ー奇談ー學校へ行こう6

ー教室ー

毎夜行われる、浮き世離れした夜の授業。
今日も取り壊されないまま、時代から取り残された廃校で授業が始まろうとしていた。

悠「いつかティファニーで朝食を喰いたい」

摩耶「なんかシャレてて似合わないね」

悠「いつも納豆で白米をかきこんでみそ汁で飲みこんでる」

摩耶「ぴったりぴったり!」

亘理『漢(おとこ)って感じでてる!』

悠「ナンでカリーを食べたい」

摩耶「インド人インド人!」

亘理『大河の流れ大河の流れ!』

神姫「暑さで脳が腐ったの?」

千世子「ヒートエンドしてるのだ」

悠「爆熱!」

神姫「うるさい」

悠「サーセン」

【周瑜】
本名:周・瑜・公瑾
生没年:175~210年

千世子「孫権のじゅぎょーでも解説したとおり、中国では偉大な人物には常人と違う「貴人の相」があらわれるという考え方があるのだ。そのため重要人物であればあるほど外見についての記述が多くなるのだが、そのわりに明確に「美形である」と書かれている人物はほとんどないのだ。」

悠「しかし、昨日暑さが少しましになってきたっていった自分をブチ殺したいわ」

神姫「おいで絞めたげる」

悠「ヤベェ殺される!!」

摩耶「臍で呼吸したらいいよ」

悠「そんな真似ミハイル以外は出来ない」

亘理『出来る人いるの?!』

神姫「いいから来なさいって」

悠「あの、勘弁してください」

千世子「数少ない例外のひとつがこの周瑜なのだ呉軍の軍師として活躍していた周瑜は「美周郎」というあだ名まで授かる美男子だったのだ。だがもちろん、外見が良いだけで名を残せるのは女性の特権なのだ。周瑜はその美しい外見がかすむほどの知謀を誇る、三国志屈指の軍師なのだ。」

悠「おれも美悠郎って呼ばれてたかもしれない」

摩耶「語呂悪っ」

神姫「救いようがないわね」

悠「あれ、そこまで?そんな無理な発言した?」

神姫「愚かだわ」

悠「愚かとな…」

千世子「周瑜は内政より戦争を得意とした軍師で、敵味方の戦力を正確に分析し、相手の弱点をを見つけるのを得意としているのだ。その知略は敵対する劉備や曹操にとっては恐怖の的であり、曹操は使者を使って周瑜とその君主、孫権の中を引き裂こうともしたのだ。その曹操は周瑜に戦敗したとき「周瑜に負けたのなら恥とは思わぬ」と発言しているのだ。曹操が周瑜をどれだけ高く評価しているのかが良く分かる逸話なのだ。」

亘理『私は悪くないと思うよ悠ちゃんの顔』

悠「ほほう」

亘理『だから、顔見せい!』

悠「だが断る!」

亘理『このっ前髪をのけるだけでいいっての!』

グッググッ!
悠「でぇーい、念動力で髪を弾こうとすんな!」

摩耶「わぁ、醜い争い」

千世子「人物面の評価として代表的なものは「話上手で人当たりがよい」というものなのだ。周瑜を激しくライバル視していた古参の武将「程普」は「周瑜との会談は美酒を飲むようなもので、相手の言に酔ってることに気づかない」と言っているのだ。ライバルにここまで言わせるのだから、周瑜の話術は相当なものなのだ。」

神姫「横でバタバタとうっとおしいわね……。」

メシシッ……
悠「そういうのは首しめながらいうセリフじゃねーっす……」

亘理『……悠ちゃんファイト!』

摩耶「逃げたね」

亘理『普通に怖いもん』

神姫「両成敗……よ?」

ベシッ!
亘理『うぎゅっ?!な、なに今のめちゃおでこ痛い!!』

摩耶「消しゴムの欠片をぶつけられたんだよ」

千世子「また民間に伝わる伝承によれば、周瑜は音楽の達人で、絶対音感に近い能力の持ち主だったというのだ。宴の席で音楽隊が少しでも演奏をすこしでも失敗すると、周瑜が失敗した演奏者のことを見るので、人々は「曲に誤りがあると周郎がふり返るぞ」とささやきがあったというのだ。周瑜が音楽を得意としていたことは『正史』にも書かれているので、この話もいい加減な創作というわけではなさそうなのだ。今日はここまでで続きは次回なのだ」
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