ー奇談ー學校へ行こう6

ー教室ー

毎夜行われる、浮き世離れした夜の授業。
今日も取り壊されないまま、時代から取り残された廃校で授業が始まろうとしていた。

悠「なんかちょっと雨降ったせいでモヤってんなぁ」

摩耶「高温多湿は毒だよねぇ」

悠「カビ生えちゃうよ」

神姫「脳の中はもうアウトでしょ」

悠「むしろカラカラでしぼんでる、ってなんでやねん」

神姫「……」

悠「無視いくない」

【曹仁】
本名:曹・仁・子考
生没年:168~223

千世子「じゅぎょーしますなのだ。軍隊を指揮する者にとって、不利な状況でも粘り強く戦い、時間を稼げる武将はありがたいものなのだ。曹操の義理の従弟にあたる曹仁は、魏でも随一の粘り腰で知られ、いつも曹操の危機を救った知勇兼備の武将なのだ。」

亘理『優秀なんだね』

悠「堅牢な盾となろう」

摩耶「よーし、いくよ」

悠「内を壊す打撃をする君は駄目」

神姫「じゃ、いくわよ」

悠「二本貫指で狙うな」

千世子「若い頃の曹仁は弓術、馬術、狩猟を好み、素行の悪い乱暴者だったというのだ。しかし軍人になってからは軍隊の規律をよく守り、他の将兵の見本になったのだ。」

悠「大人になってキャラが変わる系だな」

亘理『悠ちゃんは、もうそれ固定っぽいね』

悠「普段から真面目だからな」

摩耶「へん」

神姫「ふっ」

雨「ばーか」

悠「鼻で笑われて罵声まで浴びせやがった」

千世子「190年、董卓を倒すための軍が各地でおこると、曹仁も1000人ほどの若者を集めて曹操の部下となるのだ。その後すぐに武将として頭角をあらわし、主に騎兵を指揮していくつもの功績をあげたのだ。」

悠「でも、おれ曹仁てあんまり使わないわ」

摩耶「基本、夏候惇でしょ」

悠「ひと通りのキャラは育てはするよ?その際は蔡文姫で馬上無双するけど」

摩耶「馬超のなのにガラシャとか蔡文姫のが馬上の悪魔なのが不思議だよね」

悠「馬超は無双3以降どんどん馬上劣化してるからなぁ……」

千世子「曹仁は曹操軍が攻勢のときは目立たないが、ピンチになると輝きを放つ武将なのだ。曹操が賈詡の策に敗れて息子と甥を失った時、赤壁の闘いで周瑜に敗れたとき、いつも曹仁が現れて曹操軍の崩壊を防いだのだ。とくに赤壁の敗戦時は、曹操の撤退を支援するため最後尾を守る「殿軍(しんがり)」をつとめ、追撃する周瑜に重傷を負わせたり、敵中に取り残された部下を数十騎の精鋭で救いだすなどの活躍を見せているのだ。」

悠「美周郎ざまぁ」

摩耶「イケメン嫌いが病的になってるね」

悠「モテルヤツ、我タオス」

摩耶「長柄双刀と仮面用意する?」

千世子「曹操が中国北方を支配する大勢力となると、曹仁は南方の国境警備で活躍するのだ。魏の南は赤壁でも戦った呉の軍勢や、蜀の猛将関羽が控える激戦地でここを任せたことからも曹操の深い信頼が理解できるのだ。実際に曹仁は、荊州から北上してきた関羽の大軍に攻められ、関羽のあまりの勢いに曹操が都を北に移動させようと考えるほどだったが、曹仁は少ない兵士で国境の城を守り抜き、徐晃の援軍によって形成を逆転。その後呉軍が関羽を討ち取るきっかけを作ったのだ。」

亘理『結局、どこが一番強いの?』

悠「時期によって変わるが基本的に一番領土が多かったのは魏だな」

摩耶「結局三国はなぁなぁで晋の時代に突入するしね」

千世子「『正史』での活躍にくらべると、『演義』の曹仁はかなり能力の低い武将として描かれているのだ。これまでも説明した通り『演義』では魏は悪役であるため、酔い書かれ方をされないのだが、中でも曹仁は特に低く評価されているのだ。」

神姫「生き残ったって意味では司馬懿が勝者かしら」

悠「王元姫はおれの嫁で異論は無いな」

摩耶「鮑三娘は?」

悠「あー、両方並べたい」

摩耶「大橋、小橋狙いの曹操みたいなこといってるね」

千世子「『演義』の曹仁は、短気な性格で、軽率に兵を動かしては敗北をくりかえすという典型的なやられ役なのだ。とくに蜀の参謀である徐庶に計略を見破られて敗れたり、諸葛亮の計略にかかって大敗するなど、蜀の軍師たちの活躍を演出するための引き立て役として利用されていることが多いのだ。以上、曹仁のじゅぎょーだったのだ。」
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