ー奇談ー學校へ行こう6

ー教室ー

毎夜行われる、浮き世離れした夜の授業。
今日も取り壊されないまま、時代から取り残された廃校で授業が始まろうとしていた。

千世子「はーい、あんちんと亘理ちゃんの追いかけっこが終わったのでじゅぎょーしたいとおもいまーすなのだ」

悠「なんて゜追いかけられたんだおれ…」

亘理『幼女イジリ』

悠「ロリコンで良かったなぁ~って歌いだすぞこの野郎」

亘理『野郎ぢゃないもん!』

千世子「今日からは呉軍のじゅぎょーになりますのだ。」

【孫堅】
本名:孫・堅・文台
生没年:156~191or192

後楽「……」

悠「あれ、なんでおっさん死んでる?」

摩耶「さっき悠君たちが踏んづけてたよ。」

悠「あー、そういえばなんか踏み砕いたような気がしてた」

千世子「曹操、劉備、孫堅。三国志の「三国」の創始者の中で、孫堅はもっとも早く命を落とした人物なのだ。胸に熱い野心を抱き、闘えば無敵の強さを誇ったのだ。もし孫堅が天寿を全うしていたら、三国志の歴史は変わっていたかもしれないのだ。」

亘理『あー……バタバタして汗だく』

神姫「髪、凄いことになってるわよ。」

亘理『え、姉さんより?』

神姫「どういう意味?」

ぎゅっ~!
亘理『いひゃいです、いひゃいです!いひゅもひあひのはひったふぁみふぁたっふぇいみふぇふ!(いつも気合の入った髪型って意味です)』

雨「手出すの早いでしょ」

神姫「とりあえずよ」

雨「とりあえず捻ってから話を聞くって……」

千世子「孫堅の先祖は、中国でもっとも有名な兵法書「孫子」の著者である「孫武」の子孫だと言われているが、確かな証拠は無いのだ。『正史』には孫堅の直接の父や祖父の名前が書かれていないことから、家系を重視しない低い身分の出身だった可能性が高いのだ。「正史」では孫堅の外見は描写されていないが、『演義』では額が広く、立派な体格だったと書かれているのだ。「古錠刀」という分厚い剣を持ち、頭には赤い頭巾をかぶっているのだ。「江東の虎」という勇ましい異名もあるが、これも『演義』の創作なのだ」

悠「孫堅は早死にイメージが濃いよな」

摩耶「無双でも前半退場だよね孫策も」

悠「……顎髭のせいかな」

摩耶「髭でないキャラ結構いるよね。」

亘理『うー、ほっぺたが伸びるところだった…』

神姫「ふふっ」

雨「怖っ……」

千世子「孫堅が歴史に現れるのは17歳の時なのだ。旅の途中で水賊の略奪を見つけた孫堅は、たったひとりで賊の前に進み出ると、まるで自分が軍の兵士に指示を出しているような仕草を見せつけたのだ。賊は軍隊が自分たちをとらえにきたと勘違いし、財宝を捨てて一目散に逃げ出したのだ。その後は「黄巾の乱」という民衆反乱を討伐する軍、都を占拠した董卓を倒そうとする諸侯の連合軍などに参加。どの戦いでも大きな戦果をあげているのだ。」

神姫「なに?」

雨「なんでも……ない」

悠「ちいさいのを虐めるなよ」

神姫「イジメてないわよ」

雨「小さくないっ!」

悠「両方から怒られた……」

千世子「孫堅はその後、自分の上役的な立場だった名門貴族、袁術の命令で、袁術と領地を接するライバル劉表を攻撃したのだ。初戦に勝った孫堅だが、単独で敵の城を偵察したときに敵の攻撃で死亡したのだ。死因は弓矢による狙撃だとも、落石の直撃だとも伝わるのだ。自分の力を過信したゆえの最期であったのだ。」

亘理『小さい方がかわいいのに』

摩耶「可愛いが全部褒められてるという方に繋がるとは限らないんだよ」

亘理『す、すいません…』

摩耶「謝らなくていいのに」

悠「迫力があるんだよ……」

千世子「『正史』でも『演義』でも、表向きは漢王朝の忠臣として描かれている孫堅だが、その名声を揺るがす疑惑がかけられているのだ。それは董卓を討伐する戦いで孫堅が、皇帝のみが使うことを許される印鑑「玉璽」を発見し、着服したという疑惑なのだ。『正史』で引用された多くの書物は、この疑惑を否定しているのだ。孫堅は玉璽を袁術に奪われたという意見や、玉璽など見つけていないという意見もあるのだ。しかし『演義』では、孫堅は疑惑通りに玉璽を着服し、皇帝になる野心を抱いたことになっているのだ。だが玉璽はあくまで印鑑であり、持てば皇帝になれるわけではないのだ。『演義』の記述は物語を盛り上げるためのフィクションと考えるのが妥当なのだ。以上、孫堅のじゅぎょーだったのだ。」
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