ー奇談ー學校へ行こう7

ー教室ー

毎夜行われる、浮き世離れした夜の授業。
今日も取り壊されないまま、時代から取り残された廃校で授業が始まろうとしていた。

悠「ひゅゅぅぅぅ……ふー……」

千世子「あんちんの顔色が酷いのだ」

摩耶「寒さに耐えかねているさ」

神姫「もうあと二度か三度気温が下がったら……動かなくなるんじゃない?なんかの虫みたいに」

摩耶「仮死状態ってやつだね」

悠「あのなぁ…。」

【ユプト夫人クレオパトラ&ユダヤ人マリア】
英字表記:Cleopatra/Maria
生没年:1世紀頃/1~3世紀
出身地:アレクサンドリア
出典:錬金術解説書「キタブ・アル・フィリスト」

千世子「じゅぎょーしまーすなのだ。「高度に達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」という言葉があるのだ。錬金術という学問も「物質の性質と世界の仕組みを知る」という科学的な要素と、「さまざまな金属を金に変える賢者の石を生みだす」という魔術的な要素をあわせもっている、魔法と科学の中間的な存在なのだ。魔女が大釜で薬品を調合するという特徴との類似を考えれば、錬金術をえとくした女性も、広い意味での魔女ということができるだろうなのだ。」

神姫「でも、寒いのは分かるわ。私も今日は厚着してきたもの」

悠「毛糸のパンツ?」

神姫「チッ」

悠「もの凄い目で舌打ちされた」

摩耶「毛糸のパンツになにかこだわりがあるの?」

悠「いや、なんとなくぴよこが穿いてたら可愛い。だけど神姫が穿いてたら萌えっていうかエロスを感じるふしぎゃあぁぁ!!」

千世子「あんちん、うるさいのだ。古代や中世の学問の世界は男社会のイメージがあるが、実は古代の錬金術師会には、、女性の錬金術師の名前が数多く登場するのだ。その中でも有名なのが、かつてのエジプトの女王と同じ名前を持つ錬金術師、コプト夫人クレオパトラなのだ。彼女は17世紀ドイツの錬金術師ミハエル・マイヤーから賢者の石生成に成功した、4人の女性のひとりと呼ばれる、偉大な女錬金術師なのだ。」

亘理『なにが起こったの今……』

悠「ずぉぉ……」

神姫「さぁ、何があったのかしらね」

雨「……手に持ってるのはなに?」

神姫「ただのホッチキスよ」

千世子「コプト夫人クレオパトラは、世界規模の大図書館のある学問の都アレクサンドリアで、1世紀頃に活躍していたとされる女性錬金術師なのだ。この「クレオパトラ」という名前は本名ではなく、偽名なのだ。古代エジプトの女王クレオパトラは聡明で、多くの学問を通じていたとされているため、その知恵にあやかってつけられたものだと思われるのだ。」

悠「し、神姫、いくら太ももだからってホッチキス打つのはやり過ぎじゃないですか?」

神姫「なんのこと?」

悠「思いっきり針が刺さっていたんですけど!」

摩耶「太ももだからってっていう理由も間違ってるけどね」

亘理『流石に痛いでしょ』

千世子「彼女は「ウロボロスの蛇」と呼ばれる、円形になって自分の尻尾を呑みこんだ蛇の図像を自分のシンボルマークにしていたのだ。このマークは「すべての物体や理論はひとつの法則のもとに存在している」などのさまざまな意味を持ち、錬金術師にこのんでつかわれているのだ。」

悠「乳首にホッチキス打つってなんかの薄い本であったな」

摩耶「悠君、最近読んでる本が偏ってない?」

悠「気のせい気のせい」

神姫「そういうのが趣味とか本気で性癖を疑うわ」

悠「だから違うっての」

千世子「彼女の名前が初めて書物に現れるのは、10世紀アラビアの錬金術師書「キタブ・アル・フィリスト」なのだ。錬金術の世界では、錬金術師が発見した理論が、惑星、金属、元素などさまざまな要素を盛り込んだ図像として描かれることが多いが、クレオパトラも「クレオパトラの金づくり」「尺度と重さ」「哲学者の神性かつ神的な術」などの有用な図像を残しているのだ。この図像の中でクレオパトラは、物質を溶かす機材や、揮発性の成分を取り出すための蒸留器など、錬金術で使用する道具の構造を示しているのだ。」

摩耶「でも、ホッチキスじゃないけど鼻ピアスとか舌にピアスとかはもはやオシャレっていうかプレイだよね」

悠「いったら絶対にホッチキス打たれるから察して欲しいんだが、絶対に針とか刺しちゃ駄目な部位にとかな」

神姫「……」

悠「……」

神姫「……」

悠「よかったセーフだった」

亘理『悠ちゃんそこまでして下ネタ言おうとするのはどうしてなの……』

千世子「ただし、コプト夫人クレオパトラという錬金術師が本当に実在していたかどうかは疑わしい点が多いのだ。クレオパトラの錬金術師には「グノーシス主義」という宗教思想の影響が強く見られるのだが、この思想は2~3世紀に出来上がったもので、クレオパトラの活躍した時代よりもあとに生まれた思想なのである。そのためクレオパトラの著作とされる様々な図像は、グノーシス主義の誕生後に他人に書かれたものである可能性が高いのだ。今日はここまでで続きは次回なのだ。」
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