差異(7月)
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一学期の期末テストが終わってから1週間、大半の学生はすでに夏休み気分に突入をしている。
クロームの隣でバスに揺られるレイは、これまでの努力が少しずつ実ってきているようで、期末テストの成績は中間テストより軒並み上がっていた。特に国語は平均点こそ届かなかったものの、赤点は余裕をもって回避するところまで辿り着いた。
クロームのお陰だ、と報告しにきたレイはとても嬉しそうで、それを思い出すだけでも喜びがわいてくる。
そんなレイは今、クロームとともに黒曜ヘルシーランド行きのバスに乗っていた。
クロームは定期的に黒曜に顔を出している。
追い出されるような形で並盛へとやってきたクロームだが、黒曜の彼らには個人的な感情を抜きにしても恩がある。
それに代理戦争以降、骸も「たまには顔を見せに来なさい、稽古もつけましょう」と言ってくれたのだ、行かない理由がないとも言える。
今日もそのつもりで、それを昼食の際にぽつりと漏らすとレイが「ボクもついてっていい?」と訊いてきたのだ。
彼女の家族の死に、少なからず骸は関わっている。それにクロームが良しとしても骸達が外部の人間が出入りすることにいい顔をするとは思えない。
迷った挙句、クロームは骸にメールを入れた。すると意外にも、骸はあっさりとレイの来訪を許可したのだった。
早い平日の昼下がり、夏ということもあいまって夕方はまだ遠い。
乗客はクロームとレイの他に母親と園児が1組、そして買い物袋を持った初老の女性が1名だけだった。
バスがランニングをしているジャージ姿の学生を追い抜いて行く。
「あれも部活かな」
「そうだと思う。イタリアってどんな部活があるの?」
「日本みたいな部活はなかったと思う。運動したい人はスポーツクラブとか入ってたんじゃないかな」
「そうなんだ」
眠気で頭をグラグラと揺らす園児に遠慮して、話し声は自然と小さくなる。
「漫画のイメージだけど、日本の部活動は夏って感じがするなぁ」
「ほとんどの部活が夏休みで最後の大会だから。山本君達も頑張ってるよね」
「……そうだね」
山本の名前に、レイがほんの少し和らいだのをクロームは見逃さなかった。
最近、レイとが山本の関係がわずかながら変化したのを感じとっている。
山本が少し前からレイに対して特別な感情を向けていることは、クロームも察しがついていた。だから、変わったのはレイの方だ。
例えば、山本を見る目であるとか、2人が話しているときの空気であるとか、本人がいないところで山本の話題を出した時であるとか。
言語化は難しい、レイ本人が自覚しているかも分からない程度の、小さな変化だ。
俗な言葉を当てはめてしまうことだってできるだろうが、さざ波のようなその揺らぎを荒らすのは気が引ける。
そういえば山本は進学先をどうするのだろうか。
クロームは野球のことは基礎的なルール以外あまりよく分からないが、それでも彼にはスポーツ推薦を狙うには十分な実力があると思う。
ボクシング部を有している高校が少ないこともあって、了平は並盛北高に進学したと聞いているが、野球部なら大抵の高校に存在している。
前に軽く進路について話したときは「野球ができればどこでもいい」と言っていたが、本気でプロを目指すのであれば、やはり強豪校に進むのだろうか。
クロームも、ツナもレイも周囲のみんなも、話を聞いていると大体が並盛北高を進路に考えている。
ツナは京子と同じ学校に行きたいと考えているし、獄寺やレイはツナについていくと宣言している。クロームだって、特にどこに行きたいという強い希望はなく、十分に合格圏内かつみんながいるところならどこだっていい。
そうなると、夏の大会の成績次第では山本だけ進路が異なるかもしれない。せめて県内であればいいな、と友人として思う。
次が黒曜ヘルシーセンター前であるというアナウンスを聞いて、慌ててボタンを押す。2分と立たずにぷしゅうと音を立ててバスが停まった。
人通りもほとんどない道を並んで歩く。5分も歩けば半ば廃墟と化した旧黒曜センターの建物群が目に入る。
「飛び越えればいい?」
「ううん、こっち」
閉鎖されたままの門を眺めるレイに、手招きをして藪の中の柵の切れ目を教える。少し歩いていくつか廃墟が見えてきた。
「懐かしいな」
「来たことある?」
「昔、まだ日本に住んでた時にね。昔過ぎて建物の配置とか全然覚えてないけど、あれは見たことある」
レイが指さす建物はかつて温水プールとして動いていたものだろう。
といってもクローム自身は運営時の様子を知らない。敷地内で拾ったボロボロのパンフレットにそう書いてあっただけだ。
ふいに目の前をシャボン玉が横切った。
しかし普通のシャボン玉ではない。虹色の膜の中では妙にリアルな果物がうごめいている。
フランだな、とすぐに察しがついた。
ここは近辺でも比較的有名な廃墟であり、肝試しに訪れる物好きが度々現れる。
骸はクロームに幻術の訓練の一環として、そういった連中の肝試しに付き合ってやったり、少々「おいた」が過ぎる連中にはトラウマを植え付けてやるようにと指示されていた。おそらくフランも同じことを言い渡されているのだろう。
しかし、来訪者であるレイの隣にはクロームがいる。つまりお遊びで来てるわけではないことくらいフランでもわかっているはずだ。
フランはレイをからかおうとしているのだろう。とにかく人を小馬鹿にするのが好きな子だ、レイが悲鳴を上げでもしたら満足して引っ込むはずことだろう。
だが、その目論見が達成されることはない。
何故ならレイは生半可な幻覚は一切感知できないからだ。
実はレイがドールであることを知ってから、何度か彼女の前で幻術を使用している。自分がどこまで幻覚を感知できるのか知りたい、とレイが言ったからだ。
結果、分かったことが3つ。
まず、通常の幻覚は全く感知しない。鋭利な刃物が眼前に迫っていようが体を貫通していようが、レイは何の反応も示さない。
次いで、有幻覚の場合は霧の炎の塊として認識できる。結晶化した炎に触れることもできるが、あくまでもシルエットしか分からず、テクスチャは全く見えていない。もちろん、音やにおい、温度もわからない。
そして最後、ヴェルデの装置を使った有幻覚。ここまでしてようやく幻覚を感知できた。突如目の前に現れた蓮の花に、レイは目を輝かせながら歓声を上げた。
というわけで、ただの幻覚であるこのシャボン玉はレイには全く見えていない。
廃墟に流れる珍妙なシャボン玉に驚くこともなければ、目で追うこともない。シャボン玉にぶつかるのもお構いなしですたすたと歩いていく。
虹色の真球がぐにゃりと曲がり、はじけてしまった。
次いで、大胆にもレイの眼前に有名なネズミのキャラクターを生み出したが、やはりレイは視線を揺らすこともなく、そのキャラクターの腹を蹴り抜いて通過する。
フランの動揺が幻覚に表れ始めた。
キャラクターの輪郭がぶれ始め、しまいには膨れ上がって弾けて消えた。
幻術で倒せない相手はともかく、フランも一切の反応を示さない存在に会ったことはないはずだ。きっと今頃青い顔をしている。
小さく笑いを漏らしたクロームを、レイが不思議そうに見ていた。気にしないでとその背中を軽く叩いて歩みを進める。
薄暗いが人の気配のある建物、そっと覗くと中には骸をはじめに数人の人影が見えた。
「骸様」
「来ましたか」
声をかけると、いつも通りに穏やかな声が返ってくる。同時に殺気と警戒を隠さない視線が複数、レイに向けられる。
当の本人はこの反応を分かり切っていたようで、尾心地こそ悪そうだが大きな動揺は見せていない。
レイは一歩前に出て、骸に向けて声をかけた
「急に来てすいません」
「構いませんよ。自発的に僕に会いに来るとは思いませんでしたがね」
飄々としつつも含みを隠さない骸に、レイは少し迷うような表情を浮かべる。
言葉を選んでいるのだろうか。
そもそもクロームは彼女の目的を知らない。骸達に危害を加える気も、喧嘩を売る気もないのも分かっていたのではあるが、その程度だった。だから助け舟を出すこともできない。
口をむずむずとさせながらも言葉を発さないレイに対し、しびれを切らしたのは犬だった。
「おい!いつまで黙ってんら!?」
「え、ごめ……」
「大体骸さんはてめぇと違って暇じゃねえびょん!」
メンチを切りながらまくしたてる犬の後ろからも声が飛ぶ。
「ちょっと、私音楽聴いてんだから静かにしてよ!」
「めんどいから早く用済ませて帰って」
「ねー、あの人誰なんです?ミー、ちょっと怖いんですけど」
「なぁに今更かわい子ぶってんのよ!」
最前線でメンチを切る犬と、明らかに関わりたくなさそうな奥の面々。フランに至っては、レイの得体の知れなさに復讐者を思い出したのか顔が青い。
誰一人として歓迎の色を浮かべてはいない。それを一切いさめることなく、骸はレイに向かって声をかけた。
「犬、せっかくの客人だ、下がりなさい。瀬切レイ、どうぞこちらへ。クローム、お前も来なさい」
骸の声に盛大に舌打ちをして犬が一歩下がる。
レイが伺うような視線を寄越したので、クロームは頷いて骸の方へと先導して歩みを進めた。
骸との距離が2メートルほどになったところでレイが足を止める。骸もその距離について言及することはない。
骸の耳元から淡い炎があふれ、カーテンのような少し厚みのある布が3人とそれ以外を隔てるように広がった。レイは自分の横を流れる炎の粒子を目で追うだけで、カーテンには目もくれない。
「さて、今しがたカーテンで空間を区切りました。これで話しやすいでしょう」
「ありがとうございます」
「私は……」
「クロームが聞いていて問題ないでしょう?」
「はい」
軽いやり取りの後、レイは骸に向かって頭を下げた。
「すみませんでした」
骸の眉がピクリと動いた。
「何に対する謝罪ですか?」
「失礼な態度をとっていたことに対してです」
「ほう。失礼、とは?」
「ボクの中で、あなたとエストラーネオのあれこれにうまく整理がつけられなかくて、初めて会った時に睨んでしまった」
「ほう、それはどうもご丁寧に。しかし、君の兄と同じ思いをあまたの人間にさせてきたこの僕に頭を下げるとは……。いくらあの沢田綱吉の身内といえど、ここまで愚かとは思いませんでしたよ」
言葉こそ丁寧だが、目は一切笑っていない。軽蔑とかすかな怒りが混ざった視線だ。
レイは骸の反応を予想していたかのように、表情を変えずに返答する。
「六道さんが多くの人にしたこと、兄さんのこともあるので確かにボク個人として許すことはできません。でも、あなたがいなかったら、あなたがあのマフィアを壊滅させていなければ、……ボクは復讐に生きていた。兄さんの目的の一つがそうだったように」
思わずレイの顔を見る。目を丸くしたままのクロームを宥めるように、レイは小さく笑みを浮かべて肩をすくめた。
「多分、今と比べ物にならないくらい、どうしようもない生き方をして、ツナやみんなに会うこともなかったでしょう。そうならずに済んだのは六道さんのお陰かもなって、今更だけど気付いたんです」
「相当な自己満足ですね」
大きなため息が骸の口から落ちる。ただ、その目から先ほどの物騒な色も消えていた。
「親戚がマフィアに殺され、挙句残された従妹が復讐に生きていたと知った沢田綱吉の反応も見たかったものだ」
「そんな人生だったら、きっと顔を合わせる前に死んでいたと思うので、そこは大丈夫です」
平然とした顔で物騒な会話をしている。
あくまでも多少の理解が生まれた程度で、友情や信頼といった温かみのあるものは一切ないが、少しだけ距離が縮まったのだろうか。
同じマフィアに様々なものを奪われたという共通点を持ち、しかしマフィアに対する強い憎悪を抱き自ら破壊を望んだ骸と、別のマフィアに心身を救われその道先をしたレイ。
2人の間にはそれだけ大きな意識の乖離があることだろう。
だからきっと、最後の最後まで距離がなくなることはきっとない。
「ボクが伝えたかったのはこのことだけです。この周りに浮いてる霧の炎、分厚いですね」
「ええ。君には全く見えないでしょうが音も通しません。しかし、本当にそのためだけに来たとは」
受験生だというのに暇なものだ。
そう言うと、骸はカーテンの幻覚を解き始めた。揺らいだカーテンは空気に溶けて消えていく。
カーテンの外にいた者は、各々好きなことをしていたようだ。
フランだけがカーテンのあった場所に立っている。盗み聞きか、あるいは骸の幻術にちょっかいをかけようとしていたのだろうか。
幻覚が消え、レイの顔を見たフランはぴゃっと跳ねて、そのままM.Mの方へと掛けていった。
「さっきから様子のおかしいあの子は?」
「フランっていうの。気にしないで」
「自分の何もかもが通用しない相手と出会うのも良い経験です。これからも脅してやってください」
「ボク、何もしてないんですけど……」
クロームの隣でバスに揺られるレイは、これまでの努力が少しずつ実ってきているようで、期末テストの成績は中間テストより軒並み上がっていた。特に国語は平均点こそ届かなかったものの、赤点は余裕をもって回避するところまで辿り着いた。
クロームのお陰だ、と報告しにきたレイはとても嬉しそうで、それを思い出すだけでも喜びがわいてくる。
そんなレイは今、クロームとともに黒曜ヘルシーランド行きのバスに乗っていた。
クロームは定期的に黒曜に顔を出している。
追い出されるような形で並盛へとやってきたクロームだが、黒曜の彼らには個人的な感情を抜きにしても恩がある。
それに代理戦争以降、骸も「たまには顔を見せに来なさい、稽古もつけましょう」と言ってくれたのだ、行かない理由がないとも言える。
今日もそのつもりで、それを昼食の際にぽつりと漏らすとレイが「ボクもついてっていい?」と訊いてきたのだ。
彼女の家族の死に、少なからず骸は関わっている。それにクロームが良しとしても骸達が外部の人間が出入りすることにいい顔をするとは思えない。
迷った挙句、クロームは骸にメールを入れた。すると意外にも、骸はあっさりとレイの来訪を許可したのだった。
早い平日の昼下がり、夏ということもあいまって夕方はまだ遠い。
乗客はクロームとレイの他に母親と園児が1組、そして買い物袋を持った初老の女性が1名だけだった。
バスがランニングをしているジャージ姿の学生を追い抜いて行く。
「あれも部活かな」
「そうだと思う。イタリアってどんな部活があるの?」
「日本みたいな部活はなかったと思う。運動したい人はスポーツクラブとか入ってたんじゃないかな」
「そうなんだ」
眠気で頭をグラグラと揺らす園児に遠慮して、話し声は自然と小さくなる。
「漫画のイメージだけど、日本の部活動は夏って感じがするなぁ」
「ほとんどの部活が夏休みで最後の大会だから。山本君達も頑張ってるよね」
「……そうだね」
山本の名前に、レイがほんの少し和らいだのをクロームは見逃さなかった。
最近、レイとが山本の関係がわずかながら変化したのを感じとっている。
山本が少し前からレイに対して特別な感情を向けていることは、クロームも察しがついていた。だから、変わったのはレイの方だ。
例えば、山本を見る目であるとか、2人が話しているときの空気であるとか、本人がいないところで山本の話題を出した時であるとか。
言語化は難しい、レイ本人が自覚しているかも分からない程度の、小さな変化だ。
俗な言葉を当てはめてしまうことだってできるだろうが、さざ波のようなその揺らぎを荒らすのは気が引ける。
そういえば山本は進学先をどうするのだろうか。
クロームは野球のことは基礎的なルール以外あまりよく分からないが、それでも彼にはスポーツ推薦を狙うには十分な実力があると思う。
ボクシング部を有している高校が少ないこともあって、了平は並盛北高に進学したと聞いているが、野球部なら大抵の高校に存在している。
前に軽く進路について話したときは「野球ができればどこでもいい」と言っていたが、本気でプロを目指すのであれば、やはり強豪校に進むのだろうか。
クロームも、ツナもレイも周囲のみんなも、話を聞いていると大体が並盛北高を進路に考えている。
ツナは京子と同じ学校に行きたいと考えているし、獄寺やレイはツナについていくと宣言している。クロームだって、特にどこに行きたいという強い希望はなく、十分に合格圏内かつみんながいるところならどこだっていい。
そうなると、夏の大会の成績次第では山本だけ進路が異なるかもしれない。せめて県内であればいいな、と友人として思う。
次が黒曜ヘルシーセンター前であるというアナウンスを聞いて、慌ててボタンを押す。2分と立たずにぷしゅうと音を立ててバスが停まった。
人通りもほとんどない道を並んで歩く。5分も歩けば半ば廃墟と化した旧黒曜センターの建物群が目に入る。
「飛び越えればいい?」
「ううん、こっち」
閉鎖されたままの門を眺めるレイに、手招きをして藪の中の柵の切れ目を教える。少し歩いていくつか廃墟が見えてきた。
「懐かしいな」
「来たことある?」
「昔、まだ日本に住んでた時にね。昔過ぎて建物の配置とか全然覚えてないけど、あれは見たことある」
レイが指さす建物はかつて温水プールとして動いていたものだろう。
といってもクローム自身は運営時の様子を知らない。敷地内で拾ったボロボロのパンフレットにそう書いてあっただけだ。
ふいに目の前をシャボン玉が横切った。
しかし普通のシャボン玉ではない。虹色の膜の中では妙にリアルな果物がうごめいている。
フランだな、とすぐに察しがついた。
ここは近辺でも比較的有名な廃墟であり、肝試しに訪れる物好きが度々現れる。
骸はクロームに幻術の訓練の一環として、そういった連中の肝試しに付き合ってやったり、少々「おいた」が過ぎる連中にはトラウマを植え付けてやるようにと指示されていた。おそらくフランも同じことを言い渡されているのだろう。
しかし、来訪者であるレイの隣にはクロームがいる。つまりお遊びで来てるわけではないことくらいフランでもわかっているはずだ。
フランはレイをからかおうとしているのだろう。とにかく人を小馬鹿にするのが好きな子だ、レイが悲鳴を上げでもしたら満足して引っ込むはずことだろう。
だが、その目論見が達成されることはない。
何故ならレイは生半可な幻覚は一切感知できないからだ。
実はレイがドールであることを知ってから、何度か彼女の前で幻術を使用している。自分がどこまで幻覚を感知できるのか知りたい、とレイが言ったからだ。
結果、分かったことが3つ。
まず、通常の幻覚は全く感知しない。鋭利な刃物が眼前に迫っていようが体を貫通していようが、レイは何の反応も示さない。
次いで、有幻覚の場合は霧の炎の塊として認識できる。結晶化した炎に触れることもできるが、あくまでもシルエットしか分からず、テクスチャは全く見えていない。もちろん、音やにおい、温度もわからない。
そして最後、ヴェルデの装置を使った有幻覚。ここまでしてようやく幻覚を感知できた。突如目の前に現れた蓮の花に、レイは目を輝かせながら歓声を上げた。
というわけで、ただの幻覚であるこのシャボン玉はレイには全く見えていない。
廃墟に流れる珍妙なシャボン玉に驚くこともなければ、目で追うこともない。シャボン玉にぶつかるのもお構いなしですたすたと歩いていく。
虹色の真球がぐにゃりと曲がり、はじけてしまった。
次いで、大胆にもレイの眼前に有名なネズミのキャラクターを生み出したが、やはりレイは視線を揺らすこともなく、そのキャラクターの腹を蹴り抜いて通過する。
フランの動揺が幻覚に表れ始めた。
キャラクターの輪郭がぶれ始め、しまいには膨れ上がって弾けて消えた。
幻術で倒せない相手はともかく、フランも一切の反応を示さない存在に会ったことはないはずだ。きっと今頃青い顔をしている。
小さく笑いを漏らしたクロームを、レイが不思議そうに見ていた。気にしないでとその背中を軽く叩いて歩みを進める。
薄暗いが人の気配のある建物、そっと覗くと中には骸をはじめに数人の人影が見えた。
「骸様」
「来ましたか」
声をかけると、いつも通りに穏やかな声が返ってくる。同時に殺気と警戒を隠さない視線が複数、レイに向けられる。
当の本人はこの反応を分かり切っていたようで、尾心地こそ悪そうだが大きな動揺は見せていない。
レイは一歩前に出て、骸に向けて声をかけた
「急に来てすいません」
「構いませんよ。自発的に僕に会いに来るとは思いませんでしたがね」
飄々としつつも含みを隠さない骸に、レイは少し迷うような表情を浮かべる。
言葉を選んでいるのだろうか。
そもそもクロームは彼女の目的を知らない。骸達に危害を加える気も、喧嘩を売る気もないのも分かっていたのではあるが、その程度だった。だから助け舟を出すこともできない。
口をむずむずとさせながらも言葉を発さないレイに対し、しびれを切らしたのは犬だった。
「おい!いつまで黙ってんら!?」
「え、ごめ……」
「大体骸さんはてめぇと違って暇じゃねえびょん!」
メンチを切りながらまくしたてる犬の後ろからも声が飛ぶ。
「ちょっと、私音楽聴いてんだから静かにしてよ!」
「めんどいから早く用済ませて帰って」
「ねー、あの人誰なんです?ミー、ちょっと怖いんですけど」
「なぁに今更かわい子ぶってんのよ!」
最前線でメンチを切る犬と、明らかに関わりたくなさそうな奥の面々。フランに至っては、レイの得体の知れなさに復讐者を思い出したのか顔が青い。
誰一人として歓迎の色を浮かべてはいない。それを一切いさめることなく、骸はレイに向かって声をかけた。
「犬、せっかくの客人だ、下がりなさい。瀬切レイ、どうぞこちらへ。クローム、お前も来なさい」
骸の声に盛大に舌打ちをして犬が一歩下がる。
レイが伺うような視線を寄越したので、クロームは頷いて骸の方へと先導して歩みを進めた。
骸との距離が2メートルほどになったところでレイが足を止める。骸もその距離について言及することはない。
骸の耳元から淡い炎があふれ、カーテンのような少し厚みのある布が3人とそれ以外を隔てるように広がった。レイは自分の横を流れる炎の粒子を目で追うだけで、カーテンには目もくれない。
「さて、今しがたカーテンで空間を区切りました。これで話しやすいでしょう」
「ありがとうございます」
「私は……」
「クロームが聞いていて問題ないでしょう?」
「はい」
軽いやり取りの後、レイは骸に向かって頭を下げた。
「すみませんでした」
骸の眉がピクリと動いた。
「何に対する謝罪ですか?」
「失礼な態度をとっていたことに対してです」
「ほう。失礼、とは?」
「ボクの中で、あなたとエストラーネオのあれこれにうまく整理がつけられなかくて、初めて会った時に睨んでしまった」
「ほう、それはどうもご丁寧に。しかし、君の兄と同じ思いをあまたの人間にさせてきたこの僕に頭を下げるとは……。いくらあの沢田綱吉の身内といえど、ここまで愚かとは思いませんでしたよ」
言葉こそ丁寧だが、目は一切笑っていない。軽蔑とかすかな怒りが混ざった視線だ。
レイは骸の反応を予想していたかのように、表情を変えずに返答する。
「六道さんが多くの人にしたこと、兄さんのこともあるので確かにボク個人として許すことはできません。でも、あなたがいなかったら、あなたがあのマフィアを壊滅させていなければ、……ボクは復讐に生きていた。兄さんの目的の一つがそうだったように」
思わずレイの顔を見る。目を丸くしたままのクロームを宥めるように、レイは小さく笑みを浮かべて肩をすくめた。
「多分、今と比べ物にならないくらい、どうしようもない生き方をして、ツナやみんなに会うこともなかったでしょう。そうならずに済んだのは六道さんのお陰かもなって、今更だけど気付いたんです」
「相当な自己満足ですね」
大きなため息が骸の口から落ちる。ただ、その目から先ほどの物騒な色も消えていた。
「親戚がマフィアに殺され、挙句残された従妹が復讐に生きていたと知った沢田綱吉の反応も見たかったものだ」
「そんな人生だったら、きっと顔を合わせる前に死んでいたと思うので、そこは大丈夫です」
平然とした顔で物騒な会話をしている。
あくまでも多少の理解が生まれた程度で、友情や信頼といった温かみのあるものは一切ないが、少しだけ距離が縮まったのだろうか。
同じマフィアに様々なものを奪われたという共通点を持ち、しかしマフィアに対する強い憎悪を抱き自ら破壊を望んだ骸と、別のマフィアに心身を救われその道先をしたレイ。
2人の間にはそれだけ大きな意識の乖離があることだろう。
だからきっと、最後の最後まで距離がなくなることはきっとない。
「ボクが伝えたかったのはこのことだけです。この周りに浮いてる霧の炎、分厚いですね」
「ええ。君には全く見えないでしょうが音も通しません。しかし、本当にそのためだけに来たとは」
受験生だというのに暇なものだ。
そう言うと、骸はカーテンの幻覚を解き始めた。揺らいだカーテンは空気に溶けて消えていく。
カーテンの外にいた者は、各々好きなことをしていたようだ。
フランだけがカーテンのあった場所に立っている。盗み聞きか、あるいは骸の幻術にちょっかいをかけようとしていたのだろうか。
幻覚が消え、レイの顔を見たフランはぴゃっと跳ねて、そのままM.Mの方へと掛けていった。
「さっきから様子のおかしいあの子は?」
「フランっていうの。気にしないで」
「自分の何もかもが通用しない相手と出会うのも良い経験です。これからも脅してやってください」
「ボク、何もしてないんですけど……」