主人公の名前
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静かな部屋にはパソコンのキーボード音、それからペンを走らせる音、時計の秒針が一定のリズムで動く音、そんな音がただただ響いていた。というのも、海莉は現在リゾットの書類作業の手伝いをしていたのだ。内容は特に難しいことはなく、上に提出する用の書類、こちらで管理する書類などを分けたり、リゾットの指示があれば簡単な文を書き込んだりするそんな単純な作業だった。以前彼女が務めていた会社でも同じように書類整理はあったのでさほど苦労する事もなく、寧ろ結構いい感じに彼のサポートが出来ているのではないかと思っている。だが1つだけ問題点があった。それは、全くと言っていいほどリゾットとの会話が無いのだ。漸く口を開いたと思えば、これを頼む。といった仕事の指示のみ。作業中なので私語を慎むのは当たり前だし、集中できるのは良い事なのだが流石になんの会話もないのも海莉的にはちょっぴり辛い。
「…………、」
「………」
向かい合う形で座っていた海莉とリゾット。彼女は目線をゆっくりとずらしてリゾットの方に目を向けるが、こちらに気付くわけもなく淡々と作業を続けている。下手に話しかけても怒られそうなので、やはりやめておこうと諦めて作業に戻ろうとした。するとリゾットは、その手を止めたのだ。
「……何か、分からない事でもあったか?」
「…へ!?いえ、別に!!」
「そうか…視線を感じたんだがな」
そう言って彼はまた手を動かし始めた。流石暗殺者、そういった気配の察知能力はお手の物のようだ。などと感心している場合ではない。突然話を振られたとは言え、海莉は完璧にリゾットと話すタイミングを逃してしまったのだ。どうしたものかと、彼に聞こえない程度に小さなため息を吐くと意外にも2度目のチャンスは訪れた。
「お前がここに来てそれなりに経つが…慣れたか?」
「…は、はい!!」
まさかの言葉に海莉は勢いよく顔を上げて答えた。
「家族には伝えたのか?」
「もちろん!でも…あまり良いようには受け取ってもらえなかったんですけど、とりあえずやりたい事があるのならやってみなさいって」
ギャングの元で働く、とは伝えてませんからね。そうしっかりと言葉を添えると、そうか…と彼は静かに答えた。家族には日本に帰ってこいと当然ながら言われたのだが、やりたい事があるから残る、やらせてほしいと正直な気持ちを伝えると母も父も折れてくれた。ずっと、仕事とは言え娘1人知らない土地に、しかも外国に送るなど当初から不安がっていた両親。そんな2人の反対を押し切って今回ここに残る事に決めた。が、不安が無いとも言えないのだが、何となくここのメンバーとうまくやっていけそうだと最近思い始めている。きっとなるように、なる。
「あ、リーダーは好きな食べ物とかあります?」
「……何故だ」
「今日の夕飯のメニュー迷っていたので、折角なら今日はリーダーの好きな物をと思って」
「何でも良い。お前が作る飯は美味い」
「あ…ありがとうござい…ます」
「これからもずっと、食えたらいいんだがな」
「…えっ!?」
「リーダー、ひょっとしてそれ、遠回しにずっと俺の側にいてくれ宣言?」
ただいまー、陽気な声をリビングに響かせながら入ってきたのはソルベとジェラートだった。あいも変わらず普段の生活も、任務も2人一緒のようだ。仲が良いのは構わないのだが、ただあまりにも2人の距離が近いのでひょっとすると彼らはそういう仲なんだろうか…というのを他のメンバーに直接的ではなく、さり気なく聞くと彼らはさぁなと鼻で笑っていた。まぁ2人がどんな関係であれ、仲がいいのは良い事だとは思う。
「ソルベさん、ジェラートさんお疲れ様です」
「だらさぁ海莉!!いいって、そんな堅苦しい言葉は!それからリーダーこれ。報告書」
ほい、とジェラートが差し出された1枚の報告書をリゾットは受け取り、ざっと目を通す。
「…不備はないな。というか、何ださっきの言葉は。遠回しも何もないぞ」
「知ってる知ってる、リーダーがそんな事を言う奴じゃあないってのは」
「だが、勘違いしてしまう奴もいる。気をつけた方がいい。なぁ海莉?」
「別に私勘違いなんかしてないよ」
「ほぉ」
「意味深な顔で見ないでソルベ!!ジェラートもニヤニヤしない!!」
「…………?」
自分だけがこの状況を把握出来ずにいるという状況に多少の不満を覚えたリゾットは、自分にも教えてくれと言わんばかりの顔を浮かべて海莉の方をじっと見た。何となく2人が言いたい事を察した海莉は若干頬を赤らめている。まだたった数週間ではあるが彼と接して彼が一体どんな人なのかはある程度分かったつもりだ。だがらこそ、先程のリゾットの発言にはそれ以上でも以下でもなくただ純粋に自分の気持ちを伝えてくれたただけなのだ。深い意味など絶対にないだろう。
「じゃ、俺たちは部屋に戻るぜ」
「2人とも頑張れ」
ソルベは最後にポンと海莉の頭を撫でて、自室へと戻っていった。先程まで静かだったリビングは突然嵐が来て騒がしくなり、そしてまた静けさが訪れた。リゾットは小さくため息を吐く。
「まったく…騒がしい奴らだな」
「ははっ!それはあの2人に限った話ではないですけどね」
「それもそうだな、」
再び書類整理の作業を始めようと手を動かし始めたが、リゾットのなぁという声に直ぐに手は止まってしまった。
「なぜ…お前まで俺をリーダーと呼ぶ?」
「他の皆さんがそう呼んでいるので……」
たからその流れで自分もそう呼んでいただけなのだが、もしかして彼の気に障ったのだろうか。お前にリーダーと呼ばれる筋合いは無いなどと思われていたんだろうか。ごめんなさい、と小さく謝ると普段は動揺など一切見せないのに微かに驚いた様な顔をして首を横に振った。
「そういう意味じゃあない。ただ…」
他の奴らが名前で呼ばれているのが少々羨ましいと思っていた、などと子供染みた理由を言えるはずもなく彼はその続きの言葉を飲み込んだ。
「…リゾット、さん?」
「……、」
黙りこくってしまった彼を不思議に思った海莉は、思わずその名前を口にする。不意に彼女に名前を呼ばれたリゾットは、驚きで目が徐々に見開かれていった。と、同時に嫌でも分かるほど確かに胸が騒ついた。彼女に名前を呼ばれた、ただそれだけなのに。
「何でもない、気にするな。お前の好きに呼べ」
「…じゃあ、リーダーで」
時々名前で呼ぶかもしれません、そう最後に添えるとこちらが思わず目を背けてしまう程あまりにも無邪気に笑う彼女に、リゾットもほんの微かにだが普段は全く動かない口元がゆっくりと弧を描いた。海莉と共にいると自分がギャングで、暗殺を生業としている事を忘れ、そこら辺にいる普通に生活している人間と変わらないのではないかとつい錯覚してしまう。その答えは至極簡単で、海莉が普通の人間だからだ。ギャングではない、人も殺さない、ただ普通の生活を当たり前に過ごしてきた人間だから。安堵してしまう、そんな心地の良い空間に、海莉という1人の女性の存在に。きっとそれは俺だけではなく、このチーム全員が同じ様な気持ちを抱いている事だろう。彼女がここに来てから以前よりもチーム全体の雰囲気が良くなっているのが何よりの証拠だ。
「海莉」
「何ですか?」
「今日は…肉が食べたい」
「…はい!分かりました。なるべく安くていいもの買ってきます」
「荷物も多くなるだろう、書類が一通り片付いたら俺も一緒に行こう」
まさかリゾットが一緒に行くと言うとは想像しておらず、内心驚きを隠せない海莉だったが荷物を持ってくれる人がいてくれるのはありがたい。彼の申し出を快く受け取りグラッツェと礼を言う。無口でいつも表情を崩さないこの暗殺チームのリーダーは、こうして一緒にいて緊張しないといえば嘘になるし、最初は怖かった。が、このチーム全員に感じた心のずっと内側にある優しさというものは彼も例外でなく持っていると海莉は感じた。彼らがギャングだろうと、人の命を奪う仕事をしていても、ここにいて良いと思えるのはきっと彼らがそんな心を持った、本当は優しい人たちだからだと今改めて思う。