真相
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ところどころに湿り気の残るアスファルトの上を歩く。結局雨は降らず、それどころかしっかりと晴れたことで異様に蒸し暑くなった。
見上げた空は、久しぶりに青色の割合が多かった。
自分に倣うように、隣を歩く獄寺も空を見上げている。
ツナよりもずっと裏社会の実情に詳しい彼は、きっとレイの過去の話をより生々しく、鮮明に理解してしまったことだろう。
「獄寺君」
「はい」
呼び掛ければ、彼はぼんやりとしていた顔を即座に切り替えてツナに目線を合わせた。
いつもまっすぐに見据えてくれる獄寺の目を、昔こそ怖いと思ったこともある。だが、今では自分を勇気付けてくれるものの1つだ。
「オレ、ちゃんとレイと話してみるよ」
ツナの言葉に獄寺は軽く目を見開き、それから笑みを浮かべた。
「さすがは10代目です」
「何も『さすが』じゃないって。ずっと逃げてたんだ、オレも」
レイと話す機会がなかったのは本当だ。
だが、ツナ自身がレイと向き合うのを避けたいと願っていたのも事実だった。
ヒロヤが死んでから、レイは一度も顔を見せようとしない。
彼女が使っている部屋には鍵がないのだから、入ろうと思えば無理矢理入ることはできたはずだ。
それでも、扉の向こうから聞こえるむせび泣く声を聞いて、足は簡単に動かなくなってしまった。
この扉1枚を開いてしまえば、自分が知りたくないことと向き合うことになるかもしれない、その恐怖に体がすくんでしまった。ドアノブに手をかけることもなく、ただ廊下に突っ立っていた。
でも、何があったか知ってしまった以上は、もう逃げ続けることはできない。
きっとこれは互いを許しあうようなものでもなく、傷を舐めあう訳でもなく、これからも一緒にこの世界を生きていくために必要な覚悟だ。
いつしか自宅の前まで来ていた。
獄寺に「今日はありがとう、また明日」と言えば、彼は「はい!では!」と大きく手を振って駆けていった。
「ただいま。……あれ?」
玄関を開けて土間を見て、ふと靴の数が少ないことに気付く。
レイが普段使いしているスニーカーがなかった。同様に子ども達の靴もない。
突如、ツナの視界に影がかかって覚えのある異臭が鼻腔に広がる。
「ビアンキ」
「おかえりなさい」
「ただいま。レイは……」
「あの子ならガキ達に連れられて公園に行ったわよ。あと1、2時間もすれば帰ってくるんじゃないかしら」
怪我はもう平気なのだろうか。ヴェルデが傷の治りは早いというようなことを言ってはいたが。
そんなツナの思案を読んだように、「あの子が怪我はもう大丈夫って言ったの。フゥ太に携帯電話も持たせたし、何かあっても大丈夫よ」と笑った。
「ところでパウンドケーキを作ってみたのだけど、一口どうかしら?」
「あ、その匂いかぁ……。結構です」
部屋着に着替えてからそのままベッドに寝転んで、携帯電話のメールを開く。
送り主不明で資料が添付されたメール、これがヴェルデの言っていた資料だろう。
『取り扱い注意』『開封から48時間でデータは自動消滅』と書かれたメールタイトル。資料は容量が大きいのか動作が重たいし、理解しがたい部分も多くあった。
しかし何とか読み進める。
「京子ちゃんが倒れたのも、クロームが倒れたのもこれが原因かぁ…」
『ドールは任意の相手に対し、皮下に大動脈が走る箇所に触れることで、強制的に生命エネルギーを奪取することができる』
『生命エネルギーを奪われた側は、その量によってめまいや昏倒を起こすこともある』
クロームの生命エネルギーを奪ったのがレイというのはもちろん、京子の生命エネルギーを奪ったのはヒロヤで間違いないだろう。
しかしリボーンの言葉を信じるなら、京子の倒れこんでいたベンチに落ちていた手首は、きっとヒロヤが最後まで京子を傷付けまいと抗った証なのかもしれない。
一通り読み終えるころには、すでに窓から差し込む光が赤くなっていた。
ちかちかとする目を閉じていたら、奈々に手伝いで呼ばれる。
のそのそと向かったリビングでは、いつもと変わらぬ表情で母が夕飯を作っていた。
彼女は実の姉の最後を知らないのだと思い、しかしわざわざ話すことでもないと口を噤む。
いわれるがままにテーブルを拭いて、大皿を棚から取り出した。
流しで使い終わった調理器具を洗っている時、玄関が騒々しくなって一気に人の気配が増えた。
ランボとイーピンの高い声、追いかけるように騒ぐフゥ太の声。そしてそれより落ち着いているレイの声。
「母さん、これ後でやる」
「はいはい」
手についた泡を慌てて流し、水気を拭うことなく小走りで廊下に出る。
子ども達が「ただいま!」と元気に挨拶して、ツナの横を通り抜けて洗面所へと駆けていく。
廊下に残されたのはツナとレイだけだ。
数日ぶりに見たレイは、気まずそうにしながらも目を逸らしたりはしなかった。目元が少し赤い。
「おかえり」
そう言えば、少しだけ口元を緩めたレイも「ただいま」と返してくれた。
「ツナに話したいことがある。夕飯食べて、お風呂の後でいいから、時間がほしい」
「うん」
風呂を終えて階段を上がろうとしたところで、ナッツがリングから飛び出して階段を駆け上がる。
慌てて追いかければ、ナッツはツナの部屋の前に座っていたレイにじゃれついていた。
レイは寝間着代わりのゆったりとしたTシャツとハーフパンツという薄着だった。
「そんなとこに座ってたら湯冷めして風邪ひくぞ」
「ボクは風邪なんかひかないよ」
ナッツを抱き上げて立ち上がるレイを見て、ツナは自室の扉を開けた。
レイが静かについてくる。
リボーンは早々に「今日はビアンキの部屋で寝る」と宣言し、寝間着だけ持ってさっさと部屋を出てしまったから、今は2人と1匹だけだ。
なんとなく床に置かれたクッションに座れば、レイはローテーブルを挟んで真向いおかれたクッションに腰を下ろした。
目元の赤みはもう引いている。最初にレイが口を開いた。
「謝るところから始めてもいいかな?」
「それだとオレも謝らないといけないけど」
黙りこくってしまってたっぷり10秒、ガウ!とナッツが吠えて顔を見合わせる。
ローテーブルに前足を置いて、2人の間でガウガウと何かを訴えるナッツに緊張感をぶち壊され、笑いの息が漏れた。
「謝罪合戦なんて面倒だし、やめない?」といえば、「うん」とレイも笑った。
あぐらをかいているレイの足の上で、ナッツはゴロゴロと猫のように喉を鳴らし始める。
傷の治りは早いとヴェルデが言っていたが、腹のあたりには一際酷い傷があったはずだ。ナッツが動くことで傷に響いたりしないだろうか。
「怪我、本当に治ったのか?」
「もうほとんど塞がってる。午前中までは無理して動かすと痛かったけど」
そういってナッツを下したレイは膝立ちになり、シャツの裾を軽くめくった。
本来肌があるはずのそこには、白い包帯が巻かれていて痛々しい。思わず顔をしかめれば、小さな笑い声が聞こえた。
「もう大丈夫だよ」
そう言いながらレイはスルスルと包帯を解いていく。
露になった肌の上、わずかに肉が盛り上がっているところが今回の傷だろう。
しかしすでに血は止まっており、桃色の新しい皮膚が傷口をふさいでいる。
明らかに刺し傷、しかも体を貫通するような傷の治る速度ではない。
「ここ最近、傷の治りが早くなってきてるんだよね」
「すご……」と感嘆の声を漏らせば、レイが「反応薄いなぁ」と小さく笑った。
「へ?」
「全然気にならない?」
「うん。もっとよく分かんないのとかにも会ってるし、このくらいって言い方は変だけど、特には」
「そっか」
レイはシャツを下ろして包帯を丁寧に畳む。
クッションの上に座り直したレイは、近くで寝転がるナッツの背中をゆっくりと撫でた。
「人間じゃないボクが、キミ達に受け入れてもらえるかどうか、実は結構怖かったんだ」
だから自分で言えなかった、ごめん。
そう謝罪を口にしたレイに、別にいいよ、とだけ返した。
レイの足辺りからオレンジの炎がぼんやりと揺れるのが見えて、ツナは少し体をずらしてレイの足の方を覗き込む。そこではナッツが2人の会話をよそに、レイの膝に顎を乗せたまま四肢をだらけさせていた。
似てる存在だとかなんだとか、そういうのをナッツは感じ取っているからこんなに安心しきっているのだろうか。
いや、ただレイに撫でられるのと人の体温が気持ちいいだけで、何も考えてはいないだろう。
ナッツを撫でていた手が止まった。顔を上げれば、レイがまっすぐにツナを見据えている。
「あと、もう1つあるんだけど」
その声に乗った隠しきれない緊張感が、自身にも伝播してくる。
中途半端なところで途切れたまま、言葉が続かない。
なんとなく、何を言われるか察していた。
でもこれは、これだけは本人の口から言わないといけないものだ。だからツナは黙った。
レイの口が一度閉じかけて、再度開くのを眺めて待っていた。
すう、と息を吸う音が聞こえて、レイの喉が震える。
「ツナ、ボクのオーナーになってほしい」
鼓膜で受け止めて、脳がその言葉の意味を処理する。
意味を心底理解してからツナが目を閉じるまで、1秒もかからなかった。それでも10秒たっぷりかけて、深呼吸を1つ。
目を開ければ、変わらずレイの目がツナを見つめている。
「どうしてオレなんだ?」
「そうだなぁ」
過去を思い出しているのか、目の焦点がふと遠くなった。
「ボンゴレ10代目がキミだって知ってからかな。『もしボクがオーナーを選ぶならツナだ』って思ったのは」
「理由は?」
「大した理由なんてないよ。ボクが知ってる人で、自分の命を預けてもいいと思える相手が、ディーノさんかキミくらいしかいないんだ」
そんな理由で、と少し呆れるツナに、「確かに失礼だよね」とレイも笑う。
「その時は『どうしてもオーナーを選ぶなら』ってくらいの、もしもの話だったんだ。別にオーナーがいなくても生きていける」
特別に強い願望というわけでもなく。今よりももっと強くなれたら嬉しい。その程度の願望だったという。
「でも、キミとまた会えて、日本に来て、大切な人だと思える人がたくさん増えた」
クローム、京子、花、ハル、リボーン、ビアンキさん、フゥ太にランボにイーピン。山本、獄寺、笹川先輩に……、雲雀さんや六道さんはまだ距離が分からないな。古里やシモンの人達。それに、クラスのみんな。
指折り数えながら挙げられる名前は、ツナにとっても大切な、かけがえのない人ばかりだった。
「キミが近くにいると、これまで感じたことがないほど体が軽いし、傷もすぐに治る。ツナの波動は、ボクのコアととても相性がいいみたいなんだ」
レイは右手を握り、胸元にその拳を押し当てる。
「確かに昔より強くなった。でも、まだ強くなれる。強くなりたい。ツナのことも、キミの周りにいる人達のことも守りたい。ボクにとっても大切な人達を守れるくらい強くなりたい。そのためには、キミが必要なんだ」
室内の照明を取り込んで輝く黒い目が、まっすぐにツナを見据えた。
「キミのことも、キミとボクの大切な人達も守りたい。キミと一緒に守れるようになりたい」
だからボクを、キミのドールにしてほしい。
「そんな言い方されたら断れないだろ」
揺れることのない従妹の真剣な顔を見て、ツナの喉から笑いの混じった息が漏れた。
大切なもの。リボーンに出会ってから恐ろしいほどのスピードで、自分の命と同じくらいに大切だと思える存在が増えていった。
守りたいもの、守るべきもの。
目の前で真剣な顔をしているレイだって、ツナにとって大切な人だ。彼女を喪うのは、きっとヒロヤを喪うこと以上に耐えられないだろう。
それはきっとツナだけでなく、レイと交流を深めた、彼女が大切だと言った人達だって同じはずだ。
「なるよ」
ツナの言葉にレイの目が大きく見開かれる。
「レイのオーナーになる」
レイはぐっと唇を噛んで、まるで泣くのを耐えるような顔になった。
「ありがとう」
「い、従妹だし、オレの方が早く生まれたからな!」
絞り出すような声に乗ったまっすぐな感謝に、ほんの少しだけ照れ臭くなり、思わず茶化すような言葉が出てしまった。
気分を害する様子もなく、レイは「分かってる」と笑った。
「でも、何すればいいんだ?」
「座ったままでいい」
レイは膝で歩いてツナの傍へと寄ってきた。隣に正座で腰を落ち着けた彼女は、自身の首元、左右の鎖骨の中心を指す。
「ここにボクのコアがある」
ドールにとって最大の弱点を、何のためらいもなく明かされ、ツナは少し動揺する。
そんな従兄の様子に表情を変えることなく、レイはツナの右手に視線を向けた。
「ツナの意思で、ここに触れてほしい」
レイが着ているTシャツは広めの襟ぐりで、そこに触れるにあたって一切の障壁はない。
ゆっくりを手を伸ばす。指先がレイの肌に当たった。温かい。
指を開いて、手のひらを押し当てる。鎖骨の存在を感じるが、これも厳密には鎖骨ではないのだそうだ。
生き物の温度に、生き物の体を構築する一部に、彼女が人間でないという事実を一瞬だけ忘れそうになる。
レイが目を閉じる。ツナも倣って目を閉じる。
リングもつけていない手のひらから、炎が出るときのような感触がする。
じわとツナの手のひらを温めたその熱が、レイの肌を通してそのさらに深い所へと流れていくのを感じる。
不意にやわらかい風が、2人を取り囲むように部屋の中に流れ始めた。服や髪が小さく揺れる。
数秒後に風が止むとレイはゆっくりと息を吸って、それから目を開けた。
「契約できたよ」
「え、これだけ?」
思っていたよりもかなり呆気ない工程に、素っ頓狂な声が出てしまう。と同時に、今までにない不思議なつながりを感じることに気付いた。
細かいことが分かるわけではないが、何かが『いる』という感覚。
ナッツが実体化して好き勝手に過ごしているときによ感じるものとよく似ている。
「ツナの方は変化はあった?」
「なんか……、うん」
「ボクも不思議な感じだ」
うまく言語化できずに言葉に詰まるが、言わんとすることは理解してくれたのだろう。レイも自身の手を握ったり開いたりしている。
「でも悪くない、というより心地いいな。安定した、って感じがする」
「オレも別に嫌な感じはないなぁ。そのうち慣れそう」
ナッツが大きな欠伸をしながら、とことこと近付いてきた。その脇に手を入れて、レイが嬉しそうにナッツに話しかけた。
「同じオーナーを持つ者同士だ、これからもよろしく」
「グ?ガウ!」
言われたことを理解しているのかいないのか。
一度だけ首を傾げて、すぐに嬉しそうにナッツも吠え返した。
次から2ページ、おまけ小話
→おまけ1(山本のはなし)
見上げた空は、久しぶりに青色の割合が多かった。
自分に倣うように、隣を歩く獄寺も空を見上げている。
ツナよりもずっと裏社会の実情に詳しい彼は、きっとレイの過去の話をより生々しく、鮮明に理解してしまったことだろう。
「獄寺君」
「はい」
呼び掛ければ、彼はぼんやりとしていた顔を即座に切り替えてツナに目線を合わせた。
いつもまっすぐに見据えてくれる獄寺の目を、昔こそ怖いと思ったこともある。だが、今では自分を勇気付けてくれるものの1つだ。
「オレ、ちゃんとレイと話してみるよ」
ツナの言葉に獄寺は軽く目を見開き、それから笑みを浮かべた。
「さすがは10代目です」
「何も『さすが』じゃないって。ずっと逃げてたんだ、オレも」
レイと話す機会がなかったのは本当だ。
だが、ツナ自身がレイと向き合うのを避けたいと願っていたのも事実だった。
ヒロヤが死んでから、レイは一度も顔を見せようとしない。
彼女が使っている部屋には鍵がないのだから、入ろうと思えば無理矢理入ることはできたはずだ。
それでも、扉の向こうから聞こえるむせび泣く声を聞いて、足は簡単に動かなくなってしまった。
この扉1枚を開いてしまえば、自分が知りたくないことと向き合うことになるかもしれない、その恐怖に体がすくんでしまった。ドアノブに手をかけることもなく、ただ廊下に突っ立っていた。
でも、何があったか知ってしまった以上は、もう逃げ続けることはできない。
きっとこれは互いを許しあうようなものでもなく、傷を舐めあう訳でもなく、これからも一緒にこの世界を生きていくために必要な覚悟だ。
いつしか自宅の前まで来ていた。
獄寺に「今日はありがとう、また明日」と言えば、彼は「はい!では!」と大きく手を振って駆けていった。
「ただいま。……あれ?」
玄関を開けて土間を見て、ふと靴の数が少ないことに気付く。
レイが普段使いしているスニーカーがなかった。同様に子ども達の靴もない。
突如、ツナの視界に影がかかって覚えのある異臭が鼻腔に広がる。
「ビアンキ」
「おかえりなさい」
「ただいま。レイは……」
「あの子ならガキ達に連れられて公園に行ったわよ。あと1、2時間もすれば帰ってくるんじゃないかしら」
怪我はもう平気なのだろうか。ヴェルデが傷の治りは早いというようなことを言ってはいたが。
そんなツナの思案を読んだように、「あの子が怪我はもう大丈夫って言ったの。フゥ太に携帯電話も持たせたし、何かあっても大丈夫よ」と笑った。
「ところでパウンドケーキを作ってみたのだけど、一口どうかしら?」
「あ、その匂いかぁ……。結構です」
部屋着に着替えてからそのままベッドに寝転んで、携帯電話のメールを開く。
送り主不明で資料が添付されたメール、これがヴェルデの言っていた資料だろう。
『取り扱い注意』『開封から48時間でデータは自動消滅』と書かれたメールタイトル。資料は容量が大きいのか動作が重たいし、理解しがたい部分も多くあった。
しかし何とか読み進める。
「京子ちゃんが倒れたのも、クロームが倒れたのもこれが原因かぁ…」
『ドールは任意の相手に対し、皮下に大動脈が走る箇所に触れることで、強制的に生命エネルギーを奪取することができる』
『生命エネルギーを奪われた側は、その量によってめまいや昏倒を起こすこともある』
クロームの生命エネルギーを奪ったのがレイというのはもちろん、京子の生命エネルギーを奪ったのはヒロヤで間違いないだろう。
しかしリボーンの言葉を信じるなら、京子の倒れこんでいたベンチに落ちていた手首は、きっとヒロヤが最後まで京子を傷付けまいと抗った証なのかもしれない。
一通り読み終えるころには、すでに窓から差し込む光が赤くなっていた。
ちかちかとする目を閉じていたら、奈々に手伝いで呼ばれる。
のそのそと向かったリビングでは、いつもと変わらぬ表情で母が夕飯を作っていた。
彼女は実の姉の最後を知らないのだと思い、しかしわざわざ話すことでもないと口を噤む。
いわれるがままにテーブルを拭いて、大皿を棚から取り出した。
流しで使い終わった調理器具を洗っている時、玄関が騒々しくなって一気に人の気配が増えた。
ランボとイーピンの高い声、追いかけるように騒ぐフゥ太の声。そしてそれより落ち着いているレイの声。
「母さん、これ後でやる」
「はいはい」
手についた泡を慌てて流し、水気を拭うことなく小走りで廊下に出る。
子ども達が「ただいま!」と元気に挨拶して、ツナの横を通り抜けて洗面所へと駆けていく。
廊下に残されたのはツナとレイだけだ。
数日ぶりに見たレイは、気まずそうにしながらも目を逸らしたりはしなかった。目元が少し赤い。
「おかえり」
そう言えば、少しだけ口元を緩めたレイも「ただいま」と返してくれた。
「ツナに話したいことがある。夕飯食べて、お風呂の後でいいから、時間がほしい」
「うん」
風呂を終えて階段を上がろうとしたところで、ナッツがリングから飛び出して階段を駆け上がる。
慌てて追いかければ、ナッツはツナの部屋の前に座っていたレイにじゃれついていた。
レイは寝間着代わりのゆったりとしたTシャツとハーフパンツという薄着だった。
「そんなとこに座ってたら湯冷めして風邪ひくぞ」
「ボクは風邪なんかひかないよ」
ナッツを抱き上げて立ち上がるレイを見て、ツナは自室の扉を開けた。
レイが静かについてくる。
リボーンは早々に「今日はビアンキの部屋で寝る」と宣言し、寝間着だけ持ってさっさと部屋を出てしまったから、今は2人と1匹だけだ。
なんとなく床に置かれたクッションに座れば、レイはローテーブルを挟んで真向いおかれたクッションに腰を下ろした。
目元の赤みはもう引いている。最初にレイが口を開いた。
「謝るところから始めてもいいかな?」
「それだとオレも謝らないといけないけど」
黙りこくってしまってたっぷり10秒、ガウ!とナッツが吠えて顔を見合わせる。
ローテーブルに前足を置いて、2人の間でガウガウと何かを訴えるナッツに緊張感をぶち壊され、笑いの息が漏れた。
「謝罪合戦なんて面倒だし、やめない?」といえば、「うん」とレイも笑った。
あぐらをかいているレイの足の上で、ナッツはゴロゴロと猫のように喉を鳴らし始める。
傷の治りは早いとヴェルデが言っていたが、腹のあたりには一際酷い傷があったはずだ。ナッツが動くことで傷に響いたりしないだろうか。
「怪我、本当に治ったのか?」
「もうほとんど塞がってる。午前中までは無理して動かすと痛かったけど」
そういってナッツを下したレイは膝立ちになり、シャツの裾を軽くめくった。
本来肌があるはずのそこには、白い包帯が巻かれていて痛々しい。思わず顔をしかめれば、小さな笑い声が聞こえた。
「もう大丈夫だよ」
そう言いながらレイはスルスルと包帯を解いていく。
露になった肌の上、わずかに肉が盛り上がっているところが今回の傷だろう。
しかしすでに血は止まっており、桃色の新しい皮膚が傷口をふさいでいる。
明らかに刺し傷、しかも体を貫通するような傷の治る速度ではない。
「ここ最近、傷の治りが早くなってきてるんだよね」
「すご……」と感嘆の声を漏らせば、レイが「反応薄いなぁ」と小さく笑った。
「へ?」
「全然気にならない?」
「うん。もっとよく分かんないのとかにも会ってるし、このくらいって言い方は変だけど、特には」
「そっか」
レイはシャツを下ろして包帯を丁寧に畳む。
クッションの上に座り直したレイは、近くで寝転がるナッツの背中をゆっくりと撫でた。
「人間じゃないボクが、キミ達に受け入れてもらえるかどうか、実は結構怖かったんだ」
だから自分で言えなかった、ごめん。
そう謝罪を口にしたレイに、別にいいよ、とだけ返した。
レイの足辺りからオレンジの炎がぼんやりと揺れるのが見えて、ツナは少し体をずらしてレイの足の方を覗き込む。そこではナッツが2人の会話をよそに、レイの膝に顎を乗せたまま四肢をだらけさせていた。
似てる存在だとかなんだとか、そういうのをナッツは感じ取っているからこんなに安心しきっているのだろうか。
いや、ただレイに撫でられるのと人の体温が気持ちいいだけで、何も考えてはいないだろう。
ナッツを撫でていた手が止まった。顔を上げれば、レイがまっすぐにツナを見据えている。
「あと、もう1つあるんだけど」
その声に乗った隠しきれない緊張感が、自身にも伝播してくる。
中途半端なところで途切れたまま、言葉が続かない。
なんとなく、何を言われるか察していた。
でもこれは、これだけは本人の口から言わないといけないものだ。だからツナは黙った。
レイの口が一度閉じかけて、再度開くのを眺めて待っていた。
すう、と息を吸う音が聞こえて、レイの喉が震える。
「ツナ、ボクのオーナーになってほしい」
鼓膜で受け止めて、脳がその言葉の意味を処理する。
意味を心底理解してからツナが目を閉じるまで、1秒もかからなかった。それでも10秒たっぷりかけて、深呼吸を1つ。
目を開ければ、変わらずレイの目がツナを見つめている。
「どうしてオレなんだ?」
「そうだなぁ」
過去を思い出しているのか、目の焦点がふと遠くなった。
「ボンゴレ10代目がキミだって知ってからかな。『もしボクがオーナーを選ぶならツナだ』って思ったのは」
「理由は?」
「大した理由なんてないよ。ボクが知ってる人で、自分の命を預けてもいいと思える相手が、ディーノさんかキミくらいしかいないんだ」
そんな理由で、と少し呆れるツナに、「確かに失礼だよね」とレイも笑う。
「その時は『どうしてもオーナーを選ぶなら』ってくらいの、もしもの話だったんだ。別にオーナーがいなくても生きていける」
特別に強い願望というわけでもなく。今よりももっと強くなれたら嬉しい。その程度の願望だったという。
「でも、キミとまた会えて、日本に来て、大切な人だと思える人がたくさん増えた」
クローム、京子、花、ハル、リボーン、ビアンキさん、フゥ太にランボにイーピン。山本、獄寺、笹川先輩に……、雲雀さんや六道さんはまだ距離が分からないな。古里やシモンの人達。それに、クラスのみんな。
指折り数えながら挙げられる名前は、ツナにとっても大切な、かけがえのない人ばかりだった。
「キミが近くにいると、これまで感じたことがないほど体が軽いし、傷もすぐに治る。ツナの波動は、ボクのコアととても相性がいいみたいなんだ」
レイは右手を握り、胸元にその拳を押し当てる。
「確かに昔より強くなった。でも、まだ強くなれる。強くなりたい。ツナのことも、キミの周りにいる人達のことも守りたい。ボクにとっても大切な人達を守れるくらい強くなりたい。そのためには、キミが必要なんだ」
室内の照明を取り込んで輝く黒い目が、まっすぐにツナを見据えた。
「キミのことも、キミとボクの大切な人達も守りたい。キミと一緒に守れるようになりたい」
だからボクを、キミのドールにしてほしい。
「そんな言い方されたら断れないだろ」
揺れることのない従妹の真剣な顔を見て、ツナの喉から笑いの混じった息が漏れた。
大切なもの。リボーンに出会ってから恐ろしいほどのスピードで、自分の命と同じくらいに大切だと思える存在が増えていった。
守りたいもの、守るべきもの。
目の前で真剣な顔をしているレイだって、ツナにとって大切な人だ。彼女を喪うのは、きっとヒロヤを喪うこと以上に耐えられないだろう。
それはきっとツナだけでなく、レイと交流を深めた、彼女が大切だと言った人達だって同じはずだ。
「なるよ」
ツナの言葉にレイの目が大きく見開かれる。
「レイのオーナーになる」
レイはぐっと唇を噛んで、まるで泣くのを耐えるような顔になった。
「ありがとう」
「い、従妹だし、オレの方が早く生まれたからな!」
絞り出すような声に乗ったまっすぐな感謝に、ほんの少しだけ照れ臭くなり、思わず茶化すような言葉が出てしまった。
気分を害する様子もなく、レイは「分かってる」と笑った。
「でも、何すればいいんだ?」
「座ったままでいい」
レイは膝で歩いてツナの傍へと寄ってきた。隣に正座で腰を落ち着けた彼女は、自身の首元、左右の鎖骨の中心を指す。
「ここにボクのコアがある」
ドールにとって最大の弱点を、何のためらいもなく明かされ、ツナは少し動揺する。
そんな従兄の様子に表情を変えることなく、レイはツナの右手に視線を向けた。
「ツナの意思で、ここに触れてほしい」
レイが着ているTシャツは広めの襟ぐりで、そこに触れるにあたって一切の障壁はない。
ゆっくりを手を伸ばす。指先がレイの肌に当たった。温かい。
指を開いて、手のひらを押し当てる。鎖骨の存在を感じるが、これも厳密には鎖骨ではないのだそうだ。
生き物の温度に、生き物の体を構築する一部に、彼女が人間でないという事実を一瞬だけ忘れそうになる。
レイが目を閉じる。ツナも倣って目を閉じる。
リングもつけていない手のひらから、炎が出るときのような感触がする。
じわとツナの手のひらを温めたその熱が、レイの肌を通してそのさらに深い所へと流れていくのを感じる。
不意にやわらかい風が、2人を取り囲むように部屋の中に流れ始めた。服や髪が小さく揺れる。
数秒後に風が止むとレイはゆっくりと息を吸って、それから目を開けた。
「契約できたよ」
「え、これだけ?」
思っていたよりもかなり呆気ない工程に、素っ頓狂な声が出てしまう。と同時に、今までにない不思議なつながりを感じることに気付いた。
細かいことが分かるわけではないが、何かが『いる』という感覚。
ナッツが実体化して好き勝手に過ごしているときによ感じるものとよく似ている。
「ツナの方は変化はあった?」
「なんか……、うん」
「ボクも不思議な感じだ」
うまく言語化できずに言葉に詰まるが、言わんとすることは理解してくれたのだろう。レイも自身の手を握ったり開いたりしている。
「でも悪くない、というより心地いいな。安定した、って感じがする」
「オレも別に嫌な感じはないなぁ。そのうち慣れそう」
ナッツが大きな欠伸をしながら、とことこと近付いてきた。その脇に手を入れて、レイが嬉しそうにナッツに話しかけた。
「同じオーナーを持つ者同士だ、これからもよろしく」
「グ?ガウ!」
言われたことを理解しているのかいないのか。
一度だけ首を傾げて、すぐに嬉しそうにナッツも吠え返した。
次から2ページ、おまけ小話
→おまけ1(山本のはなし)