第一章 冬の国
世界は、四つの季節によって守られていた。
春は命を芽吹かせ。
夏は太陽を巡らせ。
秋は実りを育み。
冬は静かな眠りを与える。
その均衡があるからこそ、人々は笑い、花は咲き、生命は命を育み、雪は溶け、また春が巡ってくる。
けれど、古くから誰もが知っている言い伝えがあった。
――春と冬は、決して交わってはならない。
もし二つの季節が交われば、世界から四季は失われる。
四季が失われれば世界の循環が止まる。
循環が止まったらどうなるのか?
誰も経験したことはないけれどそれは「いけないこと」だと潜在的に理解していた。
そして——誰も、そんなことが本当に起こるとは思っていなかった。
* * *
春の王国・フローリア。
朝露をまとった花々が朝日にきらめき、やわらかな風が丘一面を駆け抜けていく。
淡い桜色の花びらが空を舞うたび、森の小鳥たちは楽しそうに歌い、妖精たちは鈴のような笑い声を響かせた。
「また咲いた。」
オレンジ色の髪を春風になびかせた少女は両手を胸の前で重ね、小さく微笑んだ。
足元から淡い緑色の光がこぼれ、一輪、また一輪と花が咲いていく。
名前は、えと。
春を司る魔法使い。
まだ若い魔法使いだけれど、花々は彼女の心に応えるように咲き誇る。
「みんな、おはよう。」
そう声を掛けると、花びらが風に乗って踊る。
森は、彼女の笑顔が好きだった。
草花は、彼女の声が好きだった。
彼女もこの国がとても好きだった。
遠くで、鐘が鳴る。
ゴォォン……。
一度。
二度。
三度。
春の王国では滅多に鳴らない警鐘だった。
「え、なに……?」
えとは花籠を抱えたまま城へ駆け出す。
広場には騎士たちが集まり、人々は不安そうに空を見上げていた。
その視線の先。
青く澄んでいるはずの空から、白い結晶が舞い落ちる。
「……雪?」
誰かが震える声でつぶやいた。
春の空に。
季節外れの雪が降っていた。
花びらと雪。
決して同じ空を舞うはずのない二つが、静かに重なっていく。
えとはそっと手を伸ばした。
冷たい結晶が指先で溶ける、その一瞬。
胸の奥が、理由もなく締めつけられた。
まるで、この雪が誰かの寂しさを運んできたような気がして。
時同じくして――。
遥か北。
永遠に雪が降り積もる冬の王国・ニヴェリアでは、一人の青年が城門を見つめていた。
黒髪を揺らす冷たい風。
静かな銀世界。
青年の名は、ゆあん。
冬を司る魔法使い。
彼が歩けば雪は深く積もり、吐く息は白く空へ溶けていく。
その瞳は、どこか遠くを探していた。
「……春。」
誰にも聞こえないほど小さくつぶやいた時、雪原に一輪だけ、小さなオレンジ色の花が咲いた。
冬には決して咲くことのない花。
その奇跡を見つめる青年は、まだ知らない。
その花を咲かせた少女と出会うことが、自分の運命だけでなく、世界そのものを変えてしまうことを。
* * *
朝露をまとった花びらが、陽の光を受けてきらきらと輝いている。
昨日までと同じ景色……の、はずだった。
「やっぱり、おかしい。」
私は庭園にしゃがみ込み、小さく咲いた白い花に触れた。
春の花なのに、花びらの縁が薄く凍っている。
冷たい。
まるで冬が、ここまで歩いてきたみたいだった。
「えとさん。」
後ろから聞き慣れた声がして振り返る。
「もふくん!」
黒縁の眼鏡をかけて歩いてくるもふくんは、春の王様。
ぶっきらぼうだけど、誰よりも優しくて、私が小さい頃からずっと面倒を見てくれた人だ。
「朝から庭にいると思ったら、やっぱりここか。」
「見て。この花。」
私は凍った花を指差す。
もふくんはしゃがみ込み、花びらを指先でなぞる。
その表情が少しだけ曇った。
「……間違いないな。」
「え?」
「冬の魔力だ。」
胸がざわりとした。
昨日、空から降った雪。
あれは見間違いじゃなかったんだ。
「え……でも、どうして?」
「それを調べるために、呼びに来た。」
もふくんは立ち上がる。
「四季の王がお呼びだ。」
四季の神殿は、花の香りに包まれている。
蔦が絡まる白い柱。
色とりどりの花が咲く大広間。
だけど今日は、どこか空気が重かった。
玉座には四季王・じゃぱぱ。
その隣には、秋の女王・のあさん。
そして、夏の守護者・たっつん。
春の王様・もふくんと
春の魔法使いえと。
夏と冬の王は欠席みたいだけど
四季の重要人物が集まる機会なんて、滅多にない。
「えとさん。」
じゃぱぱが八重歯を覗かせながら優しく笑う。
「昨日の雪は見たね。」
「……はい。」
「調査の結果、冬の魔力が国境を越えて流れ込んでいることがわかった。」
ざわっと広間が揺れる。
そんなこと、今まで聞いたことがない。
季節の境界は絶対なのにそれが崩れるなんて――。
「冬の国との争いが始まるってことですか?」
思わず口を開くと、じゃぱぱは静かに首を振った。
「違う。」
代わりに口を開いたのは、のあさんだった。
その穏やかな瞳には、少しだけ悲しみが宿っている。
「冬の国も同じ異変に苦しんでいます。」
「え……?」
「春の魔力が、向こうへ流れているそうです。」
春が冬へ。
冬が春へ。
春と冬は隣り合わせにあるようで実は違う
お互いの魔力が流れ合うなんてことはありえないことだった。
「世界の均衡が乱れ始めています。」
たっつんが腕を組む。
「このままじゃ、四季そのものが壊れるな。」
その言葉に、大広間が静まり返った。
会議が終わると、私は中庭で一人、空を見上げていた。
桜の花びらが舞っている。
……その中に。
ひとひらだけ雪が混じっていた。
「そんな顔してると、花まで元気なくなるぞ。」
振り向くと、もふくんだった。
私は苦笑いする。
「だって、大事だし、不安だもん。」
「そりゃそうだ。」
「四季が壊れるなんて……。」
もふくんはしばらく黙っていた。
それから、小さく息を吐く。
「えとさん。」
「なに?」
「えとさんに頼みがある。」
私は背筋を伸ばした。
もふくんがこんな真面目な顔をする時は、大事な話だ。
「冬の国へ行ってきて。」
「……え?」
思わず聞き返す。
「春の魔法使いとして。」
「えっ!? わ、私が!?」
「あぁ……この国魔法使いで冬の国に一番近づいても枯れない花を咲かせられるのは、えとさんだけだ。」
「でも……。」
冬の国。
雪しか降らない国。
春とは正反対の世界。
怖くないと言えば嘘になる。
「大丈夫。」
もふくんは私の頭をぽんと叩いた。
「えとさんならできる。」
「……。」
「それに。」
少しだけ笑う。
「えとさんが泣くような、苦しいことがあったら、その時は俺が迎えに行く。」
「ふふっ。」
昔から変わらない。
不器用なくせに、こういうことだけはちゃんと言うんだから。
「ありがとう、もふくん。」
私はぎゅっと胸の前で手を握る。
世界を守るため。
春を守るため。
そして、この異変の理由を知るため、私は、冬の国へ向かうことを決めた。
その頃――。
春と冬の国境。
雪が静かに降る森で、青年が足を止めていた。
黒い髪を風に揺らしながら、彼は雪の上にしゃがみ込む。
白銀の世界の中。
たった一輪。
オレンジ色の花が咲いていた。
「……春の魔力。」
青年は花にそっと触れる。
触れても花は消えずに、雪の上で静かに揺れた。
「どうして……。」
その疑問に答えられる者は、まだ誰もいない。
けれど運命は、確かに二人を同じ場所へ導き始めていた。
春は命を芽吹かせ。
夏は太陽を巡らせ。
秋は実りを育み。
冬は静かな眠りを与える。
その均衡があるからこそ、人々は笑い、花は咲き、生命は命を育み、雪は溶け、また春が巡ってくる。
けれど、古くから誰もが知っている言い伝えがあった。
――春と冬は、決して交わってはならない。
もし二つの季節が交われば、世界から四季は失われる。
四季が失われれば世界の循環が止まる。
循環が止まったらどうなるのか?
誰も経験したことはないけれどそれは「いけないこと」だと潜在的に理解していた。
そして——誰も、そんなことが本当に起こるとは思っていなかった。
* * *
春の王国・フローリア。
朝露をまとった花々が朝日にきらめき、やわらかな風が丘一面を駆け抜けていく。
淡い桜色の花びらが空を舞うたび、森の小鳥たちは楽しそうに歌い、妖精たちは鈴のような笑い声を響かせた。
「また咲いた。」
オレンジ色の髪を春風になびかせた少女は両手を胸の前で重ね、小さく微笑んだ。
足元から淡い緑色の光がこぼれ、一輪、また一輪と花が咲いていく。
名前は、えと。
春を司る魔法使い。
まだ若い魔法使いだけれど、花々は彼女の心に応えるように咲き誇る。
「みんな、おはよう。」
そう声を掛けると、花びらが風に乗って踊る。
森は、彼女の笑顔が好きだった。
草花は、彼女の声が好きだった。
彼女もこの国がとても好きだった。
遠くで、鐘が鳴る。
ゴォォン……。
一度。
二度。
三度。
春の王国では滅多に鳴らない警鐘だった。
「え、なに……?」
えとは花籠を抱えたまま城へ駆け出す。
広場には騎士たちが集まり、人々は不安そうに空を見上げていた。
その視線の先。
青く澄んでいるはずの空から、白い結晶が舞い落ちる。
「……雪?」
誰かが震える声でつぶやいた。
春の空に。
季節外れの雪が降っていた。
花びらと雪。
決して同じ空を舞うはずのない二つが、静かに重なっていく。
えとはそっと手を伸ばした。
冷たい結晶が指先で溶ける、その一瞬。
胸の奥が、理由もなく締めつけられた。
まるで、この雪が誰かの寂しさを運んできたような気がして。
時同じくして――。
遥か北。
永遠に雪が降り積もる冬の王国・ニヴェリアでは、一人の青年が城門を見つめていた。
黒髪を揺らす冷たい風。
静かな銀世界。
青年の名は、ゆあん。
冬を司る魔法使い。
彼が歩けば雪は深く積もり、吐く息は白く空へ溶けていく。
その瞳は、どこか遠くを探していた。
「……春。」
誰にも聞こえないほど小さくつぶやいた時、雪原に一輪だけ、小さなオレンジ色の花が咲いた。
冬には決して咲くことのない花。
その奇跡を見つめる青年は、まだ知らない。
その花を咲かせた少女と出会うことが、自分の運命だけでなく、世界そのものを変えてしまうことを。
* * *
朝露をまとった花びらが、陽の光を受けてきらきらと輝いている。
昨日までと同じ景色……の、はずだった。
「やっぱり、おかしい。」
私は庭園にしゃがみ込み、小さく咲いた白い花に触れた。
春の花なのに、花びらの縁が薄く凍っている。
冷たい。
まるで冬が、ここまで歩いてきたみたいだった。
「えとさん。」
後ろから聞き慣れた声がして振り返る。
「もふくん!」
黒縁の眼鏡をかけて歩いてくるもふくんは、春の王様。
ぶっきらぼうだけど、誰よりも優しくて、私が小さい頃からずっと面倒を見てくれた人だ。
「朝から庭にいると思ったら、やっぱりここか。」
「見て。この花。」
私は凍った花を指差す。
もふくんはしゃがみ込み、花びらを指先でなぞる。
その表情が少しだけ曇った。
「……間違いないな。」
「え?」
「冬の魔力だ。」
胸がざわりとした。
昨日、空から降った雪。
あれは見間違いじゃなかったんだ。
「え……でも、どうして?」
「それを調べるために、呼びに来た。」
もふくんは立ち上がる。
「四季の王がお呼びだ。」
四季の神殿は、花の香りに包まれている。
蔦が絡まる白い柱。
色とりどりの花が咲く大広間。
だけど今日は、どこか空気が重かった。
玉座には四季王・じゃぱぱ。
その隣には、秋の女王・のあさん。
そして、夏の守護者・たっつん。
春の王様・もふくんと
春の魔法使いえと。
夏と冬の王は欠席みたいだけど
四季の重要人物が集まる機会なんて、滅多にない。
「えとさん。」
じゃぱぱが八重歯を覗かせながら優しく笑う。
「昨日の雪は見たね。」
「……はい。」
「調査の結果、冬の魔力が国境を越えて流れ込んでいることがわかった。」
ざわっと広間が揺れる。
そんなこと、今まで聞いたことがない。
季節の境界は絶対なのにそれが崩れるなんて――。
「冬の国との争いが始まるってことですか?」
思わず口を開くと、じゃぱぱは静かに首を振った。
「違う。」
代わりに口を開いたのは、のあさんだった。
その穏やかな瞳には、少しだけ悲しみが宿っている。
「冬の国も同じ異変に苦しんでいます。」
「え……?」
「春の魔力が、向こうへ流れているそうです。」
春が冬へ。
冬が春へ。
春と冬は隣り合わせにあるようで実は違う
お互いの魔力が流れ合うなんてことはありえないことだった。
「世界の均衡が乱れ始めています。」
たっつんが腕を組む。
「このままじゃ、四季そのものが壊れるな。」
その言葉に、大広間が静まり返った。
会議が終わると、私は中庭で一人、空を見上げていた。
桜の花びらが舞っている。
……その中に。
ひとひらだけ雪が混じっていた。
「そんな顔してると、花まで元気なくなるぞ。」
振り向くと、もふくんだった。
私は苦笑いする。
「だって、大事だし、不安だもん。」
「そりゃそうだ。」
「四季が壊れるなんて……。」
もふくんはしばらく黙っていた。
それから、小さく息を吐く。
「えとさん。」
「なに?」
「えとさんに頼みがある。」
私は背筋を伸ばした。
もふくんがこんな真面目な顔をする時は、大事な話だ。
「冬の国へ行ってきて。」
「……え?」
思わず聞き返す。
「春の魔法使いとして。」
「えっ!? わ、私が!?」
「あぁ……この国魔法使いで冬の国に一番近づいても枯れない花を咲かせられるのは、えとさんだけだ。」
「でも……。」
冬の国。
雪しか降らない国。
春とは正反対の世界。
怖くないと言えば嘘になる。
「大丈夫。」
もふくんは私の頭をぽんと叩いた。
「えとさんならできる。」
「……。」
「それに。」
少しだけ笑う。
「えとさんが泣くような、苦しいことがあったら、その時は俺が迎えに行く。」
「ふふっ。」
昔から変わらない。
不器用なくせに、こういうことだけはちゃんと言うんだから。
「ありがとう、もふくん。」
私はぎゅっと胸の前で手を握る。
世界を守るため。
春を守るため。
そして、この異変の理由を知るため、私は、冬の国へ向かうことを決めた。
その頃――。
春と冬の国境。
雪が静かに降る森で、青年が足を止めていた。
黒い髪を風に揺らしながら、彼は雪の上にしゃがみ込む。
白銀の世界の中。
たった一輪。
オレンジ色の花が咲いていた。
「……春の魔力。」
青年は花にそっと触れる。
触れても花は消えずに、雪の上で静かに揺れた。
「どうして……。」
その疑問に答えられる者は、まだ誰もいない。
けれど運命は、確かに二人を同じ場所へ導き始めていた。
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