第一章 冬の国
朝焼けに染まる雪原は、淡い桃色に輝いていた。
冬の国に来て数日が経った。
えとさんはすっかり城の人たちにも慣れ、侍女たちと笑顔で話す姿を見かけることも増えた。
俺は窓辺に立ち、その様子をぼんやりと眺めていた。
「ゆあんくん。」
俺は冬の魔法使いとして城に常駐している。
女王陛下から賜った自室の扉をノックする音とともに、シヴァさんが部屋へ入ってくる。
「女王陛下がお呼びだよ。」
「ああ。」
返事を返しシヴァさんと共に冷え切った静かな廊下を歩き、女王陛下の執務室へと向かう。
扉を開けると、るなが古い地図を広げて待っていた。
「ゆあんくん、来てくれてありがとう。」
「何かあった?」
るなは頷き、地図の一点を指差した。
「国境近くの森で、また異変が確認されたの。」
そこには赤い印が付けられている。
「雪が溶け、その下から春の花が咲いているそうよ。」
「……またか。」
ここ数日で三度目の報告だった。
春の魔力は、確実に冬へ流れ込んでいるようだった。
「調査には、ゆあんくんとえとさんに行ってもらいたいの。」
「二人で?」
「ええ。」
るなの優しい瞳が少しだけ曇る。
「調査中に何が起こるかわからない。
国を代表する2人の魔法使いが共に行動した方が何かあっても対処できるでしょう。」
その言葉に、俺は胸が小さくざわつくのを感じた。
◇ ◇ ◇
「調査?」
えとさんは目を丸くした。
「うん。」
るなから勅命があった足でえとさんのところに来て早々伝えるとえとさんの表情はどこか嬉しそうだった。
「一緒に行けるんだね。」
……そんなに嬉しいものなのか?
えとさんは今回の現象解明に関して春の国を背負っている。
プレッシャーに感じているのではと思っていたがそうではないのか?
「危険かもしれないよ。」
ぽそりと言うと、えとさんは笑った。
「大丈夫っしょ。ゆあんくんがいるもん。」
その一言に、思考が止まる。
「え?」
「ゆあんくんが一緒なら大丈夫。」
まっすぐな瞳。
迷いなんて一つもない目だった。
……なんだろう、胸がむず痒い感じ。
「……過信はするな。」
ようやくそれだけ返すと、えとさんはくすりと笑った。
「はーい。」
◇ ◇ ◇
国境へ向かう森は、静寂に包まれていた。
雪をまとった針葉樹が空高く伸び、木漏れ日が雪面に細かな光を散らしている。
歩いていると、不意にえとさんが立ち止まった。
「見て。」
指差した先。
雪の中から、小さなオレンジ色の花が顔をのぞかせていた。
「また……。」
花は春の国にしか咲かない種類だ。
オレンジ色の6つの花弁が北風に揺られていた。
俺はしゃがみ込み、そっと花に触れた。
冷たい雪の中で震えながらも、懸命に咲いている。
「強い花だね。」
えとさんが隣へしゃがむ。
肩が少し触れたその瞬間だった。
花がふわりと光を放つ。
「……!」
光は雪の上を流れ、小さな花々が次々と咲き始める。
オレンジ、桃色、淡い黄色。
色鮮やかな花畑が、雪原の一角だけを優しく染め上げていく。
「これ……。」
えとさんも息を呑んでいた。
風が吹く。
花びらが舞う。
その中に、雪が混ざる。
春と冬が一緒に踊っているような、不思議な光景だった。
「綺麗……。」
えとの声は、どこか泣きそうだった。
「でも、どうして……。」
俺にも分からない。
ただ一つ言えるのは。
この景色は、美しすぎる。
そして"喪失感"も同時に感じた。
◇ ◇ ◇
その夜。
執務室では、るなとシヴァさんが昼間の報告を聞いていた。
「雪の中に花畑が……。」
るなが静かに目を閉じる。
シヴァさんも神妙な表情で頷いた。
「間違いありません。何か我々もわからない力が、目覚め始めています。」
るなは窓の外へ目を向けた。
降り積もる雪の向こうに、遠く春の国がある。
——どうか……運命が、あの二人を引き裂く未来だけは……。
誰にも届かない祈りだけが、雪明かりの夜に静かに響いていた。
◇ ◇ ◇
夜更けの冬の王国は深い静寂に包まれていた。
窓の外では雪が静かに降り続き、月明かりを受けて銀色に輝いている。
俺は眠っていた。
──いや。
眠っているはずなのに、どこか温かい風を感じていた。
⸻白い世界。
雪が降っているのに寒くない。
不思議に思って辺りを見回すと、雪の中に色とりどりの花が咲いていた。
淡い桃色の花。
オレンジ色の花。
小さな青い花。
雪原いっぱいに咲き誇る花畑。
ありえない景色だった。
「わぁ……!」
どこからか、小さな笑い声が聞こえ、振り返る。
オレンジ色の髪を揺らしながら、小さな女の子が花畑の中を駆け回っていた。
まだ五歳くらいだろうか。
両手いっぱいに花を抱え、楽しそうに笑っている。
その笑顔を見た瞬間。
胸が、締め付けられた。
知っている。
この笑顔を、俺は知っている。
「待って。」
自然と声が出た。
女の子が振り向く。
柔らかな琥珀色の瞳。
その瞳を見た瞬間、胸の奥が温かくなる。
「 ——んくん!」
その声が響いたところで──夢は途切れた。
———— ——
「……っ。」
目を覚ました。まだ夜だった。
部屋は静まり返っている。
夢……だったのか。
額に手を当てる。
鼓動が少し速い。
「……誰だったんだ。」
あんな夢、見たことがない。
なのに。
どうしてこんなにも切なくて、涙が出そうになるんだ。
◇ ◇ ◇
同時刻、別の部屋。
「……。」
私はゆっくり目を開けた。
頬が少しだけ濡れている。
夢を見た。
真っ白な世界。
雪。
そして。
黒い髪の男の子。
「大丈夫?」
そう言って、転んだ私に手を差し伸べてくれた。
その手は少し冷たかった。
でも、握った瞬間、とても安心した。
「ありがとう。」
そう言って笑うと、男の子も少し照れたように笑った。
そこまで思い出したところで、夢は終わった。
「……誰だったんだろう。」
胸の奥が切ない。
思い出せそうで、思い出せない。
大切な何かを忘れている。
そんな気がした。
こんなの、初めてだった。
◇ ◇ ◇
翌朝。
「おはよう。」
食堂へ行くと、ゆあんくんが先に座っていた。
「お、おはよう。」
なんだろう。
昨日までと少し違う。変な夢を見たからか胸の奥がざわつく、
ゆあんくんも同じなのか、少しだけ落ち着かない様子だった。
るながそんな二人を見比べ、小さく微笑む。
「昨日はよく眠れた?」
「はい。」
「……まあ。」
二人とも、夢のことは言わなかった。
言えなかった。
朝食を終えたあと。
「ゆあんくん、少し散歩しない?」
えとさんが言った。
「雪景色を、もう少し見てみたくて。」
俺は頷いた。
「いいよ。」
二人で城の庭園を歩くことにした。
冬の庭は静かだった。
雪をまとった木々。
凍った噴水。
枝先で揺れる小さな氷柱。
その中を歩いていると、不意にえとさんが足を止めた。
「あれ?」
雪の上に、小さな足跡が続いている。
子どものものだ。
その足跡を追っていくと、一匹の白い子ぎつねが木陰で震えていた。
前足を少し傷つけている。
「かわいそう……。」
えとさんはそっとしゃがみ込む。
「逃げないでね。痛くしないから」
そういうえとさんの周りに春の魔力が優しく溢れる。
柔らかな緑色の光が子ぎつねを包み込むと、傷がゆっくり癒えていく。
子ぎつねは立ち上がり、不思議そうにえとさんを見つめ、手へ頬をすり寄せた。
「ふふっ。」
えとさんは嬉しそうに笑う。
その光景を見ていると、不思議な感覚が胸をよぎる。
……昔も。
こんなふうに笑っていた。
誰が?
えとさんが?
いや。
そんなはずはない。
俺たちは、今回出会ったばかりだ。
なのに。
「ゆあんくん?」
「……え?」
「どうしたの?」
心配そうに見上げる瞳。
その瞳を見た瞬間。
夢の中の女の子と重なった。
胸が苦しくなる。
「いや……。」
俺は小さく首を振る。
「何でもない。」
——本当に?
自分に問いかけても、答えは返ってこない。
ただ、忘れてはいけない何かが、俺たちを待っている気がしてならなかった。
◇ ◇ ◇
その頃。
城の最上階。
るなは一冊の古い日記を静かに閉じた。
そこには、十三年前の日付とともに、短い文章が残されている。
『境界の花園にて、春と冬の子らが出会う。世界樹の意思により、記憶を封印する。』
るなは窓の外を見つめ、小さく息をついた。
「……目覚め始めている。」
その言葉を聞いたシヴァは静かに頷く。
雪は今日も、誰にも気づかれぬよう、秘密を覆い隠していた。
◇ ◇ ◇
冬の王国には、夜になると灯る光がある。
昼間は真っ白だった街並みも、夕暮れが訪れると一つ、また一つと窓辺に灯がともり始める。
雪の上に映る橙色の光はゆらゆらと揺れ、まるで星が地上へ降りてきたようだった。
私は城の回廊を歩きながら、その景色に何度も足を止める。
「……綺麗。」
思わず漏れた声に、隣を歩くゆあんくんが小さく微笑んだ。
「今日は『雪灯祭』だからな。」
「雪灯祭?」
「冬の国では、一年で一番雪が深く積もる日に、灯りをともして春への願いを祈る祭りだ。」
「冬なのに……春を願うの?」
ゆあんくんは空を見上げる。
降り始めた雪が、静かに肩へ積もる。
「冬だけでは世界は巡らない。」
「春が来るから、冬にも意味がある。」
その言葉に胸が温かくなる。
冬の人たちは、春を嫌っているわけじゃない。
むしろ、誰よりも春を待ち望んでいるのかもしれない。
それが嬉しかった。
城下町では、人々が雪で作った小さな灯籠を並べていた。
丸く削られた雪の中に小さな灯火を入れると、雪がやわらかな光を透かし、幻想的な明かりへと変わる。
子どもたちは楽しそうに笑い、大人たちは静かに祈りを捧げている。
「えとさん。」
ゆあんくんの低い声が優しく響く。
「作ってみるか?」
「いいの?」
「もちろん。」
私は小さな雪の塊を手に取り、不器用に形を整えていく。
だけど……
「わっ!」
ころんと雪玉が転がってしまった。
「難しい……。」
思わず肩を落とすと、近くで小さく笑うゆあんくんの声が聞こえた。
「笑った!」
「……少しだけ。」
「ひどい。」
頬を膨らませる私を見て、ゆあんは珍しく声を立てて笑う。
「貸して。」
ゆあんくんが私の隣へしゃがむ。
雪を丁寧に削り、指先で形を整えていく。
その手つきは驚くほど繊細だった。
「できた。」
差し出された雪灯籠は、丸く美しい形をしている。
「すごい……!」
「えとさんは力を入れすぎ。」
「うぅ……。」
「雪は壊れやすいから優しく触れないといけない。」
そう言って、私の手をそっと包む。
「こう。」
大きな手が私の手をすっぽりと包みこんだ。
少し冷たい。
でも不思議と安心する温度だった。
「ゆっくり。」
「うん……。」
二人で雪を削る。
近い。
顔も。
肩も。
鼓動まで聞こえてしまいそうだった。
ふと顔を上げると、ゆあんくんもこちらを見ていた。
目が合う。
時間が止まったようだった。
どこかで鈴の音が鳴る。
我に返った私達は慌てて目を逸らした。
「で、できた!」
少し歪だけれど、二人で作った雪灯籠。
その中へ小さな灯火をともす。
淡い光が雪越しに広がり、二人の顔を優しく照らした。
「綺麗……。」
「……ああ。」
頬が熱くてそれ以上言葉は出てこなかった。
——祭りの終わり。
人々が灯火を眺める中、一羽の白い鳥が空を横切った。
その鳥は、一枚の封筒をくわえて城へ降り立つ。
バルコニーでるなが受け取り、封を開く。
春の王国の紋章。
じゃぱぱからの親書だった。
静かに読み進めていたるなの表情が、少しだけ変わる。
「……来るのね。」
「陛下?」
シヴァが尋ねる。
るなは頷いた。
「春の近衛騎士団長、ヒロさんが明日、この国へ到着します。」
雪灯籠の光は静かに揺れながら、白銀の夜を優しく照らし続けていた。
冬の国に来て数日が経った。
えとさんはすっかり城の人たちにも慣れ、侍女たちと笑顔で話す姿を見かけることも増えた。
俺は窓辺に立ち、その様子をぼんやりと眺めていた。
「ゆあんくん。」
俺は冬の魔法使いとして城に常駐している。
女王陛下から賜った自室の扉をノックする音とともに、シヴァさんが部屋へ入ってくる。
「女王陛下がお呼びだよ。」
「ああ。」
返事を返しシヴァさんと共に冷え切った静かな廊下を歩き、女王陛下の執務室へと向かう。
扉を開けると、るなが古い地図を広げて待っていた。
「ゆあんくん、来てくれてありがとう。」
「何かあった?」
るなは頷き、地図の一点を指差した。
「国境近くの森で、また異変が確認されたの。」
そこには赤い印が付けられている。
「雪が溶け、その下から春の花が咲いているそうよ。」
「……またか。」
ここ数日で三度目の報告だった。
春の魔力は、確実に冬へ流れ込んでいるようだった。
「調査には、ゆあんくんとえとさんに行ってもらいたいの。」
「二人で?」
「ええ。」
るなの優しい瞳が少しだけ曇る。
「調査中に何が起こるかわからない。
国を代表する2人の魔法使いが共に行動した方が何かあっても対処できるでしょう。」
その言葉に、俺は胸が小さくざわつくのを感じた。
◇ ◇ ◇
「調査?」
えとさんは目を丸くした。
「うん。」
るなから勅命があった足でえとさんのところに来て早々伝えるとえとさんの表情はどこか嬉しそうだった。
「一緒に行けるんだね。」
……そんなに嬉しいものなのか?
えとさんは今回の現象解明に関して春の国を背負っている。
プレッシャーに感じているのではと思っていたがそうではないのか?
「危険かもしれないよ。」
ぽそりと言うと、えとさんは笑った。
「大丈夫っしょ。ゆあんくんがいるもん。」
その一言に、思考が止まる。
「え?」
「ゆあんくんが一緒なら大丈夫。」
まっすぐな瞳。
迷いなんて一つもない目だった。
……なんだろう、胸がむず痒い感じ。
「……過信はするな。」
ようやくそれだけ返すと、えとさんはくすりと笑った。
「はーい。」
◇ ◇ ◇
国境へ向かう森は、静寂に包まれていた。
雪をまとった針葉樹が空高く伸び、木漏れ日が雪面に細かな光を散らしている。
歩いていると、不意にえとさんが立ち止まった。
「見て。」
指差した先。
雪の中から、小さなオレンジ色の花が顔をのぞかせていた。
「また……。」
花は春の国にしか咲かない種類だ。
オレンジ色の6つの花弁が北風に揺られていた。
俺はしゃがみ込み、そっと花に触れた。
冷たい雪の中で震えながらも、懸命に咲いている。
「強い花だね。」
えとさんが隣へしゃがむ。
肩が少し触れたその瞬間だった。
花がふわりと光を放つ。
「……!」
光は雪の上を流れ、小さな花々が次々と咲き始める。
オレンジ、桃色、淡い黄色。
色鮮やかな花畑が、雪原の一角だけを優しく染め上げていく。
「これ……。」
えとさんも息を呑んでいた。
風が吹く。
花びらが舞う。
その中に、雪が混ざる。
春と冬が一緒に踊っているような、不思議な光景だった。
「綺麗……。」
えとの声は、どこか泣きそうだった。
「でも、どうして……。」
俺にも分からない。
ただ一つ言えるのは。
この景色は、美しすぎる。
そして"喪失感"も同時に感じた。
◇ ◇ ◇
その夜。
執務室では、るなとシヴァさんが昼間の報告を聞いていた。
「雪の中に花畑が……。」
るなが静かに目を閉じる。
シヴァさんも神妙な表情で頷いた。
「間違いありません。何か我々もわからない力が、目覚め始めています。」
るなは窓の外へ目を向けた。
降り積もる雪の向こうに、遠く春の国がある。
——どうか……運命が、あの二人を引き裂く未来だけは……。
誰にも届かない祈りだけが、雪明かりの夜に静かに響いていた。
◇ ◇ ◇
夜更けの冬の王国は深い静寂に包まれていた。
窓の外では雪が静かに降り続き、月明かりを受けて銀色に輝いている。
俺は眠っていた。
──いや。
眠っているはずなのに、どこか温かい風を感じていた。
⸻白い世界。
雪が降っているのに寒くない。
不思議に思って辺りを見回すと、雪の中に色とりどりの花が咲いていた。
淡い桃色の花。
オレンジ色の花。
小さな青い花。
雪原いっぱいに咲き誇る花畑。
ありえない景色だった。
「わぁ……!」
どこからか、小さな笑い声が聞こえ、振り返る。
オレンジ色の髪を揺らしながら、小さな女の子が花畑の中を駆け回っていた。
まだ五歳くらいだろうか。
両手いっぱいに花を抱え、楽しそうに笑っている。
その笑顔を見た瞬間。
胸が、締め付けられた。
知っている。
この笑顔を、俺は知っている。
「待って。」
自然と声が出た。
女の子が振り向く。
柔らかな琥珀色の瞳。
その瞳を見た瞬間、胸の奥が温かくなる。
「 ——んくん!」
その声が響いたところで──夢は途切れた。
———— ——
「……っ。」
目を覚ました。まだ夜だった。
部屋は静まり返っている。
夢……だったのか。
額に手を当てる。
鼓動が少し速い。
「……誰だったんだ。」
あんな夢、見たことがない。
なのに。
どうしてこんなにも切なくて、涙が出そうになるんだ。
◇ ◇ ◇
同時刻、別の部屋。
「……。」
私はゆっくり目を開けた。
頬が少しだけ濡れている。
夢を見た。
真っ白な世界。
雪。
そして。
黒い髪の男の子。
「大丈夫?」
そう言って、転んだ私に手を差し伸べてくれた。
その手は少し冷たかった。
でも、握った瞬間、とても安心した。
「ありがとう。」
そう言って笑うと、男の子も少し照れたように笑った。
そこまで思い出したところで、夢は終わった。
「……誰だったんだろう。」
胸の奥が切ない。
思い出せそうで、思い出せない。
大切な何かを忘れている。
そんな気がした。
こんなの、初めてだった。
◇ ◇ ◇
翌朝。
「おはよう。」
食堂へ行くと、ゆあんくんが先に座っていた。
「お、おはよう。」
なんだろう。
昨日までと少し違う。変な夢を見たからか胸の奥がざわつく、
ゆあんくんも同じなのか、少しだけ落ち着かない様子だった。
るながそんな二人を見比べ、小さく微笑む。
「昨日はよく眠れた?」
「はい。」
「……まあ。」
二人とも、夢のことは言わなかった。
言えなかった。
朝食を終えたあと。
「ゆあんくん、少し散歩しない?」
えとさんが言った。
「雪景色を、もう少し見てみたくて。」
俺は頷いた。
「いいよ。」
二人で城の庭園を歩くことにした。
冬の庭は静かだった。
雪をまとった木々。
凍った噴水。
枝先で揺れる小さな氷柱。
その中を歩いていると、不意にえとさんが足を止めた。
「あれ?」
雪の上に、小さな足跡が続いている。
子どものものだ。
その足跡を追っていくと、一匹の白い子ぎつねが木陰で震えていた。
前足を少し傷つけている。
「かわいそう……。」
えとさんはそっとしゃがみ込む。
「逃げないでね。痛くしないから」
そういうえとさんの周りに春の魔力が優しく溢れる。
柔らかな緑色の光が子ぎつねを包み込むと、傷がゆっくり癒えていく。
子ぎつねは立ち上がり、不思議そうにえとさんを見つめ、手へ頬をすり寄せた。
「ふふっ。」
えとさんは嬉しそうに笑う。
その光景を見ていると、不思議な感覚が胸をよぎる。
……昔も。
こんなふうに笑っていた。
誰が?
えとさんが?
いや。
そんなはずはない。
俺たちは、今回出会ったばかりだ。
なのに。
「ゆあんくん?」
「……え?」
「どうしたの?」
心配そうに見上げる瞳。
その瞳を見た瞬間。
夢の中の女の子と重なった。
胸が苦しくなる。
「いや……。」
俺は小さく首を振る。
「何でもない。」
——本当に?
自分に問いかけても、答えは返ってこない。
ただ、忘れてはいけない何かが、俺たちを待っている気がしてならなかった。
◇ ◇ ◇
その頃。
城の最上階。
るなは一冊の古い日記を静かに閉じた。
そこには、十三年前の日付とともに、短い文章が残されている。
『境界の花園にて、春と冬の子らが出会う。世界樹の意思により、記憶を封印する。』
るなは窓の外を見つめ、小さく息をついた。
「……目覚め始めている。」
その言葉を聞いたシヴァは静かに頷く。
雪は今日も、誰にも気づかれぬよう、秘密を覆い隠していた。
◇ ◇ ◇
冬の王国には、夜になると灯る光がある。
昼間は真っ白だった街並みも、夕暮れが訪れると一つ、また一つと窓辺に灯がともり始める。
雪の上に映る橙色の光はゆらゆらと揺れ、まるで星が地上へ降りてきたようだった。
私は城の回廊を歩きながら、その景色に何度も足を止める。
「……綺麗。」
思わず漏れた声に、隣を歩くゆあんくんが小さく微笑んだ。
「今日は『雪灯祭』だからな。」
「雪灯祭?」
「冬の国では、一年で一番雪が深く積もる日に、灯りをともして春への願いを祈る祭りだ。」
「冬なのに……春を願うの?」
ゆあんくんは空を見上げる。
降り始めた雪が、静かに肩へ積もる。
「冬だけでは世界は巡らない。」
「春が来るから、冬にも意味がある。」
その言葉に胸が温かくなる。
冬の人たちは、春を嫌っているわけじゃない。
むしろ、誰よりも春を待ち望んでいるのかもしれない。
それが嬉しかった。
城下町では、人々が雪で作った小さな灯籠を並べていた。
丸く削られた雪の中に小さな灯火を入れると、雪がやわらかな光を透かし、幻想的な明かりへと変わる。
子どもたちは楽しそうに笑い、大人たちは静かに祈りを捧げている。
「えとさん。」
ゆあんくんの低い声が優しく響く。
「作ってみるか?」
「いいの?」
「もちろん。」
私は小さな雪の塊を手に取り、不器用に形を整えていく。
だけど……
「わっ!」
ころんと雪玉が転がってしまった。
「難しい……。」
思わず肩を落とすと、近くで小さく笑うゆあんくんの声が聞こえた。
「笑った!」
「……少しだけ。」
「ひどい。」
頬を膨らませる私を見て、ゆあんは珍しく声を立てて笑う。
「貸して。」
ゆあんくんが私の隣へしゃがむ。
雪を丁寧に削り、指先で形を整えていく。
その手つきは驚くほど繊細だった。
「できた。」
差し出された雪灯籠は、丸く美しい形をしている。
「すごい……!」
「えとさんは力を入れすぎ。」
「うぅ……。」
「雪は壊れやすいから優しく触れないといけない。」
そう言って、私の手をそっと包む。
「こう。」
大きな手が私の手をすっぽりと包みこんだ。
少し冷たい。
でも不思議と安心する温度だった。
「ゆっくり。」
「うん……。」
二人で雪を削る。
近い。
顔も。
肩も。
鼓動まで聞こえてしまいそうだった。
ふと顔を上げると、ゆあんくんもこちらを見ていた。
目が合う。
時間が止まったようだった。
どこかで鈴の音が鳴る。
我に返った私達は慌てて目を逸らした。
「で、できた!」
少し歪だけれど、二人で作った雪灯籠。
その中へ小さな灯火をともす。
淡い光が雪越しに広がり、二人の顔を優しく照らした。
「綺麗……。」
「……ああ。」
頬が熱くてそれ以上言葉は出てこなかった。
——祭りの終わり。
人々が灯火を眺める中、一羽の白い鳥が空を横切った。
その鳥は、一枚の封筒をくわえて城へ降り立つ。
バルコニーでるなが受け取り、封を開く。
春の王国の紋章。
じゃぱぱからの親書だった。
静かに読み進めていたるなの表情が、少しだけ変わる。
「……来るのね。」
「陛下?」
シヴァが尋ねる。
るなは頷いた。
「春の近衛騎士団長、ヒロさんが明日、この国へ到着します。」
雪灯籠の光は静かに揺れながら、白銀の夜を優しく照らし続けていた。