エルデナ王国物語
side T
エルデナ王国の市街地の中心にあるギルドは、昼を過ぎても騒がしかった。
依頼書を抱えた冒険者。
酒を飲んで騒ぐ戦士。
受付嬢の怒鳴り声。
そんな喧騒の奥のカウンター
「……で?お前らいつになったらくっつくねん」
ギルドマスターの俺(たっつん)は呆れた顔をしていた。
カウンター越し隣同士に座るじゃぱぱとのあさんが、固まったかと思ったら瞬時に大きなリアクションを返してきた。
「俺は昔も今も変わらずいつでもオッケーだよ!!」
「ちょ///じゃぱぱさん、何言って!!それに、たっつんさん!?」
「う...るっさ...」
耳を押さえながら、俺は深いため息を吐いた。
「いや、だってもう何年やこれ」
じゃぱぱは言い返すことができず詰まる。
のあさんは視線を逸らして紅茶に逃げた。
俺はその様子を見て、頭を抱える。
「じゃぱぱは冒険中ものあさんがちょっと怪我しただけで顔色変わるし、飯の時絶対隣座るし、寒い言うたら自分のマント巻くし……恋する男のムーブ祭りや」
「うわぁぁぁ……改めて言われてみると結構恥ずかしいな」
じゃぱぱが机に突っ伏した。
のあさんは耳まで赤くなっている。
俺はそんな二人を見ながら、小さく笑った。
昔から変わらない。
不器用で。
見ている側には分かるくらい、お互いしか見えていない。
——本当は俺だって伝えられない気持ちを心の奥底にしまい込んでいる
冒険していた頃。
のあさんが甘いものを好きだと知ってから、クッキーを焼くようになった。
ジャングルを見つければみんなが寝静まっているときにカカオ豆をとりに行った。
朝、のあさんに焼きたてを渡していた。
『……美味しいです』
小さく笑ったあの顔が嬉しくて。
ケーキも。
焼き菓子も。
新しいレシピを覚えては作った。
ヌーフに「姉ちゃん、たっつんに餌付けされてる」なんて笑われたこともある。
だけど
のあさんが見ていたのは、ずっとじゃぱぱだった。
俺ははそれを知っていた。ずっと見ていた
だから、気持ちを伝えることはなかったし、伝えるつもりもなかった。
代わりに。
幸せになってほしいと思った。
たとえその隣が自分じゃなくても。
「……ほんま、世話焼かせんなぁ」
俺は立ち上がると、棚から箱を取り出した。
「ほら、今日の試作品」
机に置かれたのは、小さな苺のタルトだった。
のあさんの目が輝く。
「……苺だぁ」
「期間限定やで」
「すごい!美味しそう」
「のあさんが好きやから作ったんや。ほら紅茶おかわり入れるから食べて感想聞かせてや」
じゃぱぱがじっと俺を見る。
「たっつんさぁ……そうやってさらっと本音を混ぜてくるよな」
はっきりとじゃぱぱに伝えたことはないけど
どうやら俺の気持ちはバレているらしい。
「まぁ……事実やし」
「……」
一瞬だけ空気が固まる。
けれど、俺はあっけらかんと笑った。
「安心せぇ。横取りする気はない」
「……たっつん」
「でもな。お前がモタモタしてる間に誰かに攫われても知らんからな」
「っ……」
じゃぱぱが頭を抱えた。
俺はそんな親友を見て、ニヤニヤ笑う。
「王様のくせに恋愛だけヘタクソやなぁ」
「うるさい!!」
「告白くらいちゃんとせぇや」
「してる途中なんだよ!!」
「途中!?なんやそれ?」
ギルド内に叫び声が響いた。
数秒後。
俺は深いため息を吐き、呆れた顔でカウンターに肘をつく。
「……あかん。これはもう俺が動かな進まん」
「「え?」」
「今日決めろ」
「「は?」」
「今夜。ちゃんと言え!そんではっきりさせろ」
「いや急すぎるって!!」
「急ちゃうわ!! 何年停滞しとんねん!!」
俺はカウンターを叩く。
「寿命がどうとか身分がどうとか、気持ちはもう答え出とるやろ!」
その言葉に、二人が黙る。
「失うの怖いのは分かる。でもな
好きな奴と過ごせる時間って、案外あっという間やで」
部屋が静かになる。
窓の外では夕日が落ち始めていた。
冒険していた頃。
永遠みたいに思えた日々。
でも実際は、一瞬だった。
だからこそ。
後悔してほしくない。
ふっと笑う。
「まぁ、どうしても言えんのなら酒飲ませてでも背中押したる」
「それ王様にやることじゃないからな!?」
「恋愛ヘタクソ王にはちょうどええわ」
のあさんが、とうとう吹き出した。
「ふふっ……」
その笑顔を見て、
――その顔が見られるなら。
それでいい。
胸の奥の小さな痛みごと、飲み込むように。
「ほら、紅茶冷める前に食え。
のあさんの笑顔のために作っとるんやから」
俺はいつもの調子で笑った。
————————
side J
春の終わりを告げる風が、エルデナ城のバルコニーを静かに撫でていく。
窓の外には、宝石を散りばめたみたいな星空が広がっていた。
遠く、城下町の灯りが瞬いている。
まるで地上に落ちた星たちが、眠る前に小さく息をしているみたいだった。
俺(じゃぱぱ)は執務机に積まれていた最後の書類にサインをして、ようやくペンを置く。
「……疲れたぁ〜……」
思わず情けない声が漏れた。
昔なら、焚き火の前に寝転がって、満天の星を見上げて終わりだった。
明日のことなんて気にせずに。
仲間と笑って。
のあさんが淹れてくれたお茶を飲みながら。
――あの頃は、よかったなぁ。
なんて、王様らしくないことを考えてしまう。
俺は椅子から立ち上がり、窓を開けた。
夜風がふわりと入り込む。
その瞬間。懐かしい匂いがした。
雨上がりの森みたいな、若葉の匂い。
俺は自然と笑っていた。
「……来てるんでしょ」
すると。
夜の空気が、小さく揺れた。
月の光をまとって、一つの影がバルコニーの手すりへ舞い降りる。
さらりと流れる桃色の髪。
人より少し長い耳。
自然色を基調とした、ふわりとしたワンピース。
月明かりを浴びたその姿は、本当に森から現れた精霊みたいで。
何年経っても。何度会っても
俺はその姿を見るたび、息を呑んでしまう。
「相変わらず鋭いですね、じゃぱぱさん」
「そりゃ分かるよ。何年の付き合いだと思ってんの」
そう言って笑うと、のあさんは少しだけ目を細めた。
その顔に、胸が熱くなる。
……だめだ。今日はいつもと違う。
昼間、ギルドでたっつんに散々言われたからだ。
『今日決めろ。お前ら何年停滞しとんねん』
あいつの言葉が頭の中をぐるぐる回っている。
王になって、大勢の前で演説した時だってこんなに緊張しなかった。
S級の魔物と戦った時だって、もう少し平気だった。
なのに。
たった一人の……のあさんを前にすると、心臓がうるさい。
「……近くまで来たので寄っただけです」
「嘘」
「え?」
「そういう時ののあさん、ちょっと声柔らかくなる」
「なっ……」
月明かりの下で、のあさんの耳がほんのり赤くなる。
……かわいいな。
のあさんのことになると、俺の思考は簡単にぐちゃぐちゃになる。
魔物に囲まれた時だって、気づいたら真っ先に前に立っていた。
雪山で震えていた時も、火を絶やさないよう一晩中起きていた。
のあさんが傷つけば、自分のことみたいに腹が立った。
あの頃からずっと変わらない気持ちがある。
「……じゃぱぱさん」
「ん?」
ふいに。のあさんが夜空を見上げた。
「人間は、短命です」
静かな声だった。
星の光が、長い睫毛に落ちている。
「エルフにとって数十年なんて、一瞬です。だから……」
その先の言葉を、のあさんは飲み込む。
でも、分かった。
きっとずっと考えてくれていたんだろう俺と自分の未来を。
——終わりを。
「知ってるよ」
「……っ」
「俺が先に死ぬってことでしょ」
俺がはっきりと言葉にすると、のあさんが苦しそうに息を呑む。
「だったら尚更……」
「でもさ」
俺は笑った。
昔、焚き火の前で未来を語った時みたいに。
「俺、のあさんと過ごした時間、短いなんて思ったこと一回もないよ」
「……え?」
「冒険してた毎日、めちゃくちゃ濃かったし。楽しかったし」
星空を見上げる。
あの日々は今でも鮮やかだ。
焚き火の匂いも。
仲間の笑い声も。
夜更けまで続いた馬鹿話も。
全部。
宝石みたいに胸の中で輝いている。
だから。
「狂おしいほど好きだし」
ぽろりと本音が零れた。こんな直接的な告白数年ぶりだ。
恐る恐る見ると、のあさんが固まっていた。
呼吸まで止まっているんじゃないか?と思うほど大きな瞳をまんまると見開いて俺を見ていた。
でも、もう止まれなかった。
「今だってそう。会えるだけで嬉しい」
「じゃぱぱさん……」
「確かに俺の方が先にいなくなる。
……でも、それって好きにならない理由になる?」
夜風が吹く。
星々が揺れる。
まるで空そのものが、俺たちの話を静かに聞いているみたいだった。
「俺はさ」
一歩、近づく。
月明かりが、のあさんの髪を淡く照らしていた。
桃色の髪が、夜の中で花びらみたいに揺れる。
「長く生きることより、のあさんと生きる時間が欲しい」
のあさんが息を呑む。
「私は……あなたがいなくなった後も生きるんですよ……?」
「うん」
「何十年も、何百年も……」
「うん」
「きっとじゃぱぱさんのことを忘れられないですよ」
その瞬間。
なんだか泣きそうになった。
あぁ。この人は。
そんな先の未来まで考えて、怖がっていたんだ。
だから俺は、笑った。
「忘れなくていいじゃん」
風が吹く。
星が滲む。
「俺が生きた証、のあさんの中に残るなら。そんな嬉しいことない」
ぽたりと雫が落ちた。
のあさんが、俯いていた。
小さく肩を震わせて。
……泣いてる。
胸がぎゅっとなる。抱きしめたくなる。
でも、今はまだ……俺は、そっと手を差し出した。
剣を握っていた手。
王冠を戴くようになった手。
でも、俺自身は変わらない。
昔と同じ。
ただ、君を大事にしたいだけだ。
声が少し震える。
「のあさんのこれから先の時間、俺にくれない?」
のあさんが顔を上げる。
瞳の中に、星が映っていた。
まるで夜空を閉じ込めたみたいに綺麗だった。
のあさんの震える指先が、俺の手に触れる。
ひどく冷たい手だった。その温度が確かに俺に伝わってくる。
「……はい」
ぽとりとのあさんの声がバルコニーの静寂のなかに落ちる。
胸の奥で、ぱっと光が弾けた。
まるでダンジョンの奥で宝箱を見つけた時みたいに。
いや……それ以上だ。
「うわ……やば」
「……?」
「今、めちゃくちゃ嬉しい」
のあさんが少しだけ笑った。
「ふふ……子供みたい」
「だって」
きっと今、俺は人生で一番幸せな顔をしている。
「やっとだ……やっと、ちゃんと捕まえた」
「……っ」
のあさんの手を取り自分の方へと引き寄せる。
胸の中にすっぽりおさまったのあさんは耳まで真っ赤になっていて、困ったように笑っている。
それが、どうしようもなく愛しかった。
夜空では、流れ星がひとつ。
音もなく、尾を引いて消えていく。
けれど俺は、願い事なんてしなかった。
だって。
今、この手の中に。腕の中に
俺がずっと欲しかったものが、ちゃんとあるのだから。
エルデナ王国の市街地の中心にあるギルドは、昼を過ぎても騒がしかった。
依頼書を抱えた冒険者。
酒を飲んで騒ぐ戦士。
受付嬢の怒鳴り声。
そんな喧騒の奥のカウンター
「……で?お前らいつになったらくっつくねん」
ギルドマスターの俺(たっつん)は呆れた顔をしていた。
カウンター越し隣同士に座るじゃぱぱとのあさんが、固まったかと思ったら瞬時に大きなリアクションを返してきた。
「俺は昔も今も変わらずいつでもオッケーだよ!!」
「ちょ///じゃぱぱさん、何言って!!それに、たっつんさん!?」
「う...るっさ...」
耳を押さえながら、俺は深いため息を吐いた。
「いや、だってもう何年やこれ」
じゃぱぱは言い返すことができず詰まる。
のあさんは視線を逸らして紅茶に逃げた。
俺はその様子を見て、頭を抱える。
「じゃぱぱは冒険中ものあさんがちょっと怪我しただけで顔色変わるし、飯の時絶対隣座るし、寒い言うたら自分のマント巻くし……恋する男のムーブ祭りや」
「うわぁぁぁ……改めて言われてみると結構恥ずかしいな」
じゃぱぱが机に突っ伏した。
のあさんは耳まで赤くなっている。
俺はそんな二人を見ながら、小さく笑った。
昔から変わらない。
不器用で。
見ている側には分かるくらい、お互いしか見えていない。
——本当は俺だって伝えられない気持ちを心の奥底にしまい込んでいる
冒険していた頃。
のあさんが甘いものを好きだと知ってから、クッキーを焼くようになった。
ジャングルを見つければみんなが寝静まっているときにカカオ豆をとりに行った。
朝、のあさんに焼きたてを渡していた。
『……美味しいです』
小さく笑ったあの顔が嬉しくて。
ケーキも。
焼き菓子も。
新しいレシピを覚えては作った。
ヌーフに「姉ちゃん、たっつんに餌付けされてる」なんて笑われたこともある。
だけど
のあさんが見ていたのは、ずっとじゃぱぱだった。
俺ははそれを知っていた。ずっと見ていた
だから、気持ちを伝えることはなかったし、伝えるつもりもなかった。
代わりに。
幸せになってほしいと思った。
たとえその隣が自分じゃなくても。
「……ほんま、世話焼かせんなぁ」
俺は立ち上がると、棚から箱を取り出した。
「ほら、今日の試作品」
机に置かれたのは、小さな苺のタルトだった。
のあさんの目が輝く。
「……苺だぁ」
「期間限定やで」
「すごい!美味しそう」
「のあさんが好きやから作ったんや。ほら紅茶おかわり入れるから食べて感想聞かせてや」
じゃぱぱがじっと俺を見る。
「たっつんさぁ……そうやってさらっと本音を混ぜてくるよな」
はっきりとじゃぱぱに伝えたことはないけど
どうやら俺の気持ちはバレているらしい。
「まぁ……事実やし」
「……」
一瞬だけ空気が固まる。
けれど、俺はあっけらかんと笑った。
「安心せぇ。横取りする気はない」
「……たっつん」
「でもな。お前がモタモタしてる間に誰かに攫われても知らんからな」
「っ……」
じゃぱぱが頭を抱えた。
俺はそんな親友を見て、ニヤニヤ笑う。
「王様のくせに恋愛だけヘタクソやなぁ」
「うるさい!!」
「告白くらいちゃんとせぇや」
「してる途中なんだよ!!」
「途中!?なんやそれ?」
ギルド内に叫び声が響いた。
数秒後。
俺は深いため息を吐き、呆れた顔でカウンターに肘をつく。
「……あかん。これはもう俺が動かな進まん」
「「え?」」
「今日決めろ」
「「は?」」
「今夜。ちゃんと言え!そんではっきりさせろ」
「いや急すぎるって!!」
「急ちゃうわ!! 何年停滞しとんねん!!」
俺はカウンターを叩く。
「寿命がどうとか身分がどうとか、気持ちはもう答え出とるやろ!」
その言葉に、二人が黙る。
「失うの怖いのは分かる。でもな
好きな奴と過ごせる時間って、案外あっという間やで」
部屋が静かになる。
窓の外では夕日が落ち始めていた。
冒険していた頃。
永遠みたいに思えた日々。
でも実際は、一瞬だった。
だからこそ。
後悔してほしくない。
ふっと笑う。
「まぁ、どうしても言えんのなら酒飲ませてでも背中押したる」
「それ王様にやることじゃないからな!?」
「恋愛ヘタクソ王にはちょうどええわ」
のあさんが、とうとう吹き出した。
「ふふっ……」
その笑顔を見て、
――その顔が見られるなら。
それでいい。
胸の奥の小さな痛みごと、飲み込むように。
「ほら、紅茶冷める前に食え。
のあさんの笑顔のために作っとるんやから」
俺はいつもの調子で笑った。
————————
side J
春の終わりを告げる風が、エルデナ城のバルコニーを静かに撫でていく。
窓の外には、宝石を散りばめたみたいな星空が広がっていた。
遠く、城下町の灯りが瞬いている。
まるで地上に落ちた星たちが、眠る前に小さく息をしているみたいだった。
俺(じゃぱぱ)は執務机に積まれていた最後の書類にサインをして、ようやくペンを置く。
「……疲れたぁ〜……」
思わず情けない声が漏れた。
昔なら、焚き火の前に寝転がって、満天の星を見上げて終わりだった。
明日のことなんて気にせずに。
仲間と笑って。
のあさんが淹れてくれたお茶を飲みながら。
――あの頃は、よかったなぁ。
なんて、王様らしくないことを考えてしまう。
俺は椅子から立ち上がり、窓を開けた。
夜風がふわりと入り込む。
その瞬間。懐かしい匂いがした。
雨上がりの森みたいな、若葉の匂い。
俺は自然と笑っていた。
「……来てるんでしょ」
すると。
夜の空気が、小さく揺れた。
月の光をまとって、一つの影がバルコニーの手すりへ舞い降りる。
さらりと流れる桃色の髪。
人より少し長い耳。
自然色を基調とした、ふわりとしたワンピース。
月明かりを浴びたその姿は、本当に森から現れた精霊みたいで。
何年経っても。何度会っても
俺はその姿を見るたび、息を呑んでしまう。
「相変わらず鋭いですね、じゃぱぱさん」
「そりゃ分かるよ。何年の付き合いだと思ってんの」
そう言って笑うと、のあさんは少しだけ目を細めた。
その顔に、胸が熱くなる。
……だめだ。今日はいつもと違う。
昼間、ギルドでたっつんに散々言われたからだ。
『今日決めろ。お前ら何年停滞しとんねん』
あいつの言葉が頭の中をぐるぐる回っている。
王になって、大勢の前で演説した時だってこんなに緊張しなかった。
S級の魔物と戦った時だって、もう少し平気だった。
なのに。
たった一人の……のあさんを前にすると、心臓がうるさい。
「……近くまで来たので寄っただけです」
「嘘」
「え?」
「そういう時ののあさん、ちょっと声柔らかくなる」
「なっ……」
月明かりの下で、のあさんの耳がほんのり赤くなる。
……かわいいな。
のあさんのことになると、俺の思考は簡単にぐちゃぐちゃになる。
魔物に囲まれた時だって、気づいたら真っ先に前に立っていた。
雪山で震えていた時も、火を絶やさないよう一晩中起きていた。
のあさんが傷つけば、自分のことみたいに腹が立った。
あの頃からずっと変わらない気持ちがある。
「……じゃぱぱさん」
「ん?」
ふいに。のあさんが夜空を見上げた。
「人間は、短命です」
静かな声だった。
星の光が、長い睫毛に落ちている。
「エルフにとって数十年なんて、一瞬です。だから……」
その先の言葉を、のあさんは飲み込む。
でも、分かった。
きっとずっと考えてくれていたんだろう俺と自分の未来を。
——終わりを。
「知ってるよ」
「……っ」
「俺が先に死ぬってことでしょ」
俺がはっきりと言葉にすると、のあさんが苦しそうに息を呑む。
「だったら尚更……」
「でもさ」
俺は笑った。
昔、焚き火の前で未来を語った時みたいに。
「俺、のあさんと過ごした時間、短いなんて思ったこと一回もないよ」
「……え?」
「冒険してた毎日、めちゃくちゃ濃かったし。楽しかったし」
星空を見上げる。
あの日々は今でも鮮やかだ。
焚き火の匂いも。
仲間の笑い声も。
夜更けまで続いた馬鹿話も。
全部。
宝石みたいに胸の中で輝いている。
だから。
「狂おしいほど好きだし」
ぽろりと本音が零れた。こんな直接的な告白数年ぶりだ。
恐る恐る見ると、のあさんが固まっていた。
呼吸まで止まっているんじゃないか?と思うほど大きな瞳をまんまると見開いて俺を見ていた。
でも、もう止まれなかった。
「今だってそう。会えるだけで嬉しい」
「じゃぱぱさん……」
「確かに俺の方が先にいなくなる。
……でも、それって好きにならない理由になる?」
夜風が吹く。
星々が揺れる。
まるで空そのものが、俺たちの話を静かに聞いているみたいだった。
「俺はさ」
一歩、近づく。
月明かりが、のあさんの髪を淡く照らしていた。
桃色の髪が、夜の中で花びらみたいに揺れる。
「長く生きることより、のあさんと生きる時間が欲しい」
のあさんが息を呑む。
「私は……あなたがいなくなった後も生きるんですよ……?」
「うん」
「何十年も、何百年も……」
「うん」
「きっとじゃぱぱさんのことを忘れられないですよ」
その瞬間。
なんだか泣きそうになった。
あぁ。この人は。
そんな先の未来まで考えて、怖がっていたんだ。
だから俺は、笑った。
「忘れなくていいじゃん」
風が吹く。
星が滲む。
「俺が生きた証、のあさんの中に残るなら。そんな嬉しいことない」
ぽたりと雫が落ちた。
のあさんが、俯いていた。
小さく肩を震わせて。
……泣いてる。
胸がぎゅっとなる。抱きしめたくなる。
でも、今はまだ……俺は、そっと手を差し出した。
剣を握っていた手。
王冠を戴くようになった手。
でも、俺自身は変わらない。
昔と同じ。
ただ、君を大事にしたいだけだ。
声が少し震える。
「のあさんのこれから先の時間、俺にくれない?」
のあさんが顔を上げる。
瞳の中に、星が映っていた。
まるで夜空を閉じ込めたみたいに綺麗だった。
のあさんの震える指先が、俺の手に触れる。
ひどく冷たい手だった。その温度が確かに俺に伝わってくる。
「……はい」
ぽとりとのあさんの声がバルコニーの静寂のなかに落ちる。
胸の奥で、ぱっと光が弾けた。
まるでダンジョンの奥で宝箱を見つけた時みたいに。
いや……それ以上だ。
「うわ……やば」
「……?」
「今、めちゃくちゃ嬉しい」
のあさんが少しだけ笑った。
「ふふ……子供みたい」
「だって」
きっと今、俺は人生で一番幸せな顔をしている。
「やっとだ……やっと、ちゃんと捕まえた」
「……っ」
のあさんの手を取り自分の方へと引き寄せる。
胸の中にすっぽりおさまったのあさんは耳まで真っ赤になっていて、困ったように笑っている。
それが、どうしようもなく愛しかった。
夜空では、流れ星がひとつ。
音もなく、尾を引いて消えていく。
けれど俺は、願い事なんてしなかった。
だって。
今、この手の中に。腕の中に
俺がずっと欲しかったものが、ちゃんとあるのだから。