有痛
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閑静な住宅街を走る。先導は、日ごろからレイに撫でられているというナッツだ。
レイの居場所が分かるのか、不思議と迷いなく走るナッツの後を2人で追って行く。
獄寺にとってレイは同級生であり、そしてツナの家族である。実際は従兄妹の関係だが、家族と言って差し支えないだろう。
長年離れていた割に、不思議と2人の間に距離はなかった。
だから恐らく彼女に何かあれば、彼女を失うようなことがあれば、ツナは酷く傷つくことだろう。
ツナが家族を失うところを目の当たりにしたくはない。
10年先の未来に飛ばされた時、家族を案じて嗚咽を漏らしていた姿を覚えている。もう1人の従兄であるレイの兄が死んだことを聞いて、呆然としていた姿を覚えている。
あんな姿はもう見たくない。ツナの右腕として、何よりも友として、彼だけでなく彼の大切なものも守れるようにならなければならなかった。
しかし、先ほど骸が口にした、『灰の手』とレイの因縁、という言葉が頭から離れない。
薄々そうだろうとは思っていた。あの2人の間には何かがある。『灰の手』絡みの事件でレイが見せる表情を思えば、想像に難くはない。キャバッローネが『灰の手』を追っているだけではなく、もっと個人的な根深い問題がそこにあるということだ。
獄寺の頭の中では、こうあっては欲しくないという予想が1つ浮かんでいる。獄寺だけでなく、恐らくツナだって、その可能性には思い至っているはずだ。
それがどうか思い過ごしあることを願いながら、町を駆けていく
住宅街を抜けたころ、別の足音が聞こえてきた。足音の主は、ジャージ姿で小次郎を追って駆けてくる。
「ツナ!獄寺!」
「山本!」
「おせーぞ!」
「悪い!!」
少し足を止めて、息を整える。エナメルバッグが山本の動きに合わせてガサリと揺れた。部活を終えて、家にも寄らずにそのまま来たのだろう。
彼の肩にかかった竹刀袋、そしてジャージの襟から除く銀色のチェーンを見て、獄寺もバックルを指でなぞる。ボンゴレギアは、武器はきちんと持っている。
戦闘の恐れがあることは、3人とも十分に理解していた。
立ち止まってしまったツナ達に焦れたのか、少し離れた場所からナッツが吠えた。
走りながら、ツナの代わりに顛末を山本に話した。数日前、道場の前で起きた一件を思い出してか、山本の眉間にもしわが寄る。
雲が厚くなってきたのか、空の色はどんどんと暗く、遠雷も聞こえるようになってきた。雨が降り出すのも時間の問題かもしれない。
骸の話を思い出す。
レイに触れられたクロームは、死ぬ気の炎の大本である生命エネルギーを奪われて倒れた。だとすれば、レイは零地点突破・改のように相手の炎を自分に取り込んだということだろうか。
現象としては不可能なことではないだろう。ツナにしかできないと決まっているわけではないし、未来では技術として転用されているとも聞いた。
しかし、それらはあくまでも『死ぬ気の炎』という、ある種の実体でなければいけなかったはずだ。
無理矢理死ぬ気の炎を灯させ、強制的に生命エネルギーを垂れ流しにするという趣味の悪い技術もあったが、やはりそれも一度死ぬ気の炎に変換されている。
実体化していない人間の生命エネルギーを直接どうこうするなど、生身の人間でできることなのだろうか。
思案をしているうちに、前方を走っていたツナが足を止めたので、獄寺もたたらを踏んだ。
並盛町のはずれ、準工業地域のとある町工場の前で、ナッツが立ち止まっている。
その建物はそのエリアの端で、伸び放題の竹林にやや侵食されかけている。しばらくの間、人の手が入っていないようだ。
事務所のような建物が道路に面しており、作業場と思しき建屋がその奥に併設しているが、やはり人の気配はない。そっと覗き見た事務所の中はわずかなパイプ椅子や会議用の机を除いてがらんどうで、外から見ても分かるほどに埃が積もっている。
右隣の事業所は、まだ動いているのかガシャンガシャンと、等間隔に機械音を響かせている。この工場はすでに廃業しており、同時に隣の事業所に竹が迫るのを防ぐ防波堤のようになっていた。だから取り壊されていないのだろうか。
ツナに抱き上げられたナッツは、大人しくボンゴレギアの中に戻っていく。
「ここに瀬切がいるのか?」
「分からない。でもナッツが立ち止まったし……」
ツナと山本の会話を聞いていた獄寺の耳が、不意に異質な音を捉えた。周辺の事業所の音にかき消されそうなほど微かだが、明らかに他の音と種類が異なる。
音の出どころは、建屋の中だろう。他から聞こえる音は、騒がしくも一定のリズムを刻んでいるのに、この音はあまりに不規則だった。
まるで剣戟のような。
その考えに至った瞬間、獄寺は一歩踏み出していた。
「10代目、あの中です。音がします」
「音?まさか」
「何かを打ち合う音がします。瀬切の武器は短剣で、『灰の手』の武器も剣なら、この音はきっと」
言い切る前に、堪え切れずにツナを山本が駆け出す。
もしかしたら屋根に穴が開いているのかもしれない、近寄るほどに鮮明にその音が響く。ツナと山本も気付いたようだった。ガラガラと何かが崩れる音も聞こえた。
建屋の主要な出入り口はシャッターが下ろされており、そこから入ることはできない。取り付けられた窓もすりガラスなため、中の様子を伺うこともできない。
「裏口があるはずです。回り込みましょう」
「内側から鍵かけられてたら?」
「そん時は窓をぶち破るか、屋根に穴が開いてるのを願って上から入るか……」
昔ながらの町工場には警報システムも、監視カメラも見当たらない。他の事業所から響く音や、敷地内で伸びている竹に身を隠しながら、3人で工場建屋の裏側に回り込んでいく。
先頭を歩く山本が、小さく「あった」と呟いた。裏口となる扉を前に深呼吸する。山本はエナメルバッグをそっと草の上に置いた。その手が錆の目立つドアノブを握り、ゆっくりと回す。
滞りなくドアノブは回り切り、音を立てないように山本がゆっくりとドアを引いた。
ドアが開き、その隙間から音が鮮明にあふれ出した。硬いものがぶつかり、擦れ合う音、地面を滑る音、何かがぶつかる音。
3人で視線を交わし、一気に中に駆け込んだ。
工場建屋の中は、中で人が暴れていたせいか大量の埃が舞っている。電気系統も、もう通っていないようだ。
しかし採光窓と、予想通りに大きく抜けている天井のおかげで、そこまで視界は悪くない。
自分達の立つ裏口の反対側、シャッターの付近に人影があった。
一つは立ち尽くして工場の壁側を眺めている。フード付きのマントのせいで、身長以外の体格が分からない。しかし山本が言った通りの身なりで、唯一見える口元は、真一文字に結ばれていた。そして日本刀より細く直線的な剣を左手で握っている。あれが『灰の手』だろうか。
右手はマントの中に隠れていて状態が分からない。
『灰の手』の視線をたどれば、工場に捨て置かれた資材に手をついて立ち上がる、一回り小さい影があった。
レイだった。まだこちらには気付いていないようで、目の前の男だけを睨みつけている。
頬を切られたのか、血の雫が顎を伝って落ちた。大きな傷こそないものの、白いTシャツに赤黒いシミや汚れがいたるところににじんでいる。
『灰の手』はこちらに顔を向けることもせず、最低限の予備動作で彼女に迫った。その左手に持った剣が細く光る。察したレイも咄嗟に短剣を構えようと動くが、間に合うか分からない。
彼女の構える短剣が、不意に白く光った気がした。しかしそれを構える前に男が距離を詰める。
獄寺と山本が動き出す前に隣で熱風が吹き荒れ、高い音が建物の中に響いた。
「ツ、ナ……。何で……」
小さくかすれたレイの声を、耳が拾う。
風で土煙が噴き飛ばされ、視界が一気に晴れる。額から鮮やかな炎を噴き上げたツナが、レイを庇うようにその手で剣先を握り締めている姿が見えた。熱で曲がり、折れ、そして歪んだ音を立てながら剣先が地面に落ちた。『灰の手』は何も言わずに一歩飛び退く。
ツナは『灰の手』から目を逸らすことなく、背中側のレイに語り掛けた。
「どうして勝手に飛び出していったんだ」
心配と安堵と、一抹の寂しさを滲ませた声が響く。しかしレイは「帰ってくれ……」と、声を震わせて訴えることしかしなかった。
勿論そんなもの、ツナも、獄寺達も山本も受け入れるつもりはない。ここまで来たこともそうだし、何より傷を負った仲間を置いて帰ることなどできない。
「できるわけない!どうして1人で」
「関わるなってリボーンにも言われただろ!頼むから帰ってくれ!!」
怒りと懇願が混ざったようなレイの叫び声が、工場の中に響いた。
初めて聞くような悲痛な声に、駆け寄ろうとした獄寺達の足が止まる。
ツナも目を丸くしてレイの方を振り返ってしまった。
次の瞬間、『灰の手』が剣先を鉄パイプで叩き折った。そして先が尖り、再度殺傷力を得た剣で静かにツナに飛び掛かった。
迫る剣をはじいたのは、今度はレイの短剣だった。一瞬でツナの前に飛び出し、『灰の手』の剣先の軌道を右手の黒色のダガーでずらした。
そして躊躇いなく両刃の剣身を左手で掴み、持ち主ごと自身に引き寄せ、振り上げた足で男の体を蹴り飛ばした。剣を掴んだレイの手のひらから血が飛ぶが、その出血量から最低限の傷で済んだことが伺える。
山本が「いつもより早い」と小さな声を漏らす。
蹴りをもろに食らった男は、数メートル後ろの資材に頭から突っ込んだ。ガラガラと音を立てて、錆だらけのパイプが男の体に降り注いだが、『灰の手』は気にすることなくゆらりと立ち上がる。
「10代目を」
手助けしなければしなければ。そう言おうとしたその時、足元に殺気を感じて立ち止まる。
「自衛以外で関わるな、っつっただろ」
「リボーンさん……」
視線を落とせば、イラつきを隠しもしない真っ黒な瞳が、獄寺と山本をにらみつけていた。本気で自分達を叱ろうとする彼を見るのは久しぶりだった。
言いつけを守らなかったという後ろめたさは確かにあるが、しかし今黙ってそれを受け入れるわけにはいかなかった。
「ダチが交戦してんだし、自衛ってことになんねぇか?」
「何より今現在10代目が攻撃をされています。守護者として戦うのは当然のことです!」
「ったく、帰ったらフゥ太にツナが出掛けたっきりだと言われた上に、途中で会ったエンマ達からことのあらましを聞いた時点で嫌な予感はしてたけどな」
獄寺達の反論に、リボーンは大きな溜息を吐く。まるで聞き分けの悪い子どもを相手にしたような反応で、居心地が悪い。
「ここに来ちまったもんは仕方がねぇ。ただ、本当にこれ以上は踏み込んでくれるな。レイは死にに来たんじゃない、終わらせるために来たんだ。お前らは邪魔をするなよ」
「……終わらせに?」
「本当ならツナこそ立ち会わせたくなかったんだがな……」
仄暗さを隠し切れない目で、リボーンがツナ達を見やる。視線の先では投げ飛ばされたのか、レイが地面を転がり、その代わりにツナが『灰の手』を相手取っていた。
男の方も相当な手練れだろう。ツナの拳や蹴りを小器用に躱し、隙を見ては剣を振る。
しかしツナもここまで伊達に経験を踏んでいない。男の剣にかすることもなく一息に距離を詰めた。
そしてツナの振り上げた拳がとうとう『灰の手』のマント、その首元に当たった。
炎を纏った拳で首元の留め金が溶け落ち、マントが落ちた。『灰の男』の正体が露わになる。
レイの居場所が分かるのか、不思議と迷いなく走るナッツの後を2人で追って行く。
獄寺にとってレイは同級生であり、そしてツナの家族である。実際は従兄妹の関係だが、家族と言って差し支えないだろう。
長年離れていた割に、不思議と2人の間に距離はなかった。
だから恐らく彼女に何かあれば、彼女を失うようなことがあれば、ツナは酷く傷つくことだろう。
ツナが家族を失うところを目の当たりにしたくはない。
10年先の未来に飛ばされた時、家族を案じて嗚咽を漏らしていた姿を覚えている。もう1人の従兄であるレイの兄が死んだことを聞いて、呆然としていた姿を覚えている。
あんな姿はもう見たくない。ツナの右腕として、何よりも友として、彼だけでなく彼の大切なものも守れるようにならなければならなかった。
しかし、先ほど骸が口にした、『灰の手』とレイの因縁、という言葉が頭から離れない。
薄々そうだろうとは思っていた。あの2人の間には何かがある。『灰の手』絡みの事件でレイが見せる表情を思えば、想像に難くはない。キャバッローネが『灰の手』を追っているだけではなく、もっと個人的な根深い問題がそこにあるということだ。
獄寺の頭の中では、こうあっては欲しくないという予想が1つ浮かんでいる。獄寺だけでなく、恐らくツナだって、その可能性には思い至っているはずだ。
それがどうか思い過ごしあることを願いながら、町を駆けていく
住宅街を抜けたころ、別の足音が聞こえてきた。足音の主は、ジャージ姿で小次郎を追って駆けてくる。
「ツナ!獄寺!」
「山本!」
「おせーぞ!」
「悪い!!」
少し足を止めて、息を整える。エナメルバッグが山本の動きに合わせてガサリと揺れた。部活を終えて、家にも寄らずにそのまま来たのだろう。
彼の肩にかかった竹刀袋、そしてジャージの襟から除く銀色のチェーンを見て、獄寺もバックルを指でなぞる。ボンゴレギアは、武器はきちんと持っている。
戦闘の恐れがあることは、3人とも十分に理解していた。
立ち止まってしまったツナ達に焦れたのか、少し離れた場所からナッツが吠えた。
走りながら、ツナの代わりに顛末を山本に話した。数日前、道場の前で起きた一件を思い出してか、山本の眉間にもしわが寄る。
雲が厚くなってきたのか、空の色はどんどんと暗く、遠雷も聞こえるようになってきた。雨が降り出すのも時間の問題かもしれない。
骸の話を思い出す。
レイに触れられたクロームは、死ぬ気の炎の大本である生命エネルギーを奪われて倒れた。だとすれば、レイは零地点突破・改のように相手の炎を自分に取り込んだということだろうか。
現象としては不可能なことではないだろう。ツナにしかできないと決まっているわけではないし、未来では技術として転用されているとも聞いた。
しかし、それらはあくまでも『死ぬ気の炎』という、ある種の実体でなければいけなかったはずだ。
無理矢理死ぬ気の炎を灯させ、強制的に生命エネルギーを垂れ流しにするという趣味の悪い技術もあったが、やはりそれも一度死ぬ気の炎に変換されている。
実体化していない人間の生命エネルギーを直接どうこうするなど、生身の人間でできることなのだろうか。
思案をしているうちに、前方を走っていたツナが足を止めたので、獄寺もたたらを踏んだ。
並盛町のはずれ、準工業地域のとある町工場の前で、ナッツが立ち止まっている。
その建物はそのエリアの端で、伸び放題の竹林にやや侵食されかけている。しばらくの間、人の手が入っていないようだ。
事務所のような建物が道路に面しており、作業場と思しき建屋がその奥に併設しているが、やはり人の気配はない。そっと覗き見た事務所の中はわずかなパイプ椅子や会議用の机を除いてがらんどうで、外から見ても分かるほどに埃が積もっている。
右隣の事業所は、まだ動いているのかガシャンガシャンと、等間隔に機械音を響かせている。この工場はすでに廃業しており、同時に隣の事業所に竹が迫るのを防ぐ防波堤のようになっていた。だから取り壊されていないのだろうか。
ツナに抱き上げられたナッツは、大人しくボンゴレギアの中に戻っていく。
「ここに瀬切がいるのか?」
「分からない。でもナッツが立ち止まったし……」
ツナと山本の会話を聞いていた獄寺の耳が、不意に異質な音を捉えた。周辺の事業所の音にかき消されそうなほど微かだが、明らかに他の音と種類が異なる。
音の出どころは、建屋の中だろう。他から聞こえる音は、騒がしくも一定のリズムを刻んでいるのに、この音はあまりに不規則だった。
まるで剣戟のような。
その考えに至った瞬間、獄寺は一歩踏み出していた。
「10代目、あの中です。音がします」
「音?まさか」
「何かを打ち合う音がします。瀬切の武器は短剣で、『灰の手』の武器も剣なら、この音はきっと」
言い切る前に、堪え切れずにツナを山本が駆け出す。
もしかしたら屋根に穴が開いているのかもしれない、近寄るほどに鮮明にその音が響く。ツナと山本も気付いたようだった。ガラガラと何かが崩れる音も聞こえた。
建屋の主要な出入り口はシャッターが下ろされており、そこから入ることはできない。取り付けられた窓もすりガラスなため、中の様子を伺うこともできない。
「裏口があるはずです。回り込みましょう」
「内側から鍵かけられてたら?」
「そん時は窓をぶち破るか、屋根に穴が開いてるのを願って上から入るか……」
昔ながらの町工場には警報システムも、監視カメラも見当たらない。他の事業所から響く音や、敷地内で伸びている竹に身を隠しながら、3人で工場建屋の裏側に回り込んでいく。
先頭を歩く山本が、小さく「あった」と呟いた。裏口となる扉を前に深呼吸する。山本はエナメルバッグをそっと草の上に置いた。その手が錆の目立つドアノブを握り、ゆっくりと回す。
滞りなくドアノブは回り切り、音を立てないように山本がゆっくりとドアを引いた。
ドアが開き、その隙間から音が鮮明にあふれ出した。硬いものがぶつかり、擦れ合う音、地面を滑る音、何かがぶつかる音。
3人で視線を交わし、一気に中に駆け込んだ。
工場建屋の中は、中で人が暴れていたせいか大量の埃が舞っている。電気系統も、もう通っていないようだ。
しかし採光窓と、予想通りに大きく抜けている天井のおかげで、そこまで視界は悪くない。
自分達の立つ裏口の反対側、シャッターの付近に人影があった。
一つは立ち尽くして工場の壁側を眺めている。フード付きのマントのせいで、身長以外の体格が分からない。しかし山本が言った通りの身なりで、唯一見える口元は、真一文字に結ばれていた。そして日本刀より細く直線的な剣を左手で握っている。あれが『灰の手』だろうか。
右手はマントの中に隠れていて状態が分からない。
『灰の手』の視線をたどれば、工場に捨て置かれた資材に手をついて立ち上がる、一回り小さい影があった。
レイだった。まだこちらには気付いていないようで、目の前の男だけを睨みつけている。
頬を切られたのか、血の雫が顎を伝って落ちた。大きな傷こそないものの、白いTシャツに赤黒いシミや汚れがいたるところににじんでいる。
『灰の手』はこちらに顔を向けることもせず、最低限の予備動作で彼女に迫った。その左手に持った剣が細く光る。察したレイも咄嗟に短剣を構えようと動くが、間に合うか分からない。
彼女の構える短剣が、不意に白く光った気がした。しかしそれを構える前に男が距離を詰める。
獄寺と山本が動き出す前に隣で熱風が吹き荒れ、高い音が建物の中に響いた。
「ツ、ナ……。何で……」
小さくかすれたレイの声を、耳が拾う。
風で土煙が噴き飛ばされ、視界が一気に晴れる。額から鮮やかな炎を噴き上げたツナが、レイを庇うようにその手で剣先を握り締めている姿が見えた。熱で曲がり、折れ、そして歪んだ音を立てながら剣先が地面に落ちた。『灰の手』は何も言わずに一歩飛び退く。
ツナは『灰の手』から目を逸らすことなく、背中側のレイに語り掛けた。
「どうして勝手に飛び出していったんだ」
心配と安堵と、一抹の寂しさを滲ませた声が響く。しかしレイは「帰ってくれ……」と、声を震わせて訴えることしかしなかった。
勿論そんなもの、ツナも、獄寺達も山本も受け入れるつもりはない。ここまで来たこともそうだし、何より傷を負った仲間を置いて帰ることなどできない。
「できるわけない!どうして1人で」
「関わるなってリボーンにも言われただろ!頼むから帰ってくれ!!」
怒りと懇願が混ざったようなレイの叫び声が、工場の中に響いた。
初めて聞くような悲痛な声に、駆け寄ろうとした獄寺達の足が止まる。
ツナも目を丸くしてレイの方を振り返ってしまった。
次の瞬間、『灰の手』が剣先を鉄パイプで叩き折った。そして先が尖り、再度殺傷力を得た剣で静かにツナに飛び掛かった。
迫る剣をはじいたのは、今度はレイの短剣だった。一瞬でツナの前に飛び出し、『灰の手』の剣先の軌道を右手の黒色のダガーでずらした。
そして躊躇いなく両刃の剣身を左手で掴み、持ち主ごと自身に引き寄せ、振り上げた足で男の体を蹴り飛ばした。剣を掴んだレイの手のひらから血が飛ぶが、その出血量から最低限の傷で済んだことが伺える。
山本が「いつもより早い」と小さな声を漏らす。
蹴りをもろに食らった男は、数メートル後ろの資材に頭から突っ込んだ。ガラガラと音を立てて、錆だらけのパイプが男の体に降り注いだが、『灰の手』は気にすることなくゆらりと立ち上がる。
「10代目を」
手助けしなければしなければ。そう言おうとしたその時、足元に殺気を感じて立ち止まる。
「自衛以外で関わるな、っつっただろ」
「リボーンさん……」
視線を落とせば、イラつきを隠しもしない真っ黒な瞳が、獄寺と山本をにらみつけていた。本気で自分達を叱ろうとする彼を見るのは久しぶりだった。
言いつけを守らなかったという後ろめたさは確かにあるが、しかし今黙ってそれを受け入れるわけにはいかなかった。
「ダチが交戦してんだし、自衛ってことになんねぇか?」
「何より今現在10代目が攻撃をされています。守護者として戦うのは当然のことです!」
「ったく、帰ったらフゥ太にツナが出掛けたっきりだと言われた上に、途中で会ったエンマ達からことのあらましを聞いた時点で嫌な予感はしてたけどな」
獄寺達の反論に、リボーンは大きな溜息を吐く。まるで聞き分けの悪い子どもを相手にしたような反応で、居心地が悪い。
「ここに来ちまったもんは仕方がねぇ。ただ、本当にこれ以上は踏み込んでくれるな。レイは死にに来たんじゃない、終わらせるために来たんだ。お前らは邪魔をするなよ」
「……終わらせに?」
「本当ならツナこそ立ち会わせたくなかったんだがな……」
仄暗さを隠し切れない目で、リボーンがツナ達を見やる。視線の先では投げ飛ばされたのか、レイが地面を転がり、その代わりにツナが『灰の手』を相手取っていた。
男の方も相当な手練れだろう。ツナの拳や蹴りを小器用に躱し、隙を見ては剣を振る。
しかしツナもここまで伊達に経験を踏んでいない。男の剣にかすることもなく一息に距離を詰めた。
そしてツナの振り上げた拳がとうとう『灰の手』のマント、その首元に当たった。
炎を纏った拳で首元の留め金が溶け落ち、マントが落ちた。『灰の男』の正体が露わになる。