学生編

夕焼けはすっかり群青色へと溶け、街の灯りがひとつ、またひとつと瞬き始めていた。

「……はい。よろしくお願いします」

えとさんのその一言が、何度も頭の中で繰り返される。

夢じゃない。
えとさんが、俺の想いに応えてくれた。
嬉しくて、胸がいっぱいになる。

でも、勢いで抱きしめたりなんてできるほど俺は器用じゃない。
周囲からは遊んでいそうとか女慣れしていそうと言われるけど、
見た目は人より派手かもしれないけど、実際はそんなことはない。

いまはただ隣に立つえとさんを見ているだけで十分だった。
頬を赤く染めて俯く横顔。
冷たい風で揺れるオレンジ色の髪。
全部が愛おしい。

「……帰ろっか」

照れ隠しみたいにそう言うと、

「はい」

えとさんは小さく笑った。
その笑顔だけで、今日という日が一生忘れられないものになった。



帰り道。

さっきまで普通に歩いていたはずなのに、不思議なくらい距離感がわからない。
付き合う前なら、ゲームの話やくだらない話をして笑って、それで終わりだった。
なのに今は。

「……」
「……」

沈黙が続く。
気まずいわけじゃない。心地いい、焦ったい沈黙だった。
お互い何を話せばいいのかわからなくて、笑ってしまいそうになる。

「……寒いね。」

「はい。」

「冬、近いなぁ。」

「ですね。」

会話になってるようで、なってない。
思わず笑うと、えとさんもつられて笑った。

「なんか……変ですね。」

「うん。めっちゃ変。」

二人で顔を見合わせて笑う。
その瞬間、やっといつもの空気が戻ってきた。

「明日も部活来る?」

「行きます。」

「じゃあまたマイクラやろ。」

「はい。」

「今度ダンジョン最後まで攻略しよう。」

「絶対ですよ?」

「もちろん。」




 

駅へ向かう分かれ道。
ここでえとさんとは反対方向になる。

「じゃあ、また明日。」そう言おうとした時だった。

「……あの。」

えとさんが少しだけ俯いたまま、制服の袖をぎゅっと握る。

「ん?」

少しだけ間が空く。
言いにくそうに何度も視線を泳がせている。

「ひとつ……お願いがあるんです。」

その表情を見た瞬間、胸が少しだけざわついた。
やっぱり付き合えないとか?

「なに?」

「……付き合ってること、学校では秘密にしませんか。」

消えて空気に溶け込みそうな静かな声だった。
俺は驚きこそしたものの、すぐには返事をしなかった。
理由を聞くより先に、その続きを待った。
えとさんは苦しそうに笑う。

「うり先輩は……学校でも人気者ですし。」

「……。」

「友達もたくさんいて、みんなに好かれてて。」

少しだけ言葉を探すように息をつく。

「私は……その、普通だから。」

「そんなこと──」

思わず口を開きかける。
けれど、えとさんは小さく首を横に振った。

「違うんです。
うり先輩がどう思ってるかじゃなくて……私が、自信ないだけなんです。」

その声は震えていた。

「先輩の隣にいるのが私でいいのかなって……きっと思っちゃうから。
もし周りに何か言われたら、きっと私は気にしてしまう。
だから……ごめんなさい。」

謝ることなんて、ひとつもないのに。
俺は少しだけ夜空を見上げた。
本当はみんなに言いたかった。

「えとさんは俺の彼女なんだ。」

そう胸を張って紹介したいくらいだった。
でも、それは俺の気持ちでしかない。
付き合うって、片方だけが幸せなら意味がない。
えとさんが安心して笑えることの方が、ずっと大事だ。

「……わかった。」

そう答えると、えとさんが驚いたように顔を上げた。

「ほんと、ですか……?」

「うん。」

俺は笑って頷く。

「えとさんがそうしたいなら、それでいい。
 無理して周りに言う必要なんてないし。
 俺らのペースでいこう。」

そう言うと、えとさんはほっとしたように息をはいた気がした。

「……ありがとうございます。」

「でも、一つだけ約束。」

「約束……?」

「学校では秘密でも。二人きりの時は、遠慮しないで。彼氏なんだから。」

その一言で、えとさんの顔が一気に真っ赤になる。

「か、彼氏……。」

「うん。」

照れくさくて、こっちまで笑ってしまう。

「俺はえとさんの彼氏。明日から敬語も禁止な」

えとさんは恥ずかしそうに目を伏せ、それでも小さく、小さく笑った。

「……はい。あ…………うん。」

その返事で十分だった。

秘密の恋。

誰にも知られなくてもいい。
みんなに祝福されなくてもいい。
俺が守りたいのは、周りの評価なんかじゃない。
目の前で安心したように微笑む、この子の笑顔だった。

その笑顔を見ながら、俺は心の中で静かに誓う。

――誰にも言えない恋でもいい。

君が「隣にいたい」と思える彼氏でいよう、と。
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