ー奇談ー學校へ行こう6

ー教室ー

毎夜行われる、浮き世離れした夜の授業。
今日も取り壊されないまま、時代から取り残された廃校で授業が始まろうとしていた。

悠「んんっー……ダルイ。」

摩耶「点滴打ってもらうとすぐ良くなるよ」

悠「あー、確かにそれは一つの手ではあるな。看護師みたいだけど」

亘理『看護師ってダルイと点滴打つの?』

悠「そりゃ、すぐ近くにあって速攻で栄養が取れる。さらに血管に針刺す練習にもなる。夜勤の看護師とか泊まりこみの看護師には多いらしいぞ」

亘理『なんか怖っ……』

悠「いや、点滴だし」

【呂蒙】
本名:呂・蒙・子明
生没年:178~219

千世子「はーい、じゅぎょーしますなのだ。「男子三日会わざれば刮目して見よ」という言葉があるのだ。男の子の成長が早いことをあらわすことわざだが、その由来となった呂蒙の成長は、刮目……つまり「目をこすってよく見」ても信じがたい。呂蒙は学問の「が」の字も知らなかったのに、数年間の猛勉強で呉最高の軍師となった人物なのだ。」

神姫「単純にビタミン剤のめばよくない?」

悠「ビタミンか…光合成頑張ってみるか」

神姫「口開けなさいレモンつっこんであげるから」

ぐりぐり…
悠「なんでレモン持ってるのかも疑問だが丸ごとを押し付けないでください角が痛いです」

神姫「……」

ごりごり…
悠「えっ?無言で続ける?!」

千世子「呂蒙は地位も財産もない、まったくの庶民として生まれたのだ。十代半ばになると叔父の軍隊に無断で加わって活躍するようになったのだ。叔父がなくなると、呂蒙はその武勇が認められ、叔父の軍隊をそのまま率いることを許されたのだ。このころ呂蒙は20歳前後。強さと度胸だけが自慢の若者だったと思われるのだ。」

摩耶「楽しそうだね」

雨「楽しいのアレ?」

亘理『黒板消ししかないけど混ざろうか……』

摩耶「黒板消しはもう食べ物でもないけどね」

悠「そんなもんつっこまれたら死ぬぞ……」

千世子「呂蒙が32歳になった210年、呉の軍師魯粛が久しぶりに呂蒙と会うことになったのだ。魯粛は呂蒙を、、武勇だけの乱暴者と嫌っていたが、いざ話してみると、呂蒙は魯粛を何度も言い負かす知恵者に成長していったのだ。呂蒙はおどろく魯粛に「士、別れて三日、刮目して相待すべし」と発言したのだ。これが有名なことわざの元になったセリフなのだ。」

悠「おれも三日合わないといい男レベルが上がるぞ」

神姫「毎日会ってもしょーもない男なのに?」

悠「けっこう傷つくわぁ」

亘理『しょーもなくはないよ。うん。大丈夫』

摩耶「つまらなくなったらおしまいだけどね」

悠「それはそれでキツイ」

千世子「『正史』の補足として使われた伝記集『江表伝』によれば、呂蒙が学問を始めたのは、孫権が武勇一辺倒だった呂蒙に学問を強く勧めたきっかけだったというのだ。孫権が呉の君主になったのは200年のことだから、魯粛との再会までに呂蒙が学問に励んだ期間はもっとも長く見ても10年。こんな短期間で呉国最高の軍師を言い負かすようになるとは、呂蒙の頭の良さと読書量は相当なものだったようなのだ。」

雨「いや、つまらない男でしょ」

悠「おーい、いってくれるな蜘蛛っ娘。後楽、押し付けるぞ」

雨「やめてっ!」

摩耶「本気の拒否だったね」

神姫「当然だと思うわ。貧乏神なすりつけられるレベルだもの」

悠「世界規模で嫌われてる奴だからな」

後楽「いやー、それより普通におじさんここに居るのに平然とそういう事いいあうキミらもなかなか酷いぞ」

千世子「軍師としての呂蒙は、相手の裏をかいて敵の弱点を攻めるのが得意だったのだ。病死した魯粛の後継として呉軍の総大将になると、呂蒙は荊州を守る蜀の武将「関羽」が、魏を攻めるために荊州を離れたところを狙い、荊州のおもな都市を全て占拠したのだ。呂蒙はその後、独立した関羽を捕えられて殺す大手柄をあげているのだ。以上、呂蒙のじゅぎょーだったのだ。」
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