学生編


ゲーム同好会へ入って、二週間。

学校生活にも少しずつ慣れてきた。

朝は同じ時間の電車に乗って、同じ教室へ行く。
授業を受けて、昼休みになって、放課後になればゲーム同好会へ向かう。
中学の頃と大して変わらない。
ひとつだけ違うとすれば、放課後になるのがやけに楽しみになったことだった。

「ゆあんくん!」

ゲーム同好会の扉を開けると、聞き慣れた声がする。

窓際の席。
夕方の光を受けた長いオレンジ色の髪が、柔らかく輝いていた。

先輩のえとさんだ。

「今日早いね」

「掃除当番なかったんで」

「そっか。この前の続きやろうよ」

「いいですよ」

返事をしながら、自然とえとさんの隣へ向かう。
最近は、それが当たり前になっていた。

ゲーム同好会へ来る。
えとさんを探す。
見つけると隣へ座る。
いなければ。

――今日は来ないのかな。

そう思ってしまう。
最初は単純にゲームを一緒にするのが楽しいからだと思っていた。

でも、たぶん。

それだけではない気がしてきた。
そしてそれが確証になりつつある。
 
「ゆあんくん、聞いてる?」

「え?」

顔を上げるとえとさんが少し頬を膨らませていた。

「だから、この前見つけた洞窟の奥に新しいエリアがあったの」

「ああ」

「絶対聞いてなかったでしょ」

「聞いてました」

「嘘だ」

「聞いてましたって」

笑いながらゲームを起動する。
画面にワールドが表示される。
その横で、えとさんが楽しそうに昨日見つけたものを説明している。

声。
表情。
笑い方。

文化祭で会った頃より、いろんなことを知った。
えとさんはゲームの話になると、いつもより少し早口になる。
負けず嫌いで、対戦ゲームで負けるとすぐ「もう一回」と言う。
方向音痴なのに、なぜか自信満々に先頭を歩きたがる。
褒められると、分かりやすく照れる。

それから……困っている人を見つけると放っておけない。

だから俺にも声をかけたのだろう。
最初から俺だけが特別だったわけじゃない。
なのに、俺にとってはえとさんが自分のなかで特別になり始めていた。

「よし、行こう!」

画面の中で、えとさんのキャラクターが先に走っていく。

「そっち逆ですよ」

「え?」

「目的地、反対」

「あー……知ってたし」

「絶対知らなかったでしょ」

「うるさいなぁ!」

笑い声が重なる。
こういう時間が好きだ。
ずっと続けばいいと思う。

そして、そんなふうに思っている自分を、最近はもう誤魔化せなくなっていた。





♦︎



 

ゆあんくんがゲーム同好会に入ってから、部室は前より少し賑やかになった。
もともとゲームが上手いうえに、パソコンにも詳しい。
不具合が起これば真っ先に原因を探してくれるし、ゲームでも困っている人がいれば自然に助けに入る。

「ゆあん、これ分かる?」

「見せてください」

そんな声が、部室のあちこちから聞こえるようになった。
入学してまだ二週間なのに、もうすっかり馴染んでいる。

「人気者だね」

私が言うと、ゆあんくんはパソコンの配線を直しながら首を傾げた。

「俺が?」

「うん。みんなゆあんくん頼りにしてる」

「えとさんほどじゃないですよ」

「私?」

思わず聞き返す。

「なんで?」

「……そういうところ」

「何が?」

ため息をつかれた。
最近、うりにも似たような反応をされた。
私って、そんなに変なことを言ったりやったりしているんだろうか。

「えとさん。」

「ん?」

「今日、帰り時間あります?」

突然聞かれた。

「帰り?」

「駅前のゲームセンター、新作の体験コーナーできたらしいですよ」

「あ! それ私も気になってた!」

思わず声が弾む。

「じゃあ行きません?」

「行きたい!」

そこまで言ってから、ふと思い出す。
今日はうりと帰る約束をしていた。

「……あ」

「どうしました?」

「ごめん。今日はちょっと予定あるんだった」

「予定?」

「うん」

どう説明しよう。
学校では秘密。
付き合っていることを知られてはいけない。

「友達と?」

「まあ……そんな感じ」

曖昧に笑う。
ゆあんくんは、一瞬だけ何かを考えるような顔をした。

「そっか」

ほんの少し声が低くなったような気がした。

「また今度でもいい?」

「もちろん」

すぐにいつもの表情へ戻る。

「じゃあ次は俺が先に予約します」

「予約?」

「えとさんの放課後」

思わず笑った。

「何それ」

「じゃないと、すぐ誰かに取られそうなんで」

部室のざわつきが一瞬静寂になった。
ゆあんくんの冗談だと思った。
だから私も笑って、

「早い者勝ちじゃないよ」

と返した。
でもゆあんくんは少しだけ真剣な顔をしていた。




♦︎



 

予定。

その二文字が、妙に引っかかった。

誰と?
どこへ?

聞きたかった。
でも、聞く理由がない。
俺はただの後輩だ。

「また今度でもいい?」

えとさんが申し訳なさそうに言う。

「もちろん」

笑って答える。別に今日じゃなくていい。
また誘えばいい。
それなのに胸の奥に残った小さなもやもやが消えない。

誰なんだろう。

真っ先に浮かんだのは、栗色の髪だった。
うり先輩。
文化祭のときから引っかかっている人。

入学してからも何度か見かけた。

学校の中では、二人が特別親しくしているようには見えない。
むしろ、必要以上に話していないようにも感じる。

なのに。
視線だけが違う。
えとさんがうり先輩を見つけた瞬間少しだけ嬉しそうになる。
うり先輩もえとさんがほかの男子と話していると、ときどきこちらを見る。

俺が考えすぎなのかもしれない。

でも。

もし。

あの二人が――。

そこまで考えて妙に胸がざわついた。

「……なんで俺が気にしてるんだ」

小さくつぶやく。
文化祭で優しくされたから。
ゲームの趣味が合うから。
先輩として憧れているから。
そういうことにしておきたかった。

なのに。

部室の向こうで、別の男子と話しているえとさんが笑っているのを見ると胸の奥が、ちくりとする。

嫌だ。

その感情だけは、はっきりしていた。
俺以外と楽しそうにしているのが——嫌だった。

――あ。

気づきたくなかった答えに、指先が触れた気がした。





♦︎



 

放課後。
ゆあんくんより少し先に部室を出た私は、学校の近くにある小さな公園へ向かった。
うりとの待ち合わせ場所。
学校の中で待っていれば、一緒に帰っているところを見られる可能性がある。
だから最近は、少し離れた場所で待ち合わせることが増えた。

春の夕暮れ。

公園の桜は半分ほど葉桜になっていた。
風が吹くたび、残った花びらがベンチの周りへ静かに落ちてくる。
腰を下ろし、スマホを見る。

『あと5分』

うりから来たメッセージ。

『了解』

返信してから、なんとなく空を見上げる。
淡い水色と橙色が混ざった空。
少し前までは、この時間になるとかっちりとブレザーを着ていないと寒くて仕方なかったのに、今は薄手のカーディガンだけでも平気になってきた。

春なんだなぁ。
ぼんやり考えていると。

「お待たせ」

頭上から声がした。
顔を上げる。
栗色の髪。

「お疲れ」

「お疲れ」

うりが隣へ腰を下ろした。
学校から離れた場所だからか空気が少し変わる。

「今日どうだった?」

「ゲーム同好会?」

「うん」

「楽しかったよ」

答えるとうりが一瞬だけ黙った。

「……ゆあんくんもいた?」

やっぱり。
思わず笑いそうになる。

「いたよ」

「ふーん」

「それ聞きたかっただけでしょ」

「別に」

「またそれ」

笑うと、うりは少し不満そうな顔をした。

「今日、何してたの」

「ゲームしたり、ゆあんくんがみんなのパソコン直したり」

「二人で?」

「みんなで」

ほんの少しだけ、うりの表情が緩む。
分かりやすい。

「あとね」

「何?」

「ゆあんくんに帰りにゲームセンターに誘われた」

うりの顔が止まった。
数秒の沈黙。

「行くの?」

「今日は断ったよ」

「今日は?」

声が一段低くなる。
思わず吹き出した。

「だって、また今度って約束したし」

「えとさん」

「なに?」

うりがこちらを見る。
少し真剣な顔。

「前にも言ったけど」

「うん」

「あいつ、えとさんのこと好きだと思う」

「またそれ?」

「またそれ、じゃない」

「ゆあんくんは後輩だよ」

「だから?」

「文化祭で知り合ったし、ゲームの趣味が合うから懐いてくれてるだけ」

「懐いてるって……犬じゃないんだから」

「じゃあ慕ってくれてる?」

「もっと悪い」

「なんで?」

本当に分からない。
困っていると、うりが深いため息をついた。

「今日、何て誘われた?」

「駅前のゲームセンター行きませんか、って」

「ほかには?」

「次は俺が先に予約します、って」

うりの眉がぴくっと動いた。

「……ほら」

「何が?」

「完全に狙ってんじゃん」

「ゲームセンターを?」

「えとさんを!」

少し大きな声が公園に響いた。
近くの木に止まっていた鳥が飛び立つ。
うりは自分でも声の大きさに気づいたのか、気まずそうに口を閉じた。

私は数秒ぽかんとして。
それから笑ってしまった。

「笑うところじゃないんだけど」

「だって」

なんだか可愛い。
普段は何でもそつなくこなして、周りから格好いいと言われる人なのに。
私のことになると、こんな顔をする。

「うり」

「ん?」

私は少しだけ身体を寄せる。
誰もいないことを確かめて。
ベンチの上に置かれていたうりの手へ、自分から指を重ねた。
うりが驚いたように私を見る。

「どうした?」

「安心してもらおうと思って」

「それだけ?」

「うん」

「……足りない」

「え?」

少しだけ意地悪そうに笑う。

「俺、かなり嫉妬してるから」

「じゃあどうすればいいの」

聞くと、うりは少し考えて。

「俺のこと好きって言って」

「……」

急に恥ずかしくなる。

「恥ずかしい」

「ゆあんとはゲームショップ行くのに?」

「それ関係ないでしょ!」

「ある」

「ない」

「ある」

子どもみたいな言い合い。
それがおかしくて、また笑ってしまう。
繋いだ手に少し力を入れる。

「……好きだよ」

小さく。
それでも、ちゃんと聞こえる声で。
うりが黙った。

「何?……何か反応して欲しいんだけど……」

「いや」

うりが口を抑えて視線を逸らす。
耳が少し赤い。

「言わせたくせに」

「思ったより効いた」

「何それ」

「もう一回」

「絶対やだ」

「えー」

笑い合う。
春の夕暮れ。
桜の花びらが一枚、繋いだ手の上へ落ちた。

ゆあんくんは私にとっては、可愛い後輩。
ゲームの趣味が合う、新しくできた仲間。

それ以上でもそれ以外でもない。

少なくとも。
このときの私は、本当にそう思っていた。






♦︎





 

校門を出てしばらく歩いたところで。
俺は忘れ物に気づいた。
ゲーム同好会にイヤホンを置いてきた。

「最悪……」

来た道を戻ろうとして。
道路の向こう側に、見覚えのあるオレンジ色が見えた。

えとさん。

声をかけようとして、足が止まる。
隣に誰かいる。
栗色の髪。
うり先輩だった。
少し離れているから、何を話しているのかまでは聞こえない。

でも。

学校で見る二人とは、明らかに違った。
距離が近い。
えとさんが笑っている。

そして。

二人の手が重なっているように見えた。

 
胸の奥が冷たくなる。
見間違いかもしれない。
たまたま近くにいただけ。そう思いたかった。

けれど。

えとさんがうり先輩を見る表情。
文化祭のときから気になっていたもの。

やっぱりあの人は特別なんだ。

「……そっか」

乾いた声が出た。
胸が痛い。
その感覚で。
はっきりと自覚した。

俺は……。

えとさんが好きなんだ。

文化祭の日からだったのか。
入学して再会した瞬間からなのか。
いつ始まったのかなんて分からない。

でも。
もう。
えと先輩が楽しそうに笑うその笑顔の隣にいるのが自分じゃないことがこんなにも嫌なんだから「そう」なんだろう……。

俺はしばらくその場に立ち尽くした。
それから二人に気づかれないように、静かに踵を返した。
イヤホンなんて明日でいい。

春の風が、少しだけ冷たく感じた。

そして、その日。

俺は初めて。

うり先輩を、ただの「先輩」として見ることができなくなった。
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