エルデナ王国物語
――あの夜のことは、今でも森の音と一緒に思い出す。
月はブロックのように四角く、ガラス窓を通して青白い光を部屋の床に落としていた。
オークの木と閃緑岩で組んだ小さな家。
外では葉が擦れ合い、遠くでモンスターの声が低く聞こえてくる。
私は暖炉のそばで、小さなえとさんの身支度を整えていた。
まだ幼く、細い肩。ウールの服は少し大きくて、留め具を直すたびに、彼女は小さく息を潜める。
迷惑をかけないようにしているのが、手に取るようにわかった。
――まだ人間の歳にして4,5歳のえとさんは、自我を失ってしまっていた様子だった。
数か月前にじゃぱぱさんともふくんがこの家に初めて幼いえとさんを連れてきたときからそうだった。
はやり病で家族を失い、その影がまだ村に残る中で、ひとり立ち尽くしていた幼い魔法使い。
サラサラなオレンジ色の髪を風に揺らして、才能の気配だけが、微かに光っていたところを
見つけて保護してきたのだと2人はいっていた。
その時の私は、魂の片割れ、双子の弟のヌーフを前のエンドラ討伐の最中で失い、生きる気力を失っていた。
延命のエルフは自らの手で命を絶つことはできない。
ヌーフの後を追いたくても追うことができない。
生きる気力も失った私は、ヌーフと過ごしていたこの小さな家でただ、息をしているだけの生活を送っていた。
じゃぱぱさんともふくんは自分たちは「男」だから女の子をどう世話したらいいのか分からないので
私にお願いしたいのだと言っていた。
討伐の帰還後エルデナ国の王様に任命されたじゃぱぱさんであればお城に沢山の女中さんがいるのだから
幼い子供のを「世話の手」には困るはずはなかったはずだ。
けれど、ふたりが私のところに訪れてたのは生気を失った私のことを考えての事だとぼんやりとしながらも
すぐに察した。
膝を折り、幼いえとさんの表情を見たときはまるで鏡に映した私のようだと思った。
大事なもの(家族)を失い
瞳から生気の光を失い
ただ、息をしている人形。
もふくんが握っていた手を緩めてえとさんの小さな手を私のほうへと差し出した。
真っ白で指先がひんやりと冷え切ってしまっている小さな手が私の手の中にすっぽりと納まった。
その日から私と幼いえとさんの「ふたりぐらし」が始まったのだった。
私はえとさんに「いい子でいなさい」と言ったことはなかった。
それでも彼女は、いつも「いい子」でいようとしていた。
人間のこれくらいの歳であれば感情が表に出てもおかしくないはずなのに。
えとさんは一緒に生活するなかで、一生懸命で、迷惑をかけないようにといつも必死だった。
日中はエルデナ城にいるもふくんに魔法を教わり、それ以外の生活は私と過ごしていたのだが
えとさんが大人に対して「お願い」や「我儘」は一切口にすることがなかった。
――そんな生活に慣れてきたある夜 私とえとさんの関係性を変える出来事があった
いつものように風呂で洗った髪を整え、暖炉の前でえとさんの髪を乾かしているときだった
前髪をそっと指ですくい、髪を櫛ですいていた時だった、
「……おねえ、ちゃん……」
私の前に座っている幼いえとさんからボソッと…
聞き逃してもおかしくないくらいの小さな声でそれは発せられた。
時間が止まったように感じた。
指先に、えとさんの体温が残る。暖炉の火の音が、やけに大きく響いた。
胸の奥が、きしむ。
その呼び方を、私はもう失ったと思っていた。
えとさんが慌てて顔を上げて背後の私を見る。泣きそうな目。自分を責めるように震える声。
「……ちが……ごめんなさい……」
違わない、と言いたかった。
でも言葉が、すぐには出なかった。
私は、考えるより先に腕が伸びていた。
えとさんの小さな体を抱き寄せると、森の匂いと、かすかな魔力の温もりが伝わってくる。
壊れ物のように、でも確かに生きている暖かさと重さ。
「間違いじゃないよ」
ようやく、それだけ言えた。
「呼びたいなら、そう呼んでいいですからね」
えとさんの小さな体が、腕の中で震え出す。
抑えていた感情が、一気に溢れ出るのがわかった。
――ああ、そうか。
この子は、感情を失ったんじゃない。
「家族と呼んでいい存在」を、ずっと探していたのだ。
泣きじゃくる声を聞きながら、私は少し力を込めて抱きしめる。
長い時間を生きてきたはずなのに、その夜の私は、ひどく未熟だった。
それでもひとつだけ、はっきりしたことがある。
この子の世話を任されたのではない。
えとさんの新しい家族に選ばれたのだ。
月明かりが差し込む部屋の中で。
私は、再び「姉」と呼ばれる場所に、立っていた。
そして時は巡り、また私はこの家に一人きりになった――
「えとさんね、家を出て行ったの。
家を出て、知らないところで生きたみたいって
行先は私もまだしらないんだ――。」
今日、えとさんと会う約束をしていたゆあんくんが私が告げた言葉に驚き大きく目を見開いている。
手に抱えていたヒマワリの花束が足元に落ちた。
私はヒマワリの花束を拾いあげる
「えっ…え…どういう…」
状況が理解できないゆあんくんに私はゆっくりと話した
「一昨日…凱旋パレードの前夜にえとさんから話があったの……。
『――ねぇ、のあさん。』
『ん?なんですか?』
『あのね、私、この家を出るね。』
『えっ?!』
『知らない土地で、ひとりで暮らしてみようと思う。』
『ちょ、どうしたんですか?えとさん』
『落ち着いたら、必ず連絡するから……今まで、育ててくれてありがとうございました……』
『えとさん――』
『ワガママ言ってごめんなさい……』
えとさんがいなくなったっていうのに、そんなのんびりしていていいのかって思うよね
幼いときから一緒に過ごしてきた妹みたいな存在、『家族』だもの…
心配に決まっている……。」
――だめだな…やっぱり我慢しても、どうしても涙が頬を伝う…
同じように長年、レッド・アイとして過ごしてきた、ゆあんくんや、うりさんだって心配になるに決まっている
でも、分かっているのに私はえとさんを止める言葉が出てこなかった――
「えとさんがね、私に初めてワガママを言ってくれた……
理由は知らなくても、叶えてあげたい――。」
あの夜、私に伝えてきたえとさんの瞳を思い出す
決意を秘めた瞳の先に、誰の何を思っていたのだろうか…