ー奇談ー學校へ行こう6

ー教室ー

毎夜行われる、浮き世離れした夜の授業。
今日も取り壊されないまま、時代から取り残された廃校で授業が始まろうとしていた。

悠「なんか夕方過ぎたころから顔面が痛いんだよな…」

摩耶「どっかにぶつけたの?」

悠「いや、なんか殴られたような痛みなんだけど……今日は別に誰にも殴られてないはずなんだよ」

亘理『いつもは殴られいるみたいないいかただね』

悠「一日一痛みは味わってる気がする」

神姫「そういうのは自業自得って言うのよ」

千世子「因果応報かもしれないのだ」

悠「でたよ、でたよ。なんか結局根本の原因はおれにあるような言い方」

【黄蓋】
本名:黄・蓋・公覆
生没年:?~215

千世子「黄蓋は、不屈の忍耐力で知られる呉の老将なのだ。三国志でもっとも有名な「赤壁の戦い」でも、その忍耐力が軍師周瑜の策略を大成功に導いているのだ。」

悠「黄蓋さんはいいお母さん。異論は認めん」

摩耶「恋姫の祭さんね」

悠「……祭っていうだけだと炎銃と被るからさ」

摩耶「「まつり」と「さい」だけどね」

悠「文章だと……な?」

神姫「メタいわね」

千世子「黄蓋の人生は幼年期から苦難に満ちていたのだ。幼くして父を亡くた黄蓋は、貧しい生活に苦しみながらも出世の希望を捨てず、薪を拾う合間に文章を練習し、兵法を研究していたというのだ。晴れて役人になった黄蓋は、孫権が軍を結成した時にその配下となり、手柄を立てたのだ。以後、孫堅、孫策、孫権の三代に渡って呉に仕えることになるのだ。」

摩耶「まぁ、それを言いだしたら「真桜」ちゃんなんて読みも同じだよ」

悠「圧倒的に胸が違う、キャラが違う、胸が違う」

亘理『なんで二回言ったの?』

悠「大事なことだから!」

神姫「ソレ、いいたいだけでしょ」

悠「うん」

千世子「黄蓋は威厳のある外見で、弱者をよく保護したため、黄蓋が治める土地はいつも平穏で、民衆も漢民族、異民族を問わず黄蓋のことを慕っていたというのだ。しかし黄蓋はけっして甘い統治者ではなく、不正をした役人を即刻打ち首にするなど罪人には容赦がなかったのだ。こういった「飴と鞭」の政策が認められ、黄蓋は統治が難しい辺境の地を任されることが多かったというのだ。」

悠「雨にムチ……」

雨「こっち見るな、そして飴と鞭よ!」

亘理『そんな趣味あるのかっ!コラッ!』

神姫「叩かれるでよ側よ」

悠「ないです。ないですから。」

千世子「黄蓋は勇猛な武将だが、必要とあらば策略を用いる柔軟さがあったのだ。数が多い敵は分断して蹴散らし、曹操が呉の領地に攻め込んだ「赤壁の戦い」では、黄蓋が魏に降伏するふりをして、魏の軍艦に火攻めを行う策略を提案したのだ。」

摩耶「でも、マゾいよね」

悠「マゾくないよ?!摩耶、何をいいだすの?!」

摩耶「そう?喜んで殴られてるような気が……」

神姫「じゃあ、殴るのやめないとダメね」

雨「どういうこと?」

神姫「相手を喜ばしても楽しくないじゃない」

悠「殴られて喜んでは無いけど、殴らないでほしい」

神姫「じゃあ、蹴るわ」

悠「悪化してるよ?!!」

千世子「『演義』では、黄蓋の嘘の降伏は大きく脚色されているのだ。黄蓋が軍師周瑜に策略を進言するところまでは同じだが、『演義』では周瑜との仲違いを演出し、棒打ち50回という過酷な刑罰を受けることで、降伏が嘘でない事をアピールしたことになっているのだ。なお棒打ちとは裸にした背中を木の棒でたたく刑罰で、50回も叩くと皮膚は裂け、死ぬ可能性もある過酷なものなのだ。黄蓋は不屈の忍耐力でこの刑罰に耐え、見事に曹操を騙してみせたのだ。黄蓋の命をかけた策略は「苦肉の策」と呼ばれ、現代では「苦し紛れに考案した手段」という意味の慣用句になっているのだ。以上、黄蓋のじゅぎょーだったのだ。」
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