・ミゲル
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ミゲビル♀のミゲルが後悔しない話
彼女の言葉が好きだった。
言葉の一つ一つを、とても大切に扱っているのがよくわかった。誰も傷つかないようにと、真摯に言葉を選ぶ、彼女の優しさが詰まっていた。
「わあ、たくさん読んだんだねジャスミン。私はまだこのページまで、今日このあと読むつもりなの」
「ナナシさんはビルダーとしてお仕事をされてるんだから当然です。そこからこのお話はぐっと面白さのレベルが上がりますから、夜更かししないよう気をつけてくださいね」
「ありがとう、ジャスミン。危うく寝不足になっちゃうところだった」
ブルームーンのテラス席で、ナナシとジャスミンが並んで会話をしていた。二人とも共通の本を読んでいるだろう。楽しげな雰囲気が遠くからでも伝わってくる。
すぐに声をかけるべきだと頭では理解していたが、なぜかあの空間に割り込めなかった。二人の会話をただ聞いていたい、そんな愚かな考えを戒めて、できる限り邪魔にならないように二人の前に姿を見せる。
「あ! ミゲル、こんにちは」
「こんにちは!」
「やあ、こんにちは。ずいぶん楽しそうに話していたな」
「ナナシさんに私のおすすめの本を紹介したんです。本を読む住民が増えてとても嬉しいです」
「ジャスミンの勧めてくれる本はどれも面白いよ。今読んでる本でもお気に入りのシーンがあるの」
ミゲルもきっと好きだよ、と、彼女の指が本の小口を探るように動き、お目当てのページを割り開く。
「えっと───私はいま、困難の中にいる。けれどそれをあわれんで欲しくない。私は困難に抗うと決めた。誇りを胸に戦うと決めたんだ───」
小説の一文を抜粋して音読をする彼女の声は、美しい調べそのものだった。私は思わず聞き惚れてしまう。
「───どうしてあなたは一人で戦おうとするんだ。ここにいる仲間のことを思い出せ。ぼくたちは共に困難に立ち向かう準備ができている」
「さあ共に行こう、僕たちの戦場へ───私もそこで胸が熱くなりました」
「だよね! もう、とても人ごとだと思えなくて」
「分かります! 手に汗握るとはこのことだと実感しました」
二人は互いに感情を共有し合う、実に健全なコミュニケーションを行っていた。それは不可侵の領域のように侵しがたく───私は踏み荒らさないよう、慎重に足を踏み入れる。
「……素晴らしい話のようだな。私も今度借りてもいいだろうか」
「っ! もちろん! ……あ、でも私は読むのが遅いからジャスミンに借りたほうが早いかも」
「いや、よければ君のを借りたい。迷惑でなければ……そうしてほしい」
つい口ら出た願望に自分自身驚く。だが心優しい彼女は笑顔を浮かべて了承してくれた。
彼女は可憐な眼差しで私を見上げて「ミゲルと本の貸し借りだなんて、ちょっと緊張するかも」と頬に赤みが差す。私の心臓の音が、彼女に聞こえてしまうような気がした。
「ワオ……ラブシーンの予感が。私はちょっと席を外したほうがいいかも」
ジャスミンの小さな声に、余計なお節介はやめるよう言いたかった。だが、それを彼女に聞かれて説明求められたらと考える内に「それじゃあ私は行きます!」とジャスミンは走り出してしまう。
残された私たちは互いに顔を見合わせる。彼女は不思議そうにしていた。私は苦笑を浮かべてそれを答えとした。
「ジャスミン、用事でも思い出したのかしら」
「そうだな。あの子は幼いながらに働き者だ。私も見習わなければな」
「ふふ、そうだね。じゃあ私も仕事に戻ろうかな」
「あ……そう、だな」
思わず彼女を引き留めそうなる。忙しいナナシの時間を奪おうなど、なんて欲深い。自分で自分が恐ろしかった。
「……その、ミゲルさえ良ければ夕ご飯を一緒に食べない? なんだか一人で食べると味気なくて」
私の未練が伝わったのだろうか。まさか彼女の方から食事に誘ってくれるなんて───夢かもしれない可能性に頬をつねりたくなるが、理性でそれを止める。
「もちろん、君と過ごせるなら喜んでお受けしよう」
「ほんと? 嬉しい! じゃあ18時にブルームーンで」
「ああ、楽しみにしている」
心からの笑顔を浮かべて、彼女は走り去っていく。
私は手を振ってそれを見送った。
光の下にいる彼女は、何よりも眩しく見えた。
❇︎ ❇︎ ❇︎
───檻の中は時間だけが有り余るほどあった。
差し入れだとジャスティスから渡された本の表紙を撫ぜる。
「……随分時間がかかったな」
いつか貸して欲しいと彼女に頼んだ日のことを、今でも鮮明に思い出せる。
私は、後悔などしない。だが、それでも、あの日の全てを自分が壊したのだと思うと、胸が痛むことだけはどうしようもなかった。
本を手に取ると、何かが挟まっていることに気づいた。ジャスティスがこれに気づかないはずがない。おそらく目を瞑ったのだろう、彼女のために───
彼女からの手紙は、何度も書き直したように見えた。感情的にならないようにと、言葉を選んでいる彼女の姿がありありと思い浮かぶ。
「……っ、ふっ……うぅ……」
涙など流す資格はない。分かっている。分かっているのに、それでも流れていくものはなんだ。
彼女の言葉が好きだった。
それは今も変わらない。だというのに一文字一文字が私を切り刻むように胸を痛めつける。
だが、その痛みこそが、愛だと確信できた。
私は彼女を、ナナシを愛していた。
そして私は、そんな愛しい人を───なによりも大切にするべきだった人を踏み躙ってここにいる。それが全てだった。
もう二度と取り戻せないとしても、私は、彼女と愛を交わし合ったあの日々を、最後まで忘れないだろう。
「はっ……罪人には過ぎたものだな」
私は涙を拭って、本を開いた。
彼女がそうしたように、一文ごとに丁寧に読み進めていく。
そうしていると、まるで彼女がそこにいて、あの日のように読み聞かせてくれるような気がした。
牢の中に光が差したようだった。
終わり
彼女の言葉が好きだった。
言葉の一つ一つを、とても大切に扱っているのがよくわかった。誰も傷つかないようにと、真摯に言葉を選ぶ、彼女の優しさが詰まっていた。
「わあ、たくさん読んだんだねジャスミン。私はまだこのページまで、今日このあと読むつもりなの」
「ナナシさんはビルダーとしてお仕事をされてるんだから当然です。そこからこのお話はぐっと面白さのレベルが上がりますから、夜更かししないよう気をつけてくださいね」
「ありがとう、ジャスミン。危うく寝不足になっちゃうところだった」
ブルームーンのテラス席で、ナナシとジャスミンが並んで会話をしていた。二人とも共通の本を読んでいるだろう。楽しげな雰囲気が遠くからでも伝わってくる。
すぐに声をかけるべきだと頭では理解していたが、なぜかあの空間に割り込めなかった。二人の会話をただ聞いていたい、そんな愚かな考えを戒めて、できる限り邪魔にならないように二人の前に姿を見せる。
「あ! ミゲル、こんにちは」
「こんにちは!」
「やあ、こんにちは。ずいぶん楽しそうに話していたな」
「ナナシさんに私のおすすめの本を紹介したんです。本を読む住民が増えてとても嬉しいです」
「ジャスミンの勧めてくれる本はどれも面白いよ。今読んでる本でもお気に入りのシーンがあるの」
ミゲルもきっと好きだよ、と、彼女の指が本の小口を探るように動き、お目当てのページを割り開く。
「えっと───私はいま、困難の中にいる。けれどそれをあわれんで欲しくない。私は困難に抗うと決めた。誇りを胸に戦うと決めたんだ───」
小説の一文を抜粋して音読をする彼女の声は、美しい調べそのものだった。私は思わず聞き惚れてしまう。
「───どうしてあなたは一人で戦おうとするんだ。ここにいる仲間のことを思い出せ。ぼくたちは共に困難に立ち向かう準備ができている」
「さあ共に行こう、僕たちの戦場へ───私もそこで胸が熱くなりました」
「だよね! もう、とても人ごとだと思えなくて」
「分かります! 手に汗握るとはこのことだと実感しました」
二人は互いに感情を共有し合う、実に健全なコミュニケーションを行っていた。それは不可侵の領域のように侵しがたく───私は踏み荒らさないよう、慎重に足を踏み入れる。
「……素晴らしい話のようだな。私も今度借りてもいいだろうか」
「っ! もちろん! ……あ、でも私は読むのが遅いからジャスミンに借りたほうが早いかも」
「いや、よければ君のを借りたい。迷惑でなければ……そうしてほしい」
つい口ら出た願望に自分自身驚く。だが心優しい彼女は笑顔を浮かべて了承してくれた。
彼女は可憐な眼差しで私を見上げて「ミゲルと本の貸し借りだなんて、ちょっと緊張するかも」と頬に赤みが差す。私の心臓の音が、彼女に聞こえてしまうような気がした。
「ワオ……ラブシーンの予感が。私はちょっと席を外したほうがいいかも」
ジャスミンの小さな声に、余計なお節介はやめるよう言いたかった。だが、それを彼女に聞かれて説明求められたらと考える内に「それじゃあ私は行きます!」とジャスミンは走り出してしまう。
残された私たちは互いに顔を見合わせる。彼女は不思議そうにしていた。私は苦笑を浮かべてそれを答えとした。
「ジャスミン、用事でも思い出したのかしら」
「そうだな。あの子は幼いながらに働き者だ。私も見習わなければな」
「ふふ、そうだね。じゃあ私も仕事に戻ろうかな」
「あ……そう、だな」
思わず彼女を引き留めそうなる。忙しいナナシの時間を奪おうなど、なんて欲深い。自分で自分が恐ろしかった。
「……その、ミゲルさえ良ければ夕ご飯を一緒に食べない? なんだか一人で食べると味気なくて」
私の未練が伝わったのだろうか。まさか彼女の方から食事に誘ってくれるなんて───夢かもしれない可能性に頬をつねりたくなるが、理性でそれを止める。
「もちろん、君と過ごせるなら喜んでお受けしよう」
「ほんと? 嬉しい! じゃあ18時にブルームーンで」
「ああ、楽しみにしている」
心からの笑顔を浮かべて、彼女は走り去っていく。
私は手を振ってそれを見送った。
光の下にいる彼女は、何よりも眩しく見えた。
❇︎ ❇︎ ❇︎
───檻の中は時間だけが有り余るほどあった。
差し入れだとジャスティスから渡された本の表紙を撫ぜる。
「……随分時間がかかったな」
いつか貸して欲しいと彼女に頼んだ日のことを、今でも鮮明に思い出せる。
私は、後悔などしない。だが、それでも、あの日の全てを自分が壊したのだと思うと、胸が痛むことだけはどうしようもなかった。
本を手に取ると、何かが挟まっていることに気づいた。ジャスティスがこれに気づかないはずがない。おそらく目を瞑ったのだろう、彼女のために───
彼女からの手紙は、何度も書き直したように見えた。感情的にならないようにと、言葉を選んでいる彼女の姿がありありと思い浮かぶ。
「……っ、ふっ……うぅ……」
涙など流す資格はない。分かっている。分かっているのに、それでも流れていくものはなんだ。
彼女の言葉が好きだった。
それは今も変わらない。だというのに一文字一文字が私を切り刻むように胸を痛めつける。
だが、その痛みこそが、愛だと確信できた。
私は彼女を、ナナシを愛していた。
そして私は、そんな愛しい人を───なによりも大切にするべきだった人を踏み躙ってここにいる。それが全てだった。
もう二度と取り戻せないとしても、私は、彼女と愛を交わし合ったあの日々を、最後まで忘れないだろう。
「はっ……罪人には過ぎたものだな」
私は涙を拭って、本を開いた。
彼女がそうしたように、一文ごとに丁寧に読み進めていく。
そうしていると、まるで彼女がそこにいて、あの日のように読み聞かせてくれるような気がした。
牢の中に光が差したようだった。
終わり
