帰宅していた獄寺、山本、レイも殺気に気付いたようで足を止めている。
こちらの動きが止まった瞬間、細くきらめく何かがまっすぐに飛んできた。表情を変えることなくレイが前に出て、その何かを短剣で叩き落した。
高い音を立てて足元に落ちた何かを見て、レイは小さく溜息を吐きながら言った。
「ベル」
かすれたような笑い声が閑静な住宅街に落ちる。民家の裏から出てきたのは、ヴァリアーのベルフェゴール本人だった。
彼だけではない。その後ろから宙に浮かぶ赤子、そして緑色のモヒカンを垂らした男が姿を現す。
「る、ルッスーリア」
「お久しぶり」
ツナに呼ばれた当の本人は愛想よく手を振りながら近付いてくる。
ルッスーリアの後ろにつく形で緩い足取りでベルフェゴール、そして前より少し長くなったローブを揺らしながらマーモンも近寄ってくる。
「お、お久しぶりです?」
「お宅の家庭教師は?」
「ユニに会いに行ってて数日いないけど……」
「あらそう」
そう言ってルッスーリアが懐から取り出したのは、一通の手紙だった。
「9代目からよ」
見るからに質のいい紙だ。自分が受け取ってもよいものか、迷って手が出せない。
「なんでテメェらが」
「国際郵便なんて当てにしてられないのさ」
喧嘩腰の獄寺に、マーモンが気怠そうに答える。
「流出させるわけにいかないもの。ほら、あなた宛てよ」
ずいと眼前に差し出されて、恐る恐る手紙を受け取る。
手紙からは人の体温とは異なる、しかしほどよい温かさを感じた。
封を開けると、中からオレンジ色の光が漏れ出す。9代目の死ぬ気の炎だとすぐに分かった。
これがどうして紙に残るのか、未だに仕組みがわからない。
緊張で指が湿り、図らずもスムーズに紙を繰ってしまう。
開かれた紙の上で、滑らかにインクが滑っているのが分かる。が、分かるのはその程度だった。イタリア語は読めない。獄寺かレイに助け舟をもらおうと顔を上げた瞬間。
「うぐっ」
急にレイが潰れた声を出す。驚いてそちらを見ると、ベルに首根っこを引っ掴まれたレイがいた。
「ちょ、ちょっと」
慌てて抗議の声を上げる。
山本も獄寺も、表情険しく、すぐさま動けるように構えた。
一方のレイは、ベルを呆れた顔で睨みつつ、こちらに手のひらをを向けて「大丈夫」と言った。
レイ自身に焦りは見当たらない。ルッスーリアもマーモンも、特に動く様子はなかった。
「暇」
「だからって急に引っ張らないでくれ。あとここは日本だ、住宅街で騒ぎを起こしたらすぐに警察が来るぞ」
先に口を開いたベルに、呆れた声でレイが言葉を返す。
決して『仲良し』と感じるようなものではないが、遠慮のようなものはあまりうかがえない。
気安いやり取りだった。
そういえば、レイに戦い方を叩き込んだのはベルだと聞いている。レイの話ではヒロヤの失踪からということなので、かれこれ4、5年の付き合いになると考えれば、この気安さも納得ではあった。
じわ、と不満をにじませるベルに、マーモンが大きく溜息を吐いた。
「言い出したら聞かないだろう。労働に応じて対価はもらうからね」
「やりぃ」
先に道のど真ん中に歩みを進めるベルを呆れ顔で眺めつつ、レイは「ごめん、ここ置いとく」とスクールバッグと脱いだジャケットをツナの足元に置いた。
そしてリングを首から下げたチェーンから右手中指に移し、自身もベルの後を小走りで追っていった。
ルッスーリアが目敏く指摘する。
「あら、あの子リング持ったの?」
「ディーノさんが」
「ああ、そういうこと」
「さっさと終わらせてよ。帰りたいんだ」
ぷわ、とマーモンの体から霧の炎が薄く広がり、2人が対峙している道路の一角だけを覆うように留まる。
「工事中につき立ち入り禁止、従順な日本人にはこれくらいで十分さ」
霧のドームの中にいるツナ達には、外からどう見えているか分からない。
中と外とで見えるものを変える。そんな器用な真似ができるのはさすが元アルコバレーノといったところだろうか。
レイが腰布を取ったのか、足腰に巻かれたベルトと、それに下がる短剣が見える。
ベルの手が動くのとほぼ同時に、レイの短剣の鞘が煌めく。
軽く沈んだレイの体が跳ね上がり、その足元に2、3本のナイフが突き刺さった。
どこかの家の塀に飛び乗ったレイが、ダガーナイフで自身の襟元を薙ぐ。日の光の中でキラキラとした何かがレイの周りで散った。
「ワイヤー……」
苦々しく獄寺が呟く。
あれに盛大に苦しめられた彼からすれば、見ていて気分のいいものではないのだろう。
レイはすでにベルの手の内をある程度は知っているようだ。脅威となりかねない自身にまとわりついたワイヤーを、真っ先に切り落とした。
目を凝らせば、2人の間でいくつもの細い線がきらめいている。道にはすでにワイヤーが何本も張り巡らされているようだ。
いつの間にこんなことになっていたのか分からないが、不用意に近付けば負傷は免れないだろう。
レイが塀の上から飛び降り、ベルへと向かう。髪の先や服の一部にワイヤーが引っかかって散ってはいるが、一方で血が飛ぶ様子はうかがえない。ワイヤーを器用に避けているようだった。
「相変わらず目はいいわね」
「ワイヤーの有無には初めのうちから気付いてたからね。まあ気付いてても体と思考が追い付かなかった頃は酷いものだったけど」
2mほどの距離で一度スピードを落とし、レイはさっと周囲を見回してから一息に距離を詰めた。
音もなく顎下へ差し込まれる短剣に怯む気配も見せず、ベルはレイの横っ腹に膝を入れる。レイは咄嗟に体を丸め、そのまま地面に倒れ込んだ。
ワイヤーを警戒してか、レイはそのまま地面を這うように距離を取った。
「お前、随分とお上品な戦い方になっちまったなぁ?」
「半年も経てば変わるさ」
嘲り笑うベルに対し、表情を変えずにレイが立ち上がる。今度はレイが動くよりも先に複数のナイフが四方八方からレイに降り注いだ。レイは慌てる様子もなく、器用にワイヤーを避け、時には切り落とし、ナイフをスルスルと避けていった。
「手慣れてる……」
「ウォーミングアップみたいっすね」
獄寺の言う通り、どちらも息が上がっている様子もなければ、本気を出している様子もない。文字通り暇潰しの手慰みといったところだろうか。
短剣からもナイフからもリングからも、炎は噴き出していない。
「でも、何でレイに戦い方を教えたのがあの人なんだろう……」
「あら、聞いてなかったの?」
ぽつりと漏らした疑問を、ルッスーリアが拾い上げる。今更ごまかすわけにもいかず、首肯する。マーモンは口端を軽く持ち上げて言った。
「暇だから特別にタダで教えてあげよう。端的に言えば、ベルとレイの独断、そして利害の一致さ。レイは自身を守る術、そしていざとなれば人の命を奪う術を欲していた。ベルはとにかく体を動かして暴れたくて仕方がなかった」
兄の身に起きていることをある程度知り、そして自身が身を置く環境について理解が深まってしまえば、レイが戦うための力を求めるようになるのは必然だった。
順当にいけば、戦い方はキャバッローネに教わるべきだっただろう。しかし彼女はそうしなかった。
恐らく、彼らは身の守り方やそれに付随する戦い方こそ教えてくれても、きわめて実践的な、つまり命を奪う戦い方についてはあまり教えてもらえないと、そう理解していた。
特にボスであるディーノが、兄妹で刃を向け合うことを良しとするとは思えなかった。
だからこそ、外部の人間を頼った。近過ぎず、しかしある程度の信頼は置けるほどには遠過ぎない、そんな人間。
「元々面識だけはあったのよね、あの子達。同盟ファミリーだから会合やらでこちらがキャバッローネに赴くこともあったからこちらの顔と職業だけは知ってたみたいなの」
「ベルと街中で会ったのは散歩中の偶然でね。僕も一緒にいたけど、『戦い方を教えてほしい』と、シンプルな要望だったよ」
彼等が暗殺を生業とするからか、あるいは年齢が近いこともあって声をかけやすかったのか。
不遜でなく、しかしへりくだってもいなかったその態度は、ちょうどその日のベルの機嫌に合っていたのだろうと、マーモンは推測する。そのままその場で承諾をしてしまったのだった。
「予め話を通していたのならともかく、本来であればファミリーを超えての師事は褒められたものではないんだ」
「しかも相手は同盟ファミリーが保護している未成年、万が一のことがあったら大問題よ。うちの副隊長が怒鳴ったのなんの……」
摘まみ上げられ、怒鳴りつけられようともベルに反省の色はなかった。
「キャバッローネにも連絡は入れたけど、あっちは確か……」
「むやみに禁ずることで、ベル以上に危険で得体のしれない奴に教わりに行くよりはマシと判断したんだったかな?」
「保護者の立場からすれば無難な判断したわよねぇ。軟禁とか厳しく叱り付けなかった辺り、相当負い目があったのかしら」
「ヴァリアー側は何で許可出したんだよ。スクアーロがブチ切れたんだろ」
「あの頃はねぇ……」
獄寺の質問に、ルッスーリアが頬に手を当てながら苦笑を浮かべる。
「ちょうどベルの破壊衝動がひどい時期だったのよ」
「破壊衝動?」
「今思えば思春期に入りたてだったせいで、精神的に不安定だったんでしょうね。仕事でもない殺しをしたり、部隊の人間を訓練と称して使い物にならなくなるくらい痛めつけたり……」
任務外の殺しは当然ご法度であり、だからこそ謹慎処分を下すことはあった。それだけでなく、ガス抜きのためにも少し派手な任務に同行させたり、時間があれば幹部が相手をしたり。
手を変え品を変え、何とか少年の荒ぶる精神を鎮めようと尽くしたものの、そのどれもが根本的な解決に繋がることはなかった。
「子どものうちから暗殺部隊に入っていたからだろうね。同世代と接して得るはずの精神的な成長もなく、しかも僕らは不安定な情緒を宥めすかす手腕を持たなかった」
そんな中で、ベルより少しだけ年下のほぼ同年代、そして任務とは関係なく体を動かす理由が目の前に出てきた。
ヴァリアーにとってはベルの精神的な成長が見込めることも含めて、悪くはない話だった。
ヴァリアーの大人達は、それはそれは悩んだという。
治るような怪我ならまだ許されよう。しかし、後遺症が残るようなものなら。最悪、命を奪ってしまったのなら。
子どものしでかしたこととはいえ、双方のファミリーの中にしこりが残る懸念があった。
しかも『ゆりかご』の一件もあり、当時のヴァリアーはボンゴレ本部からの監視もまだ強い時期だった。
スクアーロに「自制し、ほどほどに手加減をして、素人の子どもを無事に鍛えられるのか」と問われたベルの回答は「死なせないくらいならできる」だった。
「結果として、咄嗟に幻覚で抑え込める僕がお目付け役になって、しばらく様子見することになったのさ」
その結果がアレ。まだ柔らかそうな指が指し示す先では、2人が一切の容赦なく殴り合い、蹴り合い、切りつけ合っていた。
「ところで、あの子の間合いあんなだったかしら?私、あんまり見てないから記憶は曖昧なんだけど」
「間合い?」
「私も専門外だけど、あれって剣士の間合いじゃないかしら」
そう言って、ルッスーリアの顔が山本の方を向く。
「あなたが教えたの?」
「教えたっつうか、手合わせしてるっつうか」
「へぇ、数奇なものだね」
「数奇?」
不思議とマーモンの言葉が引っ掛かり、思わずツナが問いかける。マーモンとルッスーリアは顔を見合わせ、そしてルッスーリアが口を開いた。
「……昔ね、スクアーロがあの子のお兄さんに剣を教えたことがあるのよ」
「なっ」
「そ、そうなの!?」
獄寺と共に、驚きで声を上げる。
ヒロヤがディーノと近しいところにいた上に年も同じなのだから、多少の関わりはあるだろうと思っていたが、まさか。
「や、山本は知ってた?」
「あー、瀬切から少し。手合わせしてるときに」
「とはいえ本当に短期間さ。数日も相手してなかったんじゃないかな」
マーモンが言う。
「ま、『ボスや妹を守るため』という理由で教えを乞うてきたのに、その剣を対象に向けたことでスクアーロ自身は相当おかんむりだったけどね。『灰の手』の噂が出てきた時には『顔を見たら即殺してやる』とまで言ってたくらいさ」
粗野に見えて案外道義を重んじるスクアーロにとっては、背景に何があっても、ほんの一瞬であっても、誤った方向に剣を向けた時点で許せないのだろう。
従兄のことを悪く言われるのは胸が痛むが、それだけスクアーロもヒロヤの人柄を信頼し評価をしていたと思えば、まだ我慢できた。
きっとそうでなければ、短期間であれ剣を教えたりしないだろう。
カツン、と足元で音がした。目線を落とせば、地面にナイフが転がっている。レイが弾いたものかもしれない。
レイが離れたのか、ベルに距離を取られたのか、2人の距離は数メートルにまで離れており、完全に中距離主体のベルの間合いになってしまった。
燃え上がらず、しかしレイの手元で熱が揺らめく。
体をひねり、数本のナイフをよけたかと思えば、レイはやや不安定な体勢のままベルの懐へと突っ込んでいく。
一方のベルはそれに怯む様子もなく、むしろ口端を持ち上げて最低限の労力で短剣を躱した。
しかし微かに刃先が触れたのか、衣服の一部が散る。
現実逃避も兼ねて従妹の方を見ていると、頭上から不機嫌な唸り声が降り掛かってきた。
「ところで、そろそろ呼んでくれないかしら?」
「あ、いや、その、オレイタリア語読めなくて」
「そうなると思って9代目は慈悲深くも日本語で書いてくれてるよ。僕達だって暇じゃないんだ、早くして」
「……ハイ」
物理的にも精神的にも逃げ場を奪われたツナは、観念して2枚目の手紙に目を通す。
綱吉君へ。
出だしの文字はわずかに崩れているが美しい。起筆の尖り方、とめ・はね・はらいまで丁寧なものだった。
綱吉君へ
君にこういった手紙を書くのは初めてだね。
どうしても1枚目はこちらの言葉で書く必要があったから、驚かせてしまっただろう。
本当は日本語で書く必要はなかったが、この間買った筆ペンを使いたくて、この手紙を使わせてもらっている。
さて、雑談はここまでにして本題だが、君のこれからについて、ボンゴレファミリーⅨ世として伝えたい。
今一度盛大に継承式を開くか否かは別としても、やはり君に今のボンゴレを変えてほしい。私の思いに、今も変わりはない。
ただ、意向を無視してこの重荷を背負わせたいわけではない。
綱吉君は、今15歳だったね。そして日本では18歳あるいは20歳を迎えて大人として見られるケースが多いと聞く。
だからあと3年、君が18歳になったときに改めて答えを聞かせてほしい。
君であれ、君以外であれ、わずかでも後を継ぐ者に力添えをしてあげたいという願いもある。
己を盾にするようで申し訳ないが、老いた私がまともに心身を働かせられる期間を考えれば、やはりその辺りがリミットになってしまう。
優しい君は、こんなことを書かれてしまえば酷く迷ってしまうだろう。
不甲斐ないばかりだが、どうか許してほしい。
綱吉君の答えは、直接でも、リボーンを通してでも構わない。
ギリギリまで迷ってもいい。
君を追い込んでいる私が言えたことではないが、どうか悔いのない選択をしてくれ。
これから日本は日に日に寒くなると聞いている。
そして受験の時期が近いということも。
どうか体を大事に。ボンゴレの継承に関係なく、また綱吉君に会える日を、心から楽しみにしているよ。
追伸そろそろ家光君に休暇を取らせようと思うが、希望の時期があったら君からも提案してほしい。
どうか家族団欒を楽しんで。
日本人の自分よりも整った文字を読み終えて、ツナは小さく嘆息した。
およそ1年前、炎真達の乱入で有耶無耶になったはずの継承の話が再度持ち上がった。
いや、実際にはネオボンゴレⅠ世とかいう新たな称号も生まれかけたのだが、恐ろしいほどに馴染まなかったので自分の中でなかったことにしている。
ちら、とルッスーリアの顔を上目で見れば、「こっちが決められることじゃないのよねぇ」と返され、マーモンも「君がどちらを選ぼうが、気に食わなさが頂点に達したら再度クーデターをするだけだからね」と物騒な言葉を吐いた。
マフィアのクーデターがどんなものかイメージはつかないが、あのXANXUSが怒気を全開にした顔で迫ってくるのは二度と経験したくない。
ぞわりと背を駆け上がる悪寒をやり過ごそうとした時。
「あ」
山本の小さな声が鼓膜を打つ。皆一斉にレイとベルの方を向いた。
ちょうどレイが蹴り出したであろう左足を避け、ベルがそのままの勢いでレイに飛び掛かるところだった。
そのままレイの頭を蹴るか殴るかと思いきや、ベルはレイの肩を踏み台にして飛び越え、その背後に着地した。
そしてバランスを崩しかけたレイが体勢を整える前に、左手で何かを引っ張った。
瞬間、レイの右足首から赤いものが散り、両足が宙に浮く。
そしてレイが受け身を取るよりも先に、ベルが背中に飛び掛かってレイを地面へと押し倒す。
肩からアスファルトに衝突したレイの喉から、苦しそうな声が漏れた。
レイの背に馬乗りになったベルは、間髪入れずにその前髪をつかんで上を向かせ、その喉元にナイフを這わせる。
ナイフが押し当てられた首だけでなく、レイの顔や腕からも、わずかながら血がにじんでいるのが分かった。
レイの荒い息だけが響く道の中、3秒も経たずにナイフが首元から離れる。
「んだよ、ザコのままじゃん」
「うるさいなぁ」
「力強くなってスタミナ落ちましたーって、馬鹿じゃね?」
「こっちにも色々事情があって、今調整してるんだってば。それより早くどいてくれ」
先ほどまで割と本気で命の取り合いをしていたとは思えないほど、会話が緩い。ちくちくと刺さっていた殺気も霧散している。
「いつもああなの?」
「いつもああだね。あれくらいドライで雑な感性の方が殺しには向いてるさ」
「そういうもの……?」
とうとうレイの上で脚を組んだベルと、その下から這い出ようとするもガス欠で力が出ないのか、もぞもぞ動くだけのレイの姿は妙に滑稽だった。
物騒なのか平和なのか分からない。
「あら?」
つん、と肩を突かれる。
「ねえちょっと、あれってそういうことでいいの?」
ひそひそと、しかし浮つきを隠せない声でツナに耳打ちするのはルッスーリアだ。
彼がサングラス越しに目を向けているのは、山本だった。
獄寺がこれ見よがしにため息を吐き、ツナも釣られてあはは、と誤魔化すような笑いを漏らしてしまった。
山本はいつの間にかツナ達よりも2歩ほどレイ達に近い位置で様子を眺めていた。
そしてその表情は今、ほんの少しだけ面白くなさそうだった。
ただそれだけだが、察するには余りあるのだろう。
勝手にそういった湿っぽさとは縁遠いと思っていたが、山本だってツナ達と同い年の少年だ。
好意的な気持ちを向けている子が、目の前で自分より付き合いの長い少年に乗っかられている。
例えそこに色気のかけらもなかったとして、それでもいい気分にはならないだろう。
ルッスーリアほどではないが、ツナも少しだけにやけてしまい、同時に気恥ずかしさにも襲われた。
「やだぁ、ちょっと早く教えなさいよ、あんな面白いこと」
「いや別に何が起きてるわけでもないんですって……」
苦しくない程度に肩を揺さぶられながら、ツナは苦笑する。
本当に何もない。いや、それぞれ内面に変化はあるかもしれないが、少なくとも2人の関係性が明確に変化したなら教えてくれるはずだ。
それがないということは、つまり、そういうことだ。
ベルがレイの背中から降り、大あくびをしながらツナ達の方へ足を向けた。
そんなベルと入れ替わるように、山本がいまだ地面にくっついているレイの所へと小走りで近付いた。
「あのリング何?」
「跳ね馬が送ったらしいよ」
「ふーん」
興味があるのかないのか分からない声で、ベルが質問し、マーモンが答える。
道の真ん中では体を起こそうとしているレイに、山本が手を貸していた。手を引っ張り上げられるも、ガス欠を起こしているのかレイがよろめき、その腕を山本が掴んだ。
体を支えられたレイが、苦笑いを浮かべながら山本に礼を言っているようだ。
何度か深呼吸を繰り返し、次第にレイの背筋が伸びていく。
最後にぐっと大きく背伸びをする頃には、山本の手はレイの肩から離れている。
本当になんと言えばいい距離感なのか。
「で、沢田はボスになんの?」
「えっ」
ベルからの質問に、視線は友人達からずれる。
「継承式は台無しにされたじゃん?もっかい盛大にやんの?」
欠伸を噛み殺しながら投げかけられる質問に対して応える言葉を、ツナはまだ持ち合わせていない。
煮え切らない態度のツナに何を言うでもなく、役割は終わったからと、ヴァリアーの3名はあっさりと背中を向けた。
「じゃ、私達は帰るわね。お互い生きてればまた会いましょ」
物騒な別れの挨拶を残し、何事もなかったかのように彼らは姿を消した。
「ツナ、結局用事って……、大丈夫?」
戻ってきたレイが、ツナの顔を見て少し表情を曇らせた。
ああ、きっとよくない顔をしているのだろう。
ツナの背を、山本の手が軽く叩いた。
「とりあえず帰ろうぜ」
共に帰宅していた獄寺、山本、レイも殺気に気付いたようで足を止めている。
こちらの動きが止まった瞬間、細くきらめく何かがまっすぐに飛んできた。表情を変えることなくレイが前に出て、その何かを短剣で叩き落した。
高い音を立てて足元に落ちた何かを見て、レイは小さく溜息を吐きながら言った。
「ベル」
かすれたような笑い声が閑静な住宅街に落ちる。民家の裏から出てきたのは、ヴァリアーのベルフェゴール本人だった。
彼だけではない。その後ろから宙に浮かぶ赤子、そして緑色のモヒカンを垂らした男が姿を現す。
「る、ルッスーリア」
「お久しぶり」
ツナに呼ばれた当の本人は愛想よく手を振りながら近付いてくる。
ルッスーリアの後ろにつく形で緩い足取りでベルフェゴール、そして前より少し長くなったローブを揺らしながらマーモンも近寄ってくる。
「お、お久しぶりです?」
「お宅の家庭教師は?」
「ユニに会いに行ってて数日いないけど……」
「あらそう」
そう言ってルッスーリアが懐から取り出したのは、一通の手紙だった。
「9代目からよ」
見るからに質のいい紙だ。自分が受け取ってもよいものか、迷って手が出せない。
「なんでテメェらが」
「国際郵便なんて当てにしてられないのさ」
喧嘩腰の獄寺に、マーモンが気怠そうに答える。
「流出させるわけにいかないもの。ほら、あなた宛てよ」
ずいと眼前に差し出されて、恐る恐る手紙を受け取る。
手紙からは人の体温とは異なる、しかしほどよい温かさを感じた。
封を開けると、中からオレンジ色の光が漏れ出す。9代目の死ぬ気の炎だとすぐに分かった。
これがどうして紙に残るのか、未だに仕組みがわからない。
緊張で指が湿り、図らずもスムーズに紙を繰ってしまう。
開かれた紙の上で、滑らかにインクが滑っているのが分かる。が、分かるのはその程度だった。イタリア語は読めない。獄寺かレイに助け舟をもらおうと顔を上げた瞬間。
「うぐっ」
急にレイが潰れた声を出す。驚いてそちらを見ると、ベルに首根っこを引っ掴まれたレイがいた。
「ちょ、ちょっと」
慌てて抗議の声を上げる。
山本も獄寺も、表情険しく、すぐさま動けるように構えた。
一方のレイは、ベルを呆れた顔で睨みつつ、こちらに手のひらをを向けて「大丈夫」と言った。
レイ自身に焦りは見当たらない。ルッスーリアもマーモンも、特に動く様子はなかった。
「暇」
「だからって急に引っ張らないでくれ。あとここは日本だ、住宅街で騒ぎを起こしたらすぐに警察が来るぞ」
先に口を開いたベルに、呆れた声でレイが言葉を返す。
決して『仲良し』と感じるようなものではないが、遠慮のようなものはあまりうかがえない。
気安いやり取りだった。
そういえば、レイに戦い方を叩き込んだのはベルだと聞いている。レイの話ではヒロヤの失踪からということなので、かれこれ4、5年の付き合いになると考えれば、この気安さも納得ではあった。
じわ、と不満をにじませるベルに、マーモンが大きく溜息を吐いた。
「言い出したら聞かないだろう。労働に応じて対価はもらうからね」
「やりぃ」
先に道のど真ん中に歩みを進めるベルを呆れ顔で眺めつつ、レイは「ごめん、ここ置いとく」とスクールバッグと脱いだジャケットをツナの足元に置いた。
そしてリングを首から下げたチェーンから右手中指に移し、自身もベルの後を小走りで追っていった。
ルッスーリアが目敏く指摘する。
「あら、あの子リング持ったの?」
「ディーノさんが」
「ああ、そういうこと」
「さっさと終わらせてよ。帰りたいんだ」
ぷわ、とマーモンの体から霧の炎が薄く広がり、2人が対峙している道路の一角だけを覆うように留まる。
「工事中につき立ち入り禁止、従順な日本人にはこれくらいで十分さ」
霧のドームの中にいるツナ達には、外からどう見えているか分からない。
中と外とで見えるものを変える。そんな器用な真似ができるのはさすが元アルコバレーノといったところだろうか。
レイが腰布を取ったのか、足腰に巻かれたベルトと、それに下がる短剣が見える。
ベルの手が動くのとほぼ同時に、レイの短剣の鞘が煌めく。
軽く沈んだレイの体が跳ね上がり、その足元に2、3本のナイフが突き刺さった。
どこかの家の塀に飛び乗ったレイが、ダガーナイフで自身の襟元を薙ぐ。日の光の中でキラキラとした何かがレイの周りで散った。
「ワイヤー……」
苦々しく獄寺が呟く。
あれに盛大に苦しめられた彼からすれば、見ていて気分のいいものではないのだろう。
レイはすでにベルの手の内をある程度は知っているようだ。脅威となりかねない自身にまとわりついたワイヤーを、真っ先に切り落とした。
目を凝らせば、2人の間でいくつもの細い線がきらめいている。道にはすでにワイヤーが何本も張り巡らされているようだ。
いつの間にこんなことになっていたのか分からないが、不用意に近付けば負傷は免れないだろう。
レイが塀の上から飛び降り、ベルへと向かう。髪の先や服の一部にワイヤーが引っかかって散ってはいるが、一方で血が飛ぶ様子はうかがえない。ワイヤーを器用に避けているようだった。
「相変わらず目はいいわね」
「ワイヤーの有無には初めのうちから気付いてたからね。まあ気付いてても体と思考が追い付かなかった頃は酷いものだったけど」
2mほどの距離で一度スピードを落とし、レイはさっと周囲を見回してから一息に距離を詰めた。
音もなく顎下へ差し込まれる短剣に怯む気配も見せず、ベルはレイの横っ腹に膝を入れる。レイは咄嗟に体を丸め、そのまま地面に倒れ込んだ。
ワイヤーを警戒してか、レイはそのまま地面を這うように距離を取った。
「お前、随分とお上品な戦い方になっちまったなぁ?」
「半年も経てば変わるさ」
嘲り笑うベルに対し、表情を変えずにレイが立ち上がる。今度はレイが動くよりも先に複数のナイフが四方八方からレイに降り注いだ。レイは慌てる様子もなく、器用にワイヤーを避け、時には切り落とし、ナイフをスルスルと避けていった。
「手慣れてる……」
「ウォーミングアップみたいっすね」
獄寺の言う通り、どちらも息が上がっている様子もなければ、本気を出している様子もない。文字通り暇潰しの手慰みといったところだろうか。
短剣からもナイフからもリングからも、炎は噴き出していない。
「でも、何でレイに戦い方を教えたのがあの人なんだろう……」
「あら、聞いてなかったの?」
ぽつりと漏らした疑問を、ルッスーリアが拾い上げる。今更ごまかすわけにもいかず、首肯する。マーモンは口端を軽く持ち上げて言った。
「暇だから特別にタダで教えてあげよう。端的に言えば、ベルとレイの独断、そして利害の一致さ。レイは自身を守る術、そしていざとなれば人の命を奪う術を欲していた。ベルはとにかく体を動かして暴れたくて仕方がなかった」
兄の身に起きていることをある程度知り、そして自身が身を置く環境について理解が深まってしまえば、レイが戦うための力を求めるようになるのは必然だった。
順当にいけば、戦い方はキャバッローネに教わるべきだっただろう。しかし彼女はそうしなかった。
恐らく、彼らは身の守り方やそれに付随する戦い方こそ教えてくれても、きわめて実践的な、つまり命を奪う戦い方についてはあまり教えてもらえないと、そう理解していた。
特にボスであるディーノが、兄妹で刃を向け合うことを良しとするとは思えなかった。
だからこそ、外部の人間を頼った。近過ぎず、しかしある程度の信頼は置けるほどには遠過ぎない、そんな人間。
「元々面識だけはあったのよね、あの子達。同盟ファミリーだから会合やらでこちらがキャバッローネに赴くこともあったからこちらの顔と職業だけは知ってたみたいなの」
「ベルと街中で会ったのは散歩中の偶然でね。僕も一緒にいたけど、『戦い方を教えてほしい』と、シンプルな要望だったよ」
彼等が暗殺を生業とするからか、あるいは年齢が近いこともあって声をかけやすかったのか。
不遜でなく、しかしへりくだってもいなかったその態度は、ちょうどその日のベルの機嫌に合っていたのだろうと、マーモンは推測する。そのままその場で承諾をしてしまったのだった。
「予め話を通していたのならともかく、本来であればファミリーを超えての師事は褒められたものではないんだ」
「しかも相手は同盟ファミリーが保護している未成年、万が一のことがあったら大問題よ。うちの副隊長が怒鳴ったのなんの……」
摘まみ上げられ、怒鳴りつけられようともベルに反省の色はなかった。
「キャバッローネにも連絡は入れたけど、あっちは確か……」
「むやみに禁ずることで、ベル以上に危険で得体のしれない奴に教わりに行くよりはマシと判断したんだったかな?」
「保護者の立場からすれば無難な判断したわよねぇ。軟禁とか厳しく叱り付けなかった辺り、相当負い目があったのかしら」
「ヴァリアー側は何で許可出したんだよ。スクアーロがブチ切れたんだろ」
「あの頃はねぇ……」
獄寺の質問に、ルッスーリアが頬に手を当てながら苦笑を浮かべる。
「ちょうどベルの破壊衝動がひどい時期だったのよ」
「破壊衝動?」
「今思えば思春期に入りたてだったせいで、精神的に不安定だったんでしょうね。仕事でもない殺しをしたり、部隊の人間を訓練と称して使い物にならなくなるくらい痛めつけたり……」
任務外の殺しは当然ご法度であり、だからこそ謹慎処分を下すことはあった。それだけでなく、ガス抜きのためにも少し派手な任務に同行させたり、時間があれば幹部が相手をしたり。
手を変え品を変え、何とか少年の荒ぶる精神を鎮めようと尽くしたものの、そのどれもが根本的な解決に繋がることはなかった。
「子どものうちから暗殺部隊に入っていたからだろうね。同世代と接して得るはずの精神的な成長もなく、しかも僕らは不安定な情緒を宥めすかす手腕を持たなかった」
そんな中で、ベルより少しだけ年下のほぼ同年代、そして任務とは関係なく体を動かす理由が目の前に出てきた。
ヴァリアーにとってはベルの精神的な成長が見込めることも含めて、悪くはない話だった。
ヴァリアーの大人達は、それはそれは悩んだという。
治るような怪我ならまだ許されよう。しかし、後遺症が残るようなものなら。最悪、命を奪ってしまったのなら。
子どものしでかしたこととはいえ、双方のファミリーの中にしこりが残る懸念があった。
しかも『ゆりかご』の一件もあり、当時のヴァリアーはボンゴレ本部からの監視もまだ強い時期だった。
スクアーロに「自制し、ほどほどに手加減をして、素人の子どもを無事に鍛えられるのか」と問われたベルの回答は「死なせないくらいならできる」だった。
「結果として、咄嗟に幻覚で抑え込める僕がお目付け役になって、しばらく様子見することになったのさ」
その結果がアレ。まだ柔らかそうな指が指し示す先では、2人が一切の容赦なく殴り合い、蹴り合い、切りつけ合っていた。
「ところで、あの子の間合いあんなだったかしら?私、あんまり見てないから記憶は曖昧なんだけど」
「間合い?」
「私も専門外だけど、あれって剣士の間合いじゃないかしら」
そう言って、ルッスーリアの顔が山本の方を向く。
「あなたが教えたの?」
「教えたっつうか、手合わせしてるっつうか」
「へぇ、数奇なものだね」
「数奇?」
不思議とマーモンの言葉が引っ掛かり、思わずツナが問いかける。マーモンとルッスーリアは顔を見合わせ、そしてルッスーリアが口を開いた。
「……昔ね、スクアーロがあの子のお兄さんに剣を教えたことがあるのよ」
「なっ」
「そ、そうなの!?」
獄寺と共に、驚きで声を上げる。
ヒロヤがディーノと近しいところにいた上に年も同じなのだから、多少の関わりはあるだろうと思っていたが、まさか。
「や、山本は知ってた?」
「あー、瀬切から少し。手合わせしてるときに」
「とはいえ本当に短期間さ。数日も相手してなかったんじゃないかな」
マーモンが言う。
「ま、『ボスや妹を守るため』という理由で教えを乞うてきたのに、その剣を対象に向けたことでスクアーロ自身は相当おかんむりだったけどね。『灰の手』の噂が出てきた時には『顔を見たら即殺してやる』とまで言ってたくらいさ」
粗野に見えて案外道義を重んじるスクアーロにとっては、背景に何があっても、ほんの一瞬であっても、誤った方向に剣を向けた時点で許せないのだろう。
従兄のことを悪く言われるのは胸が痛むが、それだけスクアーロもヒロヤの人柄を信頼し評価をしていたと思えば、まだ我慢できた。
きっとそうでなければ、短期間であれ剣を教えたりしないだろう。
カツン、と足元で音がした。目線を落とせば、地面にナイフが転がっている。レイが弾いたものかもしれない。
レイが離れたのか、ベルに距離を取られたのか、2人の距離は数メートルにまで離れており、完全に中距離主体のベルの間合いになってしまった。
燃え上がらず、しかしレイの手元で熱が揺らめく。
体をひねり、数本のナイフをよけたかと思えば、レイはやや不安定な体勢のままベルの懐へと突っ込んでいく。
一方のベルはそれに怯む様子もなく、むしろ口端を持ち上げて最低限の労力で短剣を躱した。
しかし微かに刃先が触れたのか、衣服の一部が散る。
現実逃避も兼ねて従妹の方を見ていると、頭上から不機嫌な唸り声が降り掛かってきた。
「ところで、そろそろ呼んでくれないかしら?」
「あ、いや、その、オレイタリア語読めなくて」
「そうなると思って9代目は慈悲深くも日本語で書いてくれてるよ。僕達だって暇じゃないんだ、早くして」
「……ハイ」
物理的にも精神的にも逃げ場を奪われたツナは、観念して2枚目の手紙に目を通す。
綱吉君へ。
出だしの文字はわずかに崩れているが美しい。起筆の尖り方、とめ・はね・はらいまで丁寧なものだった。
綱吉君へ
君にこういった手紙を書くのは初めてだね。
どうしても1枚目はこちらの言葉で書く必要があったから、驚かせてしまっただろう。
本当は日本語で書く必要はなかったが、この間買った筆ペンを使いたくて、この手紙を使わせてもらっている。
さて、雑談はここまでにして本題だが、君のこれからについて、ボンゴレファミリーⅨ世として伝えたい。
今一度盛大に継承式を開くか否かは別としても、やはり君に今のボンゴレを変えてほしい。私の思いに、今も変わりはない。
ただ、意向を無視してこの重荷を背負わせたいわけではない。
綱吉君は、今15歳だったね。そして日本では18歳あるいは20歳を迎えて大人として見られるケースが多いと聞く。
だからあと3年、君が18歳になったときに改めて答えを聞かせてほしい。
君であれ、君以外であれ、わずかでも後を継ぐ者に力添えをしてあげたいという願いもある。
己を盾にするようで申し訳ないが、老いた私がまともに心身を働かせられる期間を考えれば、やはりその辺りがリミットになってしまう。
優しい君は、こんなことを書かれてしまえば酷く迷ってしまうだろう。
不甲斐ないばかりだが、どうか許してほしい。
綱吉君の答えは、直接でも、リボーンを通してでも構わない。
ギリギリまで迷ってもいい。
君を追い込んでいる私が言えたことではないが、どうか悔いのない選択をしてくれ。
これから日本は日に日に寒くなると聞いている。
そして受験の時期が近いということも。
どうか体を大事に。ボンゴレの継承に関係なく、また綱吉君に会える日を、心から楽しみにしているよ。
追伸そろそろ家光君に休暇を取らせようと思うが、希望の時期があったら君からも提案してほしい。
どうか家族団欒を楽しんで。
日本人の自分よりも整った文字を読み終えて、ツナは小さく嘆息した。
およそ1年前、炎真達の乱入で有耶無耶になったはずの継承の話が再度持ち上がった。
いや、実際にはネオボンゴレⅠ世とかいう新たな称号も生まれかけたのだが、恐ろしいほどに馴染まなかったので自分の中でなかったことにしている。
ちら、とルッスーリアの顔を上目で見れば、「こっちが決められることじゃないのよねぇ」と返され、マーモンも「君がどちらを選ぼうが、気に食わなさが頂点に達したら再度クーデターをするだけだからね」と物騒な言葉を吐いた。
マフィアのクーデターがどんなものかイメージはつかないが、あのXANXUSが怒気を全開にした顔で迫ってくるのは二度と経験したくない。
ぞわりと背を駆け上がる悪寒をやり過ごそうとした時。
「あ」
山本の小さな声が鼓膜を打つ。皆一斉にレイとベルの方を向いた。
ちょうどレイが蹴り出したであろう左足を避け、ベルがそのままの勢いでレイに飛び掛かるところだった。
そのままレイの頭を蹴るか殴るかと思いきや、ベルはレイの肩を踏み台にして飛び越え、その背後に着地した。
そしてバランスを崩しかけたレイが体勢を整える前に、左手で何かを引っ張った。
瞬間、レイの右足首から赤いものが散り、両足が宙に浮く。
そしてレイが受け身を取るよりも先に、ベルが背中に飛び掛かってレイを地面へと押し倒す。
肩からアスファルトに衝突したレイの喉から、苦しそうな声が漏れた。
レイの背に馬乗りになったベルは、間髪入れずにその前髪をつかんで上を向かせ、その喉元にナイフを這わせる。
ナイフが押し当てられた首だけでなく、レイの顔や腕からも、わずかながら血がにじんでいるのが分かった。
レイの荒い息だけが響く道の中、3秒も経たずにナイフが首元から離れる。
「んだよ、ザコのままじゃん」
「うるさいなぁ」
「力強くなってスタミナ落ちましたーって、馬鹿じゃね?」
「こっちにも色々事情があって、今調整してるんだってば。それより早くどいてくれ」
先ほどまで割と本気で命の取り合いをしていたとは思えないほど、会話が緩い。ちくちくと刺さっていた殺気も霧散している。
「いつもああなの?」
「いつもああだね。あれくらいドライで雑な感性の方が殺しには向いてるさ」
「そういうもの……?」
とうとうレイの上で脚を組んだベルと、その下から這い出ようとするもガス欠で力が出ないのか、もぞもぞ動くだけのレイの姿は妙に滑稽だった。
物騒なのか平和なのか分からない。
「あら?」
つん、と肩を突かれる。
「ねえちょっと、あれってそういうことでいいの?」
ひそひそと、しかし浮つきを隠せない声でツナに耳打ちするのはルッスーリアだ。
彼がサングラス越しに目を向けているのは、山本だった。
獄寺がこれ見よがしにため息を吐き、ツナも釣られてあはは、と誤魔化すような笑いを漏らしてしまった。
山本はいつの間にかツナ達よりも2歩ほどレイ達に近い位置で様子を眺めていた。
そしてその表情は今、ほんの少しだけ面白くなさそうだった。
ただそれだけだが、察するには余りあるのだろう。
勝手にそういった湿っぽさとは縁遠いと思っていたが、山本だってツナ達と同い年の少年だ。
好意的な気持ちを向けている子が、目の前で自分より付き合いの長い少年に乗っかられている。
例えそこに色気のかけらもなかったとして、それでもいい気分にはならないだろう。
ルッスーリアほどではないが、ツナも少しだけにやけてしまい、同時に気恥ずかしさにも襲われた。
「やだぁ、ちょっと早く教えなさいよ、あんな面白いこと」
「いや別に何が起きてるわけでもないんですって……」
苦しくない程度に肩を揺さぶられながら、ツナは苦笑する。
本当に何もない。いや、それぞれ内面に変化はあるかもしれないが、少なくとも2人の関係性が明確に変化したなら教えてくれるはずだ。
それがないということは、つまり、そういうことだ。
ベルがレイの背中から降り、大あくびをしながらツナ達の方へ足を向けた。
そんなベルと入れ替わるように、山本がいまだ地面にくっついているレイの所へと小走りで近付いた。
「あのリング何?」
「跳ね馬が送ったらしいよ」
「ふーん」
興味があるのかないのか分からない声で、ベルが質問し、マーモンが答える。
道の真ん中では体を起こそうとしているレイに、山本が手を貸していた。手を引っ張り上げられるも、ガス欠を起こしているのかレイがよろめき、その腕を山本が掴んだ。
体を支えられたレイが、苦笑いを浮かべながら山本に礼を言っているようだ。
何度か深呼吸を繰り返し、次第にレイの背筋が伸びていく。
最後にぐっと大きく背伸びをする頃には、山本の手はレイの肩から離れている。
本当になんと言えばいい距離感なのか。
「で、沢田はボスになんの?」
「えっ」
ベルからの質問に、視線は友人達からずれる。
「継承式は台無しにされたじゃん?もっかい盛大にやんの?」
欠伸を噛み殺しながら投げかけられる質問に対して応える言葉を、ツナはまだ持ち合わせていない。
煮え切らない態度のツナに何を言うでもなく、役割は終わったからと、ヴァリアーの3名はあっさりと背中を向けた。
「じゃ、私達は帰るわね。お互い生きてればまた会いましょ」
物騒な別れの挨拶を残し、何事もなかったかのように彼らは姿を消した。
「ツナ、結局用事って……、大丈夫?」
戻ってきたレイが、ツナの顔を見て少し表情を曇らせた。
ああ、きっとよくない顔をしているのだろう。
ツナの背を、山本の手が軽く叩いた。
「とりあえず帰ろうぜ」