新風(6月)
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ツナがレイのオーナーになってから数日。お互い特に変化があるわけでもなく、内面的にも随分と日常を取り戻しつつあった。
レイは今、休んでいた間のノートをクロームから借り、ツナの部屋で一生懸命に写している。
なぜツナの部屋かといえば、リボーンがいるからに他ならない。日本語にもイタリア語にも精通しているリボーンがいると、レイも勉強がやりやすいのだという。
当然ながら、最初に自力で調べた上で分からないという場合に限られるが、それでも中間テストよりいい点を取ろうとするレイの努力はリボーンも認めるところだ。
一方のツナも今は数学の問題集と向き合っている。否、向き合わされている。後頭部に感じる銃口に震えながら問題を解き進めている。ページの一番最後の問題、少し複雑な素因数分解に手が止まってしまっているが。
レイの方は順調に進んでいるようで、息を吐きながら社会科のノートを閉じた。いいなぁと羨みつつ眺めれば、後頭部の圧力が増して、慌てて教科書を捲って公式を探す。
「終わったぁー」
「だいぶ正答率も上がってきたな。今日はもういいぞ」
「はぁ……」
鬼の家庭教師から何とか及第点を出されて、ツナは机に伸びる。
少ししてからノックと共にレイがお盆をもって入ってきた。
「あ、終わったんだ」
「んー。それ何?」
「おばさんが、おやつだって」
奈々が用意したというお盆の上には。切り分けられた果物が乗っている。3本のフォークがおかれているので、3人で仲良く分けろということらしい。机に置かれた果実からみずみずしい香りが漂う。
「梨だぁ」
「え、リンゴじゃないの?」
「梨だよ、匂いで分かるだろ」
「梨ってこんな香りだったっけ……」
「昔一緒に食べたじゃん」
「うーん……、あまり覚えてない」
首を傾げるツナとレイに、リボーンが助け舟を出した。
「あっちでは日本でいう西洋梨が主流だからな。これは和梨だ、旨いぞ」
へぇ、と聞きながらレイが梨にかぶりつく。次の瞬間にぱっと目を輝かせて「食べたことある、おいしい」と言ったので、ツナも「ほら言っただろ」と返しながら梨を頬張った。
爽やかな歯ごたえと甘い果汁が口の中を抜けて、体感温度を下げていく。
もう梅雨明けも近いのか、晴れ間も増えてきた。窓からは強めの日差しが差し込んでいる。そろそろエアコンの出番も近いことだろう。
しゃくしゃくと梨を食べ進めるレイを見て、ふとツナの中で疑問が湧いてきた。
「そういえば、オーナーができると身体能力が上がるらしいけどさ、何か変わった?」
レイは目をぱちくりと瞬かせ、口内のものを嚥下してから考え込んだ。
「調子はいいけど、何がって言われるとよく分からないな」
「あれから山本と手合わせしてないっけ?」
こくり、とレイが首肯する。それを見てリボーンの怪しく目が光った。
「レイ、傷は完全に塞がったな?」
「え?ああ」
「よし、出かける準備をしろ」
「は?」
「今から?」
「善は急げってやつだ。お前も早く体の変化を知った方が色々やりやすいだろ」
「で、いつも通り手合わせすればいいんだよな?」
木刀を持ってストレッチしながら山本が言う。
彼の父が管理する元道場の建物、その外でレイと山本が数メートルの距離をとって対峙していた。
縁側に座るのはツナと獄寺とリボーン、そしてクロームと了平だった。誰もかれも、リボーンの急な呼び出しに嫌な顔一つせずに集まってくれた。
リボーンの話では、守護者全員にはレイが何であるかは話したのだという。
まあ、雲雀はレイが何であろうが、大して興味はないことだろう。骸については彼の出自とも関係があるので、どう出てくるか予想はつかない。しかし今のところ特に接触を図ってくる様子もないため、静観するしかない。
了平は、未来での出来事を想うと果たしてどこまで理解しているのか不明ではある。しかし、少なくともこのことでレイに対する見方が変わることはないという信頼があった。
事実、先ほど顔を合わせた際に放った言葉は「身体能力が上がったということは、ボクシングの適正も上がったということだろう!?北高には女子ボクシング部もあるぞ!」だった。
レイはレイで「どちらかというと手より足使う方が得意だから……」と頓珍漢な回答をしていたのだが、了平の様子に安堵の表情を浮かべていた。
「2人って普段から外でやってるの?」
「普段はこの中でやってるが、今日はこっちの方が都合がいいからな」
2人の手合わせを初めて見るというクロームが疑問を口にする。それに対するリボーンの返答はあいまいで、縁側に座る誰もが首を傾げた。
リボーンはツナ達の反応を一切意に介さず、声を上げた。
「山本、今日は時雨金時を使え。レイも鞘から抜いていいぞ」
山本もレイも、きょとんとした顔でリボーンを見た。
しかしすぐに言われた通り、山本は木刀を置いて時雨金時を手に取った。レイも足腰のベルトを調整するようにごそごそと動いている。
両者準備が終わったのか、山本がツナ達に向かって片手をあげた。
「んじゃ、山本、お前は本気を出せ。死ぬ気の炎を使っていいぞ」
「えっ」
「レイも本気でやれ」
「ほ、本気って……」
「殺すつもりで、だ」
「ちょ、おい、リボーン!?」
「はいスタート」
ツナの声は無視され、山本達も少し困惑する様子を見せたが、すぐに切り替えたのか正面からにらみ合う。
3秒後、2人の姿勢が同時に低くなって山本のボンゴレギアに青い炎が灯る。居合の構えから山本が先に踏み込んだ。竹刀の刀身が変化すると同時に、レイも地面を蹴ってダガーを引き抜く。
鋼がぶつかり合う高い音が響き、鍔迫り合いになったところで山本の表情がわずかに焦りを浮かべた。レイも目を丸くしている。
互いを押し退けるように距離を取った。
「確かに結構変わってるかもな」
「そう、みたいだ」
山本は楽し気に、レイは少し戸惑うように声を上げた。
「何か違うの?」
クロームが首をかしげる。
正直なところ、ツナも獄寺も、レイの何が変わったのかさっぱりわからない。
ただ了平だけは顎に手を当てながら「いや、あれが素の身体能力であれば、とても素晴らしい」と呟いた。
「あの体勢からあのスピードとパワーを出せる者はそうおらん。ボクシングのリングであればとんでもない脅威になる!」
正面では山本が刀身に青い炎をまとわせながら、今度はレイに上段から切りかかった。本当の本気ではないにしても、死ぬ気の炎で強度も威力も増している。
それをレイは正面から受け止めて、さらに押し返し始めた。
「いくら力が強いったって……」
獄寺の呆けたような声が耳に届く。
彼の言う通り、いくら力が強くなったといえど、自分よりかなり上背のある人間が振り下ろした攻撃だ。それを押し返すにはかなりの力を必要とするはず。
少なくともこれまでのレイを見る限り、そこまでの膂力はなかったはずだ。
「身体能力って、ああいうこと?」
「ああ。まだ序の口だ。このまま見とけ」
レイが山本の攻撃を避けるために大きく飛び退き、同時に山本に向かってダガーを投げつける。山本もこれを躱して2歩下がる。
山本の後方でダガーが当たったのか砂利が弾ける。跳躍を終えたレイの足元が、大きめの砂利を踏んだ。そのわずかなグラつきを逃さぬよう、山本が距離を詰めてきた。
レイはそれを見てすぐさま体勢を整えて、地面を踏み込む。短剣の白い剣身から白と橙の炎が吹き上がった。そして、砂利を弾く音が聞こえた瞬間、レイの姿が視界から消えた。
「……は?」
獄寺の気の抜けたような声が聞こえる。
山本も呆けたように上空を見上げていた。皆でそろって視線を上げる。
山本の上方、約5メートルの高さにレイの体が浮かんでいる。
宙に浮かんでいる当の本人の表情もやはり呆気に取られており、頂点に達したところで重力に負けて放物線上に落下していった。
「うあっ!」
バランスを崩して着地を失敗したレイの悲鳴と共に、体が地面に衝突する音と砂利がこすれる音が響く。
レイの体は砂利の上で2、3回転してから止まり、土ぼこりに包まれていた。
「お、おい、瀬切!」
いの一番に駆け寄ったのは山本だった。その声につられるように、ツナ達も立ち上がってレイのところに駆け寄る。
「レイ!大丈夫!?」
「う、うん……」
上体だけを起こしたレイは、ポカンとした顔で駆け寄ってきたツナを見る。
体のあちこちに砂や小石が付着しているし、所々に擦り傷も見受けられる。しかし、幸いにも大きな傷は見当たらない。
ただ、未だに理解が追い付いていないようで、レイは眉尻を下げたまま困惑している。
「体の調子はどうだ?」
悠然と近付いてくるリボーンの口元には笑みが浮かんでいる。
「どうって……、どう、なんだろう。手合わせが始まってから、ずっと変な感じがする」
「それが『オーナーができる』ってことだ」
困惑したまま立ち上がろうともしないレイに、リボーンが近付く。
「さっき、お前は何をしようとした?」
「攻撃を避けるついでに山本の後ろに回りたくて、飛び越えようとして」
「そしたらどうなった?」
「……思ったより勢いがついた」
「そうだな、見事なまでに明後日の方向に吹っ飛んでったな」
少し不貞腐れたような顔をしながらも、素直にレイが首肯する。生意気な顔をするな、とリボーンがレイを小突く。
「レイ、お前の力はこれまでの比じゃないほどに上がっている。日常生活を送るだけならこれまでと同じようなもんだが、少しでも気合いを入れたらこれだ」
さっきまで山本が立っていた近くには、普通に踏み込んだだけではできないような凹みがあった。砂利のさらに下の土までが深くえぐれており、かなりの強さで地面を蹴ったのかがうかがえる。
砂利の上をレイの体が滑った跡も、しっかりと残っている。
力の加減ができずにつんのめって自爆する姿に、ツナの心の中がむずむずとしてしまう。
「安心しろ、ツナもおんなじことやらかしてるからな。こいつが先輩だ」
「い、言うなよ!」
10年後の世界、初めてグローブとボンゴレリングが一体になったときのことを蒸し返され、ツナの顔に熱が集まる。
レイが立ち上がると、髪や服から砂利がパラパラと音を立てながら落ちていった。クロームがそんなレイの頭や背中を払う。
地面に刺さったままのダガーを抜きながら、山本が口を開いた。
「ところで、一瞬白い炎が出たような気がすんだけど」
リボーンは「それもあったな」と言いつつツナの方に飛び乗った。また重くなったように感じる。赤ん坊の成長は本当に早いらしい。
「こいつらはコアで生命エネルギーを燃やして活動してるってのは説明したな?」
「そうだったか?」
「てめぇ、マジで話聞いてたんだろうな……」
首を傾げる了平に、獄寺が顔をひきつらせた。リボーンは了平にかまわず話を進める。
「基本的に人体であれば『死ぬ気の到達点』にでも至らない限り、リングやギア等の媒体を通さずに炎を灯すことはできねぇ」
だがお前は違う、とリボーンはレイを指す。
「体のつくりが全く違うからこそ、媒体がなくとも直接武器に炎を灯すことができる。やってみろ」
「え」
山本からダガーを受け取っていたレイが、急に話を振られたことに驚いて声を上げる。
「や、やり方がわからない」
「さっきが初めてなわけじゃねぇはずだ。お前の場合、覚悟の段階は十分に過ぎてる。あとは体に力を込める感覚に集中しろ。おそらく短剣の方がやりやすいはずだ」
リボーンの言葉に半信半疑といった顔をしつつ、レイはダガーを納めて短剣を握った。
すぐには炎が灯らない。リングを通すよりも難しいのかもしれない。
しかし、剣先でほのかな光が揺れて始めている。
もう少し。
ツナがそう思った瞬間に白い火花が散る。そして白と橙の炎が剣身を包むように大きく燃え上がった。ほのかな熱を帯びた風が素肌を撫でる。
「これが、死ぬ気の炎……」
レイが目を丸くして呟く。
複数の炎が混ざったものは獄寺のSISTEMA C.A.I.で見たことがあるが、それに比べて揺らぎが大きいのは、様々な生命エネルギーを吸収するというドールならではか。
しかし、そんなことよりも何よりも、白い死ぬ気の炎など見たことがない。
ほの暖かい風を感じながら疑問が口を出る。
「し、白って初めて見た」
「お前、忘れたのか」
「え?」
リボーンが呆れたように言った。
「未来で見た白蘭の翼を忘れたか?」
忘れるわけがない。
皆から吸収した炎はここにある、そう高らかに宣言した白蘭の背からあふれた真っ白な翼。あれを忘れられるとしたら、自分が記憶喪失にでもなるか、あるいは若いころのことすら思い出せないほどボケた時だろう。
「そ、それは忘れてないけど、それとどう関係するんだよ」
「あれは白蘭がGHOSTから集めた死ぬ気の炎が具現化したものだ」
「だから……、あっ」
「やっと理解したか。7つの属性が程よく混ざると炎は白色になるってことだ」
最終的には炎関係なく白い翼になってたけどな、とリボーンは付け加える。
「ただ、ドールは人間と異なり周囲の人間から無意識化でも生命エネルギーを吸収する。それ故に、オーナーを持たないドールの炎は白色になりやすい」
「なるほど、よく見れば端の方や細かい火花の色はカラフルだな」
ボクシングで日ごろ動体視力を鍛えている了平の言葉に、皆が目を凝らす。
白と橙の炎の端、確かに揺らぎの先がわずかながらちらちらと色を変えているのが分かる。
「ほんとだ……」
「オーナーができれば、オーナーの属性に次第に寄っていく。まだツナがオーナーになって日が浅いから混ざりが少ないが、時間が経つにつれてレイの死ぬ気の炎では大空の炎の割合が高くなってくはずだ」
「完全に大空の炎になるんですか?」
「それはドールによるらしい。完全に炎がオーナーと同一になるケースもあれば、一部は必ず白く残るケースもある。そもそもリングの普及や死ぬ気の炎の属性が認知されて日が浅いからサンプルも少ない。オレは専門外だから、またヴェルデにでも訊くかゆっくり経過を見ていけ」
急ぐことでもなんでもないし、のんびり経過を見る方でいいだろうな。
そう考えながらぼんやりと眺めていると、不意に短剣から炎が消えた。あれ、と思う間もなくレイがその場に膝をつき、肩で息をし始める。
「レイ!?」
「だいじょ……ぶ」
慌ててしゃがんで声をかける。
こちらの言葉に応えようと口を開いているが、レイの喉から出てきたのはガサガサの声にもならない声だった。
クロームが差し出したペットボトルにも首を振るばかりだ。顎から落ちた汗が砂利を湿らせる。
呼吸が荒い。
「お前ら落ち着け」
リボーンの声に、全員が口を噤む。
「ドールの死ぬ気の炎は、蓄えている生命エネルギーを大量にコアに送り、体内許容量を超えた分が表に出てくる。だから人間より遥かに早くバテちまう」
オーナーのお前がエネルギーを与えてやれば早い。
そう言われ、軽く背中をさすってみる。少しするとレイの呼吸もだいぶ落ち着いてきた。
「もう、大丈夫。ありがとう」
少しだけかさついた声でレイが言う。ゆっくりと自力で立ち上がって、もう一度大丈夫だと声に出して、皆に笑いかけた。
「レイ、体外に放出されるほどの発炎をすれば身体能力はさらに上がるが、同時に大幅な時間制限がかかると思っとけ」
「わかった」
「リングや類似の媒体があれば、その辺の問題もかなり解決できるらしいが、今は手元に何もないからな。とりあえず炎を出す感覚と、まずいと思うタイミングは分かっただろうから今日はこれで終わりだ」
山本が頭の後ろで手を組みながら笑った。
「小僧が外でやるっつったの、こういうことだったんだな。確かに中でやったら建物壊れてたかもしんねぇや」
「ああ。お前らで上手い言い訳が作れるようになるか、あるいは力の加減ができるようになるまでは外でやっとけ」
リボーンの言葉にレイは頷き、「頑張る」と小さな声で言った。
頬についた擦り傷は、いつの間にか血を残して塞がっていた。
レイは今、休んでいた間のノートをクロームから借り、ツナの部屋で一生懸命に写している。
なぜツナの部屋かといえば、リボーンがいるからに他ならない。日本語にもイタリア語にも精通しているリボーンがいると、レイも勉強がやりやすいのだという。
当然ながら、最初に自力で調べた上で分からないという場合に限られるが、それでも中間テストよりいい点を取ろうとするレイの努力はリボーンも認めるところだ。
一方のツナも今は数学の問題集と向き合っている。否、向き合わされている。後頭部に感じる銃口に震えながら問題を解き進めている。ページの一番最後の問題、少し複雑な素因数分解に手が止まってしまっているが。
レイの方は順調に進んでいるようで、息を吐きながら社会科のノートを閉じた。いいなぁと羨みつつ眺めれば、後頭部の圧力が増して、慌てて教科書を捲って公式を探す。
「終わったぁー」
「だいぶ正答率も上がってきたな。今日はもういいぞ」
「はぁ……」
鬼の家庭教師から何とか及第点を出されて、ツナは机に伸びる。
少ししてからノックと共にレイがお盆をもって入ってきた。
「あ、終わったんだ」
「んー。それ何?」
「おばさんが、おやつだって」
奈々が用意したというお盆の上には。切り分けられた果物が乗っている。3本のフォークがおかれているので、3人で仲良く分けろということらしい。机に置かれた果実からみずみずしい香りが漂う。
「梨だぁ」
「え、リンゴじゃないの?」
「梨だよ、匂いで分かるだろ」
「梨ってこんな香りだったっけ……」
「昔一緒に食べたじゃん」
「うーん……、あまり覚えてない」
首を傾げるツナとレイに、リボーンが助け舟を出した。
「あっちでは日本でいう西洋梨が主流だからな。これは和梨だ、旨いぞ」
へぇ、と聞きながらレイが梨にかぶりつく。次の瞬間にぱっと目を輝かせて「食べたことある、おいしい」と言ったので、ツナも「ほら言っただろ」と返しながら梨を頬張った。
爽やかな歯ごたえと甘い果汁が口の中を抜けて、体感温度を下げていく。
もう梅雨明けも近いのか、晴れ間も増えてきた。窓からは強めの日差しが差し込んでいる。そろそろエアコンの出番も近いことだろう。
しゃくしゃくと梨を食べ進めるレイを見て、ふとツナの中で疑問が湧いてきた。
「そういえば、オーナーができると身体能力が上がるらしいけどさ、何か変わった?」
レイは目をぱちくりと瞬かせ、口内のものを嚥下してから考え込んだ。
「調子はいいけど、何がって言われるとよく分からないな」
「あれから山本と手合わせしてないっけ?」
こくり、とレイが首肯する。それを見てリボーンの怪しく目が光った。
「レイ、傷は完全に塞がったな?」
「え?ああ」
「よし、出かける準備をしろ」
「は?」
「今から?」
「善は急げってやつだ。お前も早く体の変化を知った方が色々やりやすいだろ」
「で、いつも通り手合わせすればいいんだよな?」
木刀を持ってストレッチしながら山本が言う。
彼の父が管理する元道場の建物、その外でレイと山本が数メートルの距離をとって対峙していた。
縁側に座るのはツナと獄寺とリボーン、そしてクロームと了平だった。誰もかれも、リボーンの急な呼び出しに嫌な顔一つせずに集まってくれた。
リボーンの話では、守護者全員にはレイが何であるかは話したのだという。
まあ、雲雀はレイが何であろうが、大して興味はないことだろう。骸については彼の出自とも関係があるので、どう出てくるか予想はつかない。しかし今のところ特に接触を図ってくる様子もないため、静観するしかない。
了平は、未来での出来事を想うと果たしてどこまで理解しているのか不明ではある。しかし、少なくともこのことでレイに対する見方が変わることはないという信頼があった。
事実、先ほど顔を合わせた際に放った言葉は「身体能力が上がったということは、ボクシングの適正も上がったということだろう!?北高には女子ボクシング部もあるぞ!」だった。
レイはレイで「どちらかというと手より足使う方が得意だから……」と頓珍漢な回答をしていたのだが、了平の様子に安堵の表情を浮かべていた。
「2人って普段から外でやってるの?」
「普段はこの中でやってるが、今日はこっちの方が都合がいいからな」
2人の手合わせを初めて見るというクロームが疑問を口にする。それに対するリボーンの返答はあいまいで、縁側に座る誰もが首を傾げた。
リボーンはツナ達の反応を一切意に介さず、声を上げた。
「山本、今日は時雨金時を使え。レイも鞘から抜いていいぞ」
山本もレイも、きょとんとした顔でリボーンを見た。
しかしすぐに言われた通り、山本は木刀を置いて時雨金時を手に取った。レイも足腰のベルトを調整するようにごそごそと動いている。
両者準備が終わったのか、山本がツナ達に向かって片手をあげた。
「んじゃ、山本、お前は本気を出せ。死ぬ気の炎を使っていいぞ」
「えっ」
「レイも本気でやれ」
「ほ、本気って……」
「殺すつもりで、だ」
「ちょ、おい、リボーン!?」
「はいスタート」
ツナの声は無視され、山本達も少し困惑する様子を見せたが、すぐに切り替えたのか正面からにらみ合う。
3秒後、2人の姿勢が同時に低くなって山本のボンゴレギアに青い炎が灯る。居合の構えから山本が先に踏み込んだ。竹刀の刀身が変化すると同時に、レイも地面を蹴ってダガーを引き抜く。
鋼がぶつかり合う高い音が響き、鍔迫り合いになったところで山本の表情がわずかに焦りを浮かべた。レイも目を丸くしている。
互いを押し退けるように距離を取った。
「確かに結構変わってるかもな」
「そう、みたいだ」
山本は楽し気に、レイは少し戸惑うように声を上げた。
「何か違うの?」
クロームが首をかしげる。
正直なところ、ツナも獄寺も、レイの何が変わったのかさっぱりわからない。
ただ了平だけは顎に手を当てながら「いや、あれが素の身体能力であれば、とても素晴らしい」と呟いた。
「あの体勢からあのスピードとパワーを出せる者はそうおらん。ボクシングのリングであればとんでもない脅威になる!」
正面では山本が刀身に青い炎をまとわせながら、今度はレイに上段から切りかかった。本当の本気ではないにしても、死ぬ気の炎で強度も威力も増している。
それをレイは正面から受け止めて、さらに押し返し始めた。
「いくら力が強いったって……」
獄寺の呆けたような声が耳に届く。
彼の言う通り、いくら力が強くなったといえど、自分よりかなり上背のある人間が振り下ろした攻撃だ。それを押し返すにはかなりの力を必要とするはず。
少なくともこれまでのレイを見る限り、そこまでの膂力はなかったはずだ。
「身体能力って、ああいうこと?」
「ああ。まだ序の口だ。このまま見とけ」
レイが山本の攻撃を避けるために大きく飛び退き、同時に山本に向かってダガーを投げつける。山本もこれを躱して2歩下がる。
山本の後方でダガーが当たったのか砂利が弾ける。跳躍を終えたレイの足元が、大きめの砂利を踏んだ。そのわずかなグラつきを逃さぬよう、山本が距離を詰めてきた。
レイはそれを見てすぐさま体勢を整えて、地面を踏み込む。短剣の白い剣身から白と橙の炎が吹き上がった。そして、砂利を弾く音が聞こえた瞬間、レイの姿が視界から消えた。
「……は?」
獄寺の気の抜けたような声が聞こえる。
山本も呆けたように上空を見上げていた。皆でそろって視線を上げる。
山本の上方、約5メートルの高さにレイの体が浮かんでいる。
宙に浮かんでいる当の本人の表情もやはり呆気に取られており、頂点に達したところで重力に負けて放物線上に落下していった。
「うあっ!」
バランスを崩して着地を失敗したレイの悲鳴と共に、体が地面に衝突する音と砂利がこすれる音が響く。
レイの体は砂利の上で2、3回転してから止まり、土ぼこりに包まれていた。
「お、おい、瀬切!」
いの一番に駆け寄ったのは山本だった。その声につられるように、ツナ達も立ち上がってレイのところに駆け寄る。
「レイ!大丈夫!?」
「う、うん……」
上体だけを起こしたレイは、ポカンとした顔で駆け寄ってきたツナを見る。
体のあちこちに砂や小石が付着しているし、所々に擦り傷も見受けられる。しかし、幸いにも大きな傷は見当たらない。
ただ、未だに理解が追い付いていないようで、レイは眉尻を下げたまま困惑している。
「体の調子はどうだ?」
悠然と近付いてくるリボーンの口元には笑みが浮かんでいる。
「どうって……、どう、なんだろう。手合わせが始まってから、ずっと変な感じがする」
「それが『オーナーができる』ってことだ」
困惑したまま立ち上がろうともしないレイに、リボーンが近付く。
「さっき、お前は何をしようとした?」
「攻撃を避けるついでに山本の後ろに回りたくて、飛び越えようとして」
「そしたらどうなった?」
「……思ったより勢いがついた」
「そうだな、見事なまでに明後日の方向に吹っ飛んでったな」
少し不貞腐れたような顔をしながらも、素直にレイが首肯する。生意気な顔をするな、とリボーンがレイを小突く。
「レイ、お前の力はこれまでの比じゃないほどに上がっている。日常生活を送るだけならこれまでと同じようなもんだが、少しでも気合いを入れたらこれだ」
さっきまで山本が立っていた近くには、普通に踏み込んだだけではできないような凹みがあった。砂利のさらに下の土までが深くえぐれており、かなりの強さで地面を蹴ったのかがうかがえる。
砂利の上をレイの体が滑った跡も、しっかりと残っている。
力の加減ができずにつんのめって自爆する姿に、ツナの心の中がむずむずとしてしまう。
「安心しろ、ツナもおんなじことやらかしてるからな。こいつが先輩だ」
「い、言うなよ!」
10年後の世界、初めてグローブとボンゴレリングが一体になったときのことを蒸し返され、ツナの顔に熱が集まる。
レイが立ち上がると、髪や服から砂利がパラパラと音を立てながら落ちていった。クロームがそんなレイの頭や背中を払う。
地面に刺さったままのダガーを抜きながら、山本が口を開いた。
「ところで、一瞬白い炎が出たような気がすんだけど」
リボーンは「それもあったな」と言いつつツナの方に飛び乗った。また重くなったように感じる。赤ん坊の成長は本当に早いらしい。
「こいつらはコアで生命エネルギーを燃やして活動してるってのは説明したな?」
「そうだったか?」
「てめぇ、マジで話聞いてたんだろうな……」
首を傾げる了平に、獄寺が顔をひきつらせた。リボーンは了平にかまわず話を進める。
「基本的に人体であれば『死ぬ気の到達点』にでも至らない限り、リングやギア等の媒体を通さずに炎を灯すことはできねぇ」
だがお前は違う、とリボーンはレイを指す。
「体のつくりが全く違うからこそ、媒体がなくとも直接武器に炎を灯すことができる。やってみろ」
「え」
山本からダガーを受け取っていたレイが、急に話を振られたことに驚いて声を上げる。
「や、やり方がわからない」
「さっきが初めてなわけじゃねぇはずだ。お前の場合、覚悟の段階は十分に過ぎてる。あとは体に力を込める感覚に集中しろ。おそらく短剣の方がやりやすいはずだ」
リボーンの言葉に半信半疑といった顔をしつつ、レイはダガーを納めて短剣を握った。
すぐには炎が灯らない。リングを通すよりも難しいのかもしれない。
しかし、剣先でほのかな光が揺れて始めている。
もう少し。
ツナがそう思った瞬間に白い火花が散る。そして白と橙の炎が剣身を包むように大きく燃え上がった。ほのかな熱を帯びた風が素肌を撫でる。
「これが、死ぬ気の炎……」
レイが目を丸くして呟く。
複数の炎が混ざったものは獄寺のSISTEMA C.A.I.で見たことがあるが、それに比べて揺らぎが大きいのは、様々な生命エネルギーを吸収するというドールならではか。
しかし、そんなことよりも何よりも、白い死ぬ気の炎など見たことがない。
ほの暖かい風を感じながら疑問が口を出る。
「し、白って初めて見た」
「お前、忘れたのか」
「え?」
リボーンが呆れたように言った。
「未来で見た白蘭の翼を忘れたか?」
忘れるわけがない。
皆から吸収した炎はここにある、そう高らかに宣言した白蘭の背からあふれた真っ白な翼。あれを忘れられるとしたら、自分が記憶喪失にでもなるか、あるいは若いころのことすら思い出せないほどボケた時だろう。
「そ、それは忘れてないけど、それとどう関係するんだよ」
「あれは白蘭がGHOSTから集めた死ぬ気の炎が具現化したものだ」
「だから……、あっ」
「やっと理解したか。7つの属性が程よく混ざると炎は白色になるってことだ」
最終的には炎関係なく白い翼になってたけどな、とリボーンは付け加える。
「ただ、ドールは人間と異なり周囲の人間から無意識化でも生命エネルギーを吸収する。それ故に、オーナーを持たないドールの炎は白色になりやすい」
「なるほど、よく見れば端の方や細かい火花の色はカラフルだな」
ボクシングで日ごろ動体視力を鍛えている了平の言葉に、皆が目を凝らす。
白と橙の炎の端、確かに揺らぎの先がわずかながらちらちらと色を変えているのが分かる。
「ほんとだ……」
「オーナーができれば、オーナーの属性に次第に寄っていく。まだツナがオーナーになって日が浅いから混ざりが少ないが、時間が経つにつれてレイの死ぬ気の炎では大空の炎の割合が高くなってくはずだ」
「完全に大空の炎になるんですか?」
「それはドールによるらしい。完全に炎がオーナーと同一になるケースもあれば、一部は必ず白く残るケースもある。そもそもリングの普及や死ぬ気の炎の属性が認知されて日が浅いからサンプルも少ない。オレは専門外だから、またヴェルデにでも訊くかゆっくり経過を見ていけ」
急ぐことでもなんでもないし、のんびり経過を見る方でいいだろうな。
そう考えながらぼんやりと眺めていると、不意に短剣から炎が消えた。あれ、と思う間もなくレイがその場に膝をつき、肩で息をし始める。
「レイ!?」
「だいじょ……ぶ」
慌ててしゃがんで声をかける。
こちらの言葉に応えようと口を開いているが、レイの喉から出てきたのはガサガサの声にもならない声だった。
クロームが差し出したペットボトルにも首を振るばかりだ。顎から落ちた汗が砂利を湿らせる。
呼吸が荒い。
「お前ら落ち着け」
リボーンの声に、全員が口を噤む。
「ドールの死ぬ気の炎は、蓄えている生命エネルギーを大量にコアに送り、体内許容量を超えた分が表に出てくる。だから人間より遥かに早くバテちまう」
オーナーのお前がエネルギーを与えてやれば早い。
そう言われ、軽く背中をさすってみる。少しするとレイの呼吸もだいぶ落ち着いてきた。
「もう、大丈夫。ありがとう」
少しだけかさついた声でレイが言う。ゆっくりと自力で立ち上がって、もう一度大丈夫だと声に出して、皆に笑いかけた。
「レイ、体外に放出されるほどの発炎をすれば身体能力はさらに上がるが、同時に大幅な時間制限がかかると思っとけ」
「わかった」
「リングや類似の媒体があれば、その辺の問題もかなり解決できるらしいが、今は手元に何もないからな。とりあえず炎を出す感覚と、まずいと思うタイミングは分かっただろうから今日はこれで終わりだ」
山本が頭の後ろで手を組みながら笑った。
「小僧が外でやるっつったの、こういうことだったんだな。確かに中でやったら建物壊れてたかもしんねぇや」
「ああ。お前らで上手い言い訳が作れるようになるか、あるいは力の加減ができるようになるまでは外でやっとけ」
リボーンの言葉にレイは頷き、「頑張る」と小さな声で言った。
頬についた擦り傷は、いつの間にか血を残して塞がっていた。