エルデナ王国物語

side U


――えとさんが失踪してから何度目の捜索だっただろう。
 指で折れるくらいの数はとうに越え、季節さえ変わっていた。
 それでも足が止まらなかったのは、たぶん、生きているかどうか──ただそれだけでも知りたかったからだ。

 えとさんはエルデナ王国周辺・近隣のどの町、村にもいなかった。
 痕跡は魔法で消されたみたいに、残っていなかったのだ。
 レッド・アイのアサシン(探索者)としてもここまでターゲットが見つからないことはなかったので
 もしかしたら、本当にえとさんはこの世からいなくなってしまったのではないかと想像してしまうくらい手がかりがなかった。


 そして何度目かわからない捜索でオレは、エンドラ討伐直前に仲間と寄ったあの場所──ひまわり畑の前に立っていた。


 金色の海は、あの時と同じように風に揺れていた。
 夕陽が差し込んで、花が道を示すみたいに首を傾けている。
 畑の中央に、丸石で作られた小さな家がひとつ佇んでいるのも変わっていなかった。
 けれど以前はなかった変化があった。
 静けさの中に人が生活しているかのような光があったのだ。


 まさか、と思う。
 思うのに、足は勝手に進んだ。
 走り出していた。
 もし違っていたら。。。
 知らない誰かでもいい。せめて、せめてこの胸のざわめきが嘘じゃない証を──。


 扉に触れた指が震えた。
 シラカバの木で作られた扉をノックすると中から女性の声が聞終えた。

 
 その声は――


 扉はゆっくりと住人の手で開けられ中からその姿を現した。
 そして、息が止まった。


 いた。


 誰よりも見慣れた肩の線。
 魔法の光はもう纏っていないのに、どうしてこんなにも、彼女の周囲は明るい光をまとっているのだろう。


「……えと、さん……?」


 名前を呼んだ自分の声が、やけに遠く聞こえた。

 この家の家主であるえとさんはぴくりと肩を震わせ、ゆっくりとオレの視線と混ざり合った。
 痩せていた。
 顔色も少し悪かった。けれど──生きていた。


「……どうして、ここが……」


 掠れた声に、胸が締め付けられた。
 どうしても何も、わからない。
 わからないけれど、来ずにはいられなかった。
 その言葉を、喉がうまく形にしてくれなかった。

 オレはただ、えとさんの目の前まで歩いていった。

 えとさんは、まるで信じられないものを見るようにオレを見上げていた。
 オレがどれほど探し続けていたかなんて知らないくせに、
 その瞳には、驚きと、それから──深い孤独の影があった。


「……生きてて……よかった……」


 ようやく出たそれだけの言葉に、声が震えてしまった。

 えとさんの瞳が揺れ、次の瞬間、ぽろりと涙が落ちた。
 その音は聞こえないはずなのに、胸の奥で確かに響いた。
 涙がこぼれるのを見た瞬間、胸の奥で何かが切れた。
 言葉より先に、身体が動いていた。

 床板がきしむ小さな音が、やけに大きく響く。

 逃げられるかもしれない──そう思った。
 何ヶ月も隠れていたんだ。きっと迷惑だったろう。
 オレみたいな知り合いに探し回られるのは、重荷だったのかもしれない。

 でも、それでも止まれなかった。

「……えとさん」

 そっと呼ぶと、えとさんはまるで怯えるみたいに肩をすくめ、視線を逸らそうとした。
 だから、その前にオレは腕を伸ばした。

 触れた。
 華奢な肩が、びくりと震えた。

 オレはそのまま、えとさんをそっと胸に引き寄せた。
 乱暴にならないように。
 抱きしめるというより、包み込むように。

「……よかった……本当に……」

 言葉にならない息が、吐息として漏れた。

 えとさんは最初こそ固まっていたけれど、やがて少しだけ力が抜けていくのがわかった。
 オレの服の胸元を、そっと掴む感触もあった。


「うり……どうして……ここに……」


 泣き声を堪えたみたいな震えた声だった。

 オレは答えられなかった。
 理由なんて、何ひとつ整理できていない。
 ただ、失いたくなかった。それだけだった。


「……生きててくれて……ありがとう」


 囁くと、えとさんの肩が震え、胸の中でかすかな嗚咽が漏れた。
 オレは腕に少し力を込めた。
 逃がさないためじゃなくて──もう二度と孤独に沈ませたくなくて――――。






side E



 うりの腕に包まれた瞬間、胸の奥に閉じ込めていたものが、音を立てて崩れ始めた。

 ずっと、誰にも触れられないようにしてきたのに。
 この人だけは、どうしてこう、いつもまっすぐ踏み込んでくるんだろう。

 涙なんて、とっくに枯れたと思っていた。
 けれど、あたたかい人のぬくもりに触れた瞬間、堰が切れたみたいに溢れてきた。


「うり……なんで……ここまで……探すの……」


 声が震える。情けないと思うのに、止められなかった。
 私なんか、もう探す価値なんてないのに。

 エンドラ討伐の後。
 倒れた後に目を覚ました時、
 自分の魔力が完全に失われたと知った時、私は「終わった。」と思った。

 魔法が使えない私なんて、仲間の足を引っ張るだけだ。
 みんなは優しいから、きっと何も言わずにそばに置いてくれる。
 でも、それは想像するだけでもつらかった。


「……魔力、戻らないの。何度試しても……何ひとつ、できなくて……」


 うりの胸元を握る手に、ぎゅっと力が入った。


「魔法が使えないなら……私は、みんなの傍にいちゃいけないと思った。
 足手まといになるのも……支えてもらうだけなのも……いやで……」


 自分でも驚くほど、言葉がぽろぽろ零れていく。
 こんな弱音、誰かに聞かせるなんてつもりは全くなかったのに。

 魔法がなくても生きていけるって、強がってでも言えばよかったのかもしれない。
 でも、怖かった。


「だから……ひとりで、生きてみようって……皆の邪魔にならない場所で……」


 うりの腕が、私を抱きしめる力を少しだけ強めた。
 優しいのに逃げられない、不思議な抱擁だった。


「怖かったんだ……
 魔法がなければ、私が……私じゃなくなる気がして……
 もし……役に立てないなら……いても意味がないって……」

 自分で口にしながら、胸が苦しくなる。
 ずっと抑えてきた痛みを、ようやく自分でも触れられた気がした。

 うりの胸に顔を埋めると、温度が耳に染みていく。


「……見られたくなかった。 こんな……弱いところ……」


 でも、うりは離してくれなかった。
 逃げるどころか、ただ静かに、そばにいてくれた。
 
 うりの胸に顔を押しつけたまま、私は肩で息をしていた。
 涙は止まらないし、声も震えて情けない……。
 こんな姿、絶対に見せたくなかったのに──。

 その時、うりの手がそっと私の背を撫でた。
 驚くほど優しくて、痛いくらいあたたかい。


「……えとさん」


 名前を呼ぶ声が、胸の奥に深く落ちていく。



「そんな風に考えていたんか……ばかだなぁ。……でも辛かったな。気づいてやれなくてすまん」



 その一言は、まるで魔法みたいだった。
 思わず顔を上げると、うりが真っ直ぐ私を見ていた。


「えとさんが魔法使いで、強いままじゃないといけないなんて、誰が決めたんだよ。
 魔力があってもなくても……弱い日があっても、立てない日があっても……いいんだよ」


 胸が熱くなって、息が詰まった。
 うりは続けた。


「だって……オレは、魔法が使えないえとさんが、価値がなくなるなんて一度も思ったことない。
 困ってたら支えたいし、笑ってくれたら嬉しいし……生きていてくれたら、それで十分なんだ」


 言葉を紡ぐ、うりの声が震える。


「うり……」

 掠れた声で呼ぶと、うりは小さく笑った。

「なぁ、えとさん。
 魔法が使えなくなっても……弱ってても……泣いてても……」

 一度息を吸って、言葉を紡ぐ。

「それでも、オレは……えとさんが、好きなんだ
 ガキみたいにからかってばかりいただから信じられんかもしれない
 ……でも、えとさんが好きだ。
 これからの人生、えとさんと一緒に生きていきたい。
 誰にでもやさしくて、強くて、たまに弱るえとさんを傍で支えさせてくれ」
 

 世界が止まったみたいだった。
 ひまわり畑のざわめきも、窓から差し込む風も、遠くの鳥の声さえも。



 全部、うりの言葉に掻き消された。
 胸の奥が熱くなって、呼吸を忘れそうになる。


「ずっと探してたのは、仲間としてじゃない。
 ……えとさんがいない世界が、どうしても嫌だったから
 だから……えとさん、オレを選べ……。
 オレを選んでくれ――」


 私を抱きしめる腕の力が強くなり、うりの温度がさっきよりも伝わる。
 心臓の鼓動が重なる。
 涙がまた込み上げて、視界が滲んだ。

 どうして。
 どうしてここまで、私を求めてくれるの。

 胸が張り裂けそうなのほど、苦しくて──
 私は震える指で、うりの服をぎゅっと掴んだ。


「……そんなの……そんなの……」


 声にならない息が漏れる。
 うりの言葉が胸の奥に深く刺さって、私は呼吸を忘れていた。
 抱きしめられたまま、温かいはずの腕の中なのに、どうしようもなく冷たいものが背中を走る。
 うりの胸に額を押しつけたまま、私は目をぎゅっと閉じた。


「……うり……」


 名前を呼ぶ声が、ひどく頼りなく震えた。
 だって、私は──。


「……ごめん……」


 ようやく絞り出した一言は、涙に濡れていた。
 うりの腕が少しだけ強くなる。
 その優しさが、どうしてこんなにも痛いのだろう。



「……うりの気持ちに……返せない……」



 溢れ出る想いを止められなくて、声が震えた。



「だって……私……ゆあんくんのことが……」



 言いかけた言葉が喉で詰まった。





side U


えとさんが、震える声で「ゆあんくんのこと……」と言いかけた瞬間、胸に鈍い痛みが走った。
けれど、その言葉はオレにとって驚きではなかった。



だって──知っていた。


 えとさんがゆあんくんを見つめるときの、あの少し切なそうで、それでいて温かい表情。
 ゆあんくんがえとさんを守るときに見せる、いつもより柔らかい横顔。
 ふたりが惹かれ合っていることなんて、近くにいたオレが一番よく知っていた。
 だから、えとさんが戸惑う理由も、返せない苦しさも、全部わかっていた。


 それでも。

 それでも、オレは告白せずにはいられなかった。


 えとさんが泣きながら「ごめん」と繰り返すたび、胸が苦しくなる。
 けれど、その痛みは恨みでも嫉妬でもなかった。
 ただ、えとさんが自分を責めていることが、つらかった。
 オレはそっと腕の力を緩め、けれど抱きしめたまま、小さく息を吸った。


「えとさん」

 呼んだ声は、少しだけ震えていた。

「知ってたよ」

 えとさんの肩がびくりと震える。

「ゆあんくんが……えとさんを大事に思ってることも。
 えとさんが……ゆあんを想ってることも。ずっと前から、知ってた」


 言いながら胸が少し痛んだけれど、不思議と涙は出なかった。
 傷ついていないわけじゃない。
 ただ、それよりも伝えたいことがあった。


「だから……えとさんの気持ちがもらえないのは、わかってたんだよ。
 期待してなかったわけじゃないけど……覚悟してた」


 えとさんがゆっくりと顔を上げる。
 その瞳には、驚きと、悲しみと、罪悪感が混ざっていた。
 オレは微笑んだ。
 きっと綺麗な笑顔じゃない。ぐちゃぐちゃかもしれない。
 でも、それでもいいと思った。


「それでも言いたかった。言わずにいられなかった。
 だって……えとさんが苦しんでるのに、気持ちを隠したままそばにいるのは……
 オレには、もう無理だったんだ」


 胸の奥が熱くて、言葉の続きがうまく出てこない。


「好きになった気持ちまで、嘘にしたくなかった。
 返事がどうであっても……えとさんに伝えたかったんだ
 えとさんがつらいときに……ごめんな」


 腕の中のえとさんが、小さく震えた。
 言葉を吐き出すごとに、胸の奥にあった重さが少しずつ溶けていく。


「だから……謝らんでいいよ。返せないなら、それでいい。
 そのことで、えとさんが自分を責める必要なんてないんだよ」


 だって──。


「好きになったのは、オレのほうなんだから」


 その言葉を口にした瞬間、えとさんの瞳が揺れ、涙がまた光った。
 オレはそっと、えとさんの頬を伝った涙の跡を指でなぞった。
 本当に言うべきタイミングじゃなかったとおもう。
 でも、えとさんが「自分なんて必要ない」と思ったままなのが、たまらなくつらかった。


 だから、ゆっくり言葉を紡いだ。


「……えとさんがいなくなった後さ──」


 えとさんが小さく身じろぎする。


「ゆあんくん……無茶しているよ。
 エンドラ討伐のあと、勇者として、討伐者としての残務なんて山ほどあったけど……」


 言いながら、胸が締め付けられる。


「あいつ多分、ほとんど寝ていないよ。
 昼は会議と報告、夜は処理しきれなかった報告書の山。
 そしてたっつんの静止も振り切ってギルドにくる依頼も片っ端から受けてさ、
 いつ、倒れてもおかしくないくらい、ずっと……ずっと働き続けてた。」


 えとさんの指が、小さく震えたがオレは続ける。


「……オレも止めた。 のあさんも……、じゃぱぱ王たちも、何度も何度も休めって言った。
 でも、ゆあんくんは頑として聞かなかった。」


 えとさんを探しに行く前に会うたびに見せる、焦点の合わないゆあんくんの目が胸に焼き付いている。


「そして……倒れたよ。書類に向かったまま、椅子から崩れ落ちて……。」


 言葉が喉につかえる。
 でも、伝えなければいけない気がした。
 その言葉が落ちた瞬間、えとさんが小さく息を呑んだ。
 ゆあんくんのことを聞いて、動揺しているのが伝わる。


「……えとさんは、行かなきゃいけないところがある。」


 そう口にできた自分に、心の中で苦笑する。

 本音はただひとつ。
 本当は──行ってほしくない。
 でもそれだけは、絶対に言わない。
 言ってしまったら、えとさんがまた自分を責めてしまう。


 だからオレは、痛みをごまかすみたいに息を吐き、えとさんの顔を見つめた。


 泣いたあとの瞳は弱々しくて、それでも綺麗だった。
 こんなに繊細な光を、自分のものにしたかったなんて……
 本当に、贅沢な願いを抱いてしまったと思う。

 だからこそ。


「……えとさん、ゆあんくんのところに、行ってあげて」


 言った瞬間、胸の奥がぎゅっと潰れるように痛んだ。
 えとさんを少しでも安心させるように笑っているつもりでも、口元がほんの少し強張ってしまう。


「ゆあんくん、……ずっと、えとさんが居なくなった絶望感と戦っているよ。
 周りが心配するくらい、無茶しながら……それでも止まらなかった
 えとさんがいないと、あいつ……だめなんだ。
 勇者で、エンダードラゴンを倒すくらい強いけど、ほんとはすごく不器用で、真っ直ぐで……すぐに熱くなるガキで……」
 

 本当は言いたくない言葉ばかりだ。
 言いながら、自分のどこかが壊れていくような感覚がある。

 でも、えとさんの未来が前へ進むなら、それでいい。
 それが、オレにできる最後の役目だ。


「だからえとさん……ひとりで泣いて、ひとりで背負って、ひとりで消えようとしないで」


 そう言って、オレはえとさんの頭をやさしく撫でたんだ。
 
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