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ヤン+ビルダーnot恋愛
まさかつづくとはな…
「あんたもミアンもなんでそんなに働きたがるの?!」
エルシーの叫びが商業ギルドの壁にぶつかって反響する。その魂からのシャウトを聴きながら、私は今日の依頼の中から一番難しいだろうものを選ぶ。ミアンはその後に、誰が一番困っているか悩みながら、期限の短いものから選んでいた。
ミアンの友人であるエルシーは、まるでこの世の終わりのような顔で私たちを見ている。ていうかエルシーは仕事しなくていいの? 牧場なんて朝から晩まで休みなしの最高な職場じゃないか。クーパーがまたアルバイトを求めているなら顔を出そうかな。
「信じられない。いったいどんな人生を歩んだら仕事にここまで夢中になれるの?」
「エルシー、私たちは人助けをしているの。ビルダーの助けを求めている人たちを放って遊び呆けることなんてできないわ」
「その助けを求めてる人たちだって、ミアンがまともに食事もせずに自分を削って働いていることを知ったら心を痛めるはずよ。それでいいっていうの?」
「あー、エルシー、それは卑怯だわ」
仲良きことは美しきことかな─── 私は二人の脇を静かに通り抜けることにした。ミアン、君の尊い犠牲は忘れないよ。
一度二人に連れられてゲームセンターで遊んだことがあるが、あの非生産的な時間は私に耐えられるものではなかった。モグラを叩くなら岩でも叩いたほうがずっと生産的だ。
「あっ! ちょっとナナシ!」
「ごめん、エルシー! 私は今日中にこの依頼をこなして、明日に備えたいんだ!」
生粋のサンドロック民であるエルシーの脚力を舐めてはいけない。私は決して後ろを振り返らずに、ちょうど駅前に止まっていたヤクメル車に飛び乗る。
「どこまで?」
「ヤモリ駅まで!」
背後からエルシーの怒号が聞こえてくる。彼女もいつか労働の悦びに目覚める日が来るだろう。牧場主が嫌だとしても、この世界には多種多様な職業がある。要は適正なのだ。天職に若くして気付けた私やエルシーが幸運なのだ。
私はガタガタと揺れる座席の上で、自身の考えにうんうんと頷いた。
遺跡で心ゆくまでツルハシを振るい、ワークショップで依頼の品を制作した私は、依頼主であるハイジの店に顔を出した。
ハイジも若くして天職に巡り会えた幸運な人間だ。私のワークショップも彼女のおかげで機能的な増改築を実現できている。
ビルダーと大工についてどっちも同じじゃないの? と一度でも思った方はその考えをあらためてほしい。私が作るのは建築に使われる足場だったり、看板などの装飾だ。それを実際に組み立てていくのが大工の仕事になる。簡単なものならビルダーでも問題ないが、流石に橋などの大規模な工事は専門家に任せるべきだろう。そもそも仕事というのはあらゆる専門家たちが各々の(割愛)というわけで私はハイジを一人の職人として尊敬しているのだ。
「これ、今日依頼に出したばかりよね。あたしもだけどあなたもなかなかワーカーホリックね。仕事と結婚してる感じ!」
ハイジの言葉に私は心から同意する。
「それはいいね。役場が受理してくれるならすぐにでも結婚したいよ」
病める時も健やかなる時も、私と仕事を引き裂くものたちが入り込めないように末長く結ばれたいね。
ハイジは私の言葉を冗談だと捉えて笑っている。まあ半分は冗談みたいなものだ。あらためて結婚せずとも、雇用契約を結んでるということは半分ぐらい結婚してると言っても過言じゃない。少なくとも私はそう思っている。
「でもあのヤンが上司なのはちょっと同情する。あたしだったら半日持たない自信があるよ」
「そう? 意外と悪くないよ。でも仕事の安請け合いをしすぎると怒り出すのは、確かに面倒かもね」
「怒るといえば、ナナシが怒ってるところって見たことない! あなたっていつも平然としてるイメージがあるもの」
「はははっ、仕事の邪魔をされたらその限りじゃないよ」
冗談のつもりだった私の言葉に、ハイジの顔がさっと青ざめる。私は慌てて言葉を付け足す。「もちろん君とのおしゃべりは別だよハイジ。気にしないで。一日のほんの45秒の雑談くらい、あのチーホンだってしてることだよ」そこまで言ってハイジは安心したのか、表情が和らぐ。
いくら私でも友人のありがたみくらいは知っている。人間一人では生きられないものだ。とくにハイジはお得意様だしね。
「それじゃあ、あなたをランチに誘ったりしても許される?」
「もちろん。ただし私のランチ時間は30秒だよ。さて、もうこんな時間だ。楽しい時間をありがとうハイジ。またご贔屓にどうぞ!」
きっかり45秒─── 私の体感だけど正確性には自信がある。チーホンは実に有益な情報を教えてくれたものだ。
さて、この後はスクラップヤードで鉄屑を集めようか。それとも木材が少なくなってきたから枯れ木を伐採しようか。そう思考を展開させながら広場を抜けると、こちらに歩いてくる見知った姿を見つけた。
「よう相棒! 相変わらず忙しそうだな。結構結構! その調子でガンガン働いて、オレに楽させるんだぞ」
「ボス、お疲れ様です」
速度を落としながらヤンに挨拶する。
ヤンに楽をさせるのは構わないが、あんまり暇すぎてもそれはそれで辛いだろうに。ヤンの趣味といえばカードゲームくらいで、他に好きなものと言われるとお金しか思いつかない。いつか全身を金にしたいと言っていたが、それのなにがいいのか私にはさっぱり分からなかった。だが個人の幸せについて口を出すなんてナンセンスなので、私は笑顔で「それじゃあ」と、通り過ぎることにする。
「まあ待てナナシ! 今日は約束通り一緒に酒を飲む日だぞ! 金の用意はいいか? オレは今日のために禁酒してたんだ」
「あー……ボス、ぜひお供したいんですが私はちょっと予定がありますので、これで好きなだけ飲んでください。足りなければオーウェンにつけてもらえばいいので、今度払っておきますから」
財布にある現金を生活費を残してそっくりヤンに握らせてやる。オーウェンの店ならこれで酔い潰れるほど飲めるはずだ。それでも足りないっていうなら、オーウェンならつけにしてくるだろうから、それで死ぬほど飲めばいい。
しかしヤンは、金は受け取るくせに首は縦に降らなかった。「上司の命令が聞けない部下がいるのか?」いないよなってか? そう言われれば、これも仕事のうちのような気がしてくる。
「分かりましたボス。今日は付き合いますよ」
「最初から素直にそういえばいいんだ。オレの若い頃は上司の言うことは絶対だったんだぞ。逆らったりなんかしたら鉄拳が飛んできたもんだ。ま、お前はオレが上司で命拾いしたな。感謝しろよ!」
けらけら機嫌よく笑うヤンの後ろをついて歩く。これは仕事だと何度も頭の中で唱えた。
ブルームーンの店内は閑散としていた。
常連というか、ほぼ居着いているアーネストがいるだけで、後はカウンターに店主のオーウェンがいるだけだった。
オーウェンは私たちに気づくと、人好きのする笑顔を浮かべながら片手をあげる。私もそれに片手を上げて返してから、ボックス席のひとつに腰掛けた。
目の前に座ったヤンが待ちきれないように手を擦り合わせる。舌なめずりまでしているところを見るに、禁酒だけじゃなくて食事も制限していたようだ。そこまでして部下に集ろうとするその根性は見上げたものだ。
「へへへ! 今日はおまえを労う会でもあるからな遠慮なく食えよ! これなんかどうだ? 寂れた街の飯屋にしてはまだ食えるぞ」
「ではそれを───オーウェン、注文をいいかな」
ヤンの指を目で追ってメニューを確認する。この店には習慣で通っているが、いつも早い・安い・味は二の次という内容でオーウェンに任せているため、こんなにゆっくりメニューを見たのは初めてかもしれない。
「やあナナシ、今日は珍しく落ち着いて食事してくれる日なのかい? 君が飲み物のように僕の料理を流し込まずに、ちゃんと噛んで味わってくれるなんて夢みたいだよ」
「ははは。なんと今日は酒も飲むつもりだよ。初心者に優しい度数でおすすめをもらえるかな」
「オーケー、任せてよ。それにしても君はヤンと仲がいいんだね。職場の上下関係を超えた友情に乾杯して、最初の一杯はサービスにしておくよ」
「あー、ありがとう」
ウィンクしてさっていくオーウェンを見送る。前に向き直ると、ヤンが不躾にこちらを見ていた。何か言いたいことでもあるのだろうか。だが残念ながら私はエスパーじゃない。言いたいことは口に出してもらわなければ察することもできないたちだ。
わざわざ掘り下げる気分でもないので、黙ってヤンの目を見つめ返す。小さなグリーンの瞳は、存外澄んでいた。無邪気な小悪党って感じの顔だ。
「おい、なに人の顔をジロジロ見てる。まさかオレの顔に見惚れてるのか?」
「そんな感じです。他の人は知りませんが私はボスの顔好きですよ」
「さすが口がうまいな。オレにここまでゴマをする人間は他にはいないだろうよ。それで一体なにが望みなんだ」
今日は気分がいいから叶えてやってもいいぞ、とヤンは横柄な口ぶりでそう言うと、私の反応から何かを見出そうとする。
私の望みなんて一つしかない。
「仕事です。私はビルダーとして街を再建するためにここにいます。今はそれ以外のことは考えられません」
私の言葉をヤンは信じてないようだった。むしろなにを隠してると言わんばかりに目を見開いてこちらを覗き込もうとしてくる。だがヤンには残念なことだが、私と言う人間に裏はない。ノービルダーノーライフなのだ。
ヤンの熱視線を受け流していると、オーウェンがサービスの飲み物と食事を運んでくる。私だって人間なので、普段はさておき、こうして機会を与えられたのならちゃんと食事を楽しむ心づもりはある。
ヤンはまだなにかとぶつぶつ言っているが、目の前のご馳走に意識が持っていかれる。贅沢は敵だ、なんて強い思想は持ち合わせていないが、なんとなく節制している身としては、しばらくありつけない豪勢な食事だった。
「は、む……っ! 美味しい! ボス、これ美味しいですよ!」
別に今まで食べていた食事も美味しいは美味しかった。でもこれは格別だった。自分でも知らなかった好物を見つけた感覚だ。
ヤンは私の言葉に「上司の話を遮るとはいい覚悟だな」なんて憎まれ口を叩くが、料理を一口食べれば後は静かになった。料理は偉大だと言うことを私は知らなかった。
「ダメだ……堕落するッ」
仕事を愛すると言うことは、生半可な覚悟では務まらないのだ。私はこの味を忘れないように噛み締めた。次に食べるのは誕生日にしよう。年に一度の贅沢なら許容範囲のはずだ。
ヤンはそんな私を珍獣でも見つけたような目つきで見てくる。
「食べたいなら食べたいだけ食べればいいだろうに、なにをそんなに我慢する必要がある? ナナシを見ていると、オレの人生がいかに豊かなものか再確認できる。一体なにが楽しくて生きてるんだ?」
それはこっちのセリフだ。
「ボス、私は仕事を全力で楽しんでますよ。あなたが私に何を求めているか知りませんし、全てに応えられるかはわかりませんが、全力を尽くしますよ」
不毛な会話は好みではなかった。
私はヤンのことを理解できない。同じくヤンも私のことを理解できない。それでよかった。私にはヤンを尊重する気持ちがある。上司というだけではなく、ヤンの持つハングリー精神のようなものに尊敬の念抱いているからだ。
ヤンはしばらく何かを考えているようだった。もう私から言うことは何もなかったので、ただ黙って食事を続ける。
「オレがなんでお前を気に入ってるか教えてやろうか?」
ヤンがポツリと独り言のように呟く。
「教えてもらえるなら知りたいですね」
ダイヤモンドや金をプレゼントした以外の理由があったことに驚きだ。
ヤンは感情を無くしたような無表情で口を開く。
「───お前には善悪の境界ってもんがない。
自分の決めたことを自分で守るだけで、後は他人が何をしようがお構いなしだ。オレが街の連中になんて言われてるか知らないわけじゃないだろう?」
「……」
ヤンの言葉に私は何も言い返せなくなる。心臓の深いところを刺されたような心地だった。だけど別に不快ではなかった。
離れた席にいるアーネストを気にしてか、ヤンの声はいつもに比べて静かに響いた。それがなんだか別人みたいで、私は思わず笑った。
「ふ、ふふ……ごめんなさい。笑うつもりなんてなかった。ええ、そうですね。ボスの言う通りです。あなたは街の嫌われ者だ。でも私には関係ない。あなたは犯罪を犯している。でも私には関係ない。あなたを断罪するのは私の仕事じゃないからだ」
もちろん、善良な市民としての義務があるかもしれないが、私はそれを重要視していない。だが、もし他の人間がヤンを告発するのなら、それを止めるつもりもなかった。私はヤンの敵でもないが味方でもない。もっと言えば、私は誰の敵でもないし味方でもない。
私はビルダーでありたいだけだ。腐敗の時代を立て直した偉大なビルダーのようになりたいのだ。それが私の幼い頃からの夢で、今は目標だ。
乾杯してくれたオーウェンには悪いけど私とヤンの間に友情なんてものはない。あるとすれば利害関係くらいなものだ。
「ボスももう少し対人関係に気を遣えば、いちいち顔面を殴られずに済みますよ」
「ふん! オレが変わるなんて真っ平ごめんだ! 他人がオレに合わせればいいだけだろう? お前みたいにな!」
「歩み寄りですよ、ボス。……ま、今更ですね。ボスはそのままでいてください」
どれだけ言葉を尽くしたところでヤンは変わらないだろう。そんな無意味なことに時間を費やすのはさっさとやめるに限る。
たらふく食べて心地のいい満腹感と、適度なアルコールによる酩酊感に酔いしれる。その堕落の兆しに再度気を引き締める。明日も仕事が待ってるのだから誘惑に負けてはいけない。
ヤンの方はあまり顔色が変わっていないように見える。案外酒に強いのかしれない。そろそろお開きにしたいところなのだが、ヤンにその気があるのかは微妙なところだ。
「ナナシ〜ナナシ〜オレのかわいい金のなる木よ〜」
それからもう半刻ほどで、やっとヤンに酔いが回ってきた。オーウェンにこっそり酒の度数を上げてもらって良かった。
今はテーブルに顔を突っ伏して、歌のような呻きのような声をあげている。醜い赤ちゃんみたいな有様だった。
「頼むよナナシ〜オレを救ってくれ〜頼む〜」
「いいですよ。何をして欲しいんですか?」
私は意識して優しい声を出してみた。今の無防備なヤンからなら何か引き出せる気がした。弱みの一つでも握っておこうと言う軽い気持ちだった。
幸いアーネストは店を出たし、オーウェンは奥のキッチンに引っ込んでいる。今ならヤンも心置きなく暴露できるだろう。
「……オレを金に変えてくれ。全身をな……」
まだ理性が残っているのだろう。ヤンはいつか聞いたような願いを口にする。
「腐敗時代のお話に出てくる王様みたいに、触れるだけであなたを変えられれば良かったですね」
そう口にしながら肩に触れようとすると、カッと目を見開いたヤンが、酔っ払いとは思えない速度で私の手を振り払う。
それは明確な拒絶だった。ヤンにしては大袈裟なほどに、触れられるのを拒んでいた。
「……すみませんボス。許可なく身体に触れるのはマナー違反でした」
「……」
「ボス? 大丈夫ですか?」
「う゛っ……きぼぢわるい……はきそうだ……」
ヤンが苦しそうに口を手で抑える。どうやら酔いが回りすぎたらしい。このままでは店の迷惑になりそうなので、私は「ボス、肩を貸しますよ。触りますからね」と言葉を添えてから席を立った。
おおよその代金をテーブルに残して、ヤンを支えながら店を出る。
オアシスはもちろん問題外のため、その横にあるちょっと木の生えた(森とも林とも言えない)場所に連れて行く。
バージェスが見たら気絶するかもしれない。ヤンは先ほど飲み食いしたものを全部吐き戻していた。あとで砂でもかけておこう。
「うえぇ゛……おえぇ゛……」
ヤンの背中を撫でる、この時間はとても非生産的だった。モグラを叩くよりも虚しいものに感じる。それでも私はヤンを見捨てなかった。あまりにも無様だったからかもしれない。
「ワークショップから水を持ってきますよボス」
少し離れているが、行って戻ってくるのにそう時間はかからない。うずくまって大人しくしているヤンを残して走り出す。
「待て! ……行くな、ここにいてくれ」
だが、強い口調で止められる。口の中が気持ち悪くないのだろうか。正直臭いから口の中をゆすいで欲しい気持ちはあった。だが本人がそう言うのなら無理強いはできない。
私はヤンの元に戻り手を貸そうとした。一緒に歩いて行けばいいと思ったからだ。
「まだ無理だ。立てない。こんな状態のオレを一人にして、誰かに襲われたらどうする?」
「襲うような人間はいませんよ。それにバンブルアントはこちらから手を出さなければおとなしいものです」
すぐ近くで群れをなすバンブルアントを横目にそう言う。だがヤンは納得しなかった。
仕方ないので、しばらくの間ヤンが回復するのを待つことにした。その間にそこの枯れ木を伐採していても許されるだろうか、ぼんやり考えていると、ヤンがまたもやこちらを見つめていることに気づいた。
ヤンの方に視線を向けると、彼は告解でもするように話し始める。
「ナナシ……お前は、すこし、弟に似ている……あいつも要領が良かった。善人ヅラして、悪いことなんて何も知らないみたいに……オレと同じ血が流れててそんなことあるわけない……そうだろう?」
「……」
突然出てきた弟に、私は以前ヤンから聞かされた話を思い出す。
一緒に事業を立ち上げたあと、ヤンに金を持ち逃げされた弟だ。ヤンの口ぶりからして、兄弟でもヤンとは全く似なかったのだろう。
「あいつを外縁部に置き去りにしてやってほんとにせいせいしたぜ」
なかなかに酷いことをしている。弟さんはもう生きてないかもしれない。私は心の中だけで黙祷を捧げた。
夜も更けて、どこからかフクロウの鳴き声が聴こてきた。ココかもしれない。ロッキーナロールも目を覚ました頃だろう。
「オレは、弟になりたかった……あいつはなんでもうまくやって、周りからもチヤホヤされて、それで、あいつのフリをしてよくメチャクチャにしてやった……みんな気づかないで、気づかないくせに……」
ほとんど呂律が回ってない状態のヤンは、目の前の私を弟に見立てて、ずっと何かを話していた。
劣等感というには、なにかが違うような気がした。あらゆる感情が混ざり合った末にできた毒のようなものだった。
私は珍しく誰かをいたぶりたい気分になった。こんな気持ちは、子供の頃以来だ。私のビルダーになるという夢を散々笑ってくれた同級生が、幼馴染の私物をこっそり持ち去ろうとしたのを見た時に感じたものとよく似ていた。
「兄さん」
それは、舌にのせると驚くほど馴染んだ。
「そんなところで寝てないで、帰りましょう」
弟の口調なんて知らないが、酔っ払いなら都合よく変換するだろう。外面がいい弟を頭に思い描いて演じる。
「兄さん、迎えにきましたよ」
「……ウェイ? おまえ、生きてたのか……っ」
「何を言ってるんですか兄さん。僕はずっとここにいますよ。お酒なんて飲むから夢でも見たんじゃないですか」
ヤンの目を手で覆って隠してしまう。視界を奪われたヤンは、どんな夢を見るのだろう。
「……そうか、そうだよな。お前があの程度のことでくたばるわけがない! お前はいつもオレよりもうまくやって、最後には出し抜く! そういう嫌な人間なんだ!」
「はいはい。そうですね」
私はヤンの頭を撫でる。ずっと年上の男性をあやすように優しく。もしかしたら私はビルダーじゃなくてカウンセラーにもなれたかもしれない。そんなあり得ないifを思い浮かべながらヤンを愛でる。
「お前が帰ってきたなら、もうゲームはおしまいだな……長いこと、待たせやがって……」
最後のほうは言葉になっていなかった。だがそのうちに、まるで縋り付くように私にもたれかかって、ヤンはようやく眠りにつく。酒とゲロの匂いを纏わせた哀れな男は、きっと安らかな夢を見ていた。
さて、どうしたものか。
「あんた! ヤンとできてるって本当なの!!」
エルシーが商業ギルドのドアを吹き飛ばす勢いで開けて入ってくる。その後ろでミアンが気まずそうな顔をしていた。
「なんの話?」
「父さんが朝早くにあんたのワークショップから出て行くヤンを見たっていうのよ! あれはぜったいできてるって、朝から喚いてたのよ!」
「やっぱり牧場主は早起きなんだね。見習うとしよう」
「そこじゃないでしょ! ちょっと、ミアン、あんたも何か言ってよ! 友達がおかしな方に進んでたら、止めるのが友情でしょう?」
みんな大袈裟だ。眠りこけたヤンを放置するわけにもいかず、引きずるように持って帰って、そのまま自宅の床に転がしておいただけなのに。
そんなことよりも仕事だ。今日は何をしようかな。ふふふ。
「でも、二人のことに口を挟むのはダメよ。そんなのマナー違反だわ」
「ミアーン、ナナシとヤンなんて不健全もいいところじゃない! 絶対ダメ! なんとしてでも目を覚ましてあげなきゃ!」
「でも私から見て、ヤンにもナナシにもそんな雰囲気はなさそうよ。きっとなにか事情があるのよ。そっとしておきましょう。助けが必要ならきっともう私たちに相談してるわ、そうでしょう?」
「……え。ああ、そうだね。するよ。するする」
自分に話を振られて慌てて返事をする。左から右に受け流していたのでほとんど聞いてなかったが、問題ないだろう。
うーん。今日は定番の依頼ばかりだな。たまには変わり種でも仕込んで欲しいところだ。チーホンもハイジも大体必要なものは決まってくるから仕方ないのかもしれないが、ま、仕事に文句を言っちゃダメだな。仕事を選んでるようじゃ私もまだまだだ。
「そういえばヤンは? いつもあそこにふんぞり帰ってるのに」
「きっと二日酔いだよ。昨日は吐くほど飲んでたから」
それか、昨日の夜のことを覚えていたのかもしれない。だとしたら数日は私の前に顔を出さないだろう。嬉しい誤算だ。その間に街の住民から格安で依頼を取ってしまおう。カトリなんて大喜びで乗ってくるぞ。
そうと決まれば掲示板の依頼書を二枚もぎ取ってギルドを飛び出そうとする。
「ちょっと! まだ話は終わってない!」
くっ、エルシーが通せんぼしてくる。何をそんなに怒ってるんだ。
「ごめん、エルシー、でも私行かないと」
「まさかあいつのところに行くってんじゃないでしょうね!」
「エルシー落ち着いて。ごめんなさいナナシ、ここは私が宥めるからあなたは行って」
おお、ミアン、女神よ!
私は喜び勇んでミアンに取り押さえられるエルシーの横を通り抜ける。
早く仕事がしたい。その思いが私を突き動かすのだった。
終わり
まさかつづくとはな…
「あんたもミアンもなんでそんなに働きたがるの?!」
エルシーの叫びが商業ギルドの壁にぶつかって反響する。その魂からのシャウトを聴きながら、私は今日の依頼の中から一番難しいだろうものを選ぶ。ミアンはその後に、誰が一番困っているか悩みながら、期限の短いものから選んでいた。
ミアンの友人であるエルシーは、まるでこの世の終わりのような顔で私たちを見ている。ていうかエルシーは仕事しなくていいの? 牧場なんて朝から晩まで休みなしの最高な職場じゃないか。クーパーがまたアルバイトを求めているなら顔を出そうかな。
「信じられない。いったいどんな人生を歩んだら仕事にここまで夢中になれるの?」
「エルシー、私たちは人助けをしているの。ビルダーの助けを求めている人たちを放って遊び呆けることなんてできないわ」
「その助けを求めてる人たちだって、ミアンがまともに食事もせずに自分を削って働いていることを知ったら心を痛めるはずよ。それでいいっていうの?」
「あー、エルシー、それは卑怯だわ」
仲良きことは美しきことかな─── 私は二人の脇を静かに通り抜けることにした。ミアン、君の尊い犠牲は忘れないよ。
一度二人に連れられてゲームセンターで遊んだことがあるが、あの非生産的な時間は私に耐えられるものではなかった。モグラを叩くなら岩でも叩いたほうがずっと生産的だ。
「あっ! ちょっとナナシ!」
「ごめん、エルシー! 私は今日中にこの依頼をこなして、明日に備えたいんだ!」
生粋のサンドロック民であるエルシーの脚力を舐めてはいけない。私は決して後ろを振り返らずに、ちょうど駅前に止まっていたヤクメル車に飛び乗る。
「どこまで?」
「ヤモリ駅まで!」
背後からエルシーの怒号が聞こえてくる。彼女もいつか労働の悦びに目覚める日が来るだろう。牧場主が嫌だとしても、この世界には多種多様な職業がある。要は適正なのだ。天職に若くして気付けた私やエルシーが幸運なのだ。
私はガタガタと揺れる座席の上で、自身の考えにうんうんと頷いた。
遺跡で心ゆくまでツルハシを振るい、ワークショップで依頼の品を制作した私は、依頼主であるハイジの店に顔を出した。
ハイジも若くして天職に巡り会えた幸運な人間だ。私のワークショップも彼女のおかげで機能的な増改築を実現できている。
ビルダーと大工についてどっちも同じじゃないの? と一度でも思った方はその考えをあらためてほしい。私が作るのは建築に使われる足場だったり、看板などの装飾だ。それを実際に組み立てていくのが大工の仕事になる。簡単なものならビルダーでも問題ないが、流石に橋などの大規模な工事は専門家に任せるべきだろう。そもそも仕事というのはあらゆる専門家たちが各々の(割愛)というわけで私はハイジを一人の職人として尊敬しているのだ。
「これ、今日依頼に出したばかりよね。あたしもだけどあなたもなかなかワーカーホリックね。仕事と結婚してる感じ!」
ハイジの言葉に私は心から同意する。
「それはいいね。役場が受理してくれるならすぐにでも結婚したいよ」
病める時も健やかなる時も、私と仕事を引き裂くものたちが入り込めないように末長く結ばれたいね。
ハイジは私の言葉を冗談だと捉えて笑っている。まあ半分は冗談みたいなものだ。あらためて結婚せずとも、雇用契約を結んでるということは半分ぐらい結婚してると言っても過言じゃない。少なくとも私はそう思っている。
「でもあのヤンが上司なのはちょっと同情する。あたしだったら半日持たない自信があるよ」
「そう? 意外と悪くないよ。でも仕事の安請け合いをしすぎると怒り出すのは、確かに面倒かもね」
「怒るといえば、ナナシが怒ってるところって見たことない! あなたっていつも平然としてるイメージがあるもの」
「はははっ、仕事の邪魔をされたらその限りじゃないよ」
冗談のつもりだった私の言葉に、ハイジの顔がさっと青ざめる。私は慌てて言葉を付け足す。「もちろん君とのおしゃべりは別だよハイジ。気にしないで。一日のほんの45秒の雑談くらい、あのチーホンだってしてることだよ」そこまで言ってハイジは安心したのか、表情が和らぐ。
いくら私でも友人のありがたみくらいは知っている。人間一人では生きられないものだ。とくにハイジはお得意様だしね。
「それじゃあ、あなたをランチに誘ったりしても許される?」
「もちろん。ただし私のランチ時間は30秒だよ。さて、もうこんな時間だ。楽しい時間をありがとうハイジ。またご贔屓にどうぞ!」
きっかり45秒─── 私の体感だけど正確性には自信がある。チーホンは実に有益な情報を教えてくれたものだ。
さて、この後はスクラップヤードで鉄屑を集めようか。それとも木材が少なくなってきたから枯れ木を伐採しようか。そう思考を展開させながら広場を抜けると、こちらに歩いてくる見知った姿を見つけた。
「よう相棒! 相変わらず忙しそうだな。結構結構! その調子でガンガン働いて、オレに楽させるんだぞ」
「ボス、お疲れ様です」
速度を落としながらヤンに挨拶する。
ヤンに楽をさせるのは構わないが、あんまり暇すぎてもそれはそれで辛いだろうに。ヤンの趣味といえばカードゲームくらいで、他に好きなものと言われるとお金しか思いつかない。いつか全身を金にしたいと言っていたが、それのなにがいいのか私にはさっぱり分からなかった。だが個人の幸せについて口を出すなんてナンセンスなので、私は笑顔で「それじゃあ」と、通り過ぎることにする。
「まあ待てナナシ! 今日は約束通り一緒に酒を飲む日だぞ! 金の用意はいいか? オレは今日のために禁酒してたんだ」
「あー……ボス、ぜひお供したいんですが私はちょっと予定がありますので、これで好きなだけ飲んでください。足りなければオーウェンにつけてもらえばいいので、今度払っておきますから」
財布にある現金を生活費を残してそっくりヤンに握らせてやる。オーウェンの店ならこれで酔い潰れるほど飲めるはずだ。それでも足りないっていうなら、オーウェンならつけにしてくるだろうから、それで死ぬほど飲めばいい。
しかしヤンは、金は受け取るくせに首は縦に降らなかった。「上司の命令が聞けない部下がいるのか?」いないよなってか? そう言われれば、これも仕事のうちのような気がしてくる。
「分かりましたボス。今日は付き合いますよ」
「最初から素直にそういえばいいんだ。オレの若い頃は上司の言うことは絶対だったんだぞ。逆らったりなんかしたら鉄拳が飛んできたもんだ。ま、お前はオレが上司で命拾いしたな。感謝しろよ!」
けらけら機嫌よく笑うヤンの後ろをついて歩く。これは仕事だと何度も頭の中で唱えた。
ブルームーンの店内は閑散としていた。
常連というか、ほぼ居着いているアーネストがいるだけで、後はカウンターに店主のオーウェンがいるだけだった。
オーウェンは私たちに気づくと、人好きのする笑顔を浮かべながら片手をあげる。私もそれに片手を上げて返してから、ボックス席のひとつに腰掛けた。
目の前に座ったヤンが待ちきれないように手を擦り合わせる。舌なめずりまでしているところを見るに、禁酒だけじゃなくて食事も制限していたようだ。そこまでして部下に集ろうとするその根性は見上げたものだ。
「へへへ! 今日はおまえを労う会でもあるからな遠慮なく食えよ! これなんかどうだ? 寂れた街の飯屋にしてはまだ食えるぞ」
「ではそれを───オーウェン、注文をいいかな」
ヤンの指を目で追ってメニューを確認する。この店には習慣で通っているが、いつも早い・安い・味は二の次という内容でオーウェンに任せているため、こんなにゆっくりメニューを見たのは初めてかもしれない。
「やあナナシ、今日は珍しく落ち着いて食事してくれる日なのかい? 君が飲み物のように僕の料理を流し込まずに、ちゃんと噛んで味わってくれるなんて夢みたいだよ」
「ははは。なんと今日は酒も飲むつもりだよ。初心者に優しい度数でおすすめをもらえるかな」
「オーケー、任せてよ。それにしても君はヤンと仲がいいんだね。職場の上下関係を超えた友情に乾杯して、最初の一杯はサービスにしておくよ」
「あー、ありがとう」
ウィンクしてさっていくオーウェンを見送る。前に向き直ると、ヤンが不躾にこちらを見ていた。何か言いたいことでもあるのだろうか。だが残念ながら私はエスパーじゃない。言いたいことは口に出してもらわなければ察することもできないたちだ。
わざわざ掘り下げる気分でもないので、黙ってヤンの目を見つめ返す。小さなグリーンの瞳は、存外澄んでいた。無邪気な小悪党って感じの顔だ。
「おい、なに人の顔をジロジロ見てる。まさかオレの顔に見惚れてるのか?」
「そんな感じです。他の人は知りませんが私はボスの顔好きですよ」
「さすが口がうまいな。オレにここまでゴマをする人間は他にはいないだろうよ。それで一体なにが望みなんだ」
今日は気分がいいから叶えてやってもいいぞ、とヤンは横柄な口ぶりでそう言うと、私の反応から何かを見出そうとする。
私の望みなんて一つしかない。
「仕事です。私はビルダーとして街を再建するためにここにいます。今はそれ以外のことは考えられません」
私の言葉をヤンは信じてないようだった。むしろなにを隠してると言わんばかりに目を見開いてこちらを覗き込もうとしてくる。だがヤンには残念なことだが、私と言う人間に裏はない。ノービルダーノーライフなのだ。
ヤンの熱視線を受け流していると、オーウェンがサービスの飲み物と食事を運んでくる。私だって人間なので、普段はさておき、こうして機会を与えられたのならちゃんと食事を楽しむ心づもりはある。
ヤンはまだなにかとぶつぶつ言っているが、目の前のご馳走に意識が持っていかれる。贅沢は敵だ、なんて強い思想は持ち合わせていないが、なんとなく節制している身としては、しばらくありつけない豪勢な食事だった。
「は、む……っ! 美味しい! ボス、これ美味しいですよ!」
別に今まで食べていた食事も美味しいは美味しかった。でもこれは格別だった。自分でも知らなかった好物を見つけた感覚だ。
ヤンは私の言葉に「上司の話を遮るとはいい覚悟だな」なんて憎まれ口を叩くが、料理を一口食べれば後は静かになった。料理は偉大だと言うことを私は知らなかった。
「ダメだ……堕落するッ」
仕事を愛すると言うことは、生半可な覚悟では務まらないのだ。私はこの味を忘れないように噛み締めた。次に食べるのは誕生日にしよう。年に一度の贅沢なら許容範囲のはずだ。
ヤンはそんな私を珍獣でも見つけたような目つきで見てくる。
「食べたいなら食べたいだけ食べればいいだろうに、なにをそんなに我慢する必要がある? ナナシを見ていると、オレの人生がいかに豊かなものか再確認できる。一体なにが楽しくて生きてるんだ?」
それはこっちのセリフだ。
「ボス、私は仕事を全力で楽しんでますよ。あなたが私に何を求めているか知りませんし、全てに応えられるかはわかりませんが、全力を尽くしますよ」
不毛な会話は好みではなかった。
私はヤンのことを理解できない。同じくヤンも私のことを理解できない。それでよかった。私にはヤンを尊重する気持ちがある。上司というだけではなく、ヤンの持つハングリー精神のようなものに尊敬の念抱いているからだ。
ヤンはしばらく何かを考えているようだった。もう私から言うことは何もなかったので、ただ黙って食事を続ける。
「オレがなんでお前を気に入ってるか教えてやろうか?」
ヤンがポツリと独り言のように呟く。
「教えてもらえるなら知りたいですね」
ダイヤモンドや金をプレゼントした以外の理由があったことに驚きだ。
ヤンは感情を無くしたような無表情で口を開く。
「───お前には善悪の境界ってもんがない。
自分の決めたことを自分で守るだけで、後は他人が何をしようがお構いなしだ。オレが街の連中になんて言われてるか知らないわけじゃないだろう?」
「……」
ヤンの言葉に私は何も言い返せなくなる。心臓の深いところを刺されたような心地だった。だけど別に不快ではなかった。
離れた席にいるアーネストを気にしてか、ヤンの声はいつもに比べて静かに響いた。それがなんだか別人みたいで、私は思わず笑った。
「ふ、ふふ……ごめんなさい。笑うつもりなんてなかった。ええ、そうですね。ボスの言う通りです。あなたは街の嫌われ者だ。でも私には関係ない。あなたは犯罪を犯している。でも私には関係ない。あなたを断罪するのは私の仕事じゃないからだ」
もちろん、善良な市民としての義務があるかもしれないが、私はそれを重要視していない。だが、もし他の人間がヤンを告発するのなら、それを止めるつもりもなかった。私はヤンの敵でもないが味方でもない。もっと言えば、私は誰の敵でもないし味方でもない。
私はビルダーでありたいだけだ。腐敗の時代を立て直した偉大なビルダーのようになりたいのだ。それが私の幼い頃からの夢で、今は目標だ。
乾杯してくれたオーウェンには悪いけど私とヤンの間に友情なんてものはない。あるとすれば利害関係くらいなものだ。
「ボスももう少し対人関係に気を遣えば、いちいち顔面を殴られずに済みますよ」
「ふん! オレが変わるなんて真っ平ごめんだ! 他人がオレに合わせればいいだけだろう? お前みたいにな!」
「歩み寄りですよ、ボス。……ま、今更ですね。ボスはそのままでいてください」
どれだけ言葉を尽くしたところでヤンは変わらないだろう。そんな無意味なことに時間を費やすのはさっさとやめるに限る。
たらふく食べて心地のいい満腹感と、適度なアルコールによる酩酊感に酔いしれる。その堕落の兆しに再度気を引き締める。明日も仕事が待ってるのだから誘惑に負けてはいけない。
ヤンの方はあまり顔色が変わっていないように見える。案外酒に強いのかしれない。そろそろお開きにしたいところなのだが、ヤンにその気があるのかは微妙なところだ。
「ナナシ〜ナナシ〜オレのかわいい金のなる木よ〜」
それからもう半刻ほどで、やっとヤンに酔いが回ってきた。オーウェンにこっそり酒の度数を上げてもらって良かった。
今はテーブルに顔を突っ伏して、歌のような呻きのような声をあげている。醜い赤ちゃんみたいな有様だった。
「頼むよナナシ〜オレを救ってくれ〜頼む〜」
「いいですよ。何をして欲しいんですか?」
私は意識して優しい声を出してみた。今の無防備なヤンからなら何か引き出せる気がした。弱みの一つでも握っておこうと言う軽い気持ちだった。
幸いアーネストは店を出たし、オーウェンは奥のキッチンに引っ込んでいる。今ならヤンも心置きなく暴露できるだろう。
「……オレを金に変えてくれ。全身をな……」
まだ理性が残っているのだろう。ヤンはいつか聞いたような願いを口にする。
「腐敗時代のお話に出てくる王様みたいに、触れるだけであなたを変えられれば良かったですね」
そう口にしながら肩に触れようとすると、カッと目を見開いたヤンが、酔っ払いとは思えない速度で私の手を振り払う。
それは明確な拒絶だった。ヤンにしては大袈裟なほどに、触れられるのを拒んでいた。
「……すみませんボス。許可なく身体に触れるのはマナー違反でした」
「……」
「ボス? 大丈夫ですか?」
「う゛っ……きぼぢわるい……はきそうだ……」
ヤンが苦しそうに口を手で抑える。どうやら酔いが回りすぎたらしい。このままでは店の迷惑になりそうなので、私は「ボス、肩を貸しますよ。触りますからね」と言葉を添えてから席を立った。
おおよその代金をテーブルに残して、ヤンを支えながら店を出る。
オアシスはもちろん問題外のため、その横にあるちょっと木の生えた(森とも林とも言えない)場所に連れて行く。
バージェスが見たら気絶するかもしれない。ヤンは先ほど飲み食いしたものを全部吐き戻していた。あとで砂でもかけておこう。
「うえぇ゛……おえぇ゛……」
ヤンの背中を撫でる、この時間はとても非生産的だった。モグラを叩くよりも虚しいものに感じる。それでも私はヤンを見捨てなかった。あまりにも無様だったからかもしれない。
「ワークショップから水を持ってきますよボス」
少し離れているが、行って戻ってくるのにそう時間はかからない。うずくまって大人しくしているヤンを残して走り出す。
「待て! ……行くな、ここにいてくれ」
だが、強い口調で止められる。口の中が気持ち悪くないのだろうか。正直臭いから口の中をゆすいで欲しい気持ちはあった。だが本人がそう言うのなら無理強いはできない。
私はヤンの元に戻り手を貸そうとした。一緒に歩いて行けばいいと思ったからだ。
「まだ無理だ。立てない。こんな状態のオレを一人にして、誰かに襲われたらどうする?」
「襲うような人間はいませんよ。それにバンブルアントはこちらから手を出さなければおとなしいものです」
すぐ近くで群れをなすバンブルアントを横目にそう言う。だがヤンは納得しなかった。
仕方ないので、しばらくの間ヤンが回復するのを待つことにした。その間にそこの枯れ木を伐採していても許されるだろうか、ぼんやり考えていると、ヤンがまたもやこちらを見つめていることに気づいた。
ヤンの方に視線を向けると、彼は告解でもするように話し始める。
「ナナシ……お前は、すこし、弟に似ている……あいつも要領が良かった。善人ヅラして、悪いことなんて何も知らないみたいに……オレと同じ血が流れててそんなことあるわけない……そうだろう?」
「……」
突然出てきた弟に、私は以前ヤンから聞かされた話を思い出す。
一緒に事業を立ち上げたあと、ヤンに金を持ち逃げされた弟だ。ヤンの口ぶりからして、兄弟でもヤンとは全く似なかったのだろう。
「あいつを外縁部に置き去りにしてやってほんとにせいせいしたぜ」
なかなかに酷いことをしている。弟さんはもう生きてないかもしれない。私は心の中だけで黙祷を捧げた。
夜も更けて、どこからかフクロウの鳴き声が聴こてきた。ココかもしれない。ロッキーナロールも目を覚ました頃だろう。
「オレは、弟になりたかった……あいつはなんでもうまくやって、周りからもチヤホヤされて、それで、あいつのフリをしてよくメチャクチャにしてやった……みんな気づかないで、気づかないくせに……」
ほとんど呂律が回ってない状態のヤンは、目の前の私を弟に見立てて、ずっと何かを話していた。
劣等感というには、なにかが違うような気がした。あらゆる感情が混ざり合った末にできた毒のようなものだった。
私は珍しく誰かをいたぶりたい気分になった。こんな気持ちは、子供の頃以来だ。私のビルダーになるという夢を散々笑ってくれた同級生が、幼馴染の私物をこっそり持ち去ろうとしたのを見た時に感じたものとよく似ていた。
「兄さん」
それは、舌にのせると驚くほど馴染んだ。
「そんなところで寝てないで、帰りましょう」
弟の口調なんて知らないが、酔っ払いなら都合よく変換するだろう。外面がいい弟を頭に思い描いて演じる。
「兄さん、迎えにきましたよ」
「……ウェイ? おまえ、生きてたのか……っ」
「何を言ってるんですか兄さん。僕はずっとここにいますよ。お酒なんて飲むから夢でも見たんじゃないですか」
ヤンの目を手で覆って隠してしまう。視界を奪われたヤンは、どんな夢を見るのだろう。
「……そうか、そうだよな。お前があの程度のことでくたばるわけがない! お前はいつもオレよりもうまくやって、最後には出し抜く! そういう嫌な人間なんだ!」
「はいはい。そうですね」
私はヤンの頭を撫でる。ずっと年上の男性をあやすように優しく。もしかしたら私はビルダーじゃなくてカウンセラーにもなれたかもしれない。そんなあり得ないifを思い浮かべながらヤンを愛でる。
「お前が帰ってきたなら、もうゲームはおしまいだな……長いこと、待たせやがって……」
最後のほうは言葉になっていなかった。だがそのうちに、まるで縋り付くように私にもたれかかって、ヤンはようやく眠りにつく。酒とゲロの匂いを纏わせた哀れな男は、きっと安らかな夢を見ていた。
さて、どうしたものか。
「あんた! ヤンとできてるって本当なの!!」
エルシーが商業ギルドのドアを吹き飛ばす勢いで開けて入ってくる。その後ろでミアンが気まずそうな顔をしていた。
「なんの話?」
「父さんが朝早くにあんたのワークショップから出て行くヤンを見たっていうのよ! あれはぜったいできてるって、朝から喚いてたのよ!」
「やっぱり牧場主は早起きなんだね。見習うとしよう」
「そこじゃないでしょ! ちょっと、ミアン、あんたも何か言ってよ! 友達がおかしな方に進んでたら、止めるのが友情でしょう?」
みんな大袈裟だ。眠りこけたヤンを放置するわけにもいかず、引きずるように持って帰って、そのまま自宅の床に転がしておいただけなのに。
そんなことよりも仕事だ。今日は何をしようかな。ふふふ。
「でも、二人のことに口を挟むのはダメよ。そんなのマナー違反だわ」
「ミアーン、ナナシとヤンなんて不健全もいいところじゃない! 絶対ダメ! なんとしてでも目を覚ましてあげなきゃ!」
「でも私から見て、ヤンにもナナシにもそんな雰囲気はなさそうよ。きっとなにか事情があるのよ。そっとしておきましょう。助けが必要ならきっともう私たちに相談してるわ、そうでしょう?」
「……え。ああ、そうだね。するよ。するする」
自分に話を振られて慌てて返事をする。左から右に受け流していたのでほとんど聞いてなかったが、問題ないだろう。
うーん。今日は定番の依頼ばかりだな。たまには変わり種でも仕込んで欲しいところだ。チーホンもハイジも大体必要なものは決まってくるから仕方ないのかもしれないが、ま、仕事に文句を言っちゃダメだな。仕事を選んでるようじゃ私もまだまだだ。
「そういえばヤンは? いつもあそこにふんぞり帰ってるのに」
「きっと二日酔いだよ。昨日は吐くほど飲んでたから」
それか、昨日の夜のことを覚えていたのかもしれない。だとしたら数日は私の前に顔を出さないだろう。嬉しい誤算だ。その間に街の住民から格安で依頼を取ってしまおう。カトリなんて大喜びで乗ってくるぞ。
そうと決まれば掲示板の依頼書を二枚もぎ取ってギルドを飛び出そうとする。
「ちょっと! まだ話は終わってない!」
くっ、エルシーが通せんぼしてくる。何をそんなに怒ってるんだ。
「ごめん、エルシー、でも私行かないと」
「まさかあいつのところに行くってんじゃないでしょうね!」
「エルシー落ち着いて。ごめんなさいナナシ、ここは私が宥めるからあなたは行って」
おお、ミアン、女神よ!
私は喜び勇んでミアンに取り押さえられるエルシーの横を通り抜ける。
早く仕事がしたい。その思いが私を突き動かすのだった。
終わり
