学生編
日曜日。
待ち合わせの時間より20分も早く駅へ着いた自分に、少し呆れた。
「……何やってんだ、俺」
駅前の時計を見上げる。
11時40分。
待ち合わせは12時。
別に遅刻したくなかっただけだ。
そう言い訳してみるものの、昨日の夜から何度も時間を確認していた時点で説得力なんてなかった。
今日は、えとさんとゲームセンターへ行く。
約束したのは先日の放課後。
ゲーム好きの先輩と後輩が、気になっていたゲームをやりに行く。
えとさんにとっては、たぶん本当にその程度なのだろう。
でも。
俺にとっては違った。
学校ではない場所で。
同好会のメンバーもいなくて。
うり先輩もいない。
二人だけ。
それを意識しない方が無理だった。
駅前を行き交う人をぼんやり眺めながら、制服ではない自分の服装を確認する。
黒いパーカーに、明るめのシャツ。
昨日、鏡の前で何度も組み合わせを変えたなんて絶対に言えない。
「ゆあんくん!」
後ろから声が聞こえた。
一瞬で誰か分かった。
振り返ると人混みの向こうから、オレンジ色の髪が揺れながら近づいてくる。
えとさんだった。
白いトップスに薄手のカーディガン。
淡い色のロングスカート。
髪はいつものように下ろしているけれど、毛先だけがふんわりと巻かれている。
制服じゃない。
当然なのに。
それだけで、違って見えた。
「ごめん、待った?」
「いや」
反射的に答える。
「俺も今来たところです」
嘘だ。
20分前からいる。
でも、さすがに言えない。
えとさんは安心したように笑った。
「よかった。じゃあ行こっか」
「はい」
並んで歩き出す。
それだけなのに。
妙に心臓がうるさかった。
文化祭の日。
初めて会ったときは、こんなことになるなんて考えてもいなかった。
あの人に会いたいと思って、この学校を受けて。
入学して。
好きだと気づいて。
今。
こうして二人で歩いている。
それだけで十分なはずなのに。
人というのは欲深い。
隣を歩けるようになったら、次はもっと近づきたくなるんだ。
駅前のゲームセンターは、休日らしい賑わいだった。
自動ドアが開いた瞬間、電子音と明るい音楽が一気に押し寄せてくる。
クレーンゲームの並ぶフロア。
奥には音楽ゲームや対戦ゲーム。
休日ということもあり、親子連れや学生の姿が多い。
「何からやる?」
私が尋ねると。
「えとさんがやりたがってたやつ」
「覚えてたの?」
「だから来たんでしょ」
ゆあんくんが少し呆れたように笑う。
目当ては、新しく入った協力型のアーケードゲーム。
SNSで見てからずっとやってみたかった。
「行こう!」
思わず足が速くなる。
「ちょ、えとさん」
後ろから笑い声が聞こえる。
久しぶりのゲームセンター。
しかも自分と同じくらいゲームが好きな人と一緒。
テンションが上がらないわけがなかった。
二人並んで筐体へ座る。
ゲームが始まると、学校で話しているとき以上に夢中になった。
「右から来る!」
「分かってます」
「アイテム取って!」
「えとさん回復!」
「まだ大丈夫!」
「そのセリフ言う人、大体やられるんですよ!」
次の瞬間。
画面の中で私のキャラクターが倒れる。
「ほら」
「……まだ一回目だから」
「さっきも死んでました」
「覚えてなくていい!」
ゆあんくんが笑う。
私もつられて笑った。
なんだか。
ゲーム同好会にいるときとほとんど変わらない。
最初は年下だから少し気を遣っていたけれど、最近はその感覚もかなり薄れてきた。
ゆあんくんは距離感が近いし。
遠慮がないし。
ときどき先輩扱いされていない気さえする。
でも。
一緒にいると楽しい。
弟みたいと言ったら嫌がられたけれど。
私にとっては、大切な後輩だった。
ゲームを三回やった結果。
二勝一敗。
負けた一回を、えとさんは明らかに俺のせいだと思っている。
「最後、ゆあんくんが先走らなかったら勝てたのに」
「えとさんが途中で二回倒れなかったら余裕で勝てましたよ」
「それは関係ない」
「あります」
「ない」
また始まった。
こういう言い合いも好きだった。
ゲームセンターの奥へ歩いていると。
えとさんが急に足を止める。
視線の先。
クレーンゲーム。
中には、小さな狐のぬいぐるみが並んでいた。
白い身体に、オレンジ色の耳。
「可愛い……」
小さく呟く。
本人は無意識なんだろう。
でも。
その横顔を見れば分かる。
欲しいんだ。
「取ろうか?」
「え?」
「これ」
「いいよ。難しそうだし」
口ではそう言いながら。
まだぬいぐるみを見ている。
分かりやすい。
俺は財布を取り出した。
「ちょっとやってみる」
「え、ゆあんくん」
百円玉を入れる。
一回目。
失敗。
「惜しい!」
えとさんが隣で声を上げる。
二回目。
少し動いた。
三回目。
アームがぬいぐるみの身体を押す。
出口へ近づく。
「あとちょっと!」
えとさんの方が真剣になっている。
なんか。
何がなんでも、取りたくなった。
自分が欲しいわけじゃない。
ただ。
この人に喜んでほしい。
四回目。
ぬいぐるみがころりと転がり、取り出し口へ落ちた。
「やった!」
えとさんが自分のことみたいに喜ぶ。
俺は取り出したぬいぐるみを、そのまま差し出した。
「はい」
「え?」
「どうぞ」
「でも、ゆあんくんが取ったんでしょ?」
「えとさんが欲しそうだったからやったんです」
言った瞬間。
えとさんが目を丸くした。
「……いいの?」
「そのために取ったんで」
「ありがとう!」
両手で受け取り。
嬉しそうに笑う。
「大事にするね」
「そんな大げさな」
「だって、ゆあんくんにもらったものだし」
胸が大きく鳴る。
この人は。
こういうところがずるい。
本人は何の意味も込めていない。
それを分かっていても。
期待してしまう。
「えとさん?」
聞き慣れた声に振り向いた。
少し離れた場所。
白い髪の男の子が立っている。
「ヒロくん!」
同じクラスのヒロくんだった。
私服姿でも、相変わらず目立つ。
白い髪に整った顔立ち。
ゲームセンターにいるだけなのに、近くにいた女の子たちがちらちらと振り返っている。
「珍しいね」
「ヒロくんこそ」
「新作の音ゲー入りましたって聞いたから」
「さすが」
ヒロくんもかなりのゲーム好きだ。
同好会には入っていないけれど、ゲームの話なら何時間でもできる。
「そちらは?」
ヒロくんの視線が隣のゆあんくんへ向いた。
「あ、紹介するね」
私は二人の間に立つ。
「ゲーム同好会の一年生。ゆあんくん」
「どうも」
「こっちは同じクラスのヒロくん。ゲーム好きなんだよ」
「よろしく」
ヒロくんが穏やかに笑う。
ゆあんくんも軽く頭を下げた。
「よろしくお願いします」
二人ともタイプは違うけれど。
こうして並ぶと、かなり目立つ。
白い髪のヒロくん。
赤みのある黒髪のゆあんくん。
そういえば最近、ゲーム同好会でもゆあんくんを格好いいと騒いでいた女子がいた気がする。
「そういえばえとさん」
ヒロくんが私の抱えているぬいぐるみを見る。
「それ取ったの?」
「ゆあんくんが取ってくれたの」
「へぇ」
ヒロくんがゆあんくんへ目を向けた。
何となく。
笑い方が少し変わった気がした。
「優しいね」
「別に普通です」
「ふーん」
「何ですか?」
「いや」
ヒロくんは小さく笑った。
「分かりやすいなと思って」
「……何がですか」
「ヒロくん?」
二人が何の話をしているのか分からない。
「何でもない」
ヒロくんはそう言って。
今度は私を見る。
「えとさん、本当に気づいてないんだね」
「何に?」
「そのうち分かるよ」
またそれ。
のあさんも。
うりも。
ゆあんくんも。
最近、みんな同じようなことを言う。
「みんなして何なの」
頬を膨らませると。
ヒロくんが楽しそうに笑った。
「そのままでいいと思う」
「意味分かんない」
結局。
何も教えてもらえなかった。
最悪だ。
ヒロという人。
一目見た瞬間から嫌な予感がした。
理由は簡単だった。
えとさんとの距離が近い。
同じクラス。
ゲーム好き。
会話のテンポも自然。
そして。
何より。
俺を見た瞬間。
全部分かったような顔をした。
「分かりやすいなと思って」
あれは絶対に。
俺の気持ちのことだ。
「……」
俺が黙っていると。
ヒロさんが一瞬こちらを見る。
少しだけ笑う。
敵意はない。
むしろ。
面白がっているような目。
それが余計に腹立つ。
「じゃあ、俺こっち行くから」
ヒロさんが手を振る。
「また学校で」
「うん。またね」
えとさんが笑って手を振り返す。
離れていく白い髪を見送りながら。
何となく。
聞いてしまった。
「ヒロさんと仲いいんですか」
「うん。クラスでよくゲームの話してるよ」
即答。
胸が少しざわつく。
「好きなんですか?」
口に出してから。
聞き方を間違えたと気づいた。
えとさんが目を丸くする。
「ヒロくんを?」
「……そう」
数秒。
それから。
えとさんが笑った。
「友達として好きだよ」
少しだけ安心した。
でも。
次の言葉。
「ヒロくんも、そういうのじゃないと思う」
「じゃあ」
思わず聞く。
「そういう意味で好きな人はいるんですか」
えとさんの足が止まった。
しまった。
一歩踏み込みすぎた。
でも。
もう遅い。
えとさんは少し俯く。
頬が。
ほんのわずかに赤くなった。
それだけで。
答えなんて聞かなくても分かる。
「……いるんだ」
俺が呟く。
えとさんが顔を上げる。
「え?」
「いや」
無理矢理笑う。思ったより上手く笑えたと思う。
「何でもない」
でも。
胸の奥は。
笑えるような状態じゃなかった。
やっぱり。
うり先輩だ。
知っていた。
分かっていた。
それでも。
本人の顔を見れば、確信してしまう。
勝手に期待して。
勝手に傷ついて。
馬鹿みたいだ。
「ゆあんくん?」
えとさんが心配そうに顔を覗き込む。
「大丈夫?」
近い。
また。
そうやって。
優しくする。
「大丈夫です」
一歩だけ離れる。
「次、何やります?」
「え?」
「せっかく来たんだから」
笑ってみせる。
今日くらいは。
楽しいままでいたかった。
そのあとも。
音楽ゲームをしたり。
レースゲームで本気になったり。
結局、夕方近くまでゲームセンターにいた。
「疲れたぁ」
店を出ると、外は夕暮れ色だった。
建物の間から差す西日が、街を淡いオレンジ色に染めている。
昼より冷たい風が頬を撫でた。
「楽しかったね」
「はい」
ゆあんくんが答える。
でも。
さっきから少し元気がないような気がする。
「疲れた?」
「ちょっと」
「そっか」
朝から結構遊んだし。
一年生なら学校生活にもまだ慣れていない。
単純に疲れたのかもしれない。
駅まで歩く。
途中。
信号待ちで。
私は抱えていた狐のぬいぐるみを見る。
「本当にありがとうね」
「気に入った?」
「うん」
「ならよかった」
ゆあんくんが笑う。
さっきまでより、少しだけいつもの表情に戻った気がした。
「次は」
ゆあんくんが言う。
「俺じゃなくて、えとさんが俺に何か取ってください」
「任せて」
「取れます?」
「取れるよ」
「本当に?」
「失礼!」
笑う。
信号が青になる。
歩き出す。
休日の街。
ゲームセンター。
ぬいぐるみ。
楽しい一日だった。
だから。
今日という時間を。
ゆあんくんがどんな気持ちで過ごしていたのか。
私は最後まで気づかなかった。
駅の改札前。
「じゃあ、また学校で」
えとさんが笑う。
「はい」
「今日はありがとう」
「こっちこそ」
手を振る。
えとさんが改札の向こうへ消えていく。
オレンジ色の髪が人混みの中に見えなくなるまで。
俺はその場に立っていた。
楽しかった。
本当に。
今までで一番と言っていいくらい。
だからこそ。
苦しかった。
えとさんが笑えば嬉しい。
名前を呼ばれれば嬉しい。
隣を歩けるだけで嬉しい。
でも。
どれだけ一緒にいても。
この人の心には、もう別の人がいる。
分かっている。
それでも。
諦めたくない。
今日。
えとさんがぬいぐるみを抱えて笑ってくれた。
それだけで。
もう少し頑張ってもいいんじゃないかと思ってしまった。
「……好きなんだよな」
今度は。
誰もいないところで。
はっきり口にした。
誤魔化さず。
逃げず、ちゃんと認める。
俺は、えとさんが好きだ。
彼氏がいるかもしれない。
たぶん。
いや、ほぼ間違いなくいる。
それでも。
好きになることまで。
誰にも止められない。
駅前を吹き抜けた春の風が、少し強かった。
俺はポケットへ手を入れ。
一人で歩き出した。