ー奇談ー學校へ行こう6

ー教室ー

毎夜行われる、浮き世離れした夜の授業。
今日も取り壊されないまま、時代から取り残された廃校で授業が始まろうとしていた。

悠「いかんなカレーがすごく食べたい」

亘理『つくったげようか?』

悠「冥ちゃんにお願いしたらつくってくれないかな」

亘理『オイコラ、お主。無視するな』

摩耶「作っちゃえ、作っちゃえ」

亘理『良し来た!』
ずぷんっ!

悠「いっちゃったよ……。」

千世子「亘理ちゃん、欠席と……はい、じゃあーじゅぎょーしますなのだ。」

悠「……」

義鷹「骨は拾ってやるよ」

【張遼】
本名:張・遼・文遠
生没年:169~222

千世子「『演義』は、三国の中で蜀を主役、魏を悪役と位置付けた作品なのだ。そのため魏の武将は多くの場合、本来の人物よりも情けない性格や、悪人の人格で描かれているのだ。だが張遼は、そんな魏の武将たちの中で特に尊敬できる性格で描かれている数少ない例なのだ。のちに神とあがめられた蜀の武将「関羽」と友人だったことが『演義』で好意的に描かれている原因かもしれないのだ。」

悠「ちなみに義鷹はくったことあるのか?」

義鷹「亘理が料理してるのを見たことがねぇな」

悠「……」

摩耶「いまどき料理下手なんて落ちないって」

悠「なんだろうフラグで埋まっていってる」

千世子「張遼は若いころから武勇に優れており、地元の名士に武将として仕えるようになったのだ。その後張遼は董卓、呂布など様々な主君に仕えるが、仕える主君が次々と殺され、最終的に曹操の部下となったのだ。」

悠「ちょ、張遼と言えば素敵帽子だよな」

摩耶「確かに無双の張遼の帽子はおしゃれてるね」

神姫「私だったら……」

悠「ん?」

神姫「私だったらレトルトでいいっていいに走るわね」

悠「不安になるだろう!!」

千世子「張遼は強いだけでなく、礼儀正しく義理堅い好人物で、冷静な判断力も備えていたのだ。『演義』でもこの特徴は変わらないどころか、むしろ誇張されているのだ。呂布配下時代の張遼が曹操に捕えられたとき、命乞いをするどころか曹操を罵ったという逸話は、張遼の主君に対する義理堅さを強調するために作られた架空の話しなのだ。」

悠「……」

義鷹「カレーなんか誰でも作れるだろ」

悠「じゃあ、いっしょに食べてくれな」

義鷹「……ふー」

悠「おい、こっち見ろよ」

千世子「そして張遼について語るうえで欠かせないのが、蜀の武将「関羽」との交流なのだ。張遼は関羽が一時的に曹操のもとに身を寄せていたとき、徐晃とともに彼と交流し、深い友人となったのだ。『演義』では張遼が呂布軍の将軍として劉備と戦い、戦場で何度か関羽と会話しているが、これは『演義』の創作なのだ。」

神姫「確かどっちも武器は輪月刀だったわよね」

摩耶「長柄系」

悠「強いキャラは長モノが多いよな」

摩耶「蜀は槍とかばっかりだしね」

千世子「張遼は曹操の将軍としてさまざまな武功を立てているのだ。立てた武功があまりに多すぎてその大部分が『演義』では省略されているほどなのだ。その中で最も派手で常識はずれなのが、呉の孫権軍10万を迎え撃った「合肥の戦い」なのだ。」

悠「真田幸村も槍だし」

神姫「なんで戦国武将を混ぜたがるの?」

摩耶「本多忠勝の蜻蛉切も槍だしね」

悠「バサラだとドリルランスだけどな」

摩耶「あれはガンダムでしょ」

悠「ホンダムだ」

千世子「合肥砦の曹操軍はわずか数千。だが張遼は臆することなく、わずか800名の精鋭歩兵を率いて呉軍本陣に切り込み、敵の包囲を突破して脱出。さらに包囲の中に残された味方を救うため再突入、味方を連れて生還するという鬼神の働きを見せたのだ。これで戦意を失った呉軍は、合肥砦を落とせずに退却するのだ。張遼は逃げる孫権を追撃し、討ち死にまで追い詰めたのだ張遼の活躍は呉に広く知れ渡り、「遼来遼来」「遼来来」(張遼が来るよ)といえば、泣く子も黙ると言われたのだ。」

悠「三国志ってそういう洒落おおいよな。「そうそう」っていってたら「曹操」が来るとか」

神姫「嫌味なんじゃない?」

摩耶「小粋な言葉遊び」

悠「呪い歌~早く読んでも、のろいうた」

摩耶「それは亀山歌」

千世子「100倍の敵を翻弄する現実離れした活躍は、『演義』の創作と疑いたくなるところだが、これは『正史』に事実として書かれている「正しい歴史」なのだ。以上、張遼のじゅぎょーだったのだ。」

悠「……あれ、亘理戻って来なかったな」

義鷹「だな」
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