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「ヴェルデが言った通り、あいつらの父親は腕のいい西洋人形の職人だった」
その腕を見込んだイタリア人の同業者に呼ばれ、一家は日本を発つ。
そして偶然にも、友人が比較的治安のいい街だとして自宅兼工房となる借家を紹介してくれたのが、キャバッローネの守る街だった。
「そこで早々にヒロヤとディーノは出会ってな」
街中で偶然ヒロヤと出会ったディーノは、当時抱いていた日本への強い憧れを隠すことなく彼に近付いた。
拙いイタリア語と日本語で意思疎通を図る間、いつしか彼らは親友となり、気付けばディーノは瀬切家に上がるようになる。一家とも顔馴染みとなった。
リボーンがディーノのもとに訪れ、家庭教師として文字通りに教鞭を振るうようになってからも、ディーノと瀬切一家の交流は続いた。
厳しい指導が嫌になれば逃げこみ、そのまま泊まり込むこともあったという。
その流れでファミリーの一部の面々やリボーンが一家と顔なじみになるのも時間の問題だった。
「当然、距離感を誤ればファミリー間の抗争に巻き込まれる可能性が出るが、あの程度の付き合いなら大きな支障はない。それに大切な場所があるほど、覚悟は強く深くなる。交流を止める必要はどこにもなかった」
話を聞けば家光の関係者だということは早々に分かったが、彼ら自身が家光の立場を知っていたわけでもなかった。
後ろ暗いものなど何も無い、善良な一家だった。
「だが、そうはいかなかった」
ふいに沈んだリボーンの声に、ツナは少しだけ目を瞑る。
嫌な予感が体中を渦巻いている。自分の中のこれまでの当たり前が大きく崩れてしまうという危機感で体が震えそうになる。
それでも、自分の意志で聞かなければならない。目を開いて、小さく頷いた。
リボーンも頷いた。
「あいつらの両親は、お前の叔父叔母は、マフィアに殺された」
先代の死去に伴い、ディーノがボスとなってからしばらく経ったある日のことだった。
その日、ディーノとロマーリオ、そしてリボーンは下校途中のヒロヤと偶然出会い、そのまま瀬切家へと連れ立って歩いた。
いつも通りであれば、ドアを開けばレイが真っ先にヒロヤに飛びつき、母親がおかえりと言う。しばらくしてから作業にひと段落を付けた父親がひょっこりと工房から顔を出して、今日も息子が無事に帰ったことに笑顔をこぼすはずだった。
「家の中では母親が血塗れで倒れていた」
音もなければ生き物の気配すらない部屋の中、母親は床に横たわって冷たくなっていた。
死因は複数の銃創による失血死。部屋の奥の方から母親の倒れているところまで血が床に擦り付けられていて、撃たれた場所から這いずってきたのだろうと察せられた。
既に事切れた母親を目の当たりにしたヒロヤは、当然ながら酷く取り乱した。
家の中に父親と妹の姿がなかったこともあり、声を張り上げて2人を呼ぶも、どこにも家族の姿はなかった。
「レイとお父さんは……」
「2人は誘拐されていた。後に分かったことだが理由は単純で、高性能なドールとドールを作り出せる男が欲しかったというだけだ」
父娘を乗せた車はキャバッローネからボンゴレに管轄が移るちょうど境目の土地で、こちらも偶然通りかかったボンゴレの一部隊に発見された。
ボンゴレ側は即座に不審車両と判断し、追跡を開始、一方で誘拐の実行犯達も目をつけられたことを察したようで速度を上げた。
焦りもあったのか、誰が手を下すでもなく車は盛大な自損事故を起こすことになる。
車両は大破し、その後車内から行方不明だったレイと父親が発見された。後部座席に押し込まれていた父親は事故の衝撃で命を落とした。体には抵抗の際にできたものか、事故のものだけとは思えない傷も複数見受けられた。
そしてその腕の中では、意識を失った軽傷のレイが抱き込まれていた。
彼らを誘拐した一味の大半は、父親と同様に事故で絶命。辛うじて息の残った者も、追っ手を察知してか服毒自害したため何の情報も得られなかった。
当時、ヒロヤが15歳、まだ誕生日を迎えていなかったレイは6歳のことだった。
頭が痛い。
自分がどんな顔をしているのかわからないが、友人達の視線が気遣わし気な時点でろくな表情を浮かべていないだろう。
顔を手で覆って目を閉じる。
「……リボーン、続けてくれ」
「分かった。……とりあえず、あいつらの身元はキャバッローネが保護することになった」
「どうして?ボスのお父さんがボンゴレにいたんでしょ?」
「確かにお父様に頼んで日本の10代目のお宅に送った方が……」
クロームと獄寺の指摘に、ツナも内心で同意する。
通常、両親を失った子どもの親戚の所在が明らかであればそちらに回されるのが一般的ではないのだろうか。
「もちろんその話も持ち上がった。しかし、当時は一家を襲った連中の素性も目的も分からず、しかも手口は非常にお粗末で、やけくそみたいなもんでな」
そんな連中の標的を日本の一般家庭に送ればどうなるか。今度はその一家が標的となる危険が浮上する。
瀬切兄妹の受け入れ先第一候補であった当時の沢田家も、家光が不在であり自衛手段はほぼない。
「代案として、2人の身元をCEDEFにて保護するという案が持ち上がったが、それも叶わなかった」
「どうしてですか?」
「この件の1年ほど前、ヴァリアーによるクーデター、『ゆりかご事件』が、そして数週間前には『血の洪水事件』が起きていた」
「『血の洪水事件』って……」
「ああ。家光の部下がエレベーターにすし詰め状態で殺された事件だ。偶然だろうが、立て続けにボンゴレやCEDEFにとってでかい事件が起きたこともあって、重役である家光の親戚と言えど、ガキを受け入れる余裕はなかった」
余裕がなかったといっても、家光があいつらをないがしろにしたわけじゃないぞ、とリボーンは付け加えた。
義妹夫婦の突然の訃報を聞いた家光はすぐに方々へ根回しをして、キャバッローネへと駆けつけたという。
「葬儀やらの手続きや、対外的な調整をしたのは家光だ」
おぼろげになっている記憶がツナの頭に浮かぶ。
目を閉じて花に囲まれる伯父と伯母、姉の木棺に縋り付いて泣く母。初めて聞く母の嗚咽にどうしたらいいか分からず、ツナは久々に顔を合わせた父親の手にしがみついていた。
「どうしてレイもヒロヤ兄ちゃんもいないの?」と父親に問いかければ、「あの子たちはイタリアでちゃんとお別れをしてきたから大丈夫だ」と、答えになっていない答えが返ってきた。
その時の父の目の下には、大きな隈があった記憶がある。
従兄妹の姿が見えなかったのも、リボーンの話を鑑みるにツナや奈々を巻き込まないための対処だったのかもしれない。
「んで、それはそれとしてもあいつらをどうするかについてはオレ達も色々と考えていたんだがな」
堅気の人間が同業者によって襲われたこと、またそれが同盟ファミリーのトップ層の関係者だというイレギュラー極まりない状況に、大人達の議論は進みが悪かった。
そんな中で、誰よりも先に動いたのはヒロヤだった。
「異例の事件の処理で忙しく、ヒロヤだからディーノに何かをすることがないだろうというオレ達の慢心もあったが、よもやあいつがその日のうちに腹をくくるとは思っていなかった。だから2人きりで話すことを許しちまった」
わがままと知った上で、ヒロヤは自身が人間でないことまで明かしてディーノに頭を下げた。
母親が殺された理由、父と妹が誘拐された理由を知りたい。でもそれは、きっと裏社会に身を置かなければ知ることはできない。
だからどうか自分をファミリーに入れてほしい。どんな下働きでも構わない。必要があれば殺しだってやる。
どうか、どうか。
そしてディーノはこれを無下にできるほど冷徹ではなく、親友の境遇に同情して受け入れてしまうほどには若く幼かった。
「当然ながら2人はしばき倒した。ガキ同士といえどもマフィアの誓いを安易に反故にすることはできない。しかもよりによってディーノはヒロヤのオーナーになっちまった」
オーナーとは何かとツナがぼんやり考えていると、同じように疑問に思ったのか獄寺が問いかけた。
「ボスではなくてオーナー、ですが?確かにファミリーはある意味ボスの所有下ではありますが……」
「それとは少し意味が違う」
そこまで言うと、リボーンはちらりとヴェルデに視線をよこした。白衣の裾で眼鏡を拭きながら、ヴェルデが説明を引き継ぐ。
「先ほども言った通り、ドールの生命維持には生命エネルギーが必須となる。直接炎を注ぐ必要がある匣アニマルと異なり、属性や相手を問わず、そこらの人間から無差別的に生命エネルギーを吸収することができるのが強みだ。やろうと思えば特定の1名から強制的に生命エネルギーを奪取することもできる」
「京子やクロームが意識を失ったのもこれだろうな」
その一方で、無差別に吸収するが故に、供給者と供給される波動が固定されている匣アニマルと比較してエネルギー吸収や循環の効率が圧倒的に悪いのだとヴェルデは言う。
「ドールは一般的な人間と比較して高い身体能力を持っているとされるが、その地力を活かすだけのエネルギーを確保できない。そのため多くのドールは省エネの状態で日常活動を行っている」
「簡単に言えば、『運動神経がよくてちょっと体が頑丈』くらいのイメージだ」とリボーンが説明を加えた。
確かにレイは運動神経も反射神経もよく、見た目とはそぐわないような膂力を見せることも多い。とはいえこれまで出会ってきた人達のことを思えば、特別に人外級の力を見せることもなかった。
だからこれだけで従兄妹を人間かどうか疑う理由には至らなかったのだ。
「逆に言えば主たるエネルギーの供給者を固定することで、エネルギーの吸収・循環の効率を大幅に上げることができる。その主たる供給者をオーナーと呼ぶ。そして大抵のドールはオーナーの守ることを最優先に動く」
「ま、簡単に言えば強固な共生関係兼主従関係になるってことだ。オーナーを得たドールは身体能力が一気に上がるからな、護衛としての能力も高くなる」
ついでに、とリボーンは続ける。
「一応オーナーになるにしても信頼関係の下地が必要だが、あいつらはそのあたりは今更の話だったからな。あっさりと契りを交わせちまった」
「解約?みたいなことはできねぇのか?」
「できん。その辺りは匣と違って一切の融通が利かん」
「じゃあレイのオーナーも、キャバッローネの人だったの?」
「いや、レイにオーナーはいない。ヒロヤと離れたくないと駄々をこねまくった結果、あいつもキャバッローネの保護下に置かれることになっただけだ。ついでに言えば正式なキャバッローネのファミリーでもない。後見人と被後見人の関係でしかないぞ。まあ、あそこにいた以上、レイもディーノのことは自分のボスとして見てただろうな」
こうしてヒロヤにとってディーノは親友であると同時に守るべき相手となり、同時にヒロヤは裏社会に完全に足を踏み入れることとなった。
ヒロヤはディーノの友人であることを笠に着ることなく、宣言通りに下働きに従事した。
例えば武器の手入れ、ボスに届けられる荷物の確認や運び込み、必要があれば潜入調査前の下見等、時には戦闘など、持ち前の器用さや身体能力の高さを生かして走り回った。
そんな兄の姿を見てか、レイも幼いながらに状況を察してかわがままを言うことはほとんどなく、できる手伝いをするなどして屋敷で日中を過ごしていた。
幸いにも彼らを邪険にするものはいなかった。
裏社会に足を踏み入れた兄妹は、たまに顔を見せる家光が安堵するほど、キャバッローネで健やかに時を過ごしていった。
だが、それも長くは続かなかった。
「それから3年後、レイが10歳になる年のことだ。今度はヒロヤが姿を消した」
なんてことはない、ボンゴレ9代目との会合の帰りだった。
屋敷まで護衛はするほどに認められるようになったが、まだ会場の中に足を踏み入れるほどの地位ではない。
他の者達は煙草を吹かしたり軽食を摂ったりするが、ヒロヤはいつも妹に渡す土産を探して街をうろつくのが常だった。
今回もいつも通り、ヒロヤは周囲に一言告げてから商店街へと駆けていった。
真面目な彼は、いつも予定時刻の10分前にはきちんと戻ってくる。だから誰も引き止めなかったし、笑顔で見送ったのだった。
「だが、ヒロヤは時間になっても戻ってこなかった」
予定の5分前になっても姿を見せないヒロヤに対して、同行していた者達は不安を覚えた。
ディーノが出てきてもやはり帰ってこない。
ヒロヤがいないことに一番慌てふためいたのはディーノだった。
会合場所の入り口でごたついている様子にボンゴレ9代目も気付き、事態を把握するとすぐに捜索をするように指示を飛ばした。それでもその日はヒロヤの痕跡を何一つ見つけることはできなかった。
翌日、ボンゴレの使者が監視カメラの映像を持ってキャバッローネを訪れた。
そのカメラはとある土産店の監視カメラで、店内を物色するヒロヤと、そんなヒロヤを店の外から眺める複数の男が映っていた。
そしてヒロヤの入店から数分後、突如男達が店内に押し入り他の客や店員に銃を突き付けて、ヒロヤに何かを話し始める。
しかし客や店員は全くその様子に気付かず、平然と買い物や接客をしているという異様な光景だった。
「まさか、幻覚……?」
「ああ。当時は死ぬ気の炎がポンポン使えたわけじゃねぇからな。人の目には見えないが写真やビデオには映る、なんてのはざらにあった」
「でも、それじゃ瀬切の兄貴にも何が起きてるか分からないんじゃ」
「そこの娘の幻術が妹の方に一切影響しなかったことを忘れたか?」
山本の疑問をヴェルデが一蹴すれば、クロームが「あ」と小さな声を漏らした。
ツナもジュリーの「レイには幻覚が認識できていないんじゃないか」という言葉を思い出す。
「もしかして、ドールに幻覚って効かないのか?」
「絶対ではない。製法によって認識の可否が異なる。あの兄妹は認識ができない製法で作られた」
「できない?」
「幻覚は空気中に霧散した霧の炎の粒子が特定の神経伝達物質の過剰分泌を促すことで発生するといわれている。そういった神経伝達物質の受容体がないドールは、それこそ高密度の炎で実態として組み上げられた有幻覚でもない限り、認識することすら困難だろう」
「まあそんな理由で、ヒロヤただ1人が店内の人間の命を盾に脅されていたってわけだ。しかもよりによって、キャバッローネにとって最大の同盟相手、ボンゴレのお膝元でだ」
ヒロヤ1人であれば対処もできたかもしれない。
しかし下手に抵抗をすれば、どの客の頭が飛ぶか分からない。しかも裏社会とはかかわりのない一般市民でしかない。
人質を取られたヒロヤに、選べる道は1つだけだった。
何度か言葉を交わしてから、ヒロヤが武器を手放した。そして腕に何かを撃ち込まれ、そのまま崩れ落ちたヒロヤと剣を抱え、男達は店の外へと出て行った。
そんな映像を呆然と眺めるディーノに、使者はボンゴレも捜査を続けていること、またキャバッローネの捜査協力も是非、と告げて帰っていった。
「それから3日後の話だ。その時オレは少しキャバッローネを離れていたから伝聞だがな」
ちょうど家光にこの件の報告と、残されているレイの今度について相談した帰りだったという。
ロマーリオの運転する車内、ぼんやりと黄昏時の薄暗い道を眺めていたディーノは、路地裏で見慣れた人影を見た。
すぐさまロマーリオに車を止めるように指示し、ロマーリオが何かを言う間もなく鍵を開けて車から転げるように下りた。
暗さに目が慣れたディーノの視線の先では、失踪した時と変わらぬ服装のままで、ヒロヤが立ち尽くしていた。
自分に向かって駆けてくるディーノを認めたヒロヤは目を見開いて、そしてその顔をこわばらせた。
近寄るな、と何度も言う親友に、どうしたんだ、とディーノがその肩を掴もうとしたその時。
「ヒロヤは剣を抜いてディーノに斬りかった」
「……は?」
「まあ、実際にはディーノは無事だったがな」
ヒロヤの右手が剣を抜いた瞬間、その左手は親友の胸を突き飛ばした。ディーノの鼻先をかすめた剣先は高く掲げられ、今度は尻餅をついたその体へと振り下ろされる。
しかしそれを止めたのはヒロヤの左腕だった。
大きく伸ばした左腕は自身の剣を正面から受け止めた。剣は肉を超えて骨まで断った。
激痛でヒロヤの動きが鈍ったところでロマーリオが駆け付け、ディーノの首根っこを掴んで自身の背後へ庇い、そして銃口をヒロヤへとむけた。
ヒロヤは痛みに顔を歪めたまま、1歩1歩後ずさった。そして地面に落ちた左手に見向きもせず、その体はふっと路地裏に消えて、残された左手もも、10分と経たずに跡形もなく消えた。
「この世には、コアやリング等の発炎石を腐食させる液体が存在する。人体には無害、そして非常に不安定な物質だ」
言葉を失う少年達を慮るでもなく、ヴェルデが説明を始めた。
「腐食のトリガーは発炎。発炎さえしていなければ腐食の速度は微々たるものだ。だからリングであれば炎を点さず、すぐ布やらで拭き取って水で流せば大事にはならん。一方、常に発炎しているドールや匣アニマルのコアは非常に腐食が進みやすく、影響が顕在化するのは早い」
「コアは露出してねぇんだろ、どうやってそんなこと」
「血液、正確には疑似血流だが、コアに近い場所に流し込めば変性する前にコアにたどり着く。恐らく拘束された時点で打ち込まれた薬剤がそれだろう」
「……それで、コアにたどり着いたら、どうなるんだ?」
「矛盾した行動を強いられる。それこそ『守るべき相手を殺そうとする』、とかな」
誰かが小さく息をのむ音が聞こえた。
「厄介なことに、腐敗したとしてもコアの基本機能には影響がなく、ドールは死なない。そして自害すらできず、ただ発作のように反転したような行動をとる」
「どうにもできないの……?」
「無理だ。理論的には腐食開始直後、即座にコアの機能を停止させれば腐食箇所の除去で対処できるはずだが、うまく言った事例はない」
コアの機能停止は、人間における心肺停止と同じであると、ヴェルデは続ける。
「ついでにドールや匣アニマルは肉体は傷の治りが早い。コアがありエネルギーさえ吸収できれば欠損箇所の自己再生も可能だ。その代わりに肉体から乖離してコアからのエネルギー供給を受けられなくなった部位は崩壊する。手が時間経過で消えるのはそのためだ」
ツナも、他の友人達も誰も口を開けない。
震えを隠せない呼吸がいくつか、屋上に小さく響く。
「そこから『灰の手』の噂が出回るまで、そこから10日もかからなかった」
不定期に誰かを傷付けて、時には消える手を残して消える男の噂。
その正体に思い当ればキャバッローネとボンゴレで調査を行うのは当然のことだった。
「家光は当然ながらレイの身元を引き受けようとした。もう最悪の場合、日本に帰すことも視野にいれてたようだがレイは聞かなかった。イタリアに残るの一点張りだった。もちろん家光がその気になれば無理矢理日本に連れ帰ることもできたが、ディーノとも話し合ってイタリアに残すことにした」
「どうして?」
「あの時の反発具合からすれば、下手なことすりゃ脱走して行方不明になりかねなかったからな。ある程度は望み通りにしつつ手綱握っとくほうがよっぽど楽だったんだ」
「もしかして、復讐……したかった?」
ぽろりと口からこぼれた言葉に、皆が一斉にツナを見た。
ツナ自身も、言葉にしたつもりはなかったので思わず口を手で覆う。
そんなツナを叱るでもなく、リボーンは静かに言った。
「違う。復讐はできねぇ。両親を殺したのも、兄の方を拉致してコアを腐食させたのも、どちらもエストラーネオファミリーだからだ」
「エストラーネオ?」
山本が疑問を口にすると同時に、獄寺とクロームが小さく息を飲む音がした。
ツナ自身も、引っかかる音だ。
どこかで聞いたことがある響きのはずだが、はっきりこれといった答えにたどり着けない。
頭を捻っていると、クロームの小さな声が耳に入ってきた。
「骸様達の……」
「あっ!」
そうだ、なぜ忘れていたのだろう。骸だ、骸達が復讐者に連行される直前、リボーンから聞いたのは、確かそんな名前だった。
まだ幼かった彼等に人体実験を繰り返し、骸にマフィアに対する激しい憎悪を植え付け、その手によって滅ぼされたマフィア。
ヴェルデはつまらなそうに、そして心底馬鹿にするような顔で話し始めた。
「本来、連中の狙いは父親の方だった。あの娘がさらわれたのは、ついでの作業に過ぎない」
しかし、彼には我が子以外のオートマタ・ドールを作る気は端からなかった。
結果的に抵抗し、妻を目の前で殺されて娘と共に誘拐されてなお、最期まで子どもを守って命を落とした。
「そして、技術を持つ人間がいなくなり、今度は残された『作品』の方に目を付けたわけだ」
ヴェルデの言葉に「ちょっと待て」と獄寺が口を挟む。
「なんでそこからあいつの兄貴に標的が変わんだよ。あんまり言いたかねえが、まだガキで何の力も無い瀬切の方が扱いやすいだろ」
「簡単な話だ。すでに本部が壊滅していたからだ」
骸による逆襲の後、残党は散り散りになって逃げ延びていた。
その先々でも骸の驚異的な執念によって災禍に見舞われており、すでにエストラーネオにはキャバッローネに直接攻撃を仕掛けるだけの体力は残っていなかった。
だから当時は常に大人と行動していたレイより、ある程度自立しており個人行動も多かったヒロヤの方が狙いやすかった、そうヴェルデは推測した。
「この件に関わった連中も、最終的には六道骸達やその他のマフィアに殺され、事実上の全滅をしたとされている」
「ちなみに骸から聞いたエストラーネオ最後の一派を潰した日時、そしてディーノが切りかかられた日時はほぼ一致している。つまりヒロヤはコアの腐食後、連中の下から逃走した結果、骸の襲撃を免れ、野放しになっちまったってわけだ」
その逃避すら彼の意思だったのか確認もできないが、皮肉にもヒロヤは1人だけ生き延びてしまった。
「連中の意図は分らんが、恐らく憑依弾と同様に、コアの腐食で兄の方がおとなしく言うことを聞くとでも思っていたのだろうな。きちんと調べていればそんな効力がないこと、容易にわかるというのに」
「てなわけで、レイにとってはそもそも復讐の相手がもういないんだ」
俯いてしまったクロームに、リボーンが言葉をかける。
「ちなみにレイも思うところはあるだろうが、骸達に対して憎悪や復讐心があるわけでもねぇ。安心しろ」
骸のことを、少し苦手だと言ったレイの表情を思い出す。
強い感情こそ見えなかったが、どうにも複雑な色をしていたのはそれが原因だったのだろうか。
「レイが一番嫌がったのは、自分が日本に戻ることでツナやママンが巻き込まれること。そしてこのことを知られることだった。そして武器を取って戦う力をつけたのも、裏社会に片足突っ込んでる自分の身を守るため、そして場合によってはヒロヤを殺すためだ」
1人で腐ったコアを持て余して生きながらえてしまった兄と、それを受け入れた上で終わりを見据えて立ち上がった妹。
一緒に日常を送っていたはずのツナ達に何も知らせず、知られないように、あの日まで生きていた。
誰も言葉を発しなかった。
息さえ潜めているようで、風の音しか聞こえない。
「と、いうわけだ。何か質問はあるか?」
「あのさ」
少し遠慮がちに山本が手を挙げた。
「それでも瀬切は日本に来ただろ?何かあったのか?」
「お前達がイタリアに来ただろ?あの時にレイがお前達と話しているのを見て、ディーノが『もう大丈夫だろう』と言い出してな」
「春休みのやつか?」
「ああ。もうレイもだいぶ強くなった。それにお前達もだ。これならあいつが日本に行っても、万が一ヒロヤが日本に行っても大丈夫だろうってな。……本音としてはこれ以上ヒロヤのことに縛られてほしくなかったんだろうな。お前らとレイが上手くやっていると、近況報告するたびに喜んでたぞ」
一度言葉を切って、リボーンは山本を見た。
「山本、お前をあいつの手合わせ相手に勧めたのはオレだ」
山本は口を閉じてリボーンの言葉を待つ。
「ヒロヤが海を越えられるとまで思っていなかったが、万が一を考えれば剣士との戦いに慣れている方がよかったからな」
不運にもどこかでレイが渡日したことを知ったヒロヤは、レイを傷付けたくないという願いに反して日本に辿り着いてしまったということなのだろうか。
「不快な思いをさせて悪かったな」
「そんなこと思ってねぇよ」
すかさず否定した山本にリボーンは「そうか」と笑みを向けた。
「ただ、最初に京子、次に山本が遭遇したのは完全に予想外だった。レイにとっては一番恐れてた『ヒロヤが自分の前に現れる』ってのと『周囲の人間が巻き込まれ始める』という事態がほぼ同時に起きたわけだ。一気に追い詰められちまった」
そう言って、リボーンはまっすぐにツナを見た。
「この件についてはオレ達が積極的に隠してたから、知らなかったお前らには何の非もない」
悪かったな、というリボーンからシンプルな謝罪に、返す言葉が浮かばないず、ただ首を横に振るだけしかできなかった。
「最後に、ヒロヤの名誉のためにこれだけは言っとく。あいつは姿を消して以来、誰も殺していない。5年間もの間、自分の腕を何度も切り落として、ずっと耐えてきたんだ」
その腕を見込んだイタリア人の同業者に呼ばれ、一家は日本を発つ。
そして偶然にも、友人が比較的治安のいい街だとして自宅兼工房となる借家を紹介してくれたのが、キャバッローネの守る街だった。
「そこで早々にヒロヤとディーノは出会ってな」
街中で偶然ヒロヤと出会ったディーノは、当時抱いていた日本への強い憧れを隠すことなく彼に近付いた。
拙いイタリア語と日本語で意思疎通を図る間、いつしか彼らは親友となり、気付けばディーノは瀬切家に上がるようになる。一家とも顔馴染みとなった。
リボーンがディーノのもとに訪れ、家庭教師として文字通りに教鞭を振るうようになってからも、ディーノと瀬切一家の交流は続いた。
厳しい指導が嫌になれば逃げこみ、そのまま泊まり込むこともあったという。
その流れでファミリーの一部の面々やリボーンが一家と顔なじみになるのも時間の問題だった。
「当然、距離感を誤ればファミリー間の抗争に巻き込まれる可能性が出るが、あの程度の付き合いなら大きな支障はない。それに大切な場所があるほど、覚悟は強く深くなる。交流を止める必要はどこにもなかった」
話を聞けば家光の関係者だということは早々に分かったが、彼ら自身が家光の立場を知っていたわけでもなかった。
後ろ暗いものなど何も無い、善良な一家だった。
「だが、そうはいかなかった」
ふいに沈んだリボーンの声に、ツナは少しだけ目を瞑る。
嫌な予感が体中を渦巻いている。自分の中のこれまでの当たり前が大きく崩れてしまうという危機感で体が震えそうになる。
それでも、自分の意志で聞かなければならない。目を開いて、小さく頷いた。
リボーンも頷いた。
「あいつらの両親は、お前の叔父叔母は、マフィアに殺された」
先代の死去に伴い、ディーノがボスとなってからしばらく経ったある日のことだった。
その日、ディーノとロマーリオ、そしてリボーンは下校途中のヒロヤと偶然出会い、そのまま瀬切家へと連れ立って歩いた。
いつも通りであれば、ドアを開けばレイが真っ先にヒロヤに飛びつき、母親がおかえりと言う。しばらくしてから作業にひと段落を付けた父親がひょっこりと工房から顔を出して、今日も息子が無事に帰ったことに笑顔をこぼすはずだった。
「家の中では母親が血塗れで倒れていた」
音もなければ生き物の気配すらない部屋の中、母親は床に横たわって冷たくなっていた。
死因は複数の銃創による失血死。部屋の奥の方から母親の倒れているところまで血が床に擦り付けられていて、撃たれた場所から這いずってきたのだろうと察せられた。
既に事切れた母親を目の当たりにしたヒロヤは、当然ながら酷く取り乱した。
家の中に父親と妹の姿がなかったこともあり、声を張り上げて2人を呼ぶも、どこにも家族の姿はなかった。
「レイとお父さんは……」
「2人は誘拐されていた。後に分かったことだが理由は単純で、高性能なドールとドールを作り出せる男が欲しかったというだけだ」
父娘を乗せた車はキャバッローネからボンゴレに管轄が移るちょうど境目の土地で、こちらも偶然通りかかったボンゴレの一部隊に発見された。
ボンゴレ側は即座に不審車両と判断し、追跡を開始、一方で誘拐の実行犯達も目をつけられたことを察したようで速度を上げた。
焦りもあったのか、誰が手を下すでもなく車は盛大な自損事故を起こすことになる。
車両は大破し、その後車内から行方不明だったレイと父親が発見された。後部座席に押し込まれていた父親は事故の衝撃で命を落とした。体には抵抗の際にできたものか、事故のものだけとは思えない傷も複数見受けられた。
そしてその腕の中では、意識を失った軽傷のレイが抱き込まれていた。
彼らを誘拐した一味の大半は、父親と同様に事故で絶命。辛うじて息の残った者も、追っ手を察知してか服毒自害したため何の情報も得られなかった。
当時、ヒロヤが15歳、まだ誕生日を迎えていなかったレイは6歳のことだった。
頭が痛い。
自分がどんな顔をしているのかわからないが、友人達の視線が気遣わし気な時点でろくな表情を浮かべていないだろう。
顔を手で覆って目を閉じる。
「……リボーン、続けてくれ」
「分かった。……とりあえず、あいつらの身元はキャバッローネが保護することになった」
「どうして?ボスのお父さんがボンゴレにいたんでしょ?」
「確かにお父様に頼んで日本の10代目のお宅に送った方が……」
クロームと獄寺の指摘に、ツナも内心で同意する。
通常、両親を失った子どもの親戚の所在が明らかであればそちらに回されるのが一般的ではないのだろうか。
「もちろんその話も持ち上がった。しかし、当時は一家を襲った連中の素性も目的も分からず、しかも手口は非常にお粗末で、やけくそみたいなもんでな」
そんな連中の標的を日本の一般家庭に送ればどうなるか。今度はその一家が標的となる危険が浮上する。
瀬切兄妹の受け入れ先第一候補であった当時の沢田家も、家光が不在であり自衛手段はほぼない。
「代案として、2人の身元をCEDEFにて保護するという案が持ち上がったが、それも叶わなかった」
「どうしてですか?」
「この件の1年ほど前、ヴァリアーによるクーデター、『ゆりかご事件』が、そして数週間前には『血の洪水事件』が起きていた」
「『血の洪水事件』って……」
「ああ。家光の部下がエレベーターにすし詰め状態で殺された事件だ。偶然だろうが、立て続けにボンゴレやCEDEFにとってでかい事件が起きたこともあって、重役である家光の親戚と言えど、ガキを受け入れる余裕はなかった」
余裕がなかったといっても、家光があいつらをないがしろにしたわけじゃないぞ、とリボーンは付け加えた。
義妹夫婦の突然の訃報を聞いた家光はすぐに方々へ根回しをして、キャバッローネへと駆けつけたという。
「葬儀やらの手続きや、対外的な調整をしたのは家光だ」
おぼろげになっている記憶がツナの頭に浮かぶ。
目を閉じて花に囲まれる伯父と伯母、姉の木棺に縋り付いて泣く母。初めて聞く母の嗚咽にどうしたらいいか分からず、ツナは久々に顔を合わせた父親の手にしがみついていた。
「どうしてレイもヒロヤ兄ちゃんもいないの?」と父親に問いかければ、「あの子たちはイタリアでちゃんとお別れをしてきたから大丈夫だ」と、答えになっていない答えが返ってきた。
その時の父の目の下には、大きな隈があった記憶がある。
従兄妹の姿が見えなかったのも、リボーンの話を鑑みるにツナや奈々を巻き込まないための対処だったのかもしれない。
「んで、それはそれとしてもあいつらをどうするかについてはオレ達も色々と考えていたんだがな」
堅気の人間が同業者によって襲われたこと、またそれが同盟ファミリーのトップ層の関係者だというイレギュラー極まりない状況に、大人達の議論は進みが悪かった。
そんな中で、誰よりも先に動いたのはヒロヤだった。
「異例の事件の処理で忙しく、ヒロヤだからディーノに何かをすることがないだろうというオレ達の慢心もあったが、よもやあいつがその日のうちに腹をくくるとは思っていなかった。だから2人きりで話すことを許しちまった」
わがままと知った上で、ヒロヤは自身が人間でないことまで明かしてディーノに頭を下げた。
母親が殺された理由、父と妹が誘拐された理由を知りたい。でもそれは、きっと裏社会に身を置かなければ知ることはできない。
だからどうか自分をファミリーに入れてほしい。どんな下働きでも構わない。必要があれば殺しだってやる。
どうか、どうか。
そしてディーノはこれを無下にできるほど冷徹ではなく、親友の境遇に同情して受け入れてしまうほどには若く幼かった。
「当然ながら2人はしばき倒した。ガキ同士といえどもマフィアの誓いを安易に反故にすることはできない。しかもよりによってディーノはヒロヤのオーナーになっちまった」
オーナーとは何かとツナがぼんやり考えていると、同じように疑問に思ったのか獄寺が問いかけた。
「ボスではなくてオーナー、ですが?確かにファミリーはある意味ボスの所有下ではありますが……」
「それとは少し意味が違う」
そこまで言うと、リボーンはちらりとヴェルデに視線をよこした。白衣の裾で眼鏡を拭きながら、ヴェルデが説明を引き継ぐ。
「先ほども言った通り、ドールの生命維持には生命エネルギーが必須となる。直接炎を注ぐ必要がある匣アニマルと異なり、属性や相手を問わず、そこらの人間から無差別的に生命エネルギーを吸収することができるのが強みだ。やろうと思えば特定の1名から強制的に生命エネルギーを奪取することもできる」
「京子やクロームが意識を失ったのもこれだろうな」
その一方で、無差別に吸収するが故に、供給者と供給される波動が固定されている匣アニマルと比較してエネルギー吸収や循環の効率が圧倒的に悪いのだとヴェルデは言う。
「ドールは一般的な人間と比較して高い身体能力を持っているとされるが、その地力を活かすだけのエネルギーを確保できない。そのため多くのドールは省エネの状態で日常活動を行っている」
「簡単に言えば、『運動神経がよくてちょっと体が頑丈』くらいのイメージだ」とリボーンが説明を加えた。
確かにレイは運動神経も反射神経もよく、見た目とはそぐわないような膂力を見せることも多い。とはいえこれまで出会ってきた人達のことを思えば、特別に人外級の力を見せることもなかった。
だからこれだけで従兄妹を人間かどうか疑う理由には至らなかったのだ。
「逆に言えば主たるエネルギーの供給者を固定することで、エネルギーの吸収・循環の効率を大幅に上げることができる。その主たる供給者をオーナーと呼ぶ。そして大抵のドールはオーナーの守ることを最優先に動く」
「ま、簡単に言えば強固な共生関係兼主従関係になるってことだ。オーナーを得たドールは身体能力が一気に上がるからな、護衛としての能力も高くなる」
ついでに、とリボーンは続ける。
「一応オーナーになるにしても信頼関係の下地が必要だが、あいつらはそのあたりは今更の話だったからな。あっさりと契りを交わせちまった」
「解約?みたいなことはできねぇのか?」
「できん。その辺りは匣と違って一切の融通が利かん」
「じゃあレイのオーナーも、キャバッローネの人だったの?」
「いや、レイにオーナーはいない。ヒロヤと離れたくないと駄々をこねまくった結果、あいつもキャバッローネの保護下に置かれることになっただけだ。ついでに言えば正式なキャバッローネのファミリーでもない。後見人と被後見人の関係でしかないぞ。まあ、あそこにいた以上、レイもディーノのことは自分のボスとして見てただろうな」
こうしてヒロヤにとってディーノは親友であると同時に守るべき相手となり、同時にヒロヤは裏社会に完全に足を踏み入れることとなった。
ヒロヤはディーノの友人であることを笠に着ることなく、宣言通りに下働きに従事した。
例えば武器の手入れ、ボスに届けられる荷物の確認や運び込み、必要があれば潜入調査前の下見等、時には戦闘など、持ち前の器用さや身体能力の高さを生かして走り回った。
そんな兄の姿を見てか、レイも幼いながらに状況を察してかわがままを言うことはほとんどなく、できる手伝いをするなどして屋敷で日中を過ごしていた。
幸いにも彼らを邪険にするものはいなかった。
裏社会に足を踏み入れた兄妹は、たまに顔を見せる家光が安堵するほど、キャバッローネで健やかに時を過ごしていった。
だが、それも長くは続かなかった。
「それから3年後、レイが10歳になる年のことだ。今度はヒロヤが姿を消した」
なんてことはない、ボンゴレ9代目との会合の帰りだった。
屋敷まで護衛はするほどに認められるようになったが、まだ会場の中に足を踏み入れるほどの地位ではない。
他の者達は煙草を吹かしたり軽食を摂ったりするが、ヒロヤはいつも妹に渡す土産を探して街をうろつくのが常だった。
今回もいつも通り、ヒロヤは周囲に一言告げてから商店街へと駆けていった。
真面目な彼は、いつも予定時刻の10分前にはきちんと戻ってくる。だから誰も引き止めなかったし、笑顔で見送ったのだった。
「だが、ヒロヤは時間になっても戻ってこなかった」
予定の5分前になっても姿を見せないヒロヤに対して、同行していた者達は不安を覚えた。
ディーノが出てきてもやはり帰ってこない。
ヒロヤがいないことに一番慌てふためいたのはディーノだった。
会合場所の入り口でごたついている様子にボンゴレ9代目も気付き、事態を把握するとすぐに捜索をするように指示を飛ばした。それでもその日はヒロヤの痕跡を何一つ見つけることはできなかった。
翌日、ボンゴレの使者が監視カメラの映像を持ってキャバッローネを訪れた。
そのカメラはとある土産店の監視カメラで、店内を物色するヒロヤと、そんなヒロヤを店の外から眺める複数の男が映っていた。
そしてヒロヤの入店から数分後、突如男達が店内に押し入り他の客や店員に銃を突き付けて、ヒロヤに何かを話し始める。
しかし客や店員は全くその様子に気付かず、平然と買い物や接客をしているという異様な光景だった。
「まさか、幻覚……?」
「ああ。当時は死ぬ気の炎がポンポン使えたわけじゃねぇからな。人の目には見えないが写真やビデオには映る、なんてのはざらにあった」
「でも、それじゃ瀬切の兄貴にも何が起きてるか分からないんじゃ」
「そこの娘の幻術が妹の方に一切影響しなかったことを忘れたか?」
山本の疑問をヴェルデが一蹴すれば、クロームが「あ」と小さな声を漏らした。
ツナもジュリーの「レイには幻覚が認識できていないんじゃないか」という言葉を思い出す。
「もしかして、ドールに幻覚って効かないのか?」
「絶対ではない。製法によって認識の可否が異なる。あの兄妹は認識ができない製法で作られた」
「できない?」
「幻覚は空気中に霧散した霧の炎の粒子が特定の神経伝達物質の過剰分泌を促すことで発生するといわれている。そういった神経伝達物質の受容体がないドールは、それこそ高密度の炎で実態として組み上げられた有幻覚でもない限り、認識することすら困難だろう」
「まあそんな理由で、ヒロヤただ1人が店内の人間の命を盾に脅されていたってわけだ。しかもよりによって、キャバッローネにとって最大の同盟相手、ボンゴレのお膝元でだ」
ヒロヤ1人であれば対処もできたかもしれない。
しかし下手に抵抗をすれば、どの客の頭が飛ぶか分からない。しかも裏社会とはかかわりのない一般市民でしかない。
人質を取られたヒロヤに、選べる道は1つだけだった。
何度か言葉を交わしてから、ヒロヤが武器を手放した。そして腕に何かを撃ち込まれ、そのまま崩れ落ちたヒロヤと剣を抱え、男達は店の外へと出て行った。
そんな映像を呆然と眺めるディーノに、使者はボンゴレも捜査を続けていること、またキャバッローネの捜査協力も是非、と告げて帰っていった。
「それから3日後の話だ。その時オレは少しキャバッローネを離れていたから伝聞だがな」
ちょうど家光にこの件の報告と、残されているレイの今度について相談した帰りだったという。
ロマーリオの運転する車内、ぼんやりと黄昏時の薄暗い道を眺めていたディーノは、路地裏で見慣れた人影を見た。
すぐさまロマーリオに車を止めるように指示し、ロマーリオが何かを言う間もなく鍵を開けて車から転げるように下りた。
暗さに目が慣れたディーノの視線の先では、失踪した時と変わらぬ服装のままで、ヒロヤが立ち尽くしていた。
自分に向かって駆けてくるディーノを認めたヒロヤは目を見開いて、そしてその顔をこわばらせた。
近寄るな、と何度も言う親友に、どうしたんだ、とディーノがその肩を掴もうとしたその時。
「ヒロヤは剣を抜いてディーノに斬りかった」
「……は?」
「まあ、実際にはディーノは無事だったがな」
ヒロヤの右手が剣を抜いた瞬間、その左手は親友の胸を突き飛ばした。ディーノの鼻先をかすめた剣先は高く掲げられ、今度は尻餅をついたその体へと振り下ろされる。
しかしそれを止めたのはヒロヤの左腕だった。
大きく伸ばした左腕は自身の剣を正面から受け止めた。剣は肉を超えて骨まで断った。
激痛でヒロヤの動きが鈍ったところでロマーリオが駆け付け、ディーノの首根っこを掴んで自身の背後へ庇い、そして銃口をヒロヤへとむけた。
ヒロヤは痛みに顔を歪めたまま、1歩1歩後ずさった。そして地面に落ちた左手に見向きもせず、その体はふっと路地裏に消えて、残された左手もも、10分と経たずに跡形もなく消えた。
「この世には、コアやリング等の発炎石を腐食させる液体が存在する。人体には無害、そして非常に不安定な物質だ」
言葉を失う少年達を慮るでもなく、ヴェルデが説明を始めた。
「腐食のトリガーは発炎。発炎さえしていなければ腐食の速度は微々たるものだ。だからリングであれば炎を点さず、すぐ布やらで拭き取って水で流せば大事にはならん。一方、常に発炎しているドールや匣アニマルのコアは非常に腐食が進みやすく、影響が顕在化するのは早い」
「コアは露出してねぇんだろ、どうやってそんなこと」
「血液、正確には疑似血流だが、コアに近い場所に流し込めば変性する前にコアにたどり着く。恐らく拘束された時点で打ち込まれた薬剤がそれだろう」
「……それで、コアにたどり着いたら、どうなるんだ?」
「矛盾した行動を強いられる。それこそ『守るべき相手を殺そうとする』、とかな」
誰かが小さく息をのむ音が聞こえた。
「厄介なことに、腐敗したとしてもコアの基本機能には影響がなく、ドールは死なない。そして自害すらできず、ただ発作のように反転したような行動をとる」
「どうにもできないの……?」
「無理だ。理論的には腐食開始直後、即座にコアの機能を停止させれば腐食箇所の除去で対処できるはずだが、うまく言った事例はない」
コアの機能停止は、人間における心肺停止と同じであると、ヴェルデは続ける。
「ついでにドールや匣アニマルは肉体は傷の治りが早い。コアがありエネルギーさえ吸収できれば欠損箇所の自己再生も可能だ。その代わりに肉体から乖離してコアからのエネルギー供給を受けられなくなった部位は崩壊する。手が時間経過で消えるのはそのためだ」
ツナも、他の友人達も誰も口を開けない。
震えを隠せない呼吸がいくつか、屋上に小さく響く。
「そこから『灰の手』の噂が出回るまで、そこから10日もかからなかった」
不定期に誰かを傷付けて、時には消える手を残して消える男の噂。
その正体に思い当ればキャバッローネとボンゴレで調査を行うのは当然のことだった。
「家光は当然ながらレイの身元を引き受けようとした。もう最悪の場合、日本に帰すことも視野にいれてたようだがレイは聞かなかった。イタリアに残るの一点張りだった。もちろん家光がその気になれば無理矢理日本に連れ帰ることもできたが、ディーノとも話し合ってイタリアに残すことにした」
「どうして?」
「あの時の反発具合からすれば、下手なことすりゃ脱走して行方不明になりかねなかったからな。ある程度は望み通りにしつつ手綱握っとくほうがよっぽど楽だったんだ」
「もしかして、復讐……したかった?」
ぽろりと口からこぼれた言葉に、皆が一斉にツナを見た。
ツナ自身も、言葉にしたつもりはなかったので思わず口を手で覆う。
そんなツナを叱るでもなく、リボーンは静かに言った。
「違う。復讐はできねぇ。両親を殺したのも、兄の方を拉致してコアを腐食させたのも、どちらもエストラーネオファミリーだからだ」
「エストラーネオ?」
山本が疑問を口にすると同時に、獄寺とクロームが小さく息を飲む音がした。
ツナ自身も、引っかかる音だ。
どこかで聞いたことがある響きのはずだが、はっきりこれといった答えにたどり着けない。
頭を捻っていると、クロームの小さな声が耳に入ってきた。
「骸様達の……」
「あっ!」
そうだ、なぜ忘れていたのだろう。骸だ、骸達が復讐者に連行される直前、リボーンから聞いたのは、確かそんな名前だった。
まだ幼かった彼等に人体実験を繰り返し、骸にマフィアに対する激しい憎悪を植え付け、その手によって滅ぼされたマフィア。
ヴェルデはつまらなそうに、そして心底馬鹿にするような顔で話し始めた。
「本来、連中の狙いは父親の方だった。あの娘がさらわれたのは、ついでの作業に過ぎない」
しかし、彼には我が子以外のオートマタ・ドールを作る気は端からなかった。
結果的に抵抗し、妻を目の前で殺されて娘と共に誘拐されてなお、最期まで子どもを守って命を落とした。
「そして、技術を持つ人間がいなくなり、今度は残された『作品』の方に目を付けたわけだ」
ヴェルデの言葉に「ちょっと待て」と獄寺が口を挟む。
「なんでそこからあいつの兄貴に標的が変わんだよ。あんまり言いたかねえが、まだガキで何の力も無い瀬切の方が扱いやすいだろ」
「簡単な話だ。すでに本部が壊滅していたからだ」
骸による逆襲の後、残党は散り散りになって逃げ延びていた。
その先々でも骸の驚異的な執念によって災禍に見舞われており、すでにエストラーネオにはキャバッローネに直接攻撃を仕掛けるだけの体力は残っていなかった。
だから当時は常に大人と行動していたレイより、ある程度自立しており個人行動も多かったヒロヤの方が狙いやすかった、そうヴェルデは推測した。
「この件に関わった連中も、最終的には六道骸達やその他のマフィアに殺され、事実上の全滅をしたとされている」
「ちなみに骸から聞いたエストラーネオ最後の一派を潰した日時、そしてディーノが切りかかられた日時はほぼ一致している。つまりヒロヤはコアの腐食後、連中の下から逃走した結果、骸の襲撃を免れ、野放しになっちまったってわけだ」
その逃避すら彼の意思だったのか確認もできないが、皮肉にもヒロヤは1人だけ生き延びてしまった。
「連中の意図は分らんが、恐らく憑依弾と同様に、コアの腐食で兄の方がおとなしく言うことを聞くとでも思っていたのだろうな。きちんと調べていればそんな効力がないこと、容易にわかるというのに」
「てなわけで、レイにとってはそもそも復讐の相手がもういないんだ」
俯いてしまったクロームに、リボーンが言葉をかける。
「ちなみにレイも思うところはあるだろうが、骸達に対して憎悪や復讐心があるわけでもねぇ。安心しろ」
骸のことを、少し苦手だと言ったレイの表情を思い出す。
強い感情こそ見えなかったが、どうにも複雑な色をしていたのはそれが原因だったのだろうか。
「レイが一番嫌がったのは、自分が日本に戻ることでツナやママンが巻き込まれること。そしてこのことを知られることだった。そして武器を取って戦う力をつけたのも、裏社会に片足突っ込んでる自分の身を守るため、そして場合によってはヒロヤを殺すためだ」
1人で腐ったコアを持て余して生きながらえてしまった兄と、それを受け入れた上で終わりを見据えて立ち上がった妹。
一緒に日常を送っていたはずのツナ達に何も知らせず、知られないように、あの日まで生きていた。
誰も言葉を発しなかった。
息さえ潜めているようで、風の音しか聞こえない。
「と、いうわけだ。何か質問はあるか?」
「あのさ」
少し遠慮がちに山本が手を挙げた。
「それでも瀬切は日本に来ただろ?何かあったのか?」
「お前達がイタリアに来ただろ?あの時にレイがお前達と話しているのを見て、ディーノが『もう大丈夫だろう』と言い出してな」
「春休みのやつか?」
「ああ。もうレイもだいぶ強くなった。それにお前達もだ。これならあいつが日本に行っても、万が一ヒロヤが日本に行っても大丈夫だろうってな。……本音としてはこれ以上ヒロヤのことに縛られてほしくなかったんだろうな。お前らとレイが上手くやっていると、近況報告するたびに喜んでたぞ」
一度言葉を切って、リボーンは山本を見た。
「山本、お前をあいつの手合わせ相手に勧めたのはオレだ」
山本は口を閉じてリボーンの言葉を待つ。
「ヒロヤが海を越えられるとまで思っていなかったが、万が一を考えれば剣士との戦いに慣れている方がよかったからな」
不運にもどこかでレイが渡日したことを知ったヒロヤは、レイを傷付けたくないという願いに反して日本に辿り着いてしまったということなのだろうか。
「不快な思いをさせて悪かったな」
「そんなこと思ってねぇよ」
すかさず否定した山本にリボーンは「そうか」と笑みを向けた。
「ただ、最初に京子、次に山本が遭遇したのは完全に予想外だった。レイにとっては一番恐れてた『ヒロヤが自分の前に現れる』ってのと『周囲の人間が巻き込まれ始める』という事態がほぼ同時に起きたわけだ。一気に追い詰められちまった」
そう言って、リボーンはまっすぐにツナを見た。
「この件についてはオレ達が積極的に隠してたから、知らなかったお前らには何の非もない」
悪かったな、というリボーンからシンプルな謝罪に、返す言葉が浮かばないず、ただ首を横に振るだけしかできなかった。
「最後に、ヒロヤの名誉のためにこれだけは言っとく。あいつは姿を消して以来、誰も殺していない。5年間もの間、自分の腕を何度も切り落として、ずっと耐えてきたんだ」